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未き魔王の想起戦線  作者: 殿海黎
第二章 水の都アルフォヴェイル
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第一話

 荒野の只中に聳え立つ、赤橙色の石材を積み上げて作られた巨大な壁と、同じ素材に華麗な装飾を施された門。その巨大かつ堅牢な建造物を目指し、荒野を進む旅団があり、その先頭を行く馬車には三人の人影があった。

「へぇ、これが水の都『アルフォヴェイル』の外壁ですか」

 その人影の内の一人――翡翠色の頭髪、同じ色の宝石のような瞳、そして褐色の肌が特徴的な幼い顔立ちの少女が、感心した様子で馬車の窓から顔を出しつつ声を上げた。

「この辺りの岩石は非常に丈夫だが、技術さえあれば加工しやすい部類だからな、こうして防壁に利用するのは当然の選択だろう。とは言え、街全体を囲むほどの広大な外壁全てをあの赤い岩石で作り上げているというのは、驚嘆に値するよ」

 そして、翡翠色の少女の声に答えるように、もう一つの人影が声を上げ、外壁についての知識を披露しつつ、無邪気にはしゃぐ少女の様子を見て微笑む。闇色と血色の双眸を細め、紅の美しい長髪を僅かに揺す女性は、幸福に浸るような雰囲気さえ放ちながら、しかしすぐに表情を引き締め、正面を向いた。

「正直言えば、我己(わがき)とクリスの二人旅であれば、この立派な外壁をよく見て周る時間も十全に確保出来たのだろうが……如何せん、余計なオマケを一つ拾ってしまったからな、残念極まりないよ」

「マリア様は手厳しいな、これでも馬車の一台をわざわざ君らの為に用意してみせた、健気な拾い物のつもりなんだがな」

 女性――マリアと呼ばれた紅の頭髪の女性の正面に座り、睨みつけられた男は、黒い鎧を鳴らしながら戯けたような格好をとってみせ、冗談を言って返してみせる。灰色の頭髪に翡翠色の瞳、二メートルはあろうかという筋肉質な巨躯に似合わず、その顔立ちは整っており、貴族と言われても人々が納得するような風格まである。

「では、健気な拾い物の勇者アルマリオ様はきっと、ここで我己(わがき)とクリスを降ろして頂く寛大さも持ち合わせているのだろうな」

 マリアは冗談交じりに嫌味を言ってみせるが、こうしたやり取りにも慣れた様子で、男――アルマリオは何を気にした様子も無く、軽い調子で受け答える。

魔族(ゲルプロウダ)龍族(ヴェルオール)とは言え、君らは立派な淑女だ、こんな荒野の只中、たとえ外壁の側とは言え放置して立ち去ったとあっては、我々『厳罰の法(クルーヴィ・ロア)』の立つ瀬が無くなってしまう」

「ふん、戯言だな……我々を保護することも、観察することも本来の貴様らの任務ではないだろう。所詮ただの怪しい魔族(ゲルプロウダ)と小娘だ、世間を気にして保護を全うするというなら、すぐにでもこの街の『清歌の羽根(オーロ・スラッカス)』にでも引き渡してくれればいい」

「ご謙遜なさるなよ魔王様、ただの怪しい魔族(ゲルプロウダ)にしては、随分と十年前にお暴れなさった記憶が今なお俺の頭には鮮明に残っている」

 マリアとアルマリオ、この二人は互いを威嚇しながら、しかし同時に言葉による攻撃と冗談の交わりを楽しんでもいた。舌戦と呼ぶには気安く、じゃれ合いと呼ぶには剣呑な雰囲気で、互いを刺して遊んでいた。

「もう、マリアちゃんったら。そんな筋肉のおじさんなんかと辛気臭い話なんかしてないで、もっと面白いことを訊かせてほしいです!」

 二人の会話の蚊帳の外で、ただ窓の外の景色を眺めるだけの立場に飽きた翡翠色の髪の少女――クリスが、マリアに向けて拗ねる言葉を発した。この言葉に、マリアは苦笑を浮かべ、すぐさまクリスに向き直って弁明する。

「すまなかったね、クリス。そうだな、ではこの外壁を持つ都市『アルフォヴェイル』についての予習学習、といこうか」

 マリアの言葉を耳にした途端、クリスはげぇっと苦虫を噛んだような顔になる。

「お勉強ですか、私はもっと楽しいお話がよかったんですけれど」

「いやいや、そう構えないでくれクリス。これは勉学というよりも、観光と言った方が良い話だ、耳に入れておいたほうが、より市街を愉快な気分で眺めることができる」

「うーん、それで、結局どんな話をするんですか?」

「ああ――ほら、間もなく門を抜けるだろう、そうすればじきに見えるはずだ」

 マリアは言って、クリスに景色を見るよう促し、クリスも言葉に従って、門の向こうの景色を一刻でも早く観る為、馬車の窓から身を乗り出す。


 そして――門の先に広がっていた光景を目にした途端、驚嘆の息を深く漏らした。


 何よりもまず目を引くのは、巨大な円形の防壁の中央に聳え立つ、高層の構造物。城と呼ぶには無機質であり、華飾も慎ましいものだが、物見塔と呼ぶには美し過ぎる。そして何よりも奇怪なことに、その建造物には無数の橋が繋がっていた。橋は中腹ほどの高さに、狙ったように均等な間隔で突き刺さっており、これらが都市の市街上空へと伸びていた。

 中央の構造物から伸びる橋は僅かな傾斜を持ち、そして無数に枝分かれもしていた。枝分かれした橋の先端は途中で途切れており、一際太い柱に支えられている。これらが街中の上空を網目のように這い回り、それこそマリア達一行が潜ってきた外壁のすぐ側まで届いていた。

「マリアちゃん、あの上空を駆け巡る橋のようなものは何なのですか?」

 クリスはこの都市、アルフォヴェイルの上空を覆う橋の網を眺めながら、その正体をマリアに向かって問うた。

「これはな、この街特有の水道施設なのだよ」

「水道ですか、これが?」

 マリアに言われて一瞬だけその方を振り向き、だがすぐさまクリスは無数の橋――上空の水道に目を向け直す。

「ここ、アルフォヴェイルは水の都とも呼ばれており、その呼称に嘘偽り無く、都市の中央には巨大な湧水池が存在している。そして重要なことなのだが、この湧水池は世界でも類を見ない特殊なもので、地下の希力の影響で非常に高い圧力で吹き出し続けているのだよ。それこそ、吹き出す水が山のように見えるほどの勢いでな」

「へぇ……街の周辺は水気の少ない荒野に見えましたけど、地下に水脈が通っているんですね」

 クリスの少しばかり見当はずれな物言いに、マリアは一つ呆れて溜息を吐き、更に訂正と解説の言葉を加えた。

「水脈ではないよ、濃密かつ特異的な希力により、この湧水池から水が湧き出ている……つまりだね、なぜか水が沸いてくる不思議な場所が、この荒野のど真ん中に存在しているというわけだ。当然、辺りには見た通り水脈も河川も無ければ、降雨量も少なく、水が湧き出るほど存在する理由は一つも無い」

「へぇ、不思議なこともあるんですね」

 マリアの解説は、しかしクリスにとってさほど驚きも無く、興味を引くような話ではなかった。感覚として、クリスにとって希力が起こす現象の多様さは奇跡と呼んでも過言ではないほどのものだ。水の無限に湧き出る土地の一つくらい、存在していても不思議ではない。それがクリスの見解であり、常識の無いおバカとマリアに軽口を叩かれる原因の一つでもあった。

「神の奇跡の一つにも数えられるアルフォヴェイルの湧水池も、クリスに言わせてみれば所詮『不思議なこと』の一つというわけか」

 マリアは呆れつつも、クリスの純粋に知識を受け入れ、理解する無垢さに笑みを零す。だが同時に、これまで以上に良く教育を施し、知識と教養を詰め込んでやらねば、という決意の再確認にもなっていた。己が運命を些細な一言で左右してしまったことを、当の本人である無垢な少女は理解していない。

「それで、あの水道がいくつも伸びている中央の塔は何なんですか?」

 クリスにとっては、些細な現実よりも眼の前の『不思議なこと』の方が大事であり、興味を惹かれるものであった。マリアは今はまだクリスを虐めてやる必要も無いだろうと考え、素直に疑問へ回答するのだった。

「アレこそがこの街の最重要施設、ポンプ塔だよ。不安定な湧水池の水圧を管理し、一定の水流を維持しつつ、各地へ適切な水量を分配しているんだ。つまり、神の奇跡たるアルフォヴェイルの湧水池は、ポンプ塔の機能を通して始めて、人々へ恩恵を与えうるということだね。自然のままの湧水池では、せいぜい池の周辺に狭い街が広がるだけに過ぎなかっただろう。だが、ポンプ塔という知恵を駆使することで、人はここまで巨大で、発展した都市を築き上げることができたというわけだ」

「なるほど……つまり、あの塔が街の心臓になって、水を巡らせることで大きな都市が生きている、という感じですね?」

 クリスの表現に、マリアはくすりと笑い、頷いて同意しつつ話を続ける。

「ああ、そうとも言えるな。ちなみに、アルフォヴェイルを守る巨大な外壁もまた、あの湧水池が存在するからこそ建造可能だったものだ。あの石は、加工に大量の水を必要とする。故に、湧水池が無ければ、そもそもこの荒野のど真ん中で、防壁に守られた安全な街というもの自体成立し得なかったというわけだ」

「何でもかんでもお水のおかげなんですね、神の奇跡と呼ばれるのも納得です」

 クリスの認識は因果関係が逆であり、先に神の奇跡たる湧水池あってのアルフォヴェイルなのだが、あえてその点を指摘する者はいない。所詮些事であり、マリアには未だ語り尽くせぬ知識が幾つもあった。

「そして、神の奇跡たる湧水池の存在は、巨大な防壁を作るだけに留まってはいない。生活用水はもちろん、河川の水より純粋で、反乱の危険も無く、潤沢な水が供給される以上、工業用水として利用されることも自然な流れだった。都市の発展は、湧水池の水と、周辺の荒野から採掘される豊富な鉱物資源により、工業の進歩と共にあったと言える。人族(アンヴィース)の築き上げた数々の都市の中でも、このアルフォヴェイルで生産された工業用の部品、金属製品、洗練された武器や防具の類いは、非常に価値が高く、世界各地に輸出され、使用されている」

 次第に難しくなる話を聞くにつれ、クリスは表情を苦く顰める。マリアもこれに気付いてはいるのだが、如何せん教育を優先するため、またマリア自身が一方的に語ることを好むこともあり、いちいち細部を噛み砕いて丁寧に説明することはない。

「ようするに、この街はポンプ塔のおかげて発展してきた、工業都市ってことですね?」

「ああ、そういうことだ。特にポンプ塔の近辺は大規模な工場が数多く並び立っており、直接ポンプ塔から大量の水を分配されている。それこそが、この都市に住む人々自身が工業こそアルフォヴェイルの武器であると理解している証拠だよ」

「ちなみに、この俺が今回アルフォヴェイルを訪れたのもそのポンプ塔が目的だ」

 不意に、これまで黙り込んでいたアルマリオが口を開く。

「施設の視察、監査の為に現地の清歌の羽根(オーロ・スラッカス)とも協力し、件のポンプ塔へ向かう。内部は本来、関係者以外は立入禁止なのだが、今回は俺の権限で同行者にもある程度の場所まで入ることが許可されている」

 ほう、と納得したように声を漏らすマリアと、対照的に首を傾げるクリス。これを見て、アルマリオはさらに具体的な一言を加える。

「つまりだ、お前たちもポンプ塔の監査についてこないか、と聞いている」

「嫌です」

 クリスは即答し、アルマリオへの拒否、拒絶を明確に示す。だが、これに言葉を返したのはマリアだった。

「クリス、そう邪険に扱うな。確かにこの男の提案に乗るのは癪だが、ポンプ塔の施設内に入れる奇怪はそうない。後学のためにも、今回は素直に同行させてもらうべきだよ」

 思わぬ説得を受け、クリスは逡巡し、マリアの顔色を伺いながら問い掛ける。

「その、マリアちゃんもポンプ塔の視察に同行するんですか?」

「当然だ、さすがの我己(わがき)でも、アルフォヴェイルの湧水池管理施設を直接この目で拝んだ経験は無いのでね。学ぶことも多いだろう、故にここはアルマリオの提案に乗らせてもらう」

「魔王様もこう言っているんだ、保護者同伴だし、ここは不安がるところでもないぞ?」

 マリアの言葉に重ねて、アルマリオが嫌味を言う。クリスは当然、眉間に皺を寄せて不快感をありありと示して見せるのだが、マリアの言うことはよく理解できていた。ここは、感情論で拒否すべきではない、と。

「……分かりました、ここは従いますよ。私だって、ポンプ塔の中に興味が無いわけでもないですし」

「なら、決まりだな――これから、この馬車はまずアルフォヴェイルに駐留する清歌の羽根(オーロ・スラッカス)の施設に向かい、各種手続きを済ます。細かいことは部下に任せてあるから、俺は挨拶と大まかな指示さえ済ませたら、すぐにポンプ塔へ向かうつもりだ。楽しみにしていろよ」

 ふん、と鼻を鳴らしてクリスは突っ慳貪な態度を見せつつ、そっぽを向く。これに苦笑しながら、マリアはそっとクリスの側に近寄り、耳元に口を近づけ、小さく囁いた。

「――そう怒るな、同行は奴の思惑に乗るばかりの話ではない。もしも奴が何らかの悪意ある企みを持っているなら、一緒に行動しつつ監視した方が良い。むしろ、奴を一人でポンプ塔に向かわせてしまう方が恐ろしいぞ」

 マリアに囁かれて、始めてクリスは気付き、ハッと驚きを表情に浮かべる。そしてマリアの方へ顔を向け、小さく頷いてみせた。秘密の話を理解したという意味であり、マリアは満足そうに笑みを浮かべる。

「では――急いでもらおうか、勇者様よ。我己(わがき)とクリスには観光の予定が出来たのでな、馬車の揺れもなかなか退屈しないものだが、早々に切り上げて頂きたい」

「はっ、そう急かすなよ。隊列というものがあるのだ。が――まあ、今回はいいだろう、俺も少し急いでおきたいのでね。清歌の羽根(オーロ・スラッカス)での手続きが手間取らないとも限らない」

 言うと、アルマリオは馬車の外――前方に向けて、手を翳す。その方向には、本来なら御者が乗るべき席が存在するのだが、この馬車にはマリア達三人以外には何者も乗っていない。そして、馬が馬車を引いているはずの場所には、鈍色の、馬に似せた形の金属人形が存在していた。

 この金属人形は、希力を流すことで、流し込んだ者の意思に従い行動が可能な特別製であり、アルマリオに限らず、強い希力を持つ者の多くが利用している。一般人には手の届かない高級品であり、必要とされる希力も多いことから、使われている頻度こそ多くないが、それこそアルマリオの厳罰の法(クルーヴィ・ロア)のような部隊であれば、長距離移動に利用することも珍しくはない。馬と違って飼料も不要であり、馬力も違い、操縦も簡単。利用しない、という選択の方こそ非合理的と言える。

 アルマリオにより希力を浴びせられた金属人形は、徐々に速度を上げ、元の倍ほどの速度まで加速する。その後、アルマリオは金属人形に向けた手を下ろすと、馬車に備え付けられたベル状の金属部品を手に取り、その内側に向けて声を発する。

「――伝令だ、俺は先に清歌の羽根(オーロ・スラッカス)へ向かい、手続きを済ませる。第一班は俺の代わりに副長が指揮を取り、このまま清歌の羽根(オーロ・スラッカス)の駐留地へと向かえ。俺は同行者と共に先行し、ポンプ塔の視察に向かう」

 言い終わると、アルマリオは金属部品を元あった場所に置き直す。ちょうどベル状の物体を被せるための突起、そしてフックがついており、馬車の揺れの中でも落下しないよう固定した。

 この金属部品も、希力を使うことにより使用可能な道具である。予め関連付けした同一の金属部品に、音声を送る事ができる。双方向的な会話は出来ないが、発信は関連付けしたどの部品からでも可能であり、これを利用して馬車間でも部隊の伝令は滞り無く行き渡る。

「さて、これで問題は無い、急ぐとしようか」

 アルマリオは軽薄な笑みを浮かべ、マリアとクリスを交互に見遣る。マリアは僅かに眉を顰め、クリスは露骨に溜息をつく。これからこの男――勇者とは名ばかりの悪辣で極端かつ行動的な咎人が、ポンプ塔でどのような行動に出るか。それを考えるだけで、二人は辟易とせざるを得なかった。だからこそ、こうして視察に同行することにもなったのだが、可能であれば距離を起き、市街の観光にでも勤しみたいというのは、二人が表情に浮かべる度合いこそ違うものの、共通した感情であった。

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