間幕 緋色に燃ゆる
ぱちぱち、とそれは鳴っていた。
湿気を含んだ生木が内側から爆ぜる音だ。熱に煽られ、黒い煤を飛ばしながら、まだ青い空を仄かに緋色く染めて、まるでそういう生き物であるかのように炎は揺らめいている。
丁寧にあつらえられた大きな木箱を飲み込んで。
彼が叫んでいる。黒いローブの男達に両腕をすっかり包まれて、それでも身をよじらせ獣の慟哭にも似た声を発する。彼のあんな姿を見るのは生まれて初めてだった。
「よせ! やめてくれ!!」
彼の悲痛な声が、この広い森の中で響き続ける。まだ間に合うんだ、と涙で揺れる瞳で炎を、そしてその隣に佇む女性を睨む。漆黒の布を身にまとい、人のたけほどの杖に体重を預け、野鳥の仮面で顔を隠した女性は、静かに、くぐもった声で彼へ語りかける。
「よすのは貴様だ、ベルトマン」
それは、幼子をあやすような、聞き分けのない子供に言って聞かせるような、静かで落ち着いた声だった。
「いま離してやったとして、何をするつもりだ。燃え盛る炎へ飛び込んで、入れ物を抱えてどうする。その前に貴様の身体は壊れる。仮にアレを拾い上げたとして、その中に貴様の望むものはもう収まってはいないというのに」
「入れ物? 違う! まだ、まだ間に合うんだ! あの子はまだ生きている!! 空っぽなんかじゃないぞ!」
「……違う。あれは入れ物だ。過去に生きるのはもうよせ、ベルトマン」
「ちがう!!」
唇が裂け、喉を剥き出しに彼が慟哭する。右腕を振り払い、左肩を剥がして、それこそ獣のように"あの子"の元へと駆けてゆく。紅く、赤く、緋色く燃え上がるあの子の元へと。
向かっていく彼の背へ飛びつき、腕を絡みとるようにして、地面へと押し付ける。行かせるわけにはいかなかった。彼の身体は炎へと飛び込むにはあまりに脆くて、弱い。彼女の言う通りだ。そして私は、彼を失うわけにはいかない。どれだけ汚く罵られようと、それがどんなに耐え難く辛い言葉であっても、彼がいなくなってしまうよりもマシだ。世界でたった独りになるなんて耐えられない。そんなことを考えていたように思う。
やがて、魂が抜けていくように彼は大人しくなった。虚ろな瞳で炎が小さくなっていくのをただぼんやりと、見ている。
仮面で顔を隠した彼女が、祈りを捧げる。黒いローブの人達も、花を焚べたり、食べ物を放りこんだり、粛々と進められた。
儀式は、炎が自然と小さくなり、消えてしまうまで続けられる。箱の中に眠るあの子が、炎そのものとなり、身体を置いて森の中へと帰っていくために。森の魔女バーバヤーガは、野鳥の仮面を身につけ、魂を導く案内人として祈り続ける。
それは、不気味で、どこか神秘的だった。
ごうごうと燃え上がる炎が、あの子の身体を食べている。あの子の魂をちぎっては、黒い欠片に変えて森の中へと運んでゆく。
「やめてくれ……」
しわがれた声が、足元から力なく漏れた。
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炎の勢いは少しずつ失われ、やがて黒く積まれた炭だけが残る。その中から、小さな種火が燻っているものを拾い上げ、彼女は取り出した瓶の中へと収めた。
「ベルトマン……」
彼女は、地面に這いつくばる彼の前に立ち、しばらくじっと見つめていた。かける言葉を探していたのだろうか、そしてそれが見つからなかったのかもしれない。何を言っても聞こえない……それくらい、彼は抜け殻のようになってしまっていた。
「森の屋敷は貴様に譲ろう。しばらく、思い出と暮らすといい。……私は出ていくよ。麓の村に居るから、いつでも会いに来てくれ」
そう言い残し、魔女は立ち去った。炭の入った小瓶を置いて。あの子だったものを残して。
これは、緋色の記憶。
私が、まだ私だった頃の、緋色に燃ゆる記憶。