第二話
表の繁華街に戻ってきた二人、マリアとクリスは並んで歩きつつ、会話する。
「さて、今日の宿は何処に決めようか」
「それより、お腹空きました! 何か食べたいです」
「そうだな……では、あの店はどうかな?」
マリアは、道の先を指し示しながら言う。その方向には大きな看板が一つあり、クリスが目を向け、書いてある文字を確認する。
「えっと……『飛び込みも歓迎! ホテル・バムール』ですか」
「その下に書いてあるのは何だね?」
「ああ、『お食事、すぐに出ます』ってありますね。……なーんか、怪しくないですか? こうも好条件をアピールされてしまうと、何か裏があるような気がしてしまいます」
「だが確かめるに越したことは無い。本当に好条件ならこっちとしても好都合だ」
マリアが言って、ホテル・バムールの看板に向かって先行すると、クリスもため息だけ吐露し、マリアの後を追った。
ホテル・バムールの店舗内に入ると、即座に従業員が出迎える。
「いらっしゃいませ」
「予約はしていないが、今日一泊したい。部屋はあるかな?」
「はい、ございます。二名様でよろしいでしょうか?」
「ああ。後、すぐに食事をしたいんだが」
「お食事は向かいにあります、当ホテルと提携する食堂にてお取り頂く形になります。この時間ですと、一般のお客様とお席を分けることが出来ないのですが……」
「構わないよ」
「畏まりました。では、受付はあちらで行っております。お食事をする旨を受付にお伝え頂ければ、一食分のパスをお受け取り頂けますので、食堂ではそちらを提示して頂けますようお願い致します」
「分かったよ。詳しく済まないね」
一通りの説明を受け終わり、マリアは受付に向かう――その前に、対応をした従業員へ、僅かばかりの小銭を渡しておく。従業員は一度礼をしてから、その場を立ち去る。
マリアとクリスは受付でパスを受け取り、借りた部屋まで一度足を運ぶと、軽く部屋の様子と建物での位置だけ覚え、食堂に向かう。
食堂は、どうやらホテルの客以外で繁盛しているようであった。というのも、客層の多くが無骨な男で、誰もが決まった装飾の鎧を着込んでおり――人族の王宮から遣わされた騎士団だろう、と予測できた。
人族とは、希力を操る力を持たない人間のことを指す。世界の最も多くを占める人型の種族であり、特別な能力を持たないが、その代わりに社会を形成し、組織となり、軍団となって生存競争を勝ち抜いた。かつて活躍した人族の指導者の末裔は王族と呼ばれ、首都アランザーグで繁栄の極みを尽くす生活をしている、と言われる。
マリアとクリスは、その人族の騎士団――騒々しく騒ぎ、笑い、食べ飲み散らかす男達の近くの席に座っており、クリスだけが彼らの方を横目で見遣り、眉を顰めた。
「あの人達、何なんですか? うるさいですね」
クリスはむっとした様子で文句を垂れ、マリアはその頭を撫でながら宥め、言う。
「彼らは首都アランザーグの騎士団だろう。わざわざこの辺境の街まで視察か、遠征に来ているのだ、あまり悪く言うもんじゃない」
「騎士団って……あんなに下品でうっさい人達が騎士なんですか? もっと礼儀正しいのが普通だと思いますけど。絵本や小説だと、騎士はみんな格好良くて、上品に食事をします。でもあの人達はお髭がだっさい人ばかりだし、ビールでお肉を流し込むみたいな、聞いたこともない作法を身に付けていらっしゃるようですし」
「クリス、勉強不足だぞ、それは」
「む……」
呆れた様子のマリアと、それに膨れるクリス。
「人族の文化については徹底して教えたはずだ、なぜ騎士の知識がそこまで偏っているんだね?」
「どの話も、全部一回きりだったじゃないですか! マリアちゃんは卑怯です、教えたからって全部覚えろ、ってのは無理な相談ですもの……」
「ふむ……しかし、よりにもよって人族の社会を成す根幹の知識が無い、というのはね」
マリアの苦情に反論もせず、クリスはふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向き、機嫌は曲がる一方だった。仕方なし、とマリアも呆れのため息を漏らし、講釈を垂れる覚悟を決めた。
「あのねクリス、彼らは騎士団の中でも『市民騎士団』と呼ばれる者達だ」
「市民騎士団? 騎士なのに、市民なのですか?」
「アランザーグの文化は特殊でな、旧時代に人族を率い、種族間の生存競争を勝ち抜いた指導者の血統が王族、その血を濃く受け継ぐ混血の一族が貴族、そして薄い者が市民と呼ばれているのだ」
「……思い出しました! 昔、それで私、文句を言いましたもの! 他の街から見たら立派に貴族の血統でも市民呼ばわりなんて、おかしいです、ってマリアちゃんに八つ当りしました!」
「そうか、覚えてくれているなら有り難いな――話の続きだが、市民の中から選ばれた騎士で結成されているのが市民騎士団だ。見るといい、彼らの鎧に彫られた紋章を。真ん中が抜け落ちているだろう? あれが市民騎士の証だ、貴族騎士は中心まで紋章が彫られる」
「本当ですね……でも、人によって紋章が違うみたいですけど、あれは騎士団を表す紋章なのですよね?」
「いいや、あれは血統の祖となる王族を表す紋章だよ、家ごとに違う。そして貴族は全紋を、市民は外紋だけを掲げることを許されている。王族は、さらに紋章の中心に、それぞれの祖を示す宝玉を据えて、これを自らの象徴として掲げている」
「へぇ……なんだか、ややこしいことをするのですね、人族って」
「いいや、案外合理的さ、誰の目にも明らかに分離できる、というのは階級社会を作る上で便利だ。特に人族は我々魔族のように希力を操れず、個体差もまちまちだ、ハッキリと個体を管理、区別する上で、生まれた時から身分という記号を背負い、死ぬまで抱え続けるというのも、一つの有用な統制手段ではある」
「なるほど……」
関心した様子で頷くクリスだが、肝心の問題に回答が無いことにすぐ気付く。
「……あれ、でもマリアちゃん、それってあの人達がうるさい理由になってないんじゃありませんか?」
「ここまでは常識の復習だよ。彼らが煩く、貴族らしくない理由はただ一つ、血統的に貴族であろうとも、首都社会において貴族扱いをされていないからだ。奴らは首都において、この街に生きる一般市民と同程度の扱いを受けている。故に市民の暮らす市民街は、貴族街ほど華やかではなく、堅実質素な、実利を求めた街並みをしている。そこで育つ彼らもまた、堅実質素、そして平民、庶民的な感覚を持ち合わせているのだよ」
「それって結局、『彼らは下品に育ったから下品なのだ』ってことじゃないですか」
「違いないが、下品に育つルーツを知れば、まだ多少なり覚悟も出来よう。そもそも我己、そしてクリスも彼らを下品と笑えるような身分ではないぞ」
「うっ」
「自分の憧れ、偶像を他人に重ね、勝手に期待するのはやめたほうがいいぞクリス、今は冗談で済んでいるが、いつか取り返しの付かない失態に繋がるともしれないからな」
「……ごめんなさい、です」
「よし。分かれば良いのだ――ああ、済まない、そこの君!」
会話の終わり際、丁度通りかかったウェイトレスに呼び掛けるマリア。
「注文をしたいんだが、メニューを持ってきてくれないかな、ホテルからの客なのだが」
「はい今お持ちいたします、パスの方はお持ちですか?」
「ああ、持っているぞ」
「ではお料理をお持ちした時にパスの方回収させていただきますので、よろしくお願いします」
言って、ウェイトレスは店の奥へと一度姿を消す。そしてメニュー表一つを手にすぐさま引き返してくる。
「ご注文お決まりになりましたら、またお呼びください」
ウェイトレスは言うと、また別の客からの呼びかけに応え、テーブルから離れていく。マリアとクリスは二人でメニュー表を覗き込み、さあ夕食を始めよう、と意気込んでいた。
その時だった。
「――ギャアッ!」
濁った、甲高い悲鳴。
マリアが声の方に視線を向けると――そこには先程のウェイトレスが、背中から赤い血飛沫を舞い上げながら立っていた。
彼女はそのまま、力を失い前のめりに倒れこみ、己の鮮血が作った池に沈み、ぐしゃり、と服を赤黒く汚す。
その傍ら、汚い身なりに返り血を浴びて、右手には照明を赤く照り返すナイフを握った男が立っていた。
「貴様ッ! 何をしたッ!」
食堂の賑わし役を担っていた騎士団も、一瞬にして冷静になり、剣を構え、全員が臨戦態勢を整える。
「動くんじゃねえぞ、クソッタレ共!」
男が豪声を上げると、食堂内に居た男性客の約半数近くが武器を構えて――騎士団と対面、対峙する形となる。全て男の仲間ということに他ならず、怯えて動くことの出来ない一般客は無論、騎士団も身動きを取ることが出来ない。
「この人数だ、テメエら騎士団がいくら偉かろうが、子羊ちゃん全員無事で帰す、っつうワケにゃいかねえだろ?」
的確な言葉に、騎士団の多くが歯軋りする。騎士団側は騎士だけで屯い、飲んでいたため、近くに一般客は少ない。一方、ウェイトレスを斬り殺した男の軍勢は、一般客の中に紛れている為、何の動きが無くとも、実質として人質を取られている状態だった。
「オラ、鉄クズは床に捨てな、今日はテメエらの相手したくてシカケてきたんじゃねえ、そこの女に用があるワケよ」
男は言って――紅い雫滴るナイフで、マリアを指して示した。
騎士団は男の言動を、意図を理解できないながらも、条件を飲み、剣を床に置く。逆らえば、一般客にまで被害が広がる可能性もあるのだから、今は男達を刺激せず、条件を飲みながら――最小の被害に抑えこみ、騒ぎを聞いた応援の到着を待つことしか出来ない。
マリアは、騎士団の様子を見て、続き一般客と武装したゲリラの軍勢を眺め、ようやく立ち上がり、自分を指名する男の方を向いた。
「何故、彼女を殺した」
表情も無く、ただそれだけを尋ねる。
「んなもん、見せしめに決まってんだろうがッ! テメエが惚けようが俺らにゃあ関係ねえ、テメエがボスと、俺らの兄弟を殺したのは調べが付いてんだ」
「そうか、君たちはあの悪党が率いる組織の残党、というわけか」
「ほざくなァッ!」
マリアの言葉に、男は激怒した。
「何が悪党だ、テメエらにそう見えようが、あの人は俺らのボスで、親父みてえなもんだった。戦争で――魔族の『魔王』と人族の争いで、行き場の無くなった俺らを拾ったのがボスだ。犯罪だろうが何だろうが、生きる為の道と、力を教えてくれたのはあの人だったんだよ」
「そうかそうか、悲しい話だ、我己も泣いてやった方がいいのかな?」
感情を露わにする男に対し、マリアは茶化すような言葉を投げ掛ける。
「確かに君たちは仕方なかったな、戦争――魔王と人族の争いは、私のような魔族の目にも長く厳しく映るものであったよ。その中で親や、住むべき街を失った子供は、確かに犯罪者にでもならなければ、奴隷か死かの二択しか選べなかったろう」
言いつつマリアが男へ近づき、男が警戒して仲間に視線を送ると、全員が近場の一般客を捕まえ、人質とする。
だが、マリアは構わず男の目の前まで近づくと――ナイフを、その手で掴み――。
「しかし、君は犯罪者だ」
――握り潰した。
金属の刃であるはずが、まるで紙くずのように、くしゃりと歪んで使い物にならなくなる。
マリアの瞳には、哀れみと、見下しの色が浮かんでおり、底知れぬ黒の瞳の奥に、ぎらつく憎悪があった。
男は、マリアを恐れ、思わず半歩引き下がろうとしたが――動かない。見ると足首を、不思議と熱を感じもしない、縄のように細長い炎が巻き取っていた。男と、その仲間は例外なく同様の炎に拘束されている。
「犯罪者が何を綺麗に語っている、君は罪を犯したのだろう? 自分が生きるために、今まで何人を殺し、どれだけの人生を破滅に追いやった? 数えたら分かるだろう、君は生きるだけで害悪だ。境遇、戦争、親、そんなものが君を縛って犯罪者に仕立てあげたのだとしても、君はゴミ以下だ、不要なのだよ。君や君のボス、その仲間は、喩えどんな境遇にあっても殺しておいた方がいい。足し算、引き算はボスに習わなかったのかな?」
「……うるせぇ、黙れェェッ!!」
男はナイフから手を離し、マリアへと殴り掛かるが、マリアはこれを片手で受け止め、微動だにせず、そのまま男の拳を握り、圧力を掛けていく。拳骨が軋み、男は痛みに表情を歪めるが――それでもなお精一杯に声を絞り出し、マリアへ言い返す。
「俺らが犯罪者ってんなら、アンタだってそうじゃねえか、相手が誰だろうが、テメエも人殺しに違いねえじゃねえか」
「……何か勘違いをしていないか? 我己は最初から人殺しだ、お前達のボスを殺した時も、それ以前からも、ずっとだ。そもそも、我己が正義であろうと悪であろうと、君達に価値が無いことは変わらんだろう? ――ああ、そうか、納得がいったよ、だから君はあのウェイトレスを殺したのか」
マリアは閃きにぽん、と手を打つ。
「自分たちに価値が無いという現実から目を逸らすから、真っ当に生きる手段を探さない。自分という物体の、社会的価値を上げることが出来ない、故に相対価値を上げる為、罪を犯すのか。人を殺し、他人を害し、足を引っ張って生きることで、自分と他人の価値の差が埋まり、メシも食える。君らのような者にとっては、確かにそれ以上合理的な手段は存在しないよ、そして故に、彼女を殺した。ボスを失い、価値の下がった自分を精神的に救う為、我己の価値を貶めようとした。我己に人殺しと詰り返すことも、ウェイトレスの死んだ原因が我己にあるとわざわざ主張してくれるのも、全てその一点に収束する、というわけか」
「何だよそりゃあ、ワケ分かんねえこと言いやがって……」
「ああ構わんよ、君らが理解する必要は無い、どうせもうこの先長くは無い」
言って、マリアはパチン、と指を鳴らす。途端――男達を拘束していた炎の縄が足首を刳り、体内へと侵入してゆき、高熱を発しながら、肉体を内側から焼きながら、一気に脳まで駆け上がり――即死。また、炎の縄は男達の腕まで伸び、動きを操り、人質を開放する。一斉に逃げ出す一般客と、その場に釘付けになり、内蔵、血肉を直接焼き殺される男達。それを呆気に取られながら眺める騎士団と――物憂げな表情のクリス、そしてマリア。二人は何かを、目に見えぬものを胸中に抱き、悲しんでいた。
だが、その時間も長くはなく、マリアは表情を引っ込め、騎士団の方に向き直る。
「後片付けをお願いしても良いかな?」
「は? ……ああ、それは無論、我々が行いますが」
騎士団の中から一人が答え、前に出て来る。
「私は市民騎士団『清歌の羽根』第三師団六番隊所属、小隊長のエッケルです、お二人のお名前をお伺いしたいのですか」
「我己はマリア、そしてこの小さい子がクリス。二人旅の道中、この街に立ち寄ったしがない魔族だ」
「はあ……ええと、わがき?」
男、エッケルが疑問に眉を顰めると、これを見てクリスが寄ってきて口を挟む。
「マリアちゃんはね、自分のことを『わがき』って呼ぶんです、我に己と書いて我己。マリアちゃんが勝手に作った一人称だから、気にしないでくださいな」
「そうですか……では、そちらの小さいお嬢さんがクリスさんで、貴方はワガキワマリアさんじゃあなく、マリアさん。ですね?」
「ああ、そうだ」
不服そうに頷くマリアを見て、クリスは、腹を立てるぐらいなら普通の一人称を使えばいいのに、と心の中で文句を言った。
「ちょっと事情をお伺いしたいので、我々清歌の羽根の拠点まで同行願いたいのですが」
「分かった、従おう」
「え~!?」
クリスが声を上げ、マリアの服の袖を引っ張りながら言う。
「マリアちゃん、私はお腹が空きました!」
「仕方ないだろう、今回の騒動は我己の行いが招いたのだ、断ることも出来まい」
「そんな……」
「というかクリス、君一人で食事に行けば良い話ではないか」
「嫌です……マリアちゃんと一緒じゃなきゃ、水も喉を通りません!」
「だったら我慢するんだ、何日も食えなくなるわけではないんだ、あまり駄々をこねるものじゃないよ」
「ぶぅ~!」
言われ、しかし尚の事駄々をこねるクリスだが、この様子を見かねて、エッケルが苦笑しながら提案を出す。
「それでしたら、我々の方で食事を用意させましょう。ご同行頂けるなら、拠点で食事が頂けるよう準備しておきますよ、もちろん、クリスさんの分も」
「それは有り難い、助かるよ」
マリアは礼を述べ、すぐにクリスの方に目を向けて軽口を叩く。
「どうだクリス、これでもう駄々をこねるのはよせ」
「分かってます!」
顔を赤く染め、クリスはぷい、とそっぽを向いた。
「……では、案内します、付いてきて下さい」
エッケルは言うと、先導するように歩いて店の外へと出て行き、マリアとクリスは後を追った。