悲鳴
「探した………って………」
刑事は千朗の横に椅子を引っ張ってきて腰を下ろした。
「どうしたんだい? 今日は」
「別に……。さぼりたい日だってあるよ」
「まあそうだね。特に今日は暑いしね」
刑事はポケットからハンカチを出して額の汗をぬぐった。
「このゲームセンターはあまり冷房が効いていないみたいだ」
「あの」
千朗は椅子の上で身じろいだ。
「さばったのは悪かったよ。これから学校行くよ」
「うん、そうだね。でもちょっと君と話もしたかったんだ」
刑事は親しげに笑いかけた。彼の体からは煙草の匂いがする。昔、父親からもこんな匂い
がしていた。
(いやだ)と千朗は思った。
(いやだいやだ、どうか俺がこの人を潰すような真似はさせないでくれ、余計なことは言わないでくれ、俺は何も聞きたくない)
しかし刑事は話し始めてしまった。
「君は安斉先生のことを聞いた時、唯一、あの人が花を植えようとしていたことを話した生徒だったね。安斉先生は、まああんまり評判がよくない先生だったけど、君は先生が死んだことを悲しんでいるようだった……」
千朗は刑事の言葉にぎょっとして顔を上げた。
「悲しんでなんか、いないよ。俺だってあんなやついなくなってせいせいした」
「うん、たぶんそれも本当の気持ちなんだろうけど……私には―――君は悲しんでいたよう
にも思えるんだ」
「………」
千朗は目をそらしてゲームの賑やかな画面を見つめた。
(悲しい? 俺が? 安斉の死を?)
「君、ね。学校の事故の前日の夜、十四日の夜だけど、学校に行ったかい?」
刑事の言葉に千朗は凍りついた。
「夜中に、学校のそばで子供を見たっていう人がいるんだよ……」
「な、なにそれ。ア、アリバイ?」
笑おうとしたが声が震えた。落ち着け、あんなことふつうの人間にできるわけがない。だか
ら俺にできるはずもない。
「一応ね、みんなに聞いているんだ」
刑事は声の調子を変えずに言った。
「俺が学校のそばにいたらなんなの……。俺が何をしたっていうの?」
「学校のそばに行ったのかい?」
「行ってないよ、その日は……ううん、いつも夜はコンビニに漫画立ち読みに行くもん」
ドクドクと心臓が脈打ち始めた。その音が聞こえやしないかと、千朗はシャツの襟を握り
しめる。
「何時頃?」
「さあ……お、覚えてない」
「学校で、変な話がはやっててね」
刑事はまたハンカチで汗を拭いた。グレイで赤茶色の線がはいっているくたびれたハンカ
チだった。
「学校を潰したのも、安斉先生を潰したのも、生徒が一人でやったって」
千朗はその途端、バネ仕掛けのように立ち上がった。
「ば―――馬鹿馬鹿しい。そんなん、できるわけないじゃん!」
「その通りだよねえ」
刑事は出口に向かう千朗の後についてきた。
「呪いだの祟りだの、そんなことを言う子もいてね……」
薄暗いゲームセンターから出ると初夏の日ざしが真上から降り注ぐ。一瞬、くらりと眩暈がした。
「あ、岡本くん。大丈夫か?」
よろけそうになった体を刑事が支えてくれた。顔を覗き込んで驚く。
「どうしたんだ。汗びっしょりだ」
「………」
頭は空白状態だ。ぼんやりと見返す千朗に刑事はハンカチを差し出した。
「ほら、汗拭きなさい」
千朗はハンカチを見つめた。
「刑事さん……」
え?」
言ってしまいたいような気もする。自分がやったのだと。人も学校も自分が潰した。ただ
念じただけで。
念じただけで俺は人を殺す。殺せる。殺してしまう。
信じるか? 信じるわけない。
……信じるわけがない。
この人は刑事にしてはいい人そうだけど。おとうさんと同じ煙草を吸っているけど。
「刑事さん」
「なんだね?」
「呪いとか祟りとか……信じてるの?」
「まさか」
刑事は苦笑した。
「そんな事件なら警察は出てこない。私は信じてないよ」
「俺、俺がやったって言ったら? 学校も安斉も俺がやったって言ったらどうする」
「なんだって?」
道路を走る車の音がやけにうるさかった。
「安斉が窓の外にいるの見た時、あいつにこづかれたこと思い出した。腹が立つたんだ。あ
いついやみなことばっかり言ってたって。だから、だから俺はあんなやつ潰れてしまえって
……そうちょっと思っただけだったんだ。まさか本当にそうなるなんて思わなくて」
「なにを―――何を言っているんだ? 岡本くん」
「びっくりした、あっと言う間だった。人ってもろいんだ。学校の時はさすがに時間がかか
った。じっと見てたら頭痛くなった。でも壊れ始めるとすぐだったよ」
刑事は驚愕の表情を浮かべ、千朗の肩を捕まえて揺すった。
「君が、君がやったって言うのか? 学校を? どうやって!」
「だから―――潰れろって。そう思ったんだ」
ガクガクと頭を動かして千朗は答えた。刑事が捕まえている肩が痛い。
「何を使った? 爆発物をどこかで手に入れたのか?」
「違う。俺はそう考えただけだ。潰れろ、潰れろってそう考えただけで」
「ふざけるんじゃないっ!」
刑事は大声で怒鳴った。心臓がぎゅっと縮んだような気がした。
「警察をからかうと―――-」
その時、ドカン! と大きな音がした。
刑事が音の方に首をねじると、車道に停まっていた車のルーフがへこんでいた。いや、へこみなどというものではない。車内が完全に潰れている。
「なに……」
車のすぐ横の舗道に円形のひびが入った。まるで巨人の足跡のように、それは続けて二つ三つとこちらに近づいてくる。
「………っ」
刑事は千朗から腕を離し、そのひび割れを見つめた。
「まさか、」
彼は首を振った。それからゆっくりと千朗の方を振り返った。
「まさか………」
刑事の顔の上にひきつった笑みが浮かんでいる。だが笑いの形をしているのは口元だけで、
目は―――
「だから嫌だったんだ……そんな……目で見るから……。だから近づいてほしくないって。
そんな目で見るなよ、ねえ、刑事さん、信じないんでしょう? 信じないよね?」
刑事の口が大きく丸く開かれた。
バ
それから少し横に広く。
ヶ
小さな円形に。
モ
―――――― !
「だまれええええっ!」
千朗は叫んだ。目を閉じて叫んだ。
目を開けていれば見てしまうから。今まで人間だったものが血まみれの肉塊になってしまうところを。
バシャツ!
全身に熱い液体がかかった。
周りで悲鳴がさく裂した。目を開けると視界が真っ赤だった。
「あ………」
悲鳴はまだ続いている。
見回すと大勢の人間がこっち見てて叫んでいた。
刑事はもう目の前にいない。
わかっている、彼は足もとにいるのだ。小さくなって、平たくなって。
千朗はそれを見ずに反転して走り出しか。
わあっと人々が叫んで逃げ出してゆく。
(俺のせいじゃない、俺のせいじゃない、俺のせいじゃないっ)
心の中で叫びながら千朗は走った。
(あいつが悪いんだ、あいつが悪いんだ、信じないって言ったくせに!)
体中がべたべたして気持ちが悪かった。早くこの赤いものを落としたい。
―――汗を拭きなさい―――
刑事はハンカチを差し出してくれた。でももう使えない。
古びたハンカチ。ずっと刑事と一緒にいただろう、それ。
(シャワーを浴びよう。家へ帰ってシャワーを浴びるんだ。そうしたら全部落ちる。全部なく
なる。おかあさんにきれいな服を出してもらって。おかあさん……)
千朗は自分が泣いていることに気づいていなかった。
(助けてよ、助けてよ、おかあさん)
アスファルトの上に点々と赤い雫をまき散らしながら、千朗は必死に走り続けた。