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「4万円払います」


 当初から諸に言われた通りのルートを辿り、ジャンク置き場を抜け、【ブルーエンドリニアライン】の地下へ降りるマンホール型のハッチへ突入したところで、湯本が「あ」と短く声をあげた。


「そういえば、そろそろ諸さんが戻っててもいい頃合いじゃないッスかね?

 いくらなんでも20分近くトイレに籠ってるわけねえッスよ。 ね?」



 相変わらず僕よりも優れた機動力で道の先をいく彼女。

 その表情は読めなかったが、なんだかその同意の求め方は僕に対してのものじゃないように思えた。

 ジャンク置き場を抜けるまで、何者かに見られている気配がしたのもあって、僕は湯本が何か見えているんじゃないかと内心で気が気じゃなかったりする。

 

 【ブルーエンドリニアライン】は近未来技術を用いてつくられたメトロだ。

 しかしほとんど稼働はしておらず、明かりは非常灯のか細い光だけだった。


 当然ながら僕は幽霊というものを信じてはいないし、ホラーをフィクションとして楽しめる人間でもある。それに。ヴィスカとか名無しとか、幽霊に似た存在を見たこともあって耐性はついている。

 いつだってそういうトリックのタネは人間だ。

 でも、その人間が驚かそうとするのに耐えるのは身体の生理現象的なアレで難しい。

 ……名高いホラーゲームだって、幽霊信じてなくても驚くだろう?

 それと同じだ。


 僕も誰に同意を求めているのやら。


 しかしこちらの問いに応じるかのように突如としてアラームが鳴り響く。



「うおぉおぉああああ!?!?」



「ちょっ、先輩どこ触ってんスか!? お触り一回5千毎度ありッス!」



「どこにも触ってないし、嬉々として冤罪で巻き上げようとするんじゃない!」



「――え、じゃああたしの後ろのバーニアに触れてるのは誰っスか?」



「……バーニアに触るだけで5000円って、キミはご神体か何かかな」



「否定はしないッス。 あ、クリーチャーッスね。 ネズミっぽい奴。」



 湯本のリザルターアーマーに灯っているランプで、彼女がどちらを振り向いたかは把握できた。

 けれど、クリーチャーの姿はこちらの視界だと視認できない。

 彼女の向きから算出すると、ちょうど僕と彼女の斜め前付近に出現しているらしいが、非常灯から離れた位置だと影すら判別できなかった。



「一度敵から離れよう!

 視界を確保できる箇所まで移動して、それから攻撃――――――――を?」



 強張った鋼を打ち付けたような短い銃声と奥底から響く破裂音のアンサンブル。

 そう認識する間に僕の視界は反転して、身体は慣性に耐え切れず腰をひしゃげて脇腹を天井に向けていた。

 

 僕が非常灯の下まで行こうと願った瞬間、コンマ数秒の間に僕の身体は投げ出されていた。

 なんと便利なことか、巡り巡った視界が留まる頃には非常灯の弱い灯りが照りつけていた。

 まるでスポットライトでも充てられたかのような心地だった。


 HUDに表示された文字を読み上げる。



「《F.F. No Damage》……フレンドリーファイア……。」



 つまり僕は味方に撃たれて打っ飛んだらしい。

 そして味方といえば……。



「え、ウソウソ。な、なんで先輩に当たるッスか?

 ちゃんと狙いつけて撃ったはずなのに、どうしてどうして?」



 あ、よかった。これはわざとじゃないらしい。

 流石に今の一撃にも「嫌いになりましたか?」とか聞かれたら、ジム行く決意を固めるところだった。


 に、しても……マジでフレンドリーファイヤでよかった。

 そうでなかったら僕の身体は真っ二つにちょん切れていたはずだ。


 おそらく湯本が僕へ撃ったのは背部のキャノン砲。

 F.F.でアーマーへのダメージはなくても、攻撃を受けた衝撃は伝わったのだろう。



 非常灯まではかなり距離があった。

 その距離を埋めてしまうほどに打っ飛びに、湯本も驚愕したらしい。

 小走りでこちらまで走ってくるのがわかる。



 湯本が明かりに近づくことで姿がはっきりと見えるようになる。

 だがそれと同時に、僕は思わず絶句してしまった。


 湯本紗矢の背後、彼女を追いかける形で無数の蠢く物体を確認したからだ。



「先輩! さっきのは故意にやったわけじゃないッス!

 ノーカンノーカン、ぜひともまだあたしを好きでいてほしい――ってどうして逃げるっスか!?

 え、本当に嫌いになったの!?

 先輩は脇腹の誤射一撃で恋が冷める男なんスかー! 薄情者!」



「恋どころか身体が冷たくなるだろ、それ!

 そうじゃなくて後ろ見ろ、後ろ!!」



「後ろ――ぎゃあああぁああ!! 単体なら可愛いけど、大群は無理ッス。

 あたし集合体恐怖症ですから!」



 湯本が振り向きざまにまたしてもキャノン砲による一撃をクリーチャーの大群へと放つ。

 モルタルかコンクリートか、とにかく無骨な床を抉った攻撃によって大群の中心が吹き飛び、着弾時の衝撃によって僕の視界にまでクリーチャーの一部が飛び散ってくる。

 自動で認識したHUDにクリーチャーの説明が表示された。 


 【ジェル・ラット】……液体を纏ったネズミか。

 確か、キャリバータウンの隠しイベントで現れた雑魚クリーチャーだ。

 単体相手なら僕でも余裕で倒せるだろうけど、この頭数は流石に……。


 いくら湯本の砲撃が強かろうと、軽く100体は超えるジェルラットを倒し切ることは難しい。

 しかもまだまだその数は増えつつある。 



「あ、そうだ。 ブーストで一気に逃げちゃえばいいんスよね。

 それではアディオス!」



 湯本は手を叩くとすぐさま付近に轟音と推進剤をまき散らしてジャンプする。

 その残光のおかげで彼女を見失うことはなかった。

 だが、加速で一度は引き離したかに思えたジェルラットの大群だったが、彼女の行く先々で別の【ジェルラット】の群れが天井より彼女目掛けて降ってくる。



「なしてあたしばかり狙うー? つゆだく展開っスか? アーマーだけ熔かす都合の良い熔解液使う気っスかー?!」



「落ち着け! 今助けるから――」



 くそ、でもどうすればいい?

 【Result OS】を外したところで操作性は向上できても火力自体はさして変わらない。

 初期型の兵装じゃ、【10mm徹甲マシンガン】と【脚部2連小型ミサイルポッド】を使おうともあの数を対処できるとは思えない。


 無策で飛び込めば結局キャラロストだ。

 

 ――それでもこのまま考えていたんじゃ湯本が危険だ。

 いっそ弾をばらまいてクリーチャーの注目ヘイトをこっちに集めてやる。


 そう考えた矢先になって専用回線から声が聞こえてきた。



『……非常用サイレンを撃つんだ。 【ブルーエンドリニアライン】の【ジェル・ラット】は攻撃が目的じゃない。 彼らは巣を防衛するために戦っているんだよ。』



「諸さん?」



 無事だったのか。

 

 そう安堵する間もなく、湯本の悲鳴に突き動かされて僕は視界を巡らせ、非常灯付近にあったベルマークらしきものが描かれているボタン目掛けて【10mm徹甲マシンガン】を乱射した。

 内一発が命中し、甲高くて延々と続く鐘の音が【ブルーエンドリニアライン】の地下へ響き渡った。


 すると音に反応した【ジェル・ラット】の大群が非常用サイレン付近へと雪崩れ込んでくる。

 一方で僕はピンポンダッシュじみた反応でボタンからすぐさま離れて、スラスターを全開に加速しながら、暗闇にいる湯本めがけてヘッドスライディングする。


 すれ違い様にジェルラットの体液やらなんやらでベトベトになりつつも、なんとか大群を切り抜けて群れの外へと逃げ出すことに成功した。



「ありがとう諸さん。

 なんとか逃げ切ることができたよ。」



 一息つきつつ、現実世界にいるであろう諸へと感謝する。



『いやまぁ、それはいいんだけど……君ら、随分と仲良しなんだね』



 それってどういう……?

 


「…………いやー、まさか先輩にマウントをとられるとは。

 末代までの恥じッスね」



 湯本の声は僕のすぐ下から聞こえた。

 首を傾けて確認すると、僕の両の手の間にすっぽりと、寝ころんだ彼女が収まっていた。

 フェイスガードをし忘れている彼女の頬へ直に、僕に付着していたジェルラットの体液が糸を引いて落ち込んでいく。

 一瞬、自分の涎かと勘違いして腕でぬぐったせいか、糸を引いた体液は踊り狂って湯本の頬どころか、顔全体にべたりと付着した。

 その様はまるで…………否、筆舌するにはあまりにもおぞましい。



「――――。」



 湯本が頬をヒクつかせて絶句している。

 つい先ほどまで、下ネタトークしてた湯本自身も、今の自分がどういう姿に見えるか、多分理解している。

 故にこのショックなのだろう。


 ダメだ。良い言い訳が何も思いつかないし、そもそも状況証拠が揃いすぎてる。

 考えろ、考えろ……何か、何かいい方法があるはずだ。

 これまでの湯本とのやり取りに何かヒントが――――!!

 

 はっ! 



「……………………………。

 4万円払います」



「許ス」



 助かった。


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