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未き魔王の想起戦線  作者: 殿海黎
第一章 商業都市エンフェルト
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第六話

 マリアとクリスは牧場の地下に広がる通路を、道中現れる無数の肉食ミューリーを殺しつつ、先を急ぐ。現況となる場所が近いためか、通路はミューリーで溢れかえり、少し進むだけでも大変な苦労を要し、マリアは苛立ちに眉を顰め、クリスも苦い表情を浮かべていた。

「これだけの数が相手となると、一気になぎ倒してしまいたいたくなるところだが……どこに生存者がいるとも分からない、無理はできんな」

「マリアちゃんならどうにかできますよ、凄いですからっ!」

 言うと、クリスは一体のミューリーを希力(フェルミール)による衝撃で吹き飛ばし、マリアに視線を飛ばすが、マリアは否々、という様子で首を横に振る。

「精密に斃そうと思えば不可能ではないが、余計に時間がかかるぞ、正面からなぎ倒す方がいい上、生存者はミューリーと人の混血である可能性も高い、誤射は一発でもアウトだろう?」

 マリアは炎の剣を無数に舞い散らし、行く手を阻むミューリーの巨躯を華麗に切り刻む。血飛沫は舞うと同時に燃え上がり、塵となって消え、崩れた怪物の肉体が死屍の道を連ねゆく。

「それは……」

 クリスは躊躇いの言葉を漏らしつつ、辺りに視線を飛ばす。切り崩されたミューリーの屍が転がる床に、紛れるように人らしき姿も度々見られ、それが卑人族(アンヴィーサム)の女性の死体であることは理解に難くないことだった。ミューリーと同様の角が生えており、体躯は完全に人と同様で、全裸の身体からは、腕と足以外にミューリー特有の体毛が確認できない。こうした身体的特徴を持つ女性を、クリスは道中で幾度と無く見つけ、その都度既に手遅れなのではないか、犠牲者ばかりで生存者など皆無なのではないか、と不安になる。しかし、手遅れと断じることは出来ない――たとえそうだとしても、認めてしまえば救助の為に深部へ向かう自らの行動の理由すら失ってしまう為、受け入れることは出来なかった。

「とにかく、急ぎましょうマリアちゃん!」

「無論だ」

 マリアの炎の剣が舞い、希力(フェルミール)に抵抗力があるはずのミューリーを容易く切り裂き、進路を空ける。ここを進むマリアと、後に続き、拘束の希力(フェルミール)や衝撃波の希力(フェルミール)で援護をするクリス。無言のままある程度を進むと、急激にミューリーの頭数が減り、床に転がる死体の数と種類が変わる。見ればミューリーの死体はほぼ無くなり、卑人族(アンヴィーサム)の死体と、人族(アンヴィース)らしき上等な服装を血に汚す死体が入り交じるようになる。ただ、多くの死体が肉体の大部分を伴っておらず、誰が卑人族(アンヴィーサム)で誰が人族(アンヴィース)なのかを区別するのは極めて困難な状況にあった。

「こんな、こんなにたくさん……」

 死体の合間を縫うように歩いて進むクリスは、怒りに震えながら声を漏らし、唇を噛んで悔しがり、言葉を最後まで発することすらできなかった。

「クリス……先へゆこう、生存者がいるかもしれないから、ね」

 マリアは、クリスの様子を見て、心配のあまり歩みを止め、わざわざ引き返してクリスを抱き締める。

「この様子だと、おそらく混血のミューリーが捕らえられている場所は近いはずだ、檻などを使って閉じ込めているはずだから、そこまでゆけば生きている者もいよう」

「……はい、マリアちゃんの言うとおりです」

 クリスはマリアから離れ、赤く充血した目でマリアを見ると、真剣な表情に顔を引き締め、勝手に先を急ぐ。マリアもまた急ぎ、クリスよりも先まで駆けて先行し、すぐ正面をまるで背中で隠すみたいな立ち位置で歩いた。



 時おり現れる肉食ミューリーを殺して処理しつつ、二人が死体の多く連なる方へと進んでいくと、どうやら最深部と思わしい場所まで辿り着いた。無数の檻が並ぶ巨大な空間で、檻のほとんどが破られており、内側から脱走した生物がいたことは誰の目にも明白で、マリアはため息と共に悟る。

「なるほど、ここに肉食のミューリーが飼育されていた、というわけか……アルマリオが檻を壊して回れば、惨事は免れえぬ数だ」

 巨大な檻の数を数えて回るマリアは、特徴から檻に二種類あることに気付く。多くの檻は巨大な鉄棒で作られた頑丈な檻だが、全てが壊され、平らな切断面を晒していた。

「この辺りの檻は肉食ミューリーの捕獲用と考えて良さそうだな……しかし、こっちの檻は」

 言いつつ、マリアはもう一種類の檻の方へと近づき、様子を眺める。鉄の棒は細く、間隔も狭く、人の手がようやく通る程度で、多くがねじ曲がり、途中で千切れるか、根本から引き抜かれるかで破壊されていた。

「人間を閉じ込める為の檻に見えるな、おそらくここで、肉食ミューリーと混血のミューリーが同時に捕獲されていたのだろう……騒動により逃走した肉食ミューリーがほぼ人族(アンヴィース)と変わらぬ混血のミューリーを発見し、捕食の為に細く脆い檻を壊した、というところか」

「でもマリアちゃん、それだと生存者なんて……」

 不安げにクリスが呟くと、マリアは頭を撫で、微笑みかけつつ語る。

「まだそうと決まったわけではない、もっとよく探せば破られていない檻があるやもしれない、どこか別室にも混血のミューリーが捕らえられているかもしれない」

 マリアに諭され、クリスは頷き、落ち着きを取り戻す。二人は歩きつつ、周囲を観察し、生存者か、あるいはまだ処分していない肉食ミューリーがいないか探した。時おり肉食ミューリーが見つかるが、マリアが容易く屠るだけで、別段状況を変化させるようなこともなく、広大な空間をおおよそ探索して終わろうとしていた。

「――マリアちゃん、あれ!」

 部屋の隅まで歩いてきて、ついに二人は破壊されていない細い鉄格子の檻を発見する。駆け寄り中の様子を伺うと、卑人族(アンヴィーサム)の少女が一人きり発見された。

「今、檻を壊す」

 マリアが言うと、希力(フェルミール)による炎の剣が出現し、容易く檻の鉄格子を切り裂き、出入り可能なほど大きな穴が空く。クリスはすぐさまこの穴をくぐり、中へ入って卑人族(アンヴィーサム)の少女の手を取って、語りかける。

「あの、大丈夫ですか?」

 だが、卑人族(アンヴィーサム)の少女は何も応えない。当然のことだ、とマリアは悟っており、クリスもすぐに気がつき、目を伏せる。こんな地下に生まれた時から閉じ込められているのだから、言葉など無意味、理解できるはずがないのだ。事実、卑人族(アンヴィーサム)の少女は虚ろな瞳で何を見つめるでもなく、呆然と立ち尽くしたまま、クリスの言葉にも、握られた手にも反応を示さなかった。

「クリス、どうする?」

 言いながら、マリアもクリスを追って檻の中へ入り、クリスの肩に手を置く。

「この子を連れて行くつもりか?」

「当たり前です」

 クリスは間髪置かずに答える。


「だってこの子は――私と、同じだから」


 言いながら、クリスは一度、瞼を閉じて、何かを念じるような仕草をする。

 すると、途端にクリスの髪の色が金色に染まり、淡く光すら放つようになる。変化が終わり、クリスが瞼を開くと、瞳の色も金色に変化し、爬虫類にも似た縦長の黒い瞳孔が覗いていた。

 そのままクリスは服を開け、上半身を露わにする。覗く柔肌を青緑色のきらめく鱗が覆っており、腕は左肩から左肘の先まで、身体は胸全体と左脇腹までが鱗に包まれていた。

「ね、私は君と同じだよ」

 クリスが卑人族(アンヴィーサム)の少女に語りかけつつ、自らの姿を見せつけると、少女も姿の変化と容貌に驚き注目する。

 クリスは、卑人族(アンヴィーサム)である――但し、多くの場合は人族(アンヴィース)魔族(ゲルプロウダ)の混血だが、クリスの場合は魔族(ゲルプロウダ)と『龍族(ヴェルオール)』の混血。

 龍族(ヴェルオール)とは、魔族(ゲルプロウダ)人族(アンヴィース)と同様、世界に存在する種族の一種であり、古代史や伝承の中にも登場し、言わば神にも近い形で語り継がれる種族で、実際に、伝説上では人々が龍族(ヴェルオール)によって支配されていた時代があったとも言われている。

 無論、龍族(ヴェルオール)は伝説上のみの存在ではなく、現実に人族(アンヴィース)の近代史、現代においても姿を現しており、特に近年は魔王との戦争をきっかけに関わりを持ったこともあり、様々な事実が判明している。例えば、龍族(ヴェルオール)は長命で千年近い時を生き、非常に協力な希力(フェルミール)を操る能力を持つことなどが判明した他、変体して龍と呼ぶに相応しい姿に変化し、より強い力を発揮できるようになることも分かっている。クリスが今見せている姿こそが、この変体によるものなのだが、クリスの場合は魔族(ゲルプロウダ)との混血であるため、完全な龍の姿になることができない。歪に肉体を鱗が包み、人の顔立ちに龍の瞳を輝かせる姿は、まさしくクリスが龍族(ヴェルオール)の血を引きつつも、卑人族(アンヴィーサム)であることを証明しているのだ。

 クリスの目の前で――卑人族(アンヴィーサム)の少女は本能的に悟り、クリスという存在を理解した。言葉も知識も持ってはいないが、それでもクリスの姿が奇妙であることを理解できていた。また、少女自身も、自分の肉体が人間の肉体と、檻の向こうに見えていた巨大な怪物、つまり肉食ミューリーと同様の特徴を持っている事を理解していた。

 少女は自然とクリスに興味を抱き、距離を詰めて顔を覗き込む。するとクリスは慈しむように微笑み、少女の身体を抱きしめ、言葉をかける。

「大丈夫、君のことは、私が必ず助けてあげるから」

 少女を抱く腕の力を僅かに強めて、クリスは決意を胸に優しく語った。



 卑人族(アンヴィーサム)の少女を連れ、マリアとクリスは引き続き生存者の捜索を続けたが、結局見つけることは出来なかった。二人は少女を施設から連れ出すことに決め、連れ立って来た道を引き返すが――道中で、アルマリオが道を塞ぐように立ち、二人を待っていた、とでも言うかのように語りだす。

「どうやら目的は達成できたようだな――正義の味方になれた気分はどうだ、楽しかっただろう? この有り様を見ろ、これが君たちのやること、成すことで起こる結果そのものだ、さぞかし気分も良いんじゃないか?」

 アルマリオの言葉はクリスの神経を逆撫で、怒りを買う。

「貴方のせいでしょうッ! こんな、沢山の人が死んでしまうようなこと、どうしてわざわざ望むんですか!」

 言いながら、クリスは卑人族(アンヴィーサム)の少女を抱きしめ、少女もまたアルマリオに直感的な恐怖を感じ、クリスを頼るように縋りつく。これと同時にクリスの翠の髪と瞳が黄金色に変体し、強い希力(フェルミール)の衝撃波が生じ、アルマリオを襲う。

 アルマリオが腕を正面に突き出し、衝撃波の方を睨むと、同様の衝撃波が発生し、迎え撃ち、二つの衝撃波は相殺し合い、誰もが無傷で済んだ。

「どうした、褒めてやったんだ、もう少し喜んでくれてもいいんじゃないか?」

「いいえ」

 クリスの言葉と同時に、アルマリオは状況に気付いた。アルマリオを襲った衝撃波はクリスによる攻撃ではなく、余波に過ぎなかったのだ。クリスは衝撃波を放ったのではなく、卑人族(アンヴィーサム)の少女を守るため、強力な守護の希力(フェルミール)を使った――この時の余波が希力(フェルミール)の衝撃波となり、アルマリオを結果的に襲うこととなった。

「――元気過ぎる子供も問題だな、さぞ子育てには苦労しただろう」

 アルマリオは言うと、嫌味な笑みをマリアに向け、マリアはこれに同様の皮肉な笑い方で返し、言葉を返す。

「全くその通り、夜泣きが酷かった頃は、毎日死んでしまいそうだったよ」

 マリアのふざけたような物言いに、クリスは複雑な思いで顔を顰める。冗談を言っている場合ではないのに、という怒りの気持ちと、自分の過去を暴露されて恥ずかしいという気持ちが入り混じっていた。

「マリアちゃん、冗談を言って返している場合じゃないです」

 苦し紛れの文句を言ってマリアを制するクリス。

「すまんな、可愛い娘への愛情表現が過ぎた、許して欲しい」

 言いながら、マリアはクリスのすぐ近くまで歩み寄り、クリスと同様にアルマリオの動きを警戒し、卑人族(アンヴィーサム)の少女を庇うような位置に立つ。

「まあ、そう警戒するなよ、俺は別に卑人族(アンヴィーサム)に悪意があってここにいるわけでも、わざわざ望んで争いを楽しむような悪人でもない」

 アルマリオは言いながら、マリアとクリスに注意しつつも、両手を上げることで言葉通りの意思を示してみせる。

「わざわざ冗談か嘘を言うために顔を出す、嫌味でねちっこい男の言うことは信用しません」

 クリスは警戒を解かず、アルマリオを睨みながら言うが、一方でマリアはあまりアルマリオを警戒する様子がない。

「冗談ではないさ、別に俺は人殺しの為に肉食ミューリーを開放したわけではない……元から、この施設はこんなものだったからな、自然なことなんだよ、今ここに広がる死屍の群がりや、卑人族(アンヴィーサム)の末路は」

「どういうことですか」

 アルマリオの発言を訝しみ、クリスが怒りと疑念交じりに問いかけると、アルマリオは面白いことでもあるかのように、笑みを浮かべて回答する。

「想像に難くないだろう、ここは人身売買の他に、サービスも充実した施設だったわけだよ。肉食ミューリーの餌も必要な上、金が余ると人はいい趣味を持つようになる――利害も一致していれば、売り物にならない卑人族(アンヴィーサム)は衆目の前で適切に処分して、利益の足しにでもするのが合理的だったわけだ」

 遠回しな返答を聞くほどに、クリスは理解していく。つまり、この施設では卑人族(アンヴィーサム)の人身販売だけでなく、肉食ミューリーの餌として卑人族(アンヴィーサム)の少女が食われる有り様を、一種の見世物にもしていたということ。

 クリスは――自分の背中を悪寒が這い上がってくるのを感じ、軽い目眩を覚え、吐き気さえ催した。同時に、行き場のない憤りも湧き上がっていた。許せないという漠然とした思いだけが、クリスの胸中を支配し、誰を、あるいは何を許さないのか、反抗する相手は何なのかさえ分からず、衝動的な感情だけがクリスを強く突き動かした。

「――私、絶対にこの子を守ります。意地でもこの子を幸せにしてやるんです、こんな、地下じゃない場所で、絶対に幸せにするんです!」

 思いのままクリスはアルマリオを怒鳴り付け、腕の中の卑人族(アンヴィーサム)の少女をより強く抱き締める。宣言を受けたアルマリオはふっと笑うと、三人に背を向け、一人でこの場を退却していく。

「好きにすればいい……所詮世の中、あるべき姿に戻るだけなのだからな」

 一言だけ言い残すと、後は何も言わず遠のいていくアルマリオ。その背中を三人は警戒しつつも見送り、見えなくなったところでマリアが口を開いた。

「もう帰ろう、クリス。それに、その子の今後も考えなければいけない、こんな暗い場所で話し込むこともあるまい」

「はい……帰りましょう、ええと、君?」

 クリスは言って、卑人族(アンヴィーサム)の少女に微笑みかけ、少しずつ姿を元に戻す。瞳の色や瞳孔の形も元に戻り、頭髪も翠玉のような色になり、淡い光が収まっていく。クリスの姿が戻るのを見て、安全か何かを悟ったのか、卑人族(アンヴィーサム)の少女は出会って初めて、クリスに向けて笑顔を見せる。

 これが嬉しくて、けれど周囲の凄惨な状況で喜ぶ気にもなれず、複雑な思いで笑い返し、少女の頭を撫でてやるクリス。そんなクリスを、すぐ側で慈しむように見守るマリアは、自分の手がクリスの頭を撫でてやれないことを、少し寂しく思っていた。今、クリスが強くいようとしているのだから、半端に甘えさせるようなことはできない、とマリアは考えた。

 だから、マリアは黙って一歩前に出た――背後にクリスと卑人族(アンヴィーサム)の少女を庇うように立ち、先を進んでいく。

 クリスもまた、マリアの気遣いを理解し、すぐに後を追う。今は自分が卑人族(アンヴィーサム)の少女を任されているという事実を理解し、アルマリオに言われた嫌味煽りを忘れ、少女を守りながらの撤退を開始した。

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