絶望
「―――」
千朗は部屋の真ん中でうずくまっていた。ドアの開く音に上げた顔には涙が伝っている。
「おかあさんっ?」
彼は振り向いて玄関のあるダイニングキッチンを見たが、
「………おまえっ!」
そこに見つけたのは求めていた姿じゃない、俺の姿だ。
「何しに来たっ!」
千朗の叫びと同時に俺は全身にかかった力を意識した。瞬間的にそれを弾く。外廊下に門かったキッチンの窓ガラスが枠ごと吹き飛んだ。
「もうやめろっ、千朗ぃ!」
俺は叫ぶと千朗に向かって力をぶつけた。小さな体が壁に叩き付けられる。千朗はその叫間にも力を放出していた。俺の足もとの床がへこむ。
「馬鹿っ、やめて! 栗塚くん!」
ドアの外で夏月さんが叫んだ。
「違うでしょっ、そんなことしに来たわけじゃ……っ」
夏月さんの声に千朗は玄関を見た。そして―――
「お、 おか……あ、」
自分の母親の立ちつくす姿を見つけた。母親は目を見開いて血まみれの息子を見つめた。
「あ」
千朗は母親に向かって手を差しのべた。その瞬間、母親は後ろに一歩退いた。
後退さってしまった。
「あああっ」
母親の瞳に何を見たのか。千朗は叫び、その時、玄関の天井が崩れた。
「やめろっ、千朗! おかあさんを殺す気かっ」
とっさに俺は母親の周りに降り注ぐ瓦礫を弾く。千朗ははっと我に返り、立ち上がって母親に駆け寄った。
「おかあさんつ!」
母親は顔を上げ、千朗に向かって迎えるように手を広げた。
「千朗いっ」
息子は母親の胸の中に飛び込んだ。
「おかあさんっ、おかあさんっ!」
「千朗っ、千朗っ!」 `
二人がしっかりと抱き合ってから崩壊は止んでいる。
夏月さんはあたりの匂いを嗅ぐように頭を巡らせたが、もう千朗の力の波動は感じなかった。
俺は這いつくばったまま親子の抱擁を見つめている。
(終わったのか?)
辺りは静まりかえっていた。わあわあと人の声だけが遠く、波の音のように聞こえる。
‐……降りましょう、早く」
夏月さんはむせび泣いている母親の肩に触れようとした。だが、それより早く、母親はすごい力で千朗を抱き上げ、キッチンに駆け込んだ。
「おばさん?」
俺は母親が包丁を取るのを驚いて見つめた。
「千朗………」
母親は片腕で息子を抱いたまま、涙に濡れた顔で言った。
「ごめんねえ……、でもおかあさんも一緒に行くから」
「おかあ………さ………?」
千朗も泣き顔で母親を見つめた。母親は悲しい顔で、哀しい笑みで息子に囁いた。
「どうしてかねえ……おまえはいい子なのに……どうしてこんな化け物になっちゃったのかねえ……ごめんねえ……こんな子供に生んでしまって……ごめんねえ……」
「おばさんっ、それは、それは違う……っ」
俺が叫んだ時、その声を打ち消すほどの悲鳴が千朗の囗からはとばしった。
それは、魂が潰れる叫び。
人が絶望し、全てを失った時にあげる叫び。
絶叫。
「ち、あ、き―――っ!」
絶叫の緒を残し、千朗の体が凄じい勢いで潰れてゆく。
母親の腕の中で、頭が肩にめりこみ胴にくいこみ、たちまち膝までに縮んでゆく。
母親は悲鳴をあげた。だがそれすら千朗の発した絶望の叫びに比べれば。
「きやあああっ」
ダイニングの床に千朗の血が広く、分厚く広がってゆく。
千朗は、自分自身を潰して、死んでしまった。
「ちがうよ、おばさん……」
俺はまだ叫び続けている靖子を見つめながら呟いた。
「そんなこと言っちゃいけないんだ……千朗は、千朗はあんたに否定されるのが一番怖いことだったのに」
俺は自分が泣いていることに長い間気づかなかった。




