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01.焚書官と魔女の住む森_3

 最初は細くても見える程度には伸びていたケモノ道も、へびの身体を辿っていくようにどんどんと細くなっていき、案内するのはここまでだと言うように、やがて雑草の群れの下に消えていった。オモテから覗きみたときよりも一層と深く、暗い森の中。足元は、日光が届かないせいか泥濘(ぬかる)んでいて、シロンが一歩出すたびに、舌を転がすような気持ち悪い音がへばりつく。誰かが一度、ていねいに噛み砕いたクッキーに足を取られるような、不快感を抑えながらシロンは奥へ奥へと進んでいた。


「まったく、鬱陶しい森だよ」


 背の高さまである雑草を、腰に指していた長剣で切り裂きながら、道を作っていく。時折うしろを振り返っては、自分が通ってきた道をちゃんと確認して、さらに剣を振り抜く。近くの樹に目線の高さで、印を刻むのは上官から教えてもらった、森を歩く術だ。見るものが見れば、誰がどちらに進んだのかがひと目でわかる。無論、刻んだ本人が読み解けぬはずも無く、これを辿れば来た道を帰れるといった塩梅だ。月明かりが差さずともはっきり見えるし、鳥に摘まれて消えることもない。


 聞き慣れない鳥の鳴き声が、シロンの頭上で不気味に鳴り響く。あまり姿を見せない、珍しい鳥だ。悪魔じゃない。そう言い聞かせながら、道を阻むツタを切る。足場が悪い、この状態で悪魔になど襲われたらシロンじゃ太刀打ち出来ない。いや、もしここが古代遺跡にあるような闘技場(コロッセオ)で、鎧で全身を固めて剣を、斧を、弓を……そこまでして、果たして悪魔に勝つことなど出来るのだろうか。どだいシロンは悪魔を見たことがない。さらに言うなら、戦った……どころか見たことがあるという話も聞いたことがない。つまり、悪魔なんていない。


「ついでに、魔女もいない」

「いない、いない!」


 リフレインが、馬鹿にするようにバサバサと羽を広げる。シロンは舌打ちをひとつこぼして、恐怖を振り払うように、剣を凪いだ。


 目が合っただけで魂を抜かれるなど冗談ではない。シロンは魔女を見た同僚も、悪魔を倒した上官も知らない。聞いたこともない。つまりそれらは存在しないのだ。なんだ、何を恐れていたんだ。シロンの、剣を握る手に力が入る。前に出す足が軽い。でも、だけど、同僚は上官は、この森に入ったことがあるのだろうか? 悪魔の潜む茂みに、魔女の住む森に、足を踏み入れたことは……


『……迷い人よ』


 そんな声が響いたのは、シロンが目の前の枝を切ろうと、剣を振り上げた時だった。軌道のズレた刃が枝の元方に深々と突き刺さり、ぬかるんだ足元は勢い余ったシロンをすくい上げる。咄嗟につかんだ木のツルは頼りない音で簡単に千切れ、背中から倒れ込んだシロンは震える唇を半開きのまま、新緑の天井を見上げた。


『迷い人よ。汝、なぜこの森に這入(はい)った』

「だ、だれだ! 悪魔か!?」


 前か、後ろか……近くからなのか、それとも遠いのか。まるで森そのものが話しかけてくるような、不気味に響く声。立ち上がることも忘れて、発する声は震えていた。


 森の声は続く。


『迷い人よ。汝、立ち去るがいい』

「誰なんだ! さっきの行商人? 悪戯だとしたらやり過ぎだぞ!」

『汝、立ち去れ……』


 ようやく立ち上がり、刺さったままの剣を引き抜く。コートも、ズボンも泥濘が染み込んでダメになってしまっていたが、そんなことを気にする余裕は今のシロンには無かった。


叡智(えいち)を求めし汝、道を迷いし汝、力を欲する汝……立ち去れ。汝を招く席など、この森には存在せぬ』


 森の声に呼応するように、樹が、草が、ツタが、互いを擦り合わせてガサガサと騒ぎ立てる。上で客人をからかっていた怪鳥らも、目に痛い羽を広げて彼方へと行ってしまった。小動物が、慌てて巣穴へと逃げ帰ってゆく。


『汝、立ち去れ!』


 よりいっそう、語気が強まる。シロンは、早く逃げたいと叫ぶ両足を押さえ、こんなもの捨ててしまおうと喚く右手で剣を強く握り直す。ポケットにしまった懐中時計をギュッと握りしめ、深呼吸をひとつ。指先で表面をなぞると、フタに刻まれたメッセージが読み取れる。こんな時に、あのうるさい商人の笑みが脳裏に浮かんだ。──汝の旅路に幸あれ。まるで呪いの言葉だ。


 ちいさく舌打ちをし、目を開く。自然と手足の震えは、収まっていた。


『汝……』

「断る! おれには、おれの目的がある! ここで引くわけには行かない!」


 もう悪魔でもなんでも来いと、シロンは覚悟を決めた。だが魔女はごめん(こうむ)りたい。魂の瓶詰めは勘弁してほしい。今後、路上でそれが売っていても一切足を緩めないと誓おう。そんな怪しいものを売ってるやつは見たことがないが。


 森の声が、再び聞こえてくることはなかった。



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