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 噂はすべて真実であった。歴史ブームが落ち着きを見せると、歴史への介入に関しての是非が問われるようになった。

 当初は反対意見が多かった。まずは倫理的な立場からの反発だった。そもそも正しい歴史とか、あるべき歴史などというものはないというのだ。良識派を自称する人々の意見だった。

 至極まっとうな意見のように聞こえるが、歴史の何たるかを知らない愚か者どもの戯言だ。歴史の進歩は科学技術の進歩を原動力としている。人類はタイムマシンという科学技術を得て、歴史の原理を発見できるかもしれないのだ。新しい科学技術は常に倫理という制約を打ち破ることによって人類に英知をもたらしたのだ。ガリレオしかり、コペルニクスしかりではないか。

 私たち比較歴史学会は強力な論陣を張り、このような無知蒙昧の輩を排撃し、完膚なきまでに叩きのめしてやった。私の行く手を阻むものは、なん人たりとも斬捨て御免じゃ。

しかし、本当の問題は他にあった。歴史介入の危険性が指摘されていたのだ。「我々の現在」が歴史への介入によって何らかの影響を受けるとするならば、タイムマシンは高度に政治的な兵器へと転用できる。この議論に関して私たち歴史学者の出番は無かった。物理学者が相対性理論について云々し、科学評論家たちがタイム・パラドックスについて議論するのを、眠たい目をして眺めるのみだった。

ちょうどそんな折、中東のテロ組織がロシアのタイムマシンを乗っ取り、なんらかの歴史介入を行おうとした事件が発生した。実行犯たちは全員射殺され、事件は未然に食い止められたが、その真相は闇に葬られた。

 大国の首脳たちは協議し、タイムマシンを国連の管轄化に置くことにした。つまりは大国の管理下ということだ。

 日本のタイムマシン「やまと」は大国アメリカの圧力により廃棄されることになった。日本人がタイムマシンを悪用するとは思えなかったが、日本が太平洋戦争に勝つにはどうしたらよいか、という能天気な議論が堂々とまかり通っていたことも事実である

日本のナショナリストたちは日本政府の弱腰外交をなじり、国連の査察団が来日したときには数名の死者を出すほどの大規模なデモが発生した。

 私は只々この成り行きに落胆せざるを得なかった。

 大国によるタイムマシンの独占体制が確立すると、国連主導という名目で歴史介入の初期実験が始められた。目的は歴史への介入が「我々の現在」にどのような影響をあたえるかを調査することだった。初期実験は恐る恐る開始されたが、次第に大胆になっていった。実験の結果、いくつかのことが判明した。

歴史を変えたとしても、変えられた歴史は別の時間に分岐して、もうひとつの歴史を生成してしまうのだ。時間の流れはひとつではない。無数の時間が枝分かれし平行して存在している。それは未来に向かって無数に枝を伸ばした樹木のようであった。

 歴史には強靭な復元力が働くことも分かった。一例を挙げると、誰かを暗殺から救ったとしても、すぐに別の原因で死んでしまうのだ。歴史を書き変えるということは、歴史の復元力との戦いになる。これを本気で実行しようとすれば、時限爆弾の誘爆のように次々に介入し、復元不可能なほど流れを大きく変えてやらねばならない。

 時間の流れは人知を超えた複雑なものに思えたが、人類が導き出した結論は実にシンプルなものだった。

歴史に介入したとしても別の歴史を生成するだけで、「我々の現在」に直接影響を与えることはない。

この説は主流となり、各国の指導者たちもこれを支持した。タイムマシンの安全宣言が出されたのもこの頃である。

 少数意見ではあるが、何らかの影響があるのではないかという学者もいた。日本の比較歴史学界の異端児、中根広之博士だ。

 その根拠となったのが邪馬台国論争である。当初、邪馬台国は畿内あったことが確認された。しかしその後、少数ではあるが邪馬台国が九州にあった別の歴史が存在したのだ。つまり「我々の現在」は二つの歴史がどこかで合流して生成されたものではないかという仮説が成り立つのである。時として歴史に矛盾が生じるのはこのためだと中根博士は言う。

 二つの時間の流れが合流するとなれば、そこには巨大なタイム・パラドックスが生じることになる。歴史学的には面白い指摘だが、理論上はありえないということにされた。

中根博士の仮説は黙殺されたかに見えたが、それは政治的に黙殺されたにすぎない。タイムマシンの安全宣言をいまさら撤回することは許されないのだ。

 大国の指導者たちは自国に有利かつ英雄的な歴史を、それがもうひとつの歴史とはいえ、創造することに熱中し始めた。

 比較歴史学会は百家争鳴状態となった。様々な論文が発表されたが、たいていは大国の意図におもねろうという下心が透けて見えていた。

 日本の比較歴史学者たちは健気だった。タイムマシンを廃棄させられ、もはや実現は不可能と分かりながらも、日本史の別の可能性に対して議論を続けた。

 テレビ業界にとってはおいしいネタだった。「坂本竜馬の暗殺を阻止する」だの「本能寺の変をチャラにして織田信長に幕府を開かせる」などといった企画を持ち込んでは、歴史解説者の私を困惑させた。そんなところに介入して何が面白いのだ。日本人の自己満足ではないか。世界を大きく変えるような発想は日本人には無いのか。私には日本史がひどく儚いものに思えてならなかった。


 歴史介入の本格的な実験はあくまで国連の主導という建前で開始されようとしていた。

当然のことなのだが大国の意見がごり押しされ、いつものように不公平な取り決めが成された。歴史介入実験は各国の提案を安保理が審議して決定する。常任理事国には当然のように拒否権がある。常任理事国の意に染まぬ提案は却下されるということだ。

 もうひとつ言えば、極東の島国の学者はローカルな歴史でも研究しておけ、ということらしい。私が見たかった十六世紀の東アジアの海は永遠に叶わぬ夢になろうとしていた。

 それでも歴史介入実験の開始は、私の歴史学者としての好奇心をかきたてずにはおかなかった。

 最初の提案はイタリアから出された。「ローマ帝国の分裂と滅亡を阻止する」というものだ。なるほど、ヨーロッパの暗黒の中世をすっ飛ばして、世界征服でもやる気らしい。イギリス・フランス・アメリカは賛成。ロシアは中立の立場をとった。反対するかと思われた中国も静観を決め込んでいる。もちろんなんらかの裏取引があったと考えて間違いない。

 気の毒なのはタイムマシンの理論を生んだインドである。長くイギリスの植民地とされた歴史から、ヨーロッパ諸国の強化には猛然と異を唱えたのだが、常任理事国でない限り拒否権を発動することはできない。

ローマ帝国救出を目的とした通称「SPQR作戦」は実行に移された。作戦コードのSPQRは共和制ローマの主権者であった元老院とローマ市民を意味する略語である。

 「元老院およびローマ市民諸君!われわれはローマ文明を救済する」というわけだ。

私はSPQR作戦を冷笑した。いかにも英雄的なこの作戦は、歴史学的な意義以上に政治の臭いがぷんぷんする。西欧の歴史学者のレヴェルが低いのではない。政治家たちの思惑が勝ちすぎているのだ。こんなものが成功するほど歴史は生易しいものではない。

 私は平静を装っていたが、本心では西欧の歴史学者たちがタイムマシンでローマ時代に行くのが、うらやましくてたまらなかったのだ。歴史介入実験に参加する研究者たちを、指をくわえて眺めていたのだ。日本人に生まれたことをこれほど悔しく思ったことはない。

 我が心が天に通じたか、SPQR作戦は挫折を繰り返していた。

 三世紀以降のローマ帝国の歴史はあまりにも混迷しており、どこをどう書き換えたら再生できるのかさっぱり分からなかった。おそらく政治家たちの宣言した「偉大なローマ帝国の再生」というスローガンの下、歴史学者たちは右往左往していたに違いない。功名心と自己顕示欲のかたまりみたいなお調子者の歴史学者が、名乗りをあげてSPQR作戦に参加していたのだ。彼らはローマ皇帝の首をすげ替えることに熱中し、ますますローマ帝国の混迷を複雑怪奇なものにしていった。

 揚句の果てに、ローマ帝国を共和制に戻すという。おそらくこれも政治的な発想であることは疑うすべも無い。偉大なローマが帝国であるより共和国として長らえたほうが、民主主義とヒューマニズムの価値観に照らして正しい歴史だというのだ。

 馬鹿だ。果てしの無い馬鹿どもだ。

 混乱に混乱を重ねたところでSPQR作戦は放棄された。

 西欧史は専門外の私だったが、ローマ帝国滅亡の原因のひとつが「ローマ帝国のキリスト教化」にあるのではないかと考えていた。あるいはこの一点を突けば突破口が見えたかもしれない。ところがキリスト教国では政治家はキリスト教を否定できないのだ。そんなことをすれば宗教界からの排撃を受けてしてしまうからだ。

 アメリカの勇気ある歴史学者トーマス・オコナー博士がただひとりこの点を指摘したが、背教者として袋叩きにされた。

 主はローマ帝国を見捨てたもうたのだ、アーメン。


 私は教訓を得た。この小さな島国の歴史など変えても世界は変わらないし、我が日本国にはそんな力も無い。この東アジアに寄るべき大樹があるとすれば、それは中国をおいて他にはない。私の専門は東アジアだ。東アジア史を変えることによって世界を変えるのだ。

 思えば、近代以降の東アジアの歴史は悲壮だ。西欧列強の植民地化の圧力に抗して長い混乱の時代を辿らなくてはならなかった。唯一、近代化に成功した日本でさえ、押し寄せる列強へのヒステリックな反応から軍部の暴走を招き、泥沼の戦争にはまり込むことになったのだ。その傷は、いまもアジア諸国の日本への反発として残っている。

 この歴史を書き換えるには、中華帝国の迅速な近代化によって東アジア世界の強化を図るしかない。そして中華帝国の近代化を補完できるのは、明治維新を成し遂げた日本国だけだ。十六世紀において中華文明と日本人の幸せな結婚を演出するのだ。さすれば東アジアが世界を制覇することも夢ではない。

中華帝国よ、大いなる近代化をもって西欧列強を退けるのだ。

私は「東アジアにおける近代の可能性について」と題する論文を書き上げた。

 この論文は私の意図とは違うところで、東アジアを震撼せしめた。中国・韓国など周辺諸国から凄まじい非難を受けることになったのだ。そうだ、他人を笑っていられない。私にはどこか政治感覚が欠いている。

おそらく私を非難している連中は私の論文の冒頭部しか読んでいないに違いない。最後まで読めば、私の本来の趣旨が理解されたはずなのだ。

確かに、この論文の冒頭部はまずい。

 豊臣秀吉の軍団が、朝鮮半島を制圧し、勢いに乗って中国本土に入り、明帝国を滅ぼし王朝を建てる。要約すれば、そういうことが書いてある。

 朝鮮半島の国々からは猛烈な抗議の嵐が吹き荒れ、中国では反日暴動が巻き起こった。私は事態を沈静化するべく努めた。論文の意図を説明し、最後まで読んでもらうことを訴えた。中国や韓国のメディアにもすすんで出演したが、誰も私の話をまともに聞こうとしなかった。彼らは私に偏向歴史学者とか、再軍備推進主義者とか、軍国的ナショナリストとか様々な烙印を押し、ひたすら低姿勢で説得に努める私を罵倒した。

私の中で何かがぼきっと折れた。韓国でのテレビ出演中に私はついに爆発した。

 愚民ども、愚民ども、愚民ども!

 おまえらに英知を与えてやろうとするに何故分からん!

 私の姿は滑稽だっただろう。日本政府は拉致同然に私を召還し、半ば軟禁状態にした。一流ホテルのスイートルームで私は嵐が去るのを待つことになった。ルーム・サービスはたのみ放題。請求書はすべて外務省にまわされた。

 その間、世間では私の「愚民ども」発言が痛快な出来事として語られていた。「愚民ども!」は、その年の流行語大賞を受賞したが、その授賞式に私の姿はなかった。

 ナショナリストたちは私を祀り上げ、愛国的歴史学者の称号を贈った。

 おまえたちこそ私の論文を最後まで読み、その意図するところをじっくり考えてみろ。私を暗殺したくなるはずだ。

 身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし東アジア魂だ。コノヤロー!


 東京の大学を追われた私に行き場を与えてくれたのは、ナショナリストの親玉みたいな爺さんだった。山鹿信輔といえば政界や財界にも顔がきくそうだ。ナショナリストらしく明治の元勲みたいな髭をたくわえている。私は山鹿翁が創設した山陰地方の小さな大学に招かれたのだった。「大和魂を教育の根幹とし、憂国の士を育てる」というユニークな教育方針を謳う大学だったが、その実態は入学希望者さえ集まらず経営に苦慮した揚句に、中国人留学生を大量に受け入れた日本語学校のようなところだった。

 大学の屋上からは日本海が見渡せた。晴れた日には中国大陸が蜃気楼のように浮かび上がる。私は毎日、十六世紀の東アジアの海を想像しながら無聊を慰めた。


 あの大騒ぎが人々の記憶から消え、学界が私のことなど忘れ去った頃、私はひとりの女性の訪問を受けた。

 名は李紅艶。中国人の歴史学者で日本史を専門としているという。あきらかに偽名だろう。女優か女スパイでもなければ、こんな派手な名前は使わない。

若く装おっているが、齢のころは三十台半ばというところだろうか。私は目じりの小皺からそう推測した。完璧な化粧をしている。確かに美人の部類にはいる顔立ちだ。

 彼女は流暢というよりも美しい日本語を話した。それは日本の女たちが遠い昔に忘れ去った類の美しさであり、優雅な響きをもって私を魅了した。超いい女ではないか!

 果たして彼女は中国政府のエージェントであった。彼女は最初にそのことを明かした後、私の論文に論評を加えた。そのひとつひとつが的確であり、私は初めて理解者を得たような気がした。彼女はいくつかの質問をし、私は答えた。こんなにも充実した時間は何年ぶりだろう。

 そして、彼女は本題をきりだした。中国政府が歴史介入実験に私の論文を使おうとしている旨を告げたのだ。


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