01.焚書官と魔女の住む森_2
特に身のない御者の酒場話と、板張りの硬い荷台に尻を打たれながら、シロンは右手に沈んでいく太陽を眺めていた。アイリーンがどうとか、ジュリアがこうとか、酒場で知り合った踊り子のことを、やまびこ鳥のリフレイン相手に話しながら御者の男はひとりで盛り上がっていた。彼は適当に相槌をうってくれるこの鳥が相当に気に入ったらしく、飼い主よりも愛想がいいと、何処からか取り出した干し肉を餌にリフレインを隣に座らせていた。
リフレインが変な言葉を覚えたらどうしようかと、シロンは上司への言い訳を考えながらため息をこぼした。きっとため息が目に見える形を持っていたなら、この荷台いっぱいに溜まって、いまにも溢れ出すんだろうなとか、そういうどうでもいいことを考えながら、手持ち無沙汰な両腕を、胸の前で組み直す。リフレインが、餌を寄越せと呟いた。
「神官さん、着きましたよ」
しばらくして荷馬車は、道の真ん中で止まる。粘土色の、人が通ってるうちに自然と踏み固められたといった一本道で、よく見ればたくさんの車輪の跡が見て取れる。その右手は、ずっと変わらず広がっている、緑と岩肌の覗く高野。まるでこの道こそが境界線だと言うように、左手には鬱蒼と茂る森が広がっていた。背の高い木々が重なっているせいか、昼間だというのに森の奥は吸い込まれるように暗い。なるほど、悪魔が住むならこの森だろうと、シロンはなんとなく納得した。
「えぇ、ありがとうございます。助かりました」
「うちの商会は、教会にお世話になってるんす。これくらい当然のこと。それに、話し相手がいて楽しかったですし」
リフレインを指さして、御者の男は笑顔をつくる。本当に一言も二言も余計な男だなと、シロンは頭の中で毒づいた。無論、それを口に出すことはない。
荷物をまとめて、荷台から飛び降りる。久々に味わう地面の感触を踏みしめながら、恭しく頭を下げる行商人に指先で円を描いて、切る。教会に伝わる祈りの印であり、旅の無事を約束する祝まじないのようなものだ。旅のものに助けてもらった時はこれをやるのが通例で、型式美のようなものだとシロンは考えていた。
リフレインが、乗り物を変えるようにシロンの肩へと乗り移る。数ヶ月いっしょに旅をしてきて気付いたが、この鳥はどうも自分では最低限の移動しかしないようだ。
「あ、そうだ神官さん!」
「……はい?」
御者台に戻りかけた男が、なにかを思い出したようにシロンの元へと戻ってくる。
「言い忘れたことがあったす。神官さんなら、悪魔が出てきても大丈夫かもしんね。でも魔女が出てきたら逃げた方がいい」
「いや、出来れば悪魔もごめん被こうむりりたいのですが……」
「いいかい、神官さん……」
御者の男は、シロンの言葉を遮るように言葉を重ね、いいから静かに聞けと言わんばかりに睨みつける。だから商人は苦手なのだと、シロンは心の中で呟く。それが彼に聞こえることはない。
「いいかい、神官さん。この森に住む魔女は……見ちゃいけねぇんだ。森の魔女の両目を見た人間は、魂を持っていかれてしまうんだと」
「……魂を、持っていかれる?」
男は、がぜん真剣に話し続ける。
「魂を抜かれちまって、魔女の家で瓶に詰められてしまうんす。そしてコレクションのひとつとして、狭い瓶の中で死ぬことも叶わず……」
「か、叶わず……?」
「一生閉じ込められしまうんすうううう!!」
「うわああ!」
急に、ガバッと両手を広げた男に、シロンは足元を滑らせて転んでしまう。ガサガサ! と大きな音が鳴って、木に止まっていた小鳥が一斉に飛び立っていった。リフレインも、その小鳥たちが止まっていた木までいつの間にか移動している。
「なにをするんですか!」
「わっははは、すまねっす。その、ついね」
悪びれもせず、大口をあけて笑う男。そりゃあ目の前で神官が無様に転べば、笑いもするさと言いたげで、これはシロンは賛同できなかったので、とりあえず服についた木の葉を払いながら男を睨む。さっきの祝いを返して欲しいくらいだ。
「おくびょうもんは、うまのしりでもみつめてな!」
「お、偉いぞリフリィ。ほれ、御褒美だ」
少し目を離していたスキに、吹き込まれていたらしい。得意げに話すリフレインに、男は満足そうに頷きながら干し肉の欠片を放り投げてやる。それを空中でキャッチして、さも当たり前のようにシロンの頭の上へと着地した。
「あぁ、いやでも、本当に気を付けな」
変に爽やかな笑みを浮かべて、御者台へと戻った男は、轡を握った。互いに背中を見せて、さぁ歩くぞと馬車馬が嘶いたところで、「あ、そうだ神官さん」と、また男の調子が外れた声が聞こえてくる。
もう売り切れ寸前のため息(買い手は言わずもがなそこの行商人であり、しかして悲しきことにプライスレスなので代金は受け取れなかった)をこぼしきって、振り返る。轡を握ったまま、男は上半身だけこちらに向けて、もう片方の手を高らかに掲げて見せた。
「汝の旅路に、幸あれ」
まったく、最後の最後まで気に触る商人だ。シロンは、足元にあった小石を思いっきり蹴飛ばした。