決意・Ⅲ
カッカリア西方に位置するサーキュラ城。川を挟んで隣国エルンとの国境から最も近くにあるこの城は要所のため他の王都近くの城よりも城壁が高い造りになっており、華美であることよりも堅牢さで有名であった。特に城門は最も高く造られているためお気に入りの場所である。
城下の街並みも王都に見られる木造のものがかなり少なくなっている。定められた法律のせいでもあるが、街の表情とでも言うのか、どことなく冷たく感じる。
ポツリ、ポツリ、と巡回する兵が街灯に明かりを灯していくのが見えた。火付けの棒を持ちながら通りを走り回っていた。メインの大通りはというと人影は少なく、仕事を終えた者たちが帰路に立つのみである。
「カーゼル様、お気持ちは分かりますが、どうか城の中でお待ちください。何日もこのような場にいては領主としてのお勤めが……」
カーゼルと呼ばれた男は振り返り、隣にいた気の弱そうな側近、モーリスを睨みつけた。赤い髪に口ひげを生やし、がっちりとした体格に無数の傷跡、猛獣を思わせる緑の眼光は言葉を発さずとも部下の小言を黙らせるには充分であった。
「ふん!」
そんな側近を鼻で笑う。カーゼルは外見こそ威圧的だが、身長は側近の半分程しかなかった。これはカッカリア男児の平均身長よりもかなり低い。血筋の問題でもあるのだが、この身長を笑った者の大半がどのような末路を辿ったかは言うまでもない。
「カーゼル様!」
「今度は何だ?」
モーリスに視線を戻すと、彼はビクリと体を震わせるも壁の外側に手を向けていた。小心さにため息が出るがその指の先を追う。
「見えました! 帰ってきましたよ!」
「やっとか!」
赤く染まった大地の果て、その地平線に一つの人影が現れ、やがてその後ろに続く人馬の群れがこちらを目指して砂煙を上げている。一人ひとりの表情が認識できるようになってくるとカーゼルはようやく異変に気付いた。
帰ってきた男たちの顔はそのどれもが暗くなっていた。人数も少なく、とても勝ち戦をしてきた者たちとは思えない。彼らが被っている鎧ですら傷はないものの反射光がくすぶって見えた。
その中に目当ての少年を発見する。自分と同じ赤い髪の、一際目立つ鎧を付けた自慢の我が子を。
「エドワード! おい、エド! 何があった?」
「父上っ…!?」
階段を駆け降りエディと対面した時、隣にケイドの姿がないことにも気づいた。その表情を察してか、今までに見たことのない悲壮な顔をしながら馬上から転がり落ちるようにして片膝をついた。
エディの後ろに控えていた全身鎧の兵士たちもそれに倣い、急いで下馬しては地面に這いつくばった。
「父上――」
「待て、エドワード!」
率先して謝罪をしようとした息子を制止し、この城の主らしく堂々と振舞った。
「おそらく、お前はこの場には相応しくない発言をしようとしているな。違うか?」
はっと目を見開いたエディを見て、カーゼルは諭すようにゆっくりと、他の兵士たちも見渡しながら語った。
「此度の遠征で何かあったようだが、報告は城の中で聞こう。それまでに何を言うべきかしっかりと整理しておけ。皆もご苦労だった」
ひとまずは安全なところにたどり着いた安心感からか、へたり込む者も多かった。三千人規模での長距離遠征、それもほぼ敵地への遠征だったのだ。無理もないだろう。
一人、薄汚れた若者の姿が目に入った。捕虜、というわけでもなさそうだが、どことなく暗い雰囲気を漂わせている。カーゼルは長年の勘でああいう手合いには近づかない方がいいと判断し、視線をエディに戻す。
「エド、疲れているなら報告は明日でも構わんぞ」
「いえ、そのような気遣いは無用です父上。今夜にでも伺わせていただきますので」
エディはカーゼルの申し出を断ると、部隊に解散を命じてから帰路へとついた。
鎧を脱ぎ、身軽になったエディだったが足取りは重い。石造りの廊下を抜け自室の扉を開けると、ふわり、と薄黄色のドレスが視界を覆った。
「おかえりなさいませ! エディ様!」
僅かな重量と共に飛び込んできたドレスの少女はモラトーラ・オーンゴッヒ。カーゼルが懇意にしている三将軍の一人、ディベニロ・オーンゴッヒの末っ子である。親の取り決めで幼い頃から彼女とは婚約関係にある。
エディはよろけながらも彼女を受け止めると、ゆっくりと床に降ろした。栗色の髪が揺れるたびに甘い香りが漂ってくる。
「トーラ、危ないじゃないか」
「エディ様なら受け止めてくださると信じておりましたから」
すぐに降ろされたことを不満に思ったのか頬を少し膨らませた。愛らしくもあるが、恋愛対象としてはまだ見れない。年齢は十三になったばかりで、エディの三つ下である。ふと、年下という言葉に関連付けて村の少年のことを思い出した。外見からでしか測れなかったがトーラよりも幼く感じ取れた。
おそらく、あの少年の家族も、友人も、今となってはこの世にはいないだろう。あの子はたった一人の生き残りで、そうさせたのはエディ自身だ。ケイドを引き止めたりなどせず、流れに身を任せた方が気楽だったのだろうか。
「お辛いのですか?」
緑の瞳が心配そうにのぞき込んでいた。
「お辛いのであれば、わたくしにお話しくださいまし。その重荷の半分とはいかなくとも、少しくらいは一緒に支えたく思っておりますわ」
「…トーラ」
「何といっても、このモラトーラ。エディ様の将来の妻なのですから!」
彼女はえっへん、と胸を張った。エディは妙に大人びたトーラに笑顔を向ける。
「ありがとう、でも今は言えないんだ。悪い」
「あやまる必要はありませんわ、エディ様。いずれ、言いたい時が来たらいつでもかまいませんから」
「…ありがとう」
ところで、とエディは話の流れを変える。
「トーラはいつからここに?」
「二週間前ですわ」
清々しいほどの即答である。カッカリアの暦では一週間が光、水、火、土、闇の五日間であるから十日前からエディの部屋に居ついていたことになる。トーラの居城は王都ブレノンの近郊のはずなのでかなりの遠出だ。
仮にも三将軍の息女なのだから手厚い護衛がついていることは間違いない。心配なのはその後のことだ。
「十日間も何をしてたんだ?」
「おそうじですわ。エディ様の物にわたくしの香りを染み込ませておりましたの」
それは掃除とは言わない。押しが強いのは昔からだったが、ここ数年の行動力は尋常ではなく頭が痛くなる思いだ。
「他には?」
げんなりしながら聞くとトーラはもじもじと少し恥ずかしそうに言った。
「習い事と……編み物を少々……」
習い事はともかく、編み物とは。エディが自室を見回すと確かに自分の物ではないモノが数点置かれていた。中でもベッドの上に置かれたとても小さなセーターが異彩を放っている。
「アレはなんだ?」
「将来を見越しての物ですわ。愛の結晶、わたくしとエディ様の赤ちゃん……きゃっ!」
トーラは両手を赤く染まった頬に当て、腰をくねらせている。
『きゃっ』じゃない! やめろ、女の顔をするな!
いくら親が認めている関係とは言え、年齢が年齢なだけに手を出すには抵抗があった。しかし、遠征によって一ヶ月近く続いた禁欲生活と最近になって膨らみ始めたトーラの身体がエディの鎖を引き裂こうとしている。
エディは大きく息を吸い込み、いっぱいになったところで止め、カーゼルの顔を思い浮かべた。次第に胸の昂ぶりは収まり、普段の自分を取り戻す頃に成功する。
「よし……。それじゃあトーラ、俺は今から父上に報告をしに行ってくるから、部屋に戻らないか?」
「ここで待ちますわ」
「……は?」
にこやかなトーラに聞き直す気にもなれず、一旦保留にしてカーゼルの元へと向かうことに決めた。道中で聞き耳を立てていたメイド、ヒュニーが熱い視線を向けながら「産婆なら任せてください」だとか「結婚も近いですね」と話しかけるので、結局何もまとまらないまま書斎の前にたどり着いてしまった。
ヒュニーが率先してドアをノックすると中から「入れ」と一言。彼女はドアを開け、エディが中に入ると自分は入らずにドアを閉めた。この部屋にいるのはカーゼルとエディの二人きりである。
「なんだ、着替えてこなかったのか?」
「あ……」
すっかり忘れていた。だが、また部屋に戻るのも馬鹿馬鹿しいのでそのまま続けることにする。
カーゼルの傍らでは持ち帰った『魔力喰らい』が七色の光を放ちながら佇んでいた。
「……まあよい。では聞かせてくれ、今回の遠征で何があったのかを」
エディは事の顛末を一部だけ伏せ、他は包み隠さずに話した。例の村人を一人取り逃がしたこと、野営地がメシュドドに襲われたこと、ドワーフの国に逃げる途中で追撃されケイドが殿を買って出たこと、サーキュラ城への道中で敗走した兵士と合流したこと。
話を聞き終わったカーゼルは机の上で手を組み、そこに頭を置いた。僅かだが肩を震わせている。
「それで、あいつは、ケイドは何と言っていた?」
「『自分が三日以内に戻らなければ、死んだことにして欲しい』と……」
カーゼルは顔を上げ、「そうか」と短く呟いた。天井を仰ぎ、そしてエディへと視線を戻す。
「エド、よくぞ生きて帰ってきた。……話は以上だ。部屋に戻ってよいぞ」
エディは話を終わらせようとするカーゼルに一歩、身を乗り出した。
「父上! 捜索隊を編成して頂けませんか? 先ほど報告したように生き延びている者がまだ――」
「ならん!」
机が壊れるのではないかと思うほどの轟音がエディを襲う。身を乗り出す前の位置よりも数歩後ろで足が止まった。
カーゼルは大きく深呼吸すると視線を落とし、今見た迫力が幻であったかのように落ち着いた声で語り始めた。
「このような事態になった以上、勝手に動くことはできんのだ」
当然エディは疑問に思ったが、表情でそれを悟ったカーゼルはさらに言葉を重ねる。
「……詳しくは言えんが、野営地を襲ったのはメシュドドとは限らん。だからこれ以上事を大きくするわけには、いかんのだ。分かってくれ」
エディは開きかけた口を閉じ、何も言わないまま部屋を出た。
部屋を出るとすぐに控えていたヒュニーが駆け寄り、心配そうな顔を向けている。どうやら怒鳴り声が外まで聞こえていたらしい。
たった一度、初めて父に怒鳴られただけだというのにここまで弱ってしまう自分が恥ずかしかった。
「エディ様――」
「ごめんヒュニー、一人にしてほしいんだ」
彼女は伸ばしかけた手を引き戻すと、辛そうに視線をそらした。そこでようやくエディは無意識のうちに彼女を睨みつけていたことに気がついた。
自分が無力だと自覚させられた八つ当たりをしていたのだ。己の情けなさを悔いながらもかける言葉は見つからず、何も言えずにエディはその場から去っていった。