第三話
清歌の羽根の詰め所に案内され、訪れたマリアとクリス。エッケルの言葉通り、食堂らしき場所に通され、席に着くと、食事はすぐに手配された。上品に、とまでは行かないが、軍式の料理は美味いと相場が決まっており、出されたものは、期待に腹を空かせたクリスも満足する出来であった。
食事が済むと、食堂の外で待機していたエッケルと合流し、続いて応接室のような場所に通される。ようやく、といった様子でエッケルが息を一つ吐き、二人の着席を確認した後、自分も座ってマリアに尋ねる。
「マリアさん、とおっしゃいましたね、魔族と聞きましたが」
「ああ、そうだ」
「一応聞いておきますが、貴女は魔王軍の者ですか?」
魔王軍とは、魔族の中でも唯一、歴史上ただ一人だけ存在する者を長とした軍勢の事を指す。人族、および人族と友好的な魔族と各地で戦を起こし、世界に莫大な損害を与えた、言わば巨大なゲリラ組織である――と言っても、ある種国の規模に匹敵する社会を形成し、活動していたという記録もある。三十年ほど続いた戦争だったが、十年ほど前から突如魔王軍が大人しくなり自然消滅、人族は訳も分からぬまま終戦を迎えた。
故に今でも、魔族は魔王軍ではないか、という詮索をされることがある。殲滅したわけでもない為、いつどこに魔王軍が潜んでいるとも分からず、実際に世界各国で魔王軍の残党らしき魔族によるゲリラが多発している。
ただ、現在生存する殆どの人型魔族は、人族と友好的であり、そうでない者も、人間社会に紛れるという手段は使わない場合が多く、結局のところ疑いこそするものの、全ては杞憂に終わるのだ。
マリアはエッケルの問いに答える。
「いいや、魔王軍に所属したことも、所属する予定も無いよ、そもそも悪意ある魔族であれば、こんな街一つすぐに焼き払ってしまうだろう。我己もそれぐらいの力はあるが……到底そんな気は起きないな、せっかく宿も取ったばかりだ、存分に楽しんでからこの街を出たいと思っている」
「ええ、ですから一応の質問です。それよりも、お尋ねしたいのですが……何故、例の騒動を起こした組織に狙われていたのですか?」
「奴らのボスとやらを殺したからな、我己の旅の目的がそこにある。各地に残る戦争の爪痕――犯罪者の組織を順に潰していく旅の途中なのだ」
「ふむ……そうなると厄介ですね、トラブルが増えることになる」
エッケルは唸り、顔を顰める。
「貴方がこのまま旅を続けると……今日のような騒動がまた起こりうる、ということになりますので、市民騎士団として見逃すわけにはいきません」
「だろうね、困ったものだよ」
マリアは降参だ、という風に両手を上げる。
「……ちなみに、これから旅の目的を変えてもらう、ということは可能ですか?」
「いいや、無理だ」
「では、申し訳ありませんが――」
エッケルは言うと、手を何度かリズミカルに叩き――応接室の扉が開き、数名の騎士が武器を構えた状態で入室する。
「マリアさんの旅について、我々としても何らかの対策を講じたいと思います、任意協力をお願いできませんか」
言って、エッケルまでもが席を立ち、剣を抜いて構え、臨戦態勢を整えるが、この一連の様子を見て、クリスがため息を吐く。
「はぁ……野蛮です、こんなことしたって、マリアちゃんがその気になれば誰にも止めることなんて出来ないのに」
「まあまあクリス、彼らは任意協力と言っているのだ、そう邪険に扱うな」
言って、マリアも席を立つ。
「君達を傷つけてしまうのは本意ではないのでね、任意協力をさせてもらおう。ただ、生活に不自由するような場所に押し込められるのは勘弁願いたい」
マリアはエッケルに向かい、悠々とした表情で語り、エッケルはこれに険しい表情のまま返答をする。
「ええもちろんです、そちらに非が無いのであれば、無理を言っているのは我々の方ですから」
「ほう」
非が無いのであれば、という意図的な言葉に反応するマリア。この言葉を選んだということは、つまり市民騎士団側は、まだマリアとクリスのことを不審だと疑っていることになる。
「――これから話すのは、私の個人的な勘ぐりなのですが」
エッケルは、一つ前置きをしてから話し始めた。
「マリアさんは、魔王軍に所属していたことも、所属するつもりもない、と言いましたね?」
「ああ、言ったぞ」
「それはつまり――もしもですが、貴女が『魔王』であっても言えることではありませんか?」
指摘に、クリス、そしてマリアがふっと笑いを零す。
「また、突拍子も無いことを言うのだね、君は。それとも、何か確証があるのかね?」
「いえ、断言は出来ません。ただ――」
一呼吸起き、エッケルは話を続ける。
「そうですね、まず、我々清歌の羽根の設立者についてはご存じですか?」
「いいや、人族の文化については並の知識しか持っていない。騎士団の設立者、ともなると、我己の記憶範囲から外れてしまう」
「なるほど――では、この機会に覚えておいて下さい。清歌の羽根設立者であり、全人族の救世主、その名は――『勇者アルマリオ』様」
その言葉を受けて、ぴくり、と反応を示すマリアだったが、表情には出さない。
「ほう、あの有名な勇者アルマリオがお前達の上司というわけか、それは御大層な身分だ、自慢したくなるのも無理は無い」
「私は、アルマリオ様から直接『魔王』について聞いたことがあるのですよ」
エッケルは、マリアの軽口にも動じず続ける。
「赤みがかった黒い長髪、紅と黒のオッドアイ、炎を自在に操ることを得意とする魔族であり、その名前は――『魔王マリア』である、と聞き及んでいます」
「ほう……」
マリアは面白そうに笑顔を浮かべてみせる。
「なんと奇妙にも、偶然の一致だね。しかし、我己と魔王は全くの別人だよ、外見も、名前も、扱う希力の質すらも同じだとしても、我己は魔王ではない」
「そんなふざけた話を、こちらが信用すると思いますか?」
「では、逆に問おう。行方不明の魔王が何故、こんなところで簡単に見つかるというのだ、それは余りにも、都合が良すぎるのではないかね?」
「元々から、突如として消えた魔王です、前触れ無く現れるのも道理の内でしょう」
「ふむ、なるほど、それは面白い理屈だ」
ふふっ、とマリアは笑い、そして問う。
「だが、我己が魔王だとして、君達は何をするつもりかな?」
「相応の対応を」
エッケルは構えた剣を一度揺らし、存在を示してみせ、詳しく語らなくとも、何をやるつもりであるかは明白だった。
「どうするクリス、騎士団が存分にもてなしてくれるようだ」
「無実かも分からない人に凶刃のもてなしを――なんて、やっぱり貴族なんかじゃありません、この方たち、とっても野蛮です」
「至極その通り、それに、負け目の無い勝負を挑まれる側のことも考えて欲しいところだな」
言葉の後、パチン、とマリアが指を鳴らすと突如――騎士団の構える剣が、先端から火の粉となって弾け、消える。騎士たちは突如のことに慌てふためき、エッケルもまた、自分の剣が一瞬で消滅してしまったことに驚愕し、動けないでいる。
「――希力を扱う術無くして、人族は魔族に勝つことは出来ない。お前達が使う剣も、鎧も、全ては希力あって存在する物なのだ、その希力を操る魔族に、如何様にして『相応の対応』をすると言うのだね?」
マリアの言葉に、エッケルは歯を噛み締めるが、悔しかろうとも、今この場の全てを制するのは、マリアに他ならない。
「――そろそろ諦めたらどうだ」
不意に、部屋の外から声が響き、場の全員が入り口に目を向け、そこから一人の男が入室してくるのを見た。二メートル近い筋肉質な巨躯、壮年の男であり、歩調に合わせ揺らめく灰色の長髪に、翡翠色の瞳、漆黒色の鎧を身に纏い、腰には体格を考慮してもまだ大きい程の大剣を吊り下げている。背を覆う黒紫色のマントには、市民騎士団らしく外紋のみの紋章が大きく描かれており、鎧の右肩部分にも、同様の紋が小さく刻まれている。
「アルマリオ様! どうしてこちらに……」
エッケルが声を上げ、歩み寄ろうとするが、男――アルマリオは、片手を出してこれを制止し、語る。
「お前達は希力を操る為の術を施されていない。人族であるなら、相応の手段を持たねば魔族と戦うこともままならん。力の低い動物型なら数で戦えることもあるだろうが……今回ばかりは相手が悪かったようだな、諦めてこの場は引け、後は俺に任せておくといい」
「ですが――ッ!!」
アルマリオの提案に、エッケルは食い下がろうとするが、アルマリオはまるで聞く耳を持たない。
「黙って部屋を出ろ、第一この者達は魔王ではない、私の友人だ、魔王と同じ名前、同じ力を持つだけの、何ということのない魔族だ」
「……了解しました」
有無を言わさぬ言葉に、エッケルは折れ、自身が呼んだ騎士団の者達を引き連れて応接室を後にした。
部屋にはアルマリオ、マリア、クリスだけが残され、騎士団が外に出て行ったことを見届けてから、アルマリオは扉を閉じる。
「久しいな、マリアよ」
「ああ済まないね、また君に一つ、借りが出来てしまったかな」
「調子の良いことを。返す気がある為に借りと呼ぶのだ、お前が一度でも返したことがあるか?」
「いいや、記憶に無いな」
冗談を飛ばし合い、二人共席に着く。クリスはアルマリオに向けて敵対的な視線を送り続けているが、マリアも、アルマリオも、これを無視して話を進める。
「最後に会ったのは、十年前だったな」
アルマリオから、会話を切り出す。マリアはああ、とだけ言って頷く。
「お前の旅の目的は十分に分かっているつもりだ。罪の清算、だったか?」
「ああ――我己の犯した罪故に、今この世界には愚かな者達が溢れている。彼らには気の毒だが、このまま放置するわけにも、彼らの改善を待つわけにもいかない。人族はどこもかしこも疲弊しているのだ、放置していれば、いずれ現在の法を失うだろう」
「だろうな、それで目的地は何処だ。漠然と世界各地を巡って虱潰し、というつもりでもあるまい?」
「無論、当面の目標は犯罪機構都市『インフェラックス』だ」
マリアが言うと、アルマリオはニヤリ、と笑う。
かつて――魔王軍と人族が戦争をしていた頃、両者が拠点として重要視し、制圧を狙った都市が幾つもある。特にその中でも重要な立地にあったのが『インフェラックス』である。山岳間にある峡谷に建設された都市であり、当時は人族の王族にも、魔王軍にも従わない中立の人々が住んでいた。要塞としての機能もあり、また、主要街道の多くがこのインフェラックスに繋がるか、あるいは近くを掠めるように通っていた。ここを拠点として抑えることで、戦局は大きく動くだろう。、と両陣営は同様のことを目論見、膨大な戦力をここに注いだ。結果は、両軍共に大きな損害を出しながらも、魔王軍が勝利。だが人族と当時の住民の反抗により、都市自体が自滅的な手段でもって壊滅、結局拠点としては機能しなかった廃都市である。
しかし――魔王軍と人族、どちらにも見捨てられたことで価値を見出す者達が居た。端的に言って犯罪者、つまりは違法取引、有償での大量殺人、暗殺、破壊工作等、様々な犯罪行為を生業とする人間が、このインフェラックスに集まった。廃墟と化した都市は再建され、現在では世界の犯罪組織の殆どがインフェラックスに拠点を置く。インフェラックス内では無数の犯罪組織が社会的な協力関係にあり、独自の文化を築き上げているとも言える。
このインフェラックスに、マリアは向かうと言った。その目的は明白、インフェラックスこそが世界中の犯罪組織の中枢であり、根幹を成すものでもあるのだから、ここを叩くことは、即ち世界中の犯罪組織を弱体化することに繋がる。
「――良いだろう、俺もその旅、同行しよう」
アルマリオは言って、意味有りげな笑みを零してみせる。
「はぁ!?」
そして、これにクリスが怒りの声を上げる。
「あのですねアルマリオ、貴方が私達にどうして同行するんです?」
「目的地が同じだからな、俺もインフェラックスを目指している」
「馬鹿なことを言わないで下さい、私達と貴方は敵同士ですよ!?」
段々と声に抑えが聞かなくなるクリス。
「第一、さっきの嘘は何なんですか!」
「嘘、とは何かな」
「マリアちゃんが魔王じゃないとか、友人だとか、まるっきり逆じゃないですか! 私よりも貴方の方がずっと詳しいんですよね、マリアちゃんがまだ『魔王』だった頃のこと! 白々しい嘘なんか吐かないでもらえますか?」
クリスの言った言葉通り、この場にいるマリアこそが、他ならぬ『魔王』マリアである。かつて無数の都市を焦土に変え、人族に無差別な殺戮の限りを尽くした張本人。ただ――現在は、既に魔王軍と呼ばれる組織は存在せず、マリア自身、魔王であるという認識も現在は持っていない。
「おいおい、俺があの場で嘘でも言わなければ、君らは厄介事に巻き込まれていたんだぞ? そもそも友人というのは本当だ」
「嘘は嫌いですっ!」
クリスの無茶な言い様に、アルマリオは呆れ、ため息を吐く。
「困った娘だ……マリア、お前はいつもこれの相手をしているのか?」
「いつもはもう少し大人しいよ、今日は君が居るから騒がしいようだがね」
「少しだけか、大層な苦労をしているようだな」
マリアとアルマリオは、互いの顔を見合わせて苦笑を零し、クリスはこれが気に入らないのか、更に声を張り上げて逆らう。
「もう、本当に友達みたいな会話して、やめてもらえます!?」
「やめろと言われてもな……俺とマリアはこうして語り合い、やがて殺し合う、そんな関係だったよ。今日は殺し合わないだけ平和な方だと思ってくれ」
「それはそうですけど……」
アルマリオの説得に、反論の言葉を返せず押し黙るクリス。そこに追い打ちを掛けるように、マリアが言う。
「そもそもだね、クリス。せっかくアルマリオが誤魔化してくれたのだ、外で騎士団が聞き耳を立てていないとは限らない、あんまり騒ぎすぎるのは良くないぞ」
「大丈夫です、私が密談の希力を使っていますから、外にはなんにも聞こえてないはずです」
「さすが用意周到だなクリス、だが騒いでいい理由にはならん」
「そんな……マリアちゃんまで私の敵をするんですね! もういいです、勝手にして下さいっ!」
ふん、と鼻を鳴らして、クリスは席から離れ、部屋の隅の方へ行ってしまう。これ以上三人で作った輪の中に居ることを望まない、という意思表示だった。やれやれ、と肩を竦めるマリアと、アルマリオがこれを見て苦笑する。
「すっかり親の役にも慣れているようじゃないか」
「当然だ。我己の決めたことだからな……それよりも、クリスが邪魔をする前まで話を戻したい。旅に同行する、とはどういう意図があってのことかな?」
マリアに問われ、アルマリオは頷いて答える。
「言葉通りだ、俺が旅に同行する……というよりも、俺と俺の抱える騎士団でお前達の旅に同行しよう」
「ほう」
興味深そうに、マリアは相槌を打つ。
「そもそもの話だが、俺がこの場は収めたから良いものの、今後お前が行く先々で今回のような騒動を起こすなら、そこまでは庇いきれん。そこで俺が同行する。元々、俺と俺の部隊は、インフェラックスを目的地にしていたんだ、同行することでお前達の起こす騒動のカバーも出来る。加えて、食事や寝床も提供しよう。騎士団側としては、危険分子でもあるお前を監視することが出来る、一石二鳥だとは思わんか?」
アルマリオに問い掛けられ、マリアは首を横に振る。
「我己にとっては願ってもみない提案だ、騎士団としても都合が良いというのも分かる――だが、君自身の利益は何だ? 勇者アルマリオは、我己の旅に同行することで何の益を得る?」
「黙秘する、語る必要は無い。後は、お前がこの提案を受け入れるか否かだ」
断固とした態度を示すアルマリオに、交渉の余地無し、とマリアは判断し、手早く話を纏める。
「良いだろう、その提案には乗らせてもらう。だが、我己の目的を邪魔するようなことがあれば、その時は『相応の対応』をさせてもらうよ」
「ああ、構わない」
こうして、両者の交渉は成立し、互いに手を取り、握手を交わす。笑顔でのやりとりではあったが――そこにはひりひりと、電撃漂うような緊張感があり、クリスはそれを第三者の視点から眺めていた。
(……なによ、やっぱり友達って嘘じゃない)
と、心の中で毒づいた。