第三話
やがて、ポンプ施設の視察は終わり、アルマリオはまだ視察についての今後の予定の話があるから、と一人で施設に残った。マリアとクリスも参加し、アルマリオの動向を観察しようかといったところだったが、そこは部外者故、詳細を聞かせる訳にはいかない、とマッドレイに拒否されてしまった。
故に、突如暇を持て余した二人、マリアとクリスは、連れ立って施設から離れ、この日何度も繰り返し耳にしたアルフォヴェイルの工業地帯と言われる場所へと向かった。
「ほう、これはなかなか……」
街路を歩みながら、マリアは息を漏らす。希力を燃料に動く工業用重機の音がごぅんごぅんと鳴り響き、慣れない人間の脳を揺らすような迫力さえある場所だった。施設を順繰り眺めつつ、その高度な技術に感嘆し、息を漏らすマリア。
クリスもまた、退屈そうにはしていなかった。むしろ、無数の見覚えない複雑な重機類に心惹かれ、それらが複雑に絡み合い、何かを製造していく圧巻の様を目の当たりにし、興奮のあまり笑顔を満面に浮かべ辺りを見回していた。
「あ、マリアちゃん! あの機械はなんですか!」
「ふむ、クレーンと呼ばれるものだな。重く持ち運びの難しい資材を高所へと釣り上げて移動させるための重機だ。しかしあれほどの重量、高さとなると……真実としてこのアルフォヴェイルの技術力は首都に勝るとも劣らぬようだな」
言いながら、マリアは感心する。クレーンは幾つかの金属製の資材をまとめたものを釣り上げ、高所へと運んでいく。その正面には建設途中らしい高層建造物があり、その用途が一体何であるのか、事情も知らず外から観察するのみである二人には知る由も無い事だった。
やがてしばらく歩き続けると、工業地帯を抜け、続いて商店が立ち並ぶようになる。いくらかの飲食店は、工業地帯の労働者向けの施設であろうが、それ以上に街路の左右を埋め尽くすのは、無数に渡る種類を誇るアルフォヴェイルの工業製品を販売する商店であった。
「すごい、機械がたくさん売ってます!」
クリスは目を輝かせ、マリアよりも先を小走りになりながら店頭の商品を次々見遣る。
「慌てるなよ、クリス。迷子になっては我己も観光の余暇を失ってしまう。時は金なり、大切にしていこう」
「もう、まるで私がすぐに迷子になるみたいに言って! そんなマリアちゃんのことなんか、知りませんから!」
いじけたクリスは、マリアの忠告も聞かず、より早い駆け足となって先行する。そんなクリスにマリアは苦笑を浮かべ、少し早足になってその背を追う。
ほどなくしてマリアはクリスに追いつき、その頭にぽんと手を置いて言う。
「全く、うちの娘はお転婆が過ぎるな」
「うちの母が意地悪すぎるんですよー、だ」
クリスは頬を膨らませながらも、マリアが頭に置いた手に自分の手を重ね、その手を握り、ゆっくりと自分の頬へと近寄せる。
「こんな母親は嫌いかな?」
「いいえ、好きですよ、マリアちゃんのこと」
クリスは言うと、僅かばかり微笑んで、マリアの手を自分の頬に添え、自らも首を傾け、頬を寄せる。手の甲と皮膚が触れ合い、クリスは傍目には気づかれない程度、ほんのりと朱が差した。同様に、マリアは自らを母親と名乗りながらも、クリスに注ぐ視線は熱く、溶けるような視線であった。
やがて、それほど間も置かずにクリスとマリアは手を離し、隣に並び立ち、先へと進んでいく。マリアが歩調をクリスに合わせ、クリスもまた、マリアに合わせてわずかな早足で。その表情には、先程の一瞬の間に浮かべたような、どこか蠱惑的な色合いは微塵も無く、何の変哲もない、平常通りの二人であった。
二人にとって、互いは特別な存在である。唯一無二の存在であり、二人の世界には、マリアとクリスと、そしてその他大勢の他人という認識であった。長く二人きりで旅を続け、二人きりで過ごしてきた為に、二人にとって他人でない誰かとは即ち互いのことであり、他にその立場に入りうる人物は存在しなかった。
故に――二人にとって、他人でない誰かに向けて抱く全ての感情とは、互いに向かって抱くものである。故に二人は母子であり、姉妹であり、友人であり――恋人でもあった。
無論、その異常性は互いによく理解しており、それが単なる倒錯的、代替的な感情、感動、感傷に過ぎないのかもしれないとも分かっている。分かっていながら、しかり解っておらず、故に明確に自らの内心から湧き上がる思いを制御できず、論破できず、否定できない。その為二人は、互いを家族としても、他人としても愛してしまうことを止められずにいる。
しかし、かつてマリアが語った言葉に倣うとするならば、内心の幸福を外部の物体にとやかく言われる筋合いはない。然らば、誰が為に想いを塞ぎ殺す必要があろうか。
とは言え、二人にも最低限の常識は備わっている。互いを母子であり、姉妹であるとも思っている以上――あまり大っぴらな愛情表現に出ることは躊躇われ、また好ましい行為とも思えない為、先程のように、視線や肌を熱く結び合わせるのは一瞬限りのことに終わる。
日頃、本来なら、人目のある今のような街路で行うことでもなかったのだが、無念にも二人の日常には勇者たる部外者の視線が日夜つきまとっている。そのため現在の自由な時間というのは久々に与えられた餌のようなものであり、僅かばかりタガが外れてしまっている。
そんな非日常のむず痒さ、気恥ずかしさをごまかすように、クリスは徐に路端の商店に目を向けた。
「そういえば、この辺りって銃火器とか、希力を使った特殊武装を扱っているお店が多いんですね」
その言葉に、マリアも便乗して話を続ける。
「それは、恐らく戦争の影響だろうな」
「戦争、ですか」
マリアの言葉に、クリスは少し話題を間違ったと思い至り、表情を強張らせる。だが、マリアは気にしていない様子で話を続けた。
「かつて魔王軍と人族の戦争が続いていた頃は、常にどこも物資不足に悩んでいた。特に、前線で使用される武器はどれだけ性能が高くとも、数があろうとも足りるということは無い。なぜなら、勝たねば何の意味も無いのだからね。それが戦争というものだ」
「それと……アルフォヴェイルに何の関係が?」
「アルフォヴェイルほどの技術力がある都市は類を見ない。故に、ここで生産された武器はどれも非常に強力で、かつ有用だった。しかも無限とも言える水源は戦時の物資不足下でも生産能力の維持に強く貢献し、人族の戦線を支えていたのだよ」
「詳しいんですね、マリアちゃん」
「まあ、重要な情報だったからね、我己も立場上、そういった戦略的に重要なポイントについては最低限学んでいたよ」
自分が魔王であり、かつて敵対していた陣営についての知識はある、という意味合いの言葉。だが、その本来指す所を理解できるのはクリスだけであった。
「戦争こそ終わったが……それでもアルフォヴェイルで作られた武器類は名高く、未だあらゆる方面から必要とする声も大きい。防衛戦力、侵略兵器、武装犯罪組織の要――言ってしまえば、戦時に暴力で成り上がった街故に、未だ暴力とは縁を切れないでいる、と言ったところだろうな」
「なんだか、物騒な話ですね」
クリスは悲しげに顔を伏せつつ言うが、それを否定するようにマリアは言葉を続ける。
「そうとも言い切れないさ、アルフォヴェイルの周辺に広がる荒野は不毛の台地だが、そんな環境下で生き残ることが出来るのは平凡な野生動物ではない。強力な魔族の獣や、そうでなくとも猛毒を持つ甲虫や爬虫類などが多い。このような土地で暮らしていくためには、結局ある程度の武装を持つことは避けられない。それを考えれば、こうして工業的に人を殺す為の道具を生産し、その輸出利益で都市を発展させたのは、街の文化、習慣、特性とも相性がよい。戦時のアルフォヴェイルが武器輸出で成り上がったのは、極めて合理的だったと言えるよ」
「――今でも大概、合理的だぞ」
話を区切ったマリアの背中に、男の言葉が飛んでくる。振り返ると、アルマリオがニヤつきながら歩いてくるところであった。
「どうした、仕事はもう終わったのか?」
「まあな、打ち合わせっていうものは、有能なやつほど手早く終わらせるもんだ」
「ふん、無能が相手ともなれば早々に話を切り上げるのも有能な判断と言えるがね」
言外に、アルマリオが無能であるから、マッドレイによって話を簡潔なまま打ち切られたと煽るマリア。クリスもそれに便乗し、べえっと舌を出してアルマリオに拒否感を示してみせる。二人して、思いの外早く打ち切られた自由時間を名残惜しく思っている様子。
「まあ、俺が有能か無能かというのは、お前たちが好きに判断するといい。真実に有能であれば仕事は早く終わり、無能であればいつまでも誰かに足を引っ張られるような妄想に魅入られてしまうだけだからな」
アルマリオもまた、自分を邪険に扱うマリアの方こそ無能であると、言外に煽ってみせる。この煽りの意味にクリスは気付きはしなかったが、マリアは気付き、眉をぴくりと動かした。
「では有能な勇者様ともなれば、我己とクリスの監視という無駄な任務も早々に切り上げてくれることだろう、この上ない、至上の喜びを感じるよ」
「そうもいかんのだよ、君が言う通り俺は無能のようでね」
互いに鼻を鳴らし、決着のつかぬ不毛な言い合いに終止符を打つ。
「それで、貴様の言う今でも合理的、というのはどういう意味だ?」
「ああ、その話か……例えばまず一つ、俺のような戦いを生業にする人間は、この世界から当分減りそうもないということだ。戦時需要ほどではないが、未だ世界は混乱、混沌としているからな。作れば作った分だけ、質を上げれば上げた分だけ売れる時代はまだ続くだろう」
「当然だな、戦争をしていた人間が、突然農家になることは出来ない。長い戦争の後には、自然と戦うことしか能のない人間が取り残される。彼らが不法者になろうが、裁く側として力を行使しようが、どちらにせよ武器は必要だ」
マリアは既に話題の本質に理解している様子で、これを見たクリスは、この会話は自分の『お勉強』の為に続いているのだ、と理解し、耳を傾ける。
「そして第二に、希力工学の発展、台頭だ。このアルフォヴェイルに流れる水はただの水ではなく、希力により生み出され、希力を多量に含んでいる。それはつまり、単純な科学的加工のみでなく、希力に関わる術的加工という点においても有利であるということになる。というか、むしろその点の方が他の工業地帯以上に優位性が強いだろうな。これほど強力な希力を含む水を、莫大に供給できるのはアルフォヴェイルの他にない。これまでに発展してきた工業技術も、希力工学の台頭により勢力を弱めるだろう。そうなった時、国の、そして世界の先端技術を担うのはアルフォヴェイルを置いて他にない」
アルマリオは言って、自慢げな顔をマリアに向ける。
「ふむ……それは興味深い見解だな、我己は希力工学の知識に疎いが、それが希力による術的発展、そして資源の消費による工業的発展を上回るというのであれば、確かにそうだろう。実際に、消費的な工業的発展は、かつての術的な文明を上回り、術的な文明を送っていた魔族にとって憎いほどの戦果を上げていた」
マリアの言う、術的という言葉は、即ち希力を操り、生活圏を豊かにし、希力によって文明を築いていた時代の特徴を指している。人族も魔族も、文明の発展の過程で希力と呼ばれる万能の力のことは理解しており、その力を利用し、生活を豊かにし、種の繁栄、集落の発展を続けてきた歴史がある。その原始的な生活風景、思想、技術的な面を指し、術的と呼ぶことがある。
一方で工業的という言葉は、鉱石や木材に始まり、数多の資源を消費することで高度な道具を作り上げ、それに頼って文明の発展を続けた時代の特徴を指す。知性ある者は自然に存在する数多の現象を理解し、利用することを覚えた。術的な希力は強力であるが、扱える力には個人差があり、文明の発展に強く寄与するほどのものではなかった。故に、人々は木々を切り倒し、鉱物を精製し、金属で出来た数多の高等な道具――機械と呼ばれるものを作り上げ、希力に頼る以上の成果を、才能に左右されること無く得続けてきた。特に希力を操る力を直接得られない人族においてこの工業的な発展が目覚ましく、魔族の希力による攻撃の応酬に、人族は銃火器を用いて鉛玉で応答した。魔族に種族として遥かに劣る力を持つ人族が、長年戦争を続けることが出来たのも、この工業的発展が寄与する部分が大きかった。
「あのような革命が、今にも迫ってくるのであれば、お前の言葉は真実だな、アルマリオ」
マリアにしては珍しく、アルマリオのことを褒める。
「だが、お前にしては随分知識が深いようだが……王都のどこぞの研究員か、あるいは先程のマッドレイなる男にでも聞いた話だな?」
マリアに指摘され、アルマリオは降参したように手を挙げる。
「おいおい、俺のことをよく理解してくれているじゃあないか。その通り、今の話はついさっき、マッドレイに世間話として聞かされたものだ、俺が考えたものではない、故にこれ以上詰めた質問をされても、溜息と無駄口ぐらいしか返してやれないな」
アルマリオの言葉でマリアも納得したのか、ふんと鼻を鳴らし、話を区切る。
「……つまり、要約するとアルフォヴェイルの武器は質が高くて、これからも需要は減らないし、新しい技術の、その、希力工学とかいうのにも有利だから、アルフォヴェイルが武器生産に頼って発展するのは合理的だ、という話でいいですか?」
ようやく終わった話に安堵の表情を浮かべながら、クリスは自分なりに話の結論をまとめ、正誤をマリアに問う。
「まあ、おおよそそれで間違いないだろう」
「なるほど……ところで、一つ思ったんですけれど」
クリスが、腕を組みながら困ったように首をかしげ、言葉を口にする。
「希力工学っていうのは、どれだけすごいんでしょうか。例えば希力工学っていうのが発展して、それを利用した武器が作られたとして、そんな時代になっても、マリアちゃんの方が強いんでしょうか? それとも、マリアちゃんよりもそのへんのおじさんが武器を持った方が強い、なんてことになるんでしょうか」
「ふむ、興味深い視点だな、我己も考えたことは無かったが……恐らく、そのような事態にはならないだろう。我己ほどでなくとも、訓練された魔族は希力の流れや力、情報を視認することが可能になる。それは文字で書いたほど正確ではないが、おおよそ希力がどのような力をもち、どのように働いているかを知ることは可能だ。例えば希力で弾丸を放つ銃火器などが存在すれば、撃つ前に予兆が見えてしまう。故に、希力工学とやらが発展しようとも、それが魔族の理解の外の技術となることは無い。となれば威力の話だが……訓練された魔族の希力による攻撃に並ぶほどの威力を、一般の人間が所持可能な武器が発揮するということは考えられん。戦時など可愛く思える戦乱の時代が訪れるだろう。さすがに、いかに愚かな人族の王族が支配しようとも、民草に不要な武力を持つ権限など与えんだろうよ」
「むーん、つまり武器が魔族より強くなることは無い、ということですか?」
「ああ、そう言える。但し、例外は無論存在するぞ。今の工業的技術による兵器でさえ、場合によっては訓練された魔族すら及ばぬ火力を発揮することはある。無論、そうした戦争に関わる技術に関して言うならば、魔族もまた発展を遂げてゆくだろうから、仮定そのものが無意味なのだがね」
「なるほど、ということは、マリアちゃんの方が強いってことですよね?」
「ん……まあ、生半可な技術に遅れを取るつもりはないが、クリス、我己の話をよく聞いてその感想か?」
「はい! 私のマリアちゃんが無敵だって分かって安心しました」
「そうか、しかしクリス、我己の所有権を君にあげたつもりはないのだが」
二人はじゃれるような会話を交わしつつ、街路を歩んでゆく、その後ろをついてくる、余計な男アルマリオを徹底的に無視しつつ。
だが――ふと、マリアは後方を振り返る。その視線はアルマリオではなく、遠く聳え立つ巨大な施設、ポンプ塔の方へと向けられていた。その姿をしかと見て、マリアは僅かばかり、緊張を面立ちに浮かべる。
だが、すぐにマリアは視線を逸した。気のせいだろう、と考えて。まさかこの街の心臓部たるポンプ塔から――不穏な希力の揺らぎが見えるようなことなど有り得ない、と否定し、頭を振り、脳内からその考えを振り払った。