窮鼠の作られ方
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古崎徹の思惑は外れていた。
彼の見立てでは『スターダスト・オンライン』からログアウトすることで何かしら自身へ変化があることを期待していた。
ゲーム内ではV.B.W.による能力強化以上の全能感を味わったばかりだった。
最初、[古崎徹]は【スティングライフル・オルフェウス】をプレイヤーに使用することで、ゲーム内の〈ロク〉と現実世界の戸鐘路久のように自身を分離させ、自立的に動かせるものだと思っていたのだ。
古崎の思惑からは大きく外れ、プレイヤーを【チャフ・グレムビー】の能力で支配することによってできたのは、端的にいえば[意識の拡大化]だ。
オフィサー・木馬太一は言っていた。
『スターダスト・オンライン』ログイン・キャラクタークリエイトの仕組みは器に注ぐ液体と同じ関係性がある、と。
その関係性を間借りして言うなら、本来のゲーム内キャラクター〈古崎徹〉の中にあった神経系情報が他のプレイヤーキャラへ【オルフェウス】により拡散されることで、本来一つしか用意されないはずのキャラ――器が、ゲームのシステム上、複数認識される。
そして至る境地が、”支配した全てのキャラがプレイアブルキャラクターになる”という現象だ。
最高の気分だった。
一人目は北見灯子だ。彼女のキャラクターを支配したとき、”強化屋”による能力開発なんて足元にも及ばぬほどの”覚醒”を感じた。
視界は宇宙のように3次元的に広がって物事を把握できるようになるし、手足はどこまでも伸びてゆき、天上の星々にその四肢が届きそうだとも感じた。
味を占めて古崎徹は他の〈学院会〉プレイヤーにも同じように【スティングライフル・オルフェウス】を撃ち込んだ。
覚醒は更に進んだ。
支配するキャラクターが増えるうちに、古崎は『スターダスト・オンライン』の中にいる間はどんなことでも自分に関係があることのように思えて仕方なくなった。
【キャリバータウン】の地下で何か些細な物音がしただけで、古崎徹は【ブルーエンドリニアライン】という隠しルートを探し出そうと思った。
使命感か、好奇心か、どちらかはっきりさせることは古崎自身にもできなかったが、彼には余裕があった。
なぜなら彼は、その時だけ、全知全能であるべき”神”だったからだ。
ログアウトした今ではその感覚は全て消失しているため、その思考回路すら簡素な記憶に押し込められている。
それがとても歯がゆかった。
一抹の期待を膨らませてログアウトしてみればこれだ。
「……ログアウトしちゃえば、俺はあの劣等種の血が流れる[古崎徹]に逆戻りか。」
電子端末から木馬太一の連絡先を参照する。
【オルフェウス】を作成したあとは、彼に二度と連絡を取り合わないという約束をしていたことに気づくがそんなことは些事だ。
彼を強請るネタはいくらでも存在した。
”無いにしたって作り出すこと”もできる。せいぜいぼろ雑巾並みに使い古そうと古崎は考えていた。
――流石に呼び出しには応じないか……? ならメッセージで。
しかし、意外にも3度目のコール音で木馬太一の陰気な返事が聞こえた。
「夜分遅くにごめんね。
あぁ、俺はご機嫌だからそんなに怖がらないでよ。いきなり強請ろうって気はないんだ。
ただ【スティングライフル】のことでちょっと要望があってさ」
『そ、そんな!
私たちは約束したはずです! 成功失敗に関わらず、【スティングライフル・オルフェウス】の製作に協力したら金輪際、連絡はしないと!』
「まぁ、今度は良き友人としてではなく、脅迫者としてキミの力が借りたいんだ。
だいたいさ、こっちには強請るネタがあるのに、本当に解放されると思ってたのかい?
もう俺たちは一蓮托生なんだよ。
木馬さんも仲間ってことさ。
――……裏切るならどうなるかわかるだろ?」
『…………』
「黙ってないでさ、早く行動に移して――」
『わかりません。』
「はぁ?」
古崎の言葉を遮るようにして木馬太一は明朗に告げた。
『わからないと言っています。 裏切る? 勘弁していただきたい。
損得・利害も考慮しないクライアントなどと初めからまともな契約などしてはおりません。
おままごとはもう沢山だ』
おろおろとした雰囲気が一気に消え去って、木馬太一はゲーム内の〈オフィサー〉がごとく人を見下すような口調で返事を返してくる。
「い、一体、自分が何を言ってるのかわかってるの――」
古崎が問い返す前に彼の自室のトビラが乱暴なノック音を響かせた。
ノック自体は建前で、訪問者は間髪入れずに扉を開けはなってくる。
「そっちこそ、わからんのか? この愚息が!!
私がオマエの尻ぬぐいをしたのだとなぜ分からんのか!
今すぐ木馬太一さんに謝罪しろ!
オマエが起こした愚行は古崎グループを火だるまにする恐れだってある大事だ!」
訪問者――徹の父親である古崎圭吾は怒髪天を衝く勢いで徹の自室へと入ってくる。
「誰が入っていいって許可した?
古崎牙一郎の血を穢した凡才が、俺に近寄るな」
それ以上侵入されたら、今もなおベッドで眠り続けている北見灯子の姿が見られてしまう。
徹は開口一番で父である圭吾が触れられたくないであろう話題を選んだ。
「駄息のフォローをし続けている父親に向かってその態度か?
いいか、オマエがその身勝手で状況も読めない愚か者であり続けられるのは前会長がいらっしゃられるからだ。
虎の威を借りてそんなことが言ってられるのも今のうちだぞ、徹!」
「否定してみせろよ? 知ってんだぞ、祖父さんが退任してから、古崎グループの傘下にある企業の一部が他社に情報をリークしている疑いがあるんだってな?
そりゃあ、俺でもそうするよ。
”中沢”圭吾という微塵のカリスマもない一般人が手綱を握ってるんだからな」
――そら、また暴力に打って出てこい。
それをV.B.W.の力で圧倒するのが、あんたをオモチャにして一番楽しめる遊び方なんだ。
徹の思惑通り、圭吾は拳を振りかざした。
前時代的教育方法しか学んでいない人間の無知蒙昧な暴力だった。
しかし、身体自体は徹の思惑通りに動かなかった。
昨日までは確かに圭吾を圧倒していた身体の身のこなしが、今では姿を消していた。
――そ、そうか。あの時、〈ロク〉に〈古崎徹〉のキャラがロストされたことで、V.B.W.が消失して――。
「あぐっ」
惨めにも徹は圭吾の組み技を受けてしまい、やがてその身は部屋の奥にあるベッドへと投げ出されてしまった。
徹は慌ててその掛布団を手繰り寄せ、北見灯子の身体と自身を隠すようにした。
まるで恐ろしいものから逃げる子供のようだと、徹は内心で歯噛みする。
「オマエにも、私の血が流れているってことを忘れるなよ。
……私が凡才と呼ばれるのであれば、オマエも同じ穴のムジナだということを理解しろ。
いいか、これが最後の忠告だ。
古崎グループの、足を、引っ張るな。」
やがて自室から人の気配がなくなる。
残ったのは侮辱されるがままだった自分自身だ。
怒りとも焦りとも形容しがたい膿のような感情が湧きあがるのがわかった。
徹は目の前で眠り続ける北見灯子の身体に身を寄せると、自身に冷静になれと言い続けた。




