崩壊
夏月は教科書から目を上げた゜
頭の中に突き刺さってくる思いがある。
―――たすけて――― !
(岡本千朗?)
薬は飮んでいるはずだった。
それにも拘らず、かなり遠い場所にいるような彼の思考を拾ってしまったのは、予朗自身の心の悲鳴が大きかったせいと、自分が意識のどこかで彼のことを気にしていたせいなのだろう。
夏月はうつむいて目を閉じた。
一瞬触れた千朗の意識を探し始める。
特定の人間の探す時にいつも薄い布のようなものをイメージする。それを意識の海の中に広げてゆくのだ。
(岡本千朗………どこにいるの?)
やがて夏月の心の中に、激しい千朗の息遣いが聞こえてきた。
「おかあさんっ!」
千朗は団地のドアを叩いた。いつも母親はこの時間にはまだ家にいるはずだった。
「おかあさん、おかあさんつ」
だが応えはない。千朗は鍵を出してもどかしく錠を外した。
-おかあさんっ!」
玄関に入ると母親がいつも仕事に行く時はいているローヒールのパンプスがなかった。
「……おかあさん」
千朗はふらふらとキッチンにあがり家の中を見回した。
どこかで「プー……」と耳ざわりな機械音が鳴っている。
電話だ。受話器がきちんと乗っていないので警告音を発しているのだ。
千朗は電話のそばに置いてあるメモ帳を見つけた。
「武蔵野警察 赤松 09055………」
急いで書いたのだろう。電話番号の最後の数字が斜めに伸びて紙が破れている。
(警察……)
母親は警察に呼ばれたのだろうか。あの刑事を殺したことがもうばれているのか。それと
も学校か、安斉のことか、いや、まさか―――
あの最初の殺人。
父親を殺したことが。
「あ、あ………」
千朗はがたがたと震え出した。
母親は許さないだろう、千朗が誰を潰したか知ったら。
離婚をせずまだ岡本の姓を名乗っているのだ、父親の親の仏壇に水をあげているのだ。まだ父親が戻ってくると思っているのに、それを千朗が潰してしまったと知ったら゜
おかあさんは逃げるかもしれない。
僕を捨てていくかもしれない。おとうさんのように。
(ドウショウ、ドウシタライインダロウ)
千朗は考えているわけではなかった。ただじだんだを踏むようにその言葉だけを繰り返した。
(ドウシヨウ、ドウシヨウ、ドウシヨウ、ドウシヨウ……)
ビシビシと彼の周りで小さな虫が鳴くような音がした。
千秋の周りを取り囲む壁に、細かなひびが入ってゆく。
それは螺旋を描いてたちまち天井までに達した。
そして徐々に外にも広がっていった。