悲しみ
「うわあああああっっっっ―――!」
俺は悲鳴を上げた。
目の前で潰れてゆく真っ赤な肉塊。
人だった形。頭がめりこみ肩が沈み肋骨がばきばきと音をたてて折りこまれ内臓がたたみ込まれ尾てい骨の中に沈みその骨も砕かれ太ももが折れてアスファルトに叩き付けられる。
「おとうさんっおとうさんっ!」
悲鳴を上げる俺の口を夏月さんの手が覆った。
「ううう……っ」
俺は首を振ってその手から逃れようとした。
視界は涙で見えない。
この涙は千朗のものだ。父親を殺した、化け物になった自分に対する涙だ。
あの瞬間、千朗の力は彼の想像以上に育ってしまった。暴力をふるう教師を一瞬憎んだだけで、校舎が無くなればいいと望んだだけで、それを潰すことができるように。
千朗はそんな自分を憎んでいる……。
(栗塚くん―――)
すっと熱くにごった思考の中に冷たい手が差し入れられたような気がした。それは俺の熱をすくいとり、ひんやりと心に触れる。
「いやだ……いやだ、もう……いや……」
その冷たい手は優しく俺の心を撫でた。そのたびに激しい感情がぬぐい落とされてゆく。「ひ……っく、えっ、……っく、ひぃ……っ、……く」
俺はえぐえぐとしゃくりあげながら夏月さんの腕の中に抱かれていた。馬鹿みたいに目と口を開いて胸を震わせながら。
「ひっ、ひっ……っく、うえ……ぇ―――」
やがて濡れた頬に風を感じるようになって、俺は自分がすっかり落ち着いたことを知った。涙はまだ慢性的に流れていたが、心はもう平静に戻っている。
「ひいぃぃっく」
大きなしゃっくりを一つして、俺は涙を拭いた。
「……あ、あの人」
まだ鼻をすすりながら俺は呟いた。
「俺が見た死体……あれが岡本千朗の父親で……あれから全てが始まったのか」
「そう……あれからよ、あの子の力が異常なほど大きくなったのは」
夏月さんの声が背中から響いて、俺は顔を上げた。自分がすっぽりと彼女の胸の中にいる。見下ろしている夏月さんの真っ黒な瞳とぶつかった。
「あ、わわ……」
俺は慌てて離れようとした。
「す、すみません、また……」
「気にしないで」
前と同じセリフを言って夏月さんは腕をほどいた。だがふと俺の手首に目を落として眉をひそめた。
「ごめんなさい……そんなに強く掴んでいたつもりはなかったんだけど」
見ると自分の手首が赤くなっている。俺はそれを擦った。
「あ、大丈夫です。痛くないし」
「無理やり辛いことを感じさせてごめんなさい」
「ううん……あいつの気持ちがよくわかったよ。あいつ……こんな力なんて欲しくなかったんだ。あの時もそう言っていた」
廃工場で千朗はそう叫んでいたのだ。
「あいつが一番憎んでいるのは自分の力なんだ」
「ええ……」
「でも」
俺は自分の手首を握り締めた。
「でも、だからやっぱ止めなきゃ……」
「……栗塚くん……」
夏月さんは驚いたように俺を見つめた。
「君はまだわからないの? 岡本千朗は自分自身を激しく憎み、恐れていることに自分では気づいていない。だから回りを憎むのよ。全てのものに反発して自分を傷つけようとするものを破壊しようとする。あの子は火のついた導火線と同じなのよ」
俺は激しく首を振った。
「あいつは八つ当たりしてるだけなんだ。持ってしまった力をいらないいらないって言ってみても仕方ないんだよ。それが自分をよけい辛くすることにあいつは気づいていないんだ。火のついた導火線の先にあるのは自分自身なんだよ」
「その爆発が君を巻き込むことになるのよ。あの子の能力は増大している。もう君の力では押さえられないかもしれない。どうしてそこまで―――」
「だって仲間じゃないか!」
俺は夏月さんの腕を掴み、揺すった。
「この力のことがわかるのは同じ能力を持った俺たちだけじゃないかっ。このままほっといたら千朗は本当の怪物になってしまう。先輩が言ったんじゃないか、俺は千朗だったかもしれないって。俺は怪物なんかになりたくないもん、心まで怪物になんかなりたくないよ! 俺たちは―――化け物じゃない! そうだろう?!」
「……栗塚くん……」