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青春と書いて茶番と読む


「あっれー。やばい、人いるじゃん~」



 ようやく数学の課題一問を終わらせた頃、よく透るソプラノ声が2-Cの教室に響き渡った。

 

 水戸亜夢――演劇部でもっぱら主演をつとめることの多い、無邪気で幼げな女子生徒。

 笹川を焚きつけた一人だ。

 

 時刻は5時3分前、下校する者は下校し、部活に勤しむものは勤しみ、勉学に励むものは励む。

 遅くとも、各々が目的をもって行動を開始し始める時間帯だ。 

 


「何当たり前のようにいの一番で入ってんだよ。 お前、自分が後輩ってわかってんのかぁ?」



 彼女を追いかけるように教室に入ってきたのは、古崎の取り巻き・腰ぎんちゃくという印象が強い男子生徒・松岡雄途まつおかゆうとだ。

 不良じみた言動や服装のセンスをしているがクラス内での成績は優秀。

 外見に反して周りからの評価はよく、所謂『俺が更生させてやった』と自慢する教師が後を絶たない。


 ……営業ヤンキーだ。


 本人に言ったら乱闘騒ぎになるだろう。……一方的に殴られるのは僕だろうけど。



「おいおい、マジかよ。テスト明けから居残りする奴がいるなんて思うか、フツーさ」



 おそらく僕と七重に聞こえぬよう、松岡は独り言を呟いたらしいが、普段から喧しいくらい声がでかいため声量は全然抑えられていない。

 現に向かいの七重は横目に氷のような視線で彼を射殺そうとしている。



「そういうこと本人たちのいる前で言いますか? フツー」



 そう非難しつつも、仲良さげに水戸は弱キックを松岡の脛付近に食らわせてじゃれ合っている。

 囁き声ではあったが、今度は活舌と高音で会話は丸聞こえだった。



「松岡先輩はそゆとこデリカシーに欠けると言いますか、いつかバットで後頭部殴られますよ? ヤンキーだけに。」


「中学で何回かあったぞ? 傷口まだ残ってっから見るか?」


「え、やだやだ、嘘。キモイ汚い、見せないで!」


「汚ねぇはおかしいだろーがよ!?」



「ごほんッ」



 松岡と水戸の会話に終止符を打ったのは七重の咳払いだった。

 補講でナーバスになっているときに、目の前でイチャイチャされようものなら、そりゃあ誰だって咳払いの一つもしたくなる。

 まぁ、明らか口で「ごほん」って言ったけどね。

 しかも露骨な低音で。


 若干の気まずさを感じたらしく、いちゃつく二人のトーンはダウンしてくれた。


 けれどしばらくして、松岡がこちらの机に寄ってきた。



「なぁ、戸鐘。 お前、ここで何してんの?」


 

 松岡の視線は明らかに僕のほうへ向けられていた。

 そりゃあ敵意剥き出しの七重よか話しかけやすいだろうけど、よりにもよって見た目オラついてる松岡と話すなんて……。



「何って、補講だよ。 今日のテストで出た問題の解説をしてくれるって」



「マジかよ!? 試験終わったの今日なのに、そこからまた勉強? 考えらんねぇ。

 お前熱でもあんじゃねえか?」



 松岡は笑い出す。

 決してバカにしてるわけじゃなく『自分よりも真面目な奴』という意味合いにとれる口調だ。 

 多少大げさに言うのは、冗談を言い合える空気に持っていくためだろう。


 けれど僕の視線は松岡ではなく、七重を見ていた。


 口パクでひたすら「死ねクズ」を連呼するのはやめてほしい。



「あーアム知ってます~。 先輩って戸鐘ロク先輩ですよね? あたし、水戸亜夢っていうんですけど~。」



 松岡が話やすい雰囲気をつくったことを確認して、猫なで声の水戸亜夢が会話に入ってくる。



「え……演劇部の天才が僕のこと知ってるなんて嬉しいよ」



 定型文のようなお世辞を返すと、水戸亜夢は朗らかに笑みを浮かべた。

 


「もぅ。天才じゃないですよぉ~これでもしっかり練習して頑張ってるんですから!」



 リアルで”もぅ”とか言い出す奴に初めて会ったわ……。

 それよりもこの出来レースを早く止めてくれないものかと七重に視線を向けるが、なんといつの間にか氷のような眼差しは僕にも注がれていた。



「アムもロク先輩のこと知ってますよ? この窓辺って校庭からでも見えるんです。

 先輩、とっても勉強頑張ってますよね~。尊敬しちゃいます。」



 身体が近い。なにかの香水の匂いがする。

 内心では毛ほども尊敬なんてしてないのは分かっている。

 分かっているが、無邪気で小動物じみた表情と瞳で言われてしまうと悪くない気持ちになってしまう。


 かたや校内の有名人たる水戸亜夢と、かたやそこらへんに落ちている石ころじみた僕。

 そんな雲泥の差があるのに、彼女が僕の名前を知っているというだけで、なんだか特別な感情が沸々と……。



 で、これで笹川は見事落ちたわけだ。


 ……気づいた瞬間、昂った心臓の音が収まっていくのを感じた。



「水戸亜夢さん、でしたっけ? その人、戸鐘路久とがねみちひさっていうの。わかる?」



 唐突に七重が水戸亜夢へと告げる。

 なんだか嫌な予感がする。



「えっと、誰先輩だかわかりませんが、戸鐘先輩の名前はわかりますよ? 路久ってなんだか古風だから愛情をこめてロク先ぱ」



「と が ね せ ん ぱ い……でしょ? 

 演劇部って上下関係とかないの? 

 いきなりあだ名呼びって普通失礼だと思わないの?」



 場が静まりかえる。

 水戸亜夢が目を丸くして硬直するのに対して、七重は至って平静に首をかしげている。 

 松岡は僕に視線をよこして言外に「何言ってんの、この女」という疑問を僕にぶつけてきているようだった。


 我に帰った水戸亜夢が再び完璧な笑みをつくって七重に向き直る。



「別に先輩には関係なくないですか?

 ロク先輩はしっかりしてて優しそうだから愛称で呼んだだけです。

 先輩にはしっかり敬語使いますし……課題やってればいいじゃないですか」



 水戸亜夢のソプラノ声が一段と高くなる。

 だがいつもより強弱の抑揚がなくて、電子音のような平坦なものに聞こえてくる。



「先輩は、ロク先輩でいいですよね? そっちのほうが可愛いし、言いやすくてアム好きだなーって」



 突如彼女に腕を取られて、小さな両の手に右腕が包まれる。

 不覚にも僕が真っ先に気になったのは、自分の手が湿ってないかどうか、だったりする。


 そんな無神経な僕と打って変わって七重は肩を震わせて深呼吸をした。

 そして一息に。



「ロクの呼び名は貴方が使っていいものじゃない……っ」



 見事に七重の声は裏返っていた。

 彼女もまた人見知りである。今水戸亜夢と喋っているのもキツイはずだ。

 それを押してでも、彼女が言いたかった言葉の意味を、僕はなんとなくだが理解した。



「ごめん、ロク先輩はやめてくれ。 僕のことそう呼ぶクラスメイトっていないし、水戸さんがそう呼んだら変な噂が広がるかもしれない。

 そうなったら、水戸さんもキツイでしょ?」



「べ、別にアムは……」



「戸鐘がそういってんだろ? 節操なさすぎだっての」


 

 意外にも助け船を出してくれたのは松岡だった。

 けれども相当イラついているらしく、ヘアワックスだらけの頭を片手で弄っている。

 


「節操!? あー、もう! 松岡先輩って言葉選びサイテー!」



 松岡の言葉に水戸亜夢が怒鳴り声をあげた。

 そしてそのまま教室から出て行ってしまう。

 「追わなくていいのか」と聞く前に松岡は首を振っていた。


「……で、松岡君と水戸さんはここで何したかったの?」


「告白」


 こちらの問いに松岡がぽつりと答える。



「え……水戸さんにってこと?」



「ちげえよ。 俺じゃなくて、トオルの友達が告白するっていうから、この教室おさえとけって頼まれたんだっての」



 あぁ、確かに立地の良い2-C教室は夕日が映画のワンシーンがごとく綺麗に差し込む。そのせいか、告白の名所にもなっていると聞いたことがある。



「でも……チッ、補講あるんじゃ無理だろうな。 邪魔したな」



 そう言い残して松岡が教室から出ていこうとした。

 その丁度同じタイミングで、古崎が本日の補講担当である須崎教諭と会話しながら入ってきた。



「須崎先生、お願いします! あいつら、ホントに良い奴らで絶対いい関係築いてほしいんです。 身勝手なお願いだし、校則違反だってのもわかってるから、あとで俺が責任とりますから!」



「わかったわかった。学校一の優等生のクセして仲間のこととなるとすぐに頭を下げるな、古崎は。 ったく、大馬鹿野郎だな」



 一体何の話をしているのだろう?

 そう疑問に思う暇もなく、教室にはいった須崎は補講参加者である僕らに言った。



「今日は補講なし! この場に残ることも禁ずる! ……これでいいか古崎?」



 須崎が脂ぎった頬を釣り上げて格好つけた笑みを浮かべた。

 一方で古崎は溢れんばかりの爽やかスマイルで須崎にサムズアップする。



「雄途~悪かった! 今日補講があるって知らなかったのは俺のミスだ。

 けど須崎先生が協力してくれるっていうからもう安心だゼッ!」



「はは、あの須崎教諭を説得するとかホントすげえよ、トオルはよ」



 松岡も同じように親指をあげて笑みを浮かべる。

 この空間で困惑する一方なのは僕と七重だ。



「須崎先生、補講がなくなったってどういうことですか?理由を教えてください!」



「野暮ったいことを聞くな、釧路。 青春だよ、青春」



「は……はぁ?」



 七重が思わず間の抜けた声を出してしまう。

 僕だって同じ心境だった。同じように起立して抗議しようとしたところで、古崎が僕らの席へやってきた。


 そして隣の席から椅子を拝借すると、僕の数学課題へ取り組み、ものの数十秒でそのすべてを終わらせてしまった。



「悪い、釧路さん。戸鐘も。課題は多分これで終わったと思うから、今日は俺の顔を立ててくれ。な。」



 こちらが15分以上悩んだ数式問題をいともたやすく古崎は答えてしまっていた。

 七重は何かを言おうと口を開閉繰り返していたが、結局俯くしかないようだった。

 何を言っても惨めに思われるのがオチだとわかってしまった。


 僕らはまるで道化のようだった。


 結局、補講が開かれることはなく、僕と七重は帰路につく他なかった。

 校門前の校庭、そこから2-Cの窓辺を覗くと知らない生徒二人が抱き合っているところが見えた。



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