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出会い

 高校一年の俺―――栗塚景斗は、愛犬のエスを連れて夜の道を歩いていた。

夏が近い夜は十時を過ぎてもどこかにほんのりと昼間の熱を隠しているようだ。

 ちょっと前まで空も見えない程咲いていた桜の白い花も散り、瑞々しい緑の葉の匂いが舗道に立ち込めている。


俺がこの道を選んだのは大した理由からではない。

いつも散歩に行くと立ち寄るコンビニが改装で閉まっているので、今日は別な道を通って少し遠くの店まで行こうと思っただけだ。

 その道は百メートルほど桜並木が続いたかと思うと、唐突に終わる。

代わって小さな蛍光灯のついた電柱になるのだが、光も弱いし間隔も広いので暗い道、というイメージがある。

 エスも知らない道なので緊張しているようだ。電柱という電柱で立ち止まり匂いを嗅ぎ、

マーキングをしてゆく。


 角に来て左に行くと大きな団地があって、その先にコンビニがある。コンビニには団地をつっきっていった方が早い。

俺はなぜかしりごみするエスをひっぱって四角い建物が並んでいる敷地に入っていった。


 物音は団地のゴミ置き場から聞こえた。

 ボスッ、ボスッと何か空気の入ったものを潰すような音だ。パキッと空き缶を潰すような音も聞こえた。

ゴミを潰しているのだろう。

俺が住んでいる地区でもゴミの分別はうるさく、ペットボトルなどを潰すのは彼の仕事だ。


 白いコンクリートの壁の前にゴミは無造作に積み上げられていた。

 少年はその前にしゃがみこんでいた。彼の足もとには潰れた段ボールやペットボトル、空き缶が転がっている。


 奇妙な気がした。何故かはわからない。


 エスが先に行きたがって引き綱を引っ張っる。その脚がコンクリをひっかく音に少年が振り向いた。

 逆三角形の細いあごをした少年で、体が小さく、小学生のように見えた。顔に比べて耳が大きいな、と思ったのが第一印象だった。

 少年はなんだか喧嘩でも売るような目つきで睨んでいた。


なんとはなしに気まずくて、そう、例えば彼が粗相でもした現場を見たような気分がして、俺はさっと目をそむけてエスの行きたがっている方向に歩き出した。

三歩ほど歩いて(おや?)と振り向いた。少年はもういなくなっている。


 俺はエスをひきずりながらゴミ集積所まで戻った。潰れたペットボトルを拾いあげる。

 なぜ奇妙な気がしたかわかった。

 ペットボトルは立った状態で上から潰された形だったのだ。いくらこの方が体積は小さくなると言っても足で踏んだだけでこんなことができるなんて。ものすごい力で上から一気に潰さなくては。

 見回すと空き缶も段ボール箱もみんな上から押された状態だった。段ボール箱はひらたくなり、まるで倒れ伏した人のように見えた。



  





 俺の通う千鳳学園で誇れるものの一つは学食だ。

けっしてバラエティに飛んでいるというわけではないが、味がいい。それに毎日日替わり定食が二種類あって、生徒に人気が高い。

 俺は中学からの友人の芥川佳彦と一緒にその日替わり定食を食べていた。


「ねえねえ、クリちゃん」

 同じクラスの女生徒が三人、くすくす笑いながら近づいてくる。俺は切り干し大根の煮物を口から垂らしながら顔を上げた。

「あんたさあ、スプーン曲げられるってホント?」

 俺は佳彦と顔をあわせる。


おそらく夕べオカルトっぽいTV番組かなにかやったのだろう。

昼食時にその話題が出て、「そういうのならクラスの栗塚もできるって聞いたよ」という話になったに違いない。

時折思い出したように誰かが言い出すのだが、たいていは女子だ。女の子というのはそういう『不思議』だとか『奇跡』だとかが好きらしい。

「曲げられるよ」

 それは事実だったので俺は軽く応える。

「ええー。じゃあさ、これ曲げてみせてよ」

 女子生徒は一本のスプーンを差し出した。俺はそれを見て、

「これ、学食のじゃん。だめだよ」

「いいじゃない、一本くらいさあ」

 同級生はぐいぐいとスプーンを俺に押しつけた。俺は友人と苦笑じみた眼差しを交わした。

「俺、今までにもう二本くらいやってんだけどなあ……」


 受け取ってスプーンの首の部分を軽く持った。目を閉じて、ふくらんだ部分を額に押しつけるようにする。

本当はそんな真似は必要ないのだが、こういうパフォーマンスはそれっぽく見える。呼吸を二回ほど吐いて「はい」と渡した。

「え……、」

 受け取った彼女は不満そうに眉を寄せた。

「これだけえ?」

「これだけ」


 スプーンの首の角度はわずか二三度というところだ。他のスプーンと比べなければ曲がっていることも気づかないだろう。


「なあんだ、つまんないの」

 女子たちはきゃあきゃあ言う。

「スプーン曲げるだけなんて何の役に立つのよぉ」

「仕方ないだろ、そういうもんなんだから」

 女子たちはがっかりした顔をして立ち去った。佳彦は取り残されたスプーンを拾いあげる。彼もちょっと不満そうな顔をしていた。

「クリさあ、昔はもっと曲げてたよなあ……」

 佳彦は俺がぽんぽん曲げていた小学生時代を知っている。

「年取るとこういうのは消えていくって本に書いてあったぜ?」

「そういうもんなの?」


 俺は食事を終えるとトレイを持って立ち上がった。その時に曲げたスプーンも一緒に持つ。

セルフサービスなので使用した食器はカウンターの隅に積み重ね、スプーンや箸は別なボックスに入れる。

 俺は手にしていたスプーンを見つめた。

不思議なもので、たいていの人間は超能力で曲げられるものはスプーンだけだと思っている。誰もナイフだとかフォークだとか鉛筆だとか持ってこないのだ。

テレビの影響ってのはすごい、と俺は思う。そしてスプーンでありさえすれば、どんなに曲げてもそれはショーですむ。


「…………」


 俺はそのボックスにスプーンを入れるとき、曲げた箇所にちょっとさわった。その途端、そこの部分が元に戻る。

 本当はスプーンの首をぽっきり折ることも出来る。でももう分別もない子供じゃないからそんなことはしない。


 この力は大き過ぎるのだ。俺はそれを超力と呼んでいる。そしてそれは人前で笑ってみせびらかすものではないということも知っていた。







 俺はバス通学だ。

学校は坂の上にあって、下り切ったところにバス通りがある。

バス停は青いプラスチックの屋根がついていて、四人くらいが腰かけられるベンチがある。

ベンチは最近使用済み定期券をリサイクルして作ったというしろものだそうだ。

 そのベンチに同じ学校の女生徒が座っていた。

襟章の色で二年生だということがわかる。


目の上でまっすぐに切りそろえられた前髪。肩から落ちる髪もまっすぐで長く、つややかだ。その黒が彼女の顔の白さを引き立てる。

バス停の中にさしこむ西日の中でさえ白い。噛みしめられた唇は淡い桜色。

 その黒髪の下で上級生は眉をきつく寄せ、うつむいていた。長いまつげが頬に影を落とす。


(具合でも悪いんじゃねーの?)


 俺は彼女をこっそりと見た。

 端正な顔をした先輩だった。クラスの女子たちがまだ子供子供した感じなのにくらべ、大人びて線が細い。


 実を言うと俺は彼女を知っていた。時々バスで一緒になる。

きれいな顔をしたひとだな、と見るたびに思っていた。話などは一度もしたことはなかったが、顔見知りが辛そうな顔をしているのは気になる。

「…………」

 一歩踏み出そうとした時、彼女が顔を上げ、俺を振り向いた。大丈夫ですか、と言いかけた時、彼女の方から口を開いた。

「大丈夫……ちょっと疲れているだけ」

 自分はそんなに心配そうな顔をしてただろうか、と俺は思わず顔を押さえた。

「あの、でも」

「ほっておいて。じっとしていれば治まるから」


 抑揚のない冷たい口調にむっとしたのか気おくれしたのか、自分でもわからぬまま少し体を引いた。

 ふと彼女が顔を上げ、俺の方をもう一度振り向いた。

だが、視線は彼を素通りし、その上を見つめている。険悪な眼差しに俺はどきりとして背後を振り向いた。

 坂の上から三人の上級生が下りてくる。彼女らの視線もまた俺を飛び越えてその向こうを捉えていた。


「よお、萩原」

 先頭の少女がにやにやしながら声をかけた。どことなく亀を連想させるような眠たげな顔をしている。

 知り合いなのか?

「具合、よさそうだねえ」

「…………」

 両方の上級生を見比べていた俺は、萩原と呼ばれた少女が鞄の上でこぶしを握るのを見た。

「薬を返して、三浦さん」

 萩原さんは同級生にもそんな口調で言う。冷たい、放り投げるような言い方。

「なあに? お腹でも壊れてるの」

 三人は空気が洩れるような声で笑った。

「あなたたちには必要ないでしょう。でもわたしには必要なの」

「あんたが病気もちだとは知らなかったよ。何の薬なんだよ」

「ただの頭痛薬―――風邪薬よ」

「ただの風邪薬を一年の時から飲み続けてるの?」

「本当に頭痛薬なのよ」


 四人の上級生は俺が見えていないように話している。

だが、内容から俺には萩原という先輩の具合が悪いのは、その薬を取り上げられたせいだということがわかった。

「―――あの」

 俺は鞄を両手で抱いて三浦に声をかけた。

「なによ、あんた」

 亀に似た細い目に敵意がこもっている。俺は首をすくめる振りをすると、

「あの、俺、僕、薬屋の子供なんです。その薬見せてもらえれば何の薬かわかりますよ」

「あぁ?」

 三浦が何か言いかける前に萩原さんが俺を振り向いた。

「引っ込んでてくれない?」

 俺は萩原さんに一度笑いかけてから、もう一度三浦を見あげた。

「風邪薬とかアレルギーの薬のはちゃんと記号が振ってあるんです。薬のどこかにAPとかEGとか書いてあったら―――」

「ちょっと待て」


 三浦がポケットをごそごそやった。小さな白いピルケースが親指と人差し指の間にある。それを確認さえすればよかった。

「わあっ!」

 俺はわめいて三浦に飛びかかった。

いきなり抱きつかれて三浦は指の間からピルケースが弾かれたことに気づかなかったようだ。ケースは弧を描いて萩原の足もとに落ちる。

「―――え」

 萩原さんは一瞬呆然としたようだったが、すぐに気づいてそれを拾いあげた。

「あっ、てめっ!」

 俺の策略に気づいた三浦が腕を振り回した。拳が俺の目の下にぶつかる。

「ってえっ!」


 俺は坂の上で転がった。すぐに三浦たちが飛びかかろうとするのをほんの少しだけ超力を使って防いだ。彼女らは何に弾き返されたか理解できなかっただろう。

 俺は立ち上がるとすでに駆け出していた萩原さんの後を追った。

 まっすぐのバス通りに髪をなびかせる後ろ姿が見える。肩越しに振り向くと三浦たちがだんごになって駆け出してくるところだ。

その足下を軽く払ってやる―――もつれて倒れた。

「へへっ」

 再び萩原さんの姿を探すと、彼女はバス通りで手を上げてタクシーを捕まえた。そのまま乗っていってしまう。


「あ……らら……」

 確かにうまく逃げてくれればと思ったがそりゃあんまり薄情じゃないか。どうせなら俺が追いつくまで待って一緒に乗せてってくれれば。

 だがそんな愚痴を零している暇はない。三人組はまた元気よく追いかけてきているのだから。

「やっべー」


 今度こそ後ろも見ずに俺は全速力で駆け出した。




 その夜、犬小屋の前でエスが落ち着かな気にうろついている。時折鼻を上に向けてくんくんやっているのを見て、俺も真似して空を見あげた。

空の上は風が吹いているのかゴウゴウと音がしている。

「どうした、エス」

 俺は愛犬の長い耳をかいてやった。エスは人間のように首をかしげると俺の頬をぺろりとなめる。

夕方三浦のこぶしがぶつかったあとが青く腫れていた。母親はそれを見て卒倒しそうな顔をしたが、父親の方は「原因は?」と聞いただけだった。

俺が少し大げさに武勇伝を語ると、「女の子を守ってえらかったな」と笑った。

父親は俺の責任において力を使うことを認めている。もう子供じゃないんだから、自分で制御できなくてはいけない、と。


「うん? 大丈夫だよ。名誉の負傷ってやつさ」

 俺はエスを抱きしめるとその毛足のなめらかさを楽しんだ。

エスといるといつも心が優しくなる気がする。もう七歳になった雄のラブラドールは俺の親友だった。

「散歩行くか?」

 俺の声にエスは嬉しそうに尻尾を振った。

「あら、夕方パパが連れていったわよ」

 引き綱を首輪につけていると縁側に母親が現れて言った。

「いいじゃん、俺の散歩につき合ってもらっても」

「けいとちゃん、コンビニでお菓子買いたいだけでしょう」


 高校に入ったらけいとちゃんはやめてくれ、と何度も頼んだのだが、未だに直らない。

俺は返事をせずに玄関に向かった。エスの方が申し訳なさそうな顔をして母親を振り返りながら、引っ張られてゆく。

「まったく、いつまでも小学生じゃないっての」

 昨日は違う道を通ったが、今日はいつもの道にしよう。コンビニももう改装工事が終わっているかもしれない。

「ヤマヨシのワサビーフチップス売ってんの、あそこだけだもんな」

 俺の声にエスは答えるかのように鼻を鳴らした。特別にしつけているわけではないのだが、エスは犬としては無口な方だった。


 頭上を雲がものすごいスピードで流れてゆく。月が出たり入ったり忙しそうだった。アスファルトが暗くなったり明るくなったりするのはそのせいだろう。


 突然エスが立ち止まり、低く唸った。

背中の毛が立ち上がっている。

長い脚を地面につっぱり、先の闇を睨みつけた。

彼と暮らし始めてからこんな怖い唸り声を聞くのは初めてだ。


「ど、どうしたんだ、エス」

 エスは答えず緊張している。俺は暗い道を眺めた。ぽつんぽつんと街灯が浮かんでいるのしか見えない。

 俺が踏み出すとエスはしぶしぶといった感じで動いた。だが後ろ足は退がりたそうにしている。唸り続けているので唇がめくれあがり凶暴な顔になっていた。

 一番近い街灯までくるともう一個先の街灯の光の輪の中に何かがころがっているのが見えた。

細長い棒のようだった。それは黒っぽい水たまりの中にある。


(水たまり?)


 最近めったに見ないぞ、そんなもの。だって雨なんか降ってないし。

 転がっているものは何かに包まれているようだった。―――布?

 恐る恐る灯りの中に近付いて、それを見た瞬間、俺はわけがわからなくなった。


(なんで足? 足が一本ころがっている?)


 真っ黒な重そうな水たまり。その中にズボンに包まれた足一本。


「あし?」


 呟いた声が自分の耳から入って脳に届くまでひどく長い時間がかかったような気がした。

 俺は無言で飛び上がり、地面に尻もちをついた。

あわてて尻だけで這いずろうとする。

 視界が低くなってもっといろんなものが見えた。見たくなかった。赤いぬめぬめした内臓みたいなものなんか。いや、あれは内臓そのもの。

 くにゃりと手の下に何かの感触があった。どうしてとっさに見てしまったのだろう。それは耳だった。まるで地面から生えているようなきれいな形のひらっべたい耳。


「あああああっっ!」


 エスが俺の悲鳴に合わせて狂ったように吠え始めた。

 血しぶきは五メートル以上の四方に広がっている。

アスファルトにもコンクリ塀にもブロック塀にも跳ね返り、血だけじゃない、皮膚も肉も骨も脂肪もなにもかもが飛び散っていた。

その中心にどろりとした血溜まりがあって、そこに元は人間に違いない、肉の塊が転がっていた……。




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