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事件

 栗塚景斗の通う高校とは反対の方角に、区立の中学があった。校内暴力もあればいじめもあるごく普通の中学だったが、今まで警察が立ち入ったことだけはなかった。

だが、その日は十五台のパトカーと数十人の警察官と刑事と鑑識係が学校に集まってきていた。そしてその数より多いマスコミが壁の外に群がっている。


 生徒たちは帰宅時間になっても帰らず、警察が張ったロープの向こう側から一目でもそれを見ようと押し合い、波打っている。

しかし現場は遠くてよくわからない。警察のロープはずいぶん広範囲に張られていたからだ。


 現場が一番よく見える教室の窓という窓は生徒たちで鈴なりだった。

現場は校舎と壁の間の花壇の前で、上から見るとそこは真っ赤な池のように見えた。

その池の中に丸いものが浮いている。

その丸いものから四方に突き出しているものはまるで悪質な冗談のようだった。

それはスコップを持った右手と左手とサンダルをはいた右足と左足……。


 そこには元は教師だった男の肉塊があったのだ。






 ―――あの先生ですか……。生徒には人気なんかなかったです。すっごい厳しくてぇ、

いっつも竹刀もってそれで脅かすようなところがありましたから。……嫌われてました、

はっきり言って―――


 ―――あいつねえ、すけべおやじ。最近ニュースでもやってたじゃない、セクハラ教師……。あれだったんだよねぇ。女子の体操服の背中撫でたりするの、も、ちょー、ムカツク。先生だから黙ってたけど、アレって絶対セクハラだよね―――


 ―――あたし……触られたことあるんです。制服のリボンが曲がってるって胸をこう……ぎゅって……びっくりして泣いてしまって。そうしたら急に怒りだして。怖くて。親にですか? いいえ、言ってません。友達が慰めてくれたんですけど。死んじゃえって思いました。でもあたし殺したりしてません、ほんとです。


 ―――女子になんかしてたのは知ってたけどぉ、男には暴力ですよ。あいつ、俺たちのこと、つまり生徒ですけど、同じ人間として見てなかったんじゃないかな。そういうとこは平等でしたよ。成績がいいやつも悪いやつも関係なくね。あいつにとっていい生徒ってのは自分の言うこと聞くやつだけだったから―――。


 ―――あいつ死んで悲しいやつなんか、マジいねーよ。みんなせいせいしてんじゃねーの? あいつは自分の権威守ることだけが大事でさ、俺らみたいなのはゴミ扱いよ。もー、マジむかついてこいつぶっころしてやるって思ったこともあるけどさ、あんなの殺して少年院行くのもばからしーじゃん。豚は相手にしねーって。





 刑事は死んだ教師に関する生徒たちの心証をメモしていたが、途中から学校の生徒たち全員が犯人でもおかしくないという印象を持った。

 それほどこの教師に対して生徒たちは厳しかった。


 次に呼んだのは一年生の小柄な少年だった。

制服がまだ体にあっていないようにぶかぶかで、逆三角形の青白い顔をしていた。

頭の両側に突き出た耳だけが大きい。少年は大きな目をひたと刑事に向けた。

「ええっと、死んだ安斉先生について君はどう思っていたのかな?」

 少年は無表情だったが、ちろりと舌を出すと、乾いた唇をなめた。

「いやなやつだった。死んで当然だったよ、あんなやつ」

「君は何か言われたのかい? 先生から」

「……親父がいなくなったのは俺のことが嫌いだったからだろうって……」

 刑事は眉をひそめた。それは教師でなくても言ってはいけないことだ。

「酷いな、それは」

「だから、あんなやつ、死んで当然なんだ」

 少年は目を伏せた。そうすると幼い顔立ちになる。小さな体のせいもあって、小学生くらいにしか見えない。

「君のいた一年五組はその……先生が亡くなられた場所のちょうど横にある。あの時、何かを見なかったかね?」

 まあ無駄だろうな、と刑事は質問しながら思った。一年五組の生徒の何人かは窓の外に安斉教諭がいたのを見ている。だが誰も彼が死んだ瞬間を見ていないのだ。

「……あの時……」

 少年は目を上げてどこか遠くを見やった。

「安斉は地面にしゃがみこんでた。花壇の前で。あの時は何やってんのかわかんなかった……でも、死んだ時、見てわかった。安斉はスコップ持ってた」

 刑事はうなずいた。

「安斉先生は花を植え替えようとしてらしたんだ。他の先生から聞いたよ、日当たりが悪くて咲かない花を他の場所に移して、少ない日光でも平気な花をあそこに」

「花を植えるなんてそんな。そんなことしてるなんて思わなかった。花にそれだけ優しくできるのにどうして僕たちにはああだったのかな……どうして僕たちのこと花と同じように見てくれなかったのかな」

「…………」

 刑事は少年から目をそらした。

全くだ。生徒たちの何人が安斉教諭のそんな面を知っていただろう。

花に向ける愛情のひとかけらでも生徒に向けていれば。

(向けていれば―――潰れなかった?)

 馬鹿なことを。それでは安斉は本当に生徒によって殺されたというのか。何トンというような重さで押し潰した殺し方を生徒たちがしたというのか? 方法は? 凶器は? 

 刑事は空咳をして手元の書類に目を通した。

「ええっと、君の名前は……と」

 少年は再び大きな目で刑事を見つめた。

「岡本です。岡本―――千朗」






 俺が家に帰ると刑事が二人来ていた。夕べの事件のことかと思ったら今日また同じような事件があったと言う。俺は驚いた。

「うっそ……あんなことが立て続けに起きるもんなの?」

 しかも事件は東第三中学で起こったと言う。

「三中? マジ? また近所じゃん!」

「そう、君はそこの?」

 刑事は玄関口に座って、母親の入れたお茶をすすった。

「ううん。俺は曙中。向こうに大きな通りあるだろ、あそこから向こうは三中の学区なんだ」

 刑事は地図を広げた。


「なるほど。君の家はぎりぎり曙中の学区だったんだ」

「うん、三中の方が近いくらいだったんだけどね。刑事さん―――」

「ああ?」

「死んだ人の写真とか持ってる? 見せてよ」

「君が目撃したのと同じだよ、気分が悪くなるよ」

「でも見せてよ。俺はあれの第一発見者なんだから。何か違いがわかるかも。そのつもりできたんだろ」

 刑事たちは目くばせしあって、写真を何枚か取り出した。

「…………」

 背中がぞわぞわするようなグロテスクな写真だ。俺が見た路上の男と大差ないような気がする。

血しぶきの飛び散り方はものすごく、校舎の一クラスの窓が真っ赤に染まっている。


「こりゃ掃除がたいへんそうだ。可哀想に」

「先生が? 生徒が?」

「生徒が」

 次々と見たが俺には何もわからなかった。すまなそうな顔を作って刑事に返す。

「そういえば俺が見つけた人は身元とかわかったんですか?」

「いや、それが身元を示すようなものは見つからなくてね……」

 刑事は言葉を濁す。警察の能力を疑わせるようなことは言いにくいのだろう。

「この先生の時も死んだ瞬間は誰も見ていなくてね」

「はあ……」

「音を聞いた、窓が突然真っ赤になった、先生がいるのは知っていたが、その時は黒板を見てたとそういうのばかり」

「じゃあほんと一瞬なんだ」

 刑事たちは渋い顔でうなずいた。

「一体どうなっているのか見当もつかん」

 俺は思いついたことを言ってみた。まあ大体反応はわかっているが。

「魔法とか、超能力とか、たたりとか……そういうの考えている人は警察にはいないの?」

 案の定、刑事たちは苦笑する。

「まあ誰かが呪文を唱えてたとか、わら人形とかが見つかればね」

 超能力ならそんなことは必要ない。俺ならそう思っただけで刑事たち二人を玄関から突き落とせるのだ。

(……しないけどね)


 刑事が帰っていった後も、俺は玄関に座って考えていた。

(段ボール……つぶれたペットボトル……近所……)

 すぐにあの団地のゴミ捨て場が思い浮かんだ。そしてそこにいた少年。

(まさか、彼が)


 俺は自分と同じような能力者を他に知らない。幼い頃、彼の力を心配した両親に連れられ、そういう力を保持していると言われる人々に会ったことはあったが彼らはたいていインチキであったり、俺の力に比べると弱過ぎた。もし、あの事件が同じ能力者の仕業としたら、その力は俺と同じ、もしくはそれ以上だと言える。

(仲間……)

 俺は玄関に並べられた自分のスニーカーを見つめた。ひょいと片方が動き出す。

(もしかして初めての仲間だっていうのに……?)

 その力を使って殺人をしている。


 俺の能力は彼が物心つく頃から現れた。両親は自分たちの想像の範囲を越えたその力に驚き慌てた。

しかし俺にとって幸いだったのは、彼らの精神が柔軟で前向きだったことだ。両親は俺を否定したりはしなかったのだ。

 子供の頃は手足を使うのと同じ感覚でその力を使った。

それを人前で使わないように言われても理解できなかった。子供にじっとしていろと言っても無駄なことと同じように。

 だが両親は何度も何度もそう教え、理を説き、愛情をもって接した。どんな子供でも言って聞かせてわからないということはないのだ。

やがて俺はそれを使えば人が驚くこと、そしてそれは必ずしも喜ばれるものではないことを知った。


「僕は他の子と違うの?」

 俺はそう尋ねたこともある。母親は俺を抱きしめて笑いかけた。

「違わないわ。俺ちゃんはみんなと同じ、いい子なのよ。ほら、勇樹くんはかけっこが早いでしょう? 雅治くんはピアノ上手よねえ。それとおんなじ。けいとちゃんは見えない手を使ってビー玉を弾くのが上手なだけ」

「僕みたいなのチョーノーリョクシャって言うんだよね。エスパーって言うの? 僕もケンキュージョに入れられてかいぼうされちゃうのかな」

「そんなことは絶対にさせないよ」

 父親は俺を肩車して大きな夕焼けを見せてくれた。

「俺はパパとママの大事な子供だ。パパもママも俺を守ってあげるよ。そのためにも俺も自分の力を見せびらかさないようにしないとね。こないだ松本さんちの柿の実を全部弾いちゃっただろう?」

 それでも俺がふとした拍子に力を現して噂になると両親は引っ越した。

「けいとちゃんのせいじゃないのよ」

 母親は彼が負担に思わないように繰り返した。

「ただ、今の世の中だとちょっとしたことで大騒ぎになっちゃって、パパもママもうるさいの嫌いなんだもん。それに今度のおうちの方が小さくて掃除がしやすくてママ気にいっているのよ」


 父親は遊びの中で俺の力を発散させた。記録もとっていたらしい。二人は手探りで俺の力を、彼の精神を守り、育ててくれたのだ。

「ママ、朱鷺って鳥はね、日本に一羽しかいないんだって」

 ある日俺は新聞を持って泣きながらキッチンに駆けこんできた。

「僕も朱鷺と同じ? 他に誰も僕みたいなのいないの?」

「けいとちゃん、世の中に一体何人の人がいると思ってるの? いつか必ずけいとちゃんと同じ力を持った人と会うことが出来るわよ」

 俺は母親の言葉に涙を拭いて考え込んだ。

「その人は……僕と友達になってくれるかな?」


 いくら母親にそう諭されても俺は自分が他の子供と違う力を持っていることが辛かった。友達に隠し事をするのが嫌だった。

 だから心から願った。

 同じ能力者と友達になりたいと。

 自分の力を知っても変わらずにいてくれる友達が欲しいと。能力者と普通人の境界線を引かなくてもいい、そんな友人が。

 彼はそんな俺の前に現れた初めての能力者なのだ。


(もしかしたら彼は自分の力の使い方がわからないのだろうか)

 コントロールできないままむやみに力だけが暴走しているのかもしれない。

 子供の頃、インフルエンザにかかり高熱を出した俺は、熱に浮かされるまま力を放ったことがある。気持ち悪くてそれから逃れたい一心で暴れ回ったのだ。

 おかげで部屋はめちゃくちゃになり、両親は青痣を作った。

(だとしたら、彼を救うことは出来る……起きてしまった事件を仕方がなかったと片付けるわけにはいかないけど)

 同じ能力者だからこそ。

 俺は腰を上げるとスニーカーをはいた。





 闇の中に団地は分厚い沈黙のように建っていた。ぴったりとカーテンの閉まっている窓、窓、窓。

 灯りが洩れているあの中には団欒があるのだろう。

 そして恐ろしい力を持つ人間も。

 俺は団地のゴミ捨て場に行った。だが、そこにはおとつい見た段ボールもペットボトルも見当たらなかった。

壁に貼ってあるゴミ回収の日程を見ると、それらは今朝清掃車が運んでいってしまったらしい。

「くっそぅ……」

 しゃがんだ時、並んだポリバケツの横に白っぽい塊があることに気づいた。俺は回りを見回すと誰もいないのを確認して、その塊を力を使って手前に弾き出した。

(あった……)

 清掃局の人が見落としたのだろう。高さわずか三センチ程度に潰されたペットボトルだ。

「警察に渡したら……手がかりになるだろうか」

 いや、無駄だ。

 潰し方が一緒だとしてもそれはそういう能力を持っている人間がいる、という前提の話しだ。まず信じてはくれまい。

(どうしよう……)

 このままここにいたらあの少年に会えるだろうか。いや、そもそも彼がこの団地に住んでいるのかどうかだってわからない。ここにいたのはたまたまかもしれないし。

 でも今はこれしか手がかりがない。

 俺はその潰れたボトルをポケットにいれると立ち上がった。





 景斗は知らなかった。

 自分の姿を見つめている瞳があったことを。

 彼は景斗がペットボトルをポケットに入れて立ち去ったのを見て、ゆっくりと後をつけた。やがて一軒の家に入るのを見届け、その表札を読んだ。

(クリヅカ……シゲル、タマコ、ケイト)

 塀の向こうから暖かい光が零れてくる。耳をすませばテレビの音。ごく普通の家庭のようだ。

(ふん……)

 彼はきびすを返すと自分の家へ向かった。

 彼の名前は岡本千朗。東第三中学の生徒で生きた安斉教諭を最後に見ていた人間だ。そう、安斉が潰れてゆくところを。


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