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鋼鉄の膝

 知らぬ存ぜぬな他者様の恋路を優先されて、七重はずっと不機嫌なままだった。

 結局駅前で分かれるまで彼女は一言も言葉を発することはなかった。



「ロクって呼び方、姉さんが使ってたの覚えてくれてて嬉しかった。」


「あのビッチに言ってほしくなかっただけです」



 そう一言、ぽつりと呟いて、彼女は駅の中へと消えていった。

 彼女の電車通学は約2時間ほどかかってしまう。

 参考書読むなりなんなりしていればすぐに着いてしまうのだと言っていたが、それでも疲労はたまりやすいはずだ。

 元々はお隣さんで幼馴染でもある瀬川遊丹と通学していたが、彼女が意識不明の重体となって今も目を覚まさなくなってからは、ずっと一人で通学しているようだった。


 まがいなりにも鳴無学院は県内では名門と名高い。

 故に彼女と同じ路線を使って通っている生徒もいるはずなのだが……。


 僕と彼女は同じ目的――『スターダストオンライン』からプレイヤーを追い出す――を抱いている。

 しかし思い描く果ては、おそらく違うものなのだろう。


 瀬川遊丹は僕にとっても比較的接しやすい女子生徒だった。

 二人とも姉さんのことを慕っていて、よく4人でレトロゲームを協力プレイしたこともある。

 所謂”狩りゲー”の類だったが、僕の役割は専ら採集やクラストで、作ったアイテムを他3人が使うという流れがほとんどだった。



 ……今思うと、僕はまったく楽しくなかった覚えがある。

 暇つぶしにひたすら採集の効率化を目指して、マップを全て覚えたり、敵の分布や挙動を把握し、回復やトラップ類はもちろん、能力強化やエンチャントの類まで彼女らの指示通りに用意していた覚えがある。

 ……ホントに何が楽しかったのだろう。


 流石に高校に入る頃にはゲーム仲間という関係性は薄れていた。

 代わりに、七重は遊丹にべったりだったように思う。

 名門である鳴無学院に揃って入学できたのに、七重は高校生になった途端、僕を引き離すようになった。

 遊丹と一緒にいるときは特に厳しく、そして遊丹自身には甘え声で接していた。

 丁度、さっき僕に話しかけてきた水戸亜夢と似た雰囲気があったかもしれない。


 そんな二人の間にはどんな絆があったのか、僕にははっきりとは分からない。

 もちろん、僕だって遊丹が困っているなら助けたいと思うが、七重が使う”復讐”という言葉には含みがあるように思えて仕方ないのだ。



 …………。



 僕の住まいは現在、鳴無学院から少し歩いたところにある学寮だ。

 寮といっても別にルームシェアがあったり、共有する食堂があったりするわけではなく、単純に学院生徒なら安く入居できるアパートのようなものになっている。

 七重と同じように自宅から電車通学もできるが、わりと放任主義なウチの親が寮を勧めてきたのだ。


 鳴無学院の全校数は現在800名を超えているマンモス校一歩手前で、学寮を使う生徒がいてもなんら珍しいことではない。

 同じ中学に通っていた笹川宗次もまた、学寮に住む生徒の一人だった。

 


 外見はほとんど小奇麗なアパートと変わらない学寮を横切る。

 僕の部屋は階段を上って二階の一番端にあるので、笹川のいる一階の部屋を嫌でも通らなければならない。


 ――笹川は昏睡に陥ることなく助かったようだった。

 昨夜キャラをロストし、”V.B.W.”喪失の影響を受けたはずだが、今朝、彼は体調不良を担任教諭に直接伝えたらしい。


 少しだけ気になって、僕はなんとなしに笹川の一室へ通じる扉を見やった。


 それがいけなかったらしい。



「――イチモツしゃぶしゃぶさん、ですか?」


 

 背後からかけられた声を、僕は知っていた。

 柔らかなイントネーションから発せられる卑猥じみたプレイヤー名、それをなんの躊躇いもなく言ってのける女の子の声。

 

 ヴィスカだ。


 ポッと湧いて見事に僕の思惑を挫いた天才プレイヤーが今、僕の背後にいる。

 しかも公表してるわけがない僕のプレイヤー名を言い当てている。

 咄嗟の反応だった。


「……はぁ?」


 脳内シナプスが一気に弾け飛んで最適な反応を返す。

 

 そうだ。一般人なら『イチモツしゃぶしゃぶ』なんて誤解を招きそうな名前を聞いたら困惑するに違いな――……。


 かけられた痴言に焦る赤の他人を演じて振り返る僕。

 その視界が捉えたのは、ゲーム内とまったく同じ容姿をしたヴィスカだった。


 夜空に浮かぶ雲母じみた薄いブロンドの長髪、左右色の違うオッドアイは真っすぐ僕を映している。

 流石に服装はリザルターアーマーではなかったが、特徴的なネクタイを持つブレザーは紛れもなく鳴無学院特有のものだった。


 だ、ダメだ。入り込んでくる情報が多すぎて処理が間に合わない。



「イチモツさん、ですか?」



 小脇を通る学院生徒がひそひそと何か話しながら横を抜けていく。

 『スターダストオンライン』内なら、目の前のヴィスカじみた容姿がいても不自然には思えない。

 けど、現実世界でこの外見は目立ちすぎる。同時に、それに話しかけられている僕自身も。



「そ、そんな変な名前の人は、シラナイ」



 その変な名前つけたのは僕です。

 ……じゃなくて!しまったぁ!

 隠し事してる感マシマシな態度で返してしまったァ!



「そうでしたか。 この部屋の前で足を止めたから、てっきり笹川さんとお友達の方だと思ってしまいました。 お手を煩わせてすみません。」



 屈託のない笑みを浮かべるとヴィスカは一度会釈して「あ、」と小さく声をあげた。

 駆け出すと、今度は僕の後方付近にいた鳴無学院の生徒に「イチモツさんですか?」と話しかけている。

 

 その場から離れて、二階に続く階段の踊り場からこっそりと覗く。

 どうやら笹川の部屋の前で足をとめた学院生全てに声をかけているようだ。

 そして微妙な顔で返された後、彼女がお辞儀する。



「そりゃそうだ。イチモツしゃぶしゃぶだし」



 しかしながら、彼女は気づいていないのか?

 笹川某の部屋関係なく、ただヴィスカ自身の容姿に目を奪われて足を止める輩が殆どだということに。

 しかも、明らか彼女を指さしてニヤついているガラの悪そうな奴にも、同じように話しかけてしまっていた。



「イ チ モ ツ しゃぶしゃぶ?」



 カハハッ、と馬鹿笑いをあげる下品な男子も鳴無学院の生徒である。

 ブレザーのデザインを見る限り、一個上の3年生であることは確かだが……。



「あぁ、知ってるかもしんないわ。

 そんなあだ名の奴、中学の知り合いにいたかもなぁ。

 卒アル見れば思い出すかもしんねぇ。 部屋にあるんだ……オレの部屋、近くだからついてきてもらえる?」



「ホントですかっ? お願いします!」



 不良の言葉を真に受けてヴィスカの表情が明るくなる。

 あ、これ多分ついていっちゃうパターンだな。

 本当に、どうしてこの子は人を疑うことを知らないのか。

 そのまま無理やり手を取られて、案の定、半強制的に連れていかれようとしている。



「クソ、敵のことを気にかけるなんてどうかしてる……」



 持っていた手提げカバンの口を広げて階段の踊り場に中身をぶちまけた。

 そして空になったカバンを頭に被って顔を隠し、制服のブレザーも脱ぎ捨てて学年を分からないように偽装する。


 リザルターアーマーはないが身のこなし自体は『スターダストオンライン』で鍛えられているはずだ。

 たかだか不良の一人くらい倒せないでクリーチャーが倒せるかって。


 階段を降り、背を向けた不良の懐目掛けて駆け出す。



「その子を放せ!」



 叫んで自分の中の恐怖を霧散させ、突進する。

 笹川戦のようなマニューバが出来るわけもないが、そこは足の踏み込みで”っぽい”動きを行う。



「いきなりなんだテメェ……ってなんだ、そのキモイ動き!?」



 キモイとは失礼な。

 僕独自が開発した地上マニューバだぞ(もはやマニューバ(空中機動)ではない)。

 でもこれはあくまで油断を誘うための陽動。

 メインは使い慣れた【エディチタリウム・フィスト】こと、単なる拳さんをぶち込むことだ。


 喧嘩したことはなかったが、殴り馴れてはいる。

 

 僕は一息に右ストレートを不良へぶち込もうとした。


 ――が。



「あぶないっ」



 カバンの隙間から見えたのはヴィスカの制服スカートから覗く真白な太腿――と、太腿の中腹あたりから切り替わってヴィスカの脚を守る鋼鉄の塊だった。


 遠目からでは制服指定のオーバー二―ソックスにしか見えない。

 だが近場で見るとそれが、ガンメタ塗装のされた何かだとわかる。



「義、足……?」



 答えが出た瞬間、僕の顔面は勢いよくヴィスカの膝小僧へと突っ込んでいた。

 何かがちぎれたような音がした瞬間、耳鳴りが頭の中へ響き渡る。

 視界は貧血状態の時のように明暗を繰り返し、脳は揺さぶられて平衡感覚が掻っ攫われた。



「――山〇KIDの、カウンターバージョン……?」



 不思議と不良の呟きだけは明瞭に聞こえた。




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