ぼっちとキョロ充
☆
3年前――(昏睡事件発生3カ月前)
「ここのフィールドでしばらく動いてみてほしいんだ。 脳波はこちらで確認している。もし不具合があってもすぐにログアウトさせることができるから、安心してプレイしてくれ。
特に君は――えっと、戸鐘主任の弟さん……だっけ? 話は主任から聞いているよ。
急に呼び出してテスターやれだなんて、キミのお姉さんは随分と強引だ」
「い、いえ。『スターダストオンライン』の開発に協力できるなら、本望……です!」
「主任と違って礼儀正しいなぁ。キミのお姉さんもそれくらいだったら……」
ブツブツ……と何か言いながら中年風男――坂城諸は作業にもどった。
坂城はずり落ちたネルシャツを袖を捲って額の汗をぬぐって、SFっぽいデザインのPCに向き直る。
高級感あるしっとりとした生地の服は見るも無残に汗染みを作っていた。
整髪スプレーで固めたらしいオールバックの短髪も、ところどころ整髪料が落ちてデコに前髪が一筋、二筋と垂れ込んでいた。
なんというか、姉さんとデジャブっている気がする。
VRMMO『スターダストオンライン』が完成間近になるにつれて、姉さんも外見を取り繕う努力がなくなっていた。
昼夜逆転、室内にこもりきりの生活を送っているせいで1日のサイクルが狂い、いつ朝ごはんを食べたのか、いつ風呂に入ったのかもわからなくなっている、と干からびた笑顔で告げていたのを思い出す。
それであっても、今僕がいるスタジオの開発者の誰かに「ゲーム開発ってマジできつそうです」と言葉を漏らせば「今回はモチベーションだけは守られてるから100倍マシ!」と自信満々に告げられるのだから、本当に狂気じみている気がする。
…………。
けれど、その狂気から生まれたこのゲームに魅入られた僕もまた、狂人の一人なのかもしれない。
電車を乗り継いで都心に近づき1時間。一つのテナントビルを見つけ出すのに30分。
その果てについたゲーム開発スタジオで、僕は生まれて初めてのバーチャル体験をするところだった。
そこにスタジオへのトビラを蹴破って姉さんが現れる。
頬に張り付くほど濡れている長髪、首にはバスタオルをかけ、極めつけは【ん~元気!】という謎のキャッチコピーがついたヨレヨレのTシャツを着込んでいる。
誰がどうみても風呂上りスタイルだ。
「おいモロォ! 上司への陰口を堂々とするのはいかがなものかね!」
「げっ、戸鐘主任? 今さっき風呂入ってくるって出ていったばかりじゃないですか!?」
「残念、終わりましたぁ~。シャワーだけならスマホ構う時間ないから素早いんです~。」
「ばっちぃ!三日分の垢がカラスの行水で落ちるわけがないでしょう」
「あぁ? なにをぅ。嗅ぐか!? あたしの体臭はフローラルの香りって評判なんだよ」
「今朝寝ぼけてトイレの消臭剤被ったからでしょうが!
ちょっと主任、弟さんの前で恥ずかしくないんですか、まったく」
坂城と姉さんの言い争いはどうやらこのスタジオの名物らしかった。
そこらじゅうで口笛やら合いの手やらが上がり、プロレスの口上じみた口喧嘩が過熱していく。
なんというか、諸さんという方に同情の念を抱かずにはいられない。
確か、姉さんは僕がこのスタジオまで彼女の着替えを持ってきてから「近くのホテルでシャワー浴びてくる」といって出ていった。
ということは、背広を着たサラリーマンの中をあの恰好で歩いてきたということだ。
そのメンタルの硬さが僕には信じられない。
……にしても、諸さんも姉さんもスタジオにいる他の人たちも、これだけ話をしているのに作業自体はまったく留まっていない。
口ではテキトーな煽り文句を言ってても、キーボードを叩く指先はスピードは変わっていないのだ。
「ところで主任、主任の体臭は便器の香りって結論で落ち着いたところで、テストの準備が完了しました。 いつでも弟さんを『スターダストオンライン』に放り込めますよ」
「暴論だね。20代の女に言っていいことじゃないっ。
それはそうと、了解。こちらもテスターの脳波分析が完了した。
さぁ、我が弟をクリーチャーに捧げようではないか♪」
さて、僕は単に姉さんの着替えを届けにきただけの部外者のはずだったが、スタジオに来るや否や、姉さんの薦めで『スターダストオンライン』のテスターになろうとしている。
ヘルメット型のインターフェース、マッサージチェアっぽい操作ボード。
それらに身体を押し込まれて、十数分で僕はVRの世界に旅立とうとしていた。
「え、姉さん。ちょっと、クリーチャーって何のこと? 」
姉さんは僕の顔の近くまでやってきて微笑んだ。
「やってみればわかるよ。 あたしの弟たる証を見せつけるチャンスだ。
クリアしてみて」
「言ってる意味わかんないって。 僕は動作確認をするってことしか……知らされて……な、い……」
唐突に意識が遠のいていく。
姉さんの顔にピントが合わなくなり、思考すらおぼつかなくなって、やがて自分という存在が霧散するのを感じた。
「姉さん、トイレ……くさ……」
☆
トイレ臭い。
そういえばあの時、そう言おうとして言えなかったのをはっきりと覚えている。
わりとしょうもない。
けれど、意識を取り戻した僕の鼻腔をくすぐったのは爽やかな香水の香りだった。
心が落ち着いてくる。
それと口の中に広がる鉄の味……口を切ったらしい。
「あの……救急車を呼んだ方が……」
「貴方がやったんだろ。事情を知られたらことが大きくなる。
……多分、このぼっち野郎はそれを望まないだろうね。
――この、”ネームレス”はさ。」
近い声と遠い声が聞こえる。
近い声はつい先ほどまで僕が聞いていたヴィスカのものだ。
もう一つは……。
「さ、笹川?」
気取った演技下手な発声に気づいて思わず声をあげてしまった。
起きた瞬間、自分がいつの間にか自室のベッドにいることにも気づいた。
「ど、どうして僕がここに?」
「私が他の生徒に絡まれているところを、イチモツさんは助けてくれようとしていただきました……が、力づくはいけないと思って止めようとしたら……つい」
出し抜けにかけた問いにヴィスカが申し訳なさそうに答える。
”つい”で膝蹴り喰らわせられたらたまったもんじゃない!……と説教するにはあまりにも目下検討すべき事項が残っている。
「どうして二人が……特にそこのキョロ充はなんでいるんだ!?」
「助けてやった人間にキョロ充とかコミュ障ぼっち野郎はやはり礼儀も知らない。」
笹川が答える。
彼は僕の部屋のデスクについて、机に置いてあったであろう【VRゲーム用インターフェース】をいじくっていた。
何もかもが演技臭くてイタい……。
笹川の代わりにヴィスカが苦笑いを浮かべて答えた。
「イチモツさんが倒れたあと、笹川さんがご帰宅されまして……事情を話したら、イチモツさんを部屋まで担いでくれたんです。」
「鍵は階段の踊り場に捨てられてたのを使わせてもらった。彼女を助けようとして膝蹴り喰らったとか、良い笑いものだな」
ニヤついた顔面にお似合いの下品な笑い声をあげる笹川。
それを聞いて「すみません」ともう一度深々と頭を垂れるヴィスカ。
大体の事情は察した。 だが、もう一つこの場で最も重要な疑問が残っている。
「僕がネームレスだってことをなんで知ってるんだ?」
最初に返事を返したのは笹川だった。
「特徴的な容姿のヴィスカさんと、俺の中学時代を知ってるやつ。この組み合わせで結びついた。証拠はなかったが漠然と確信に近いものはあった。 だからネームレスと断定した。
それだけだな」
「私は……さっきの男子生徒に突撃するイチモツさんが、ゲーム内での姿と被ったから、です。」
「もしかして、僕がしらを切っていたらまだ通せたってこと?」
二人とも頷く。
しくった……。
笹川のほうはともかく、不良に開口一番「キモイ」と称された地上マニューバで気づかれるとは思わなかった。
止む無く、手を伸ばせる距離にあったヴィスカの腕をつかんだ。
唐突な僕の行動にヴィスカが目を見開く。
笹川もまた、わずかに眉間にしわを寄せる。
「悪いけど、正体を言いふらされたら不味い状況なんだ。
僕は『スターダストオンライン』からお前らを追い出したい。
その目的を叶えるためなら、脅迫の一つ二つだってやってやる……」
二人を見据える。
もちろん、そんなことができるわけがない。今さっき膝蹴りを喰らわされた身体では足元すら覚束なそうだし、そもそも脅迫のやり方なんて知る由もない。
今からヴィスカの身ぐるみを剥いで、ベッドに押し倒し、笹川を部屋に押し入れてツーショット画像を撮ればイケるだろうか?
いやいや、無理がある。
じゃあ、どうすればいい?
このまま二人がネームレスの正体が僕だと言いふらせば、現実で何をされるかわからない。
……交友関係から洗い出されれば、七重にまで手が及んでしまうかもしれない。
無理だとわかっても、動き出す必要がある。
幸い、ここは僕の部屋の中だ。武器になりそうなものだっていくるかあるし……。
「はは、電子ケトルで人を襲うのは無理だわ」
笹川が笑い出す。
図星を突かれてわずかにこちらの身体が硬直する。
「きょ、脅迫なんてしなくていい。俺はオマエの目的に賛成だからな」
湿っぽい頬を引き上げて、笹川がニヤリと口元を歪ませた。
……本人は精一杯かっこつけているらしいが、声が震えているあたりやはりこいつはキョロ充である。




