決意・Ⅰ
アスカは死を覚悟した。
一人の強者との戦いに気を取られ、周囲を把握できていなかったのだ。矢が目前に迫った時、それらは見えない壁に阻まれ、地面へと転がっていく。
敵の兵士が驚いているといつの間にか、小屋で会った白髪交じりの男が横に立っていた。敵の驚いた声が一層大きくなる。
敵が手を出さずにいると地面から煙が巻き起こりアスカたちを包み込んだ。
白髪交じりの男は振り返るとアスカを肩に担ぎ、敵の反対に向かって走り出した。呆気に取られていたがどこかに懐かしさを感じる。思い出した。父、ジンベエと逃げた時の状況に似ているのだ。
「rs! dkd?」
どこまで走ったかは分からないが男は立ち止まるとアスカを下ろし、「イリス」と声に出しながら辺りを探っていた。しばらくして緑の隙間からひょっこりと顔をのぞかせる少女がいた。おそらくこの子がイリスなのだろう。
イリスはアスカたちの元に来るとアスカの両手を握って念仏のようなものを唱え始めた。僅かに空気の流れが変わったのを感じたが、男がイリスの手を掴みそれを制した。
「srdhdmd」
イリスは驚いたようだが男は首を横に振り、アスカに向き直った。そして自分を指さし「ウルゴ、ウルゴ、セドド」と短く言った。続けてイリスを指さし「イリス」と。最後にアスカを指さした。名前を聞かれているのだろう。
「アスカ」
短く自己紹介が終わるとウルゴは右手を差し出した。アスカもそれに倣い握手をする。しかし手は離されることなくウルゴに引っ張られていく。後ろからイリスもついてきて来ているところを見るとどうやらあの小屋に戻ろうとしているらしい。
「アスカ、zkngn」
「だめだ! 待って、待ってくれ!」
時間がないことは理解ができたが、彼らと一緒に戻ることはできなかった。もしかしたらすぐにでも敵が追いかけてくるかもしれない。しかしアスカにはやるべき事があった。
アスカはウルゴの腕を引き離すと、記憶を頼りに走り出した。イリスやウルゴの制止するような声が聞こえたが、立ち止まることなどできなかった。
どれほど走っただろうか。青かった空は雲が覆い始め、とっくに二人の姿は見えなくなっていた。
記憶にある場所に近づくにつれ焦燥感が大きくなる。一縷の望みに縋り付きたくなったが、ソレを見た時、一筋の雫が頬を伝った。
「ぅ……くぅ……」
言葉をかみ殺す。感情を必死に抑えようとするが、次々に湧いて溢れてくる。やがて、ポツリ、ポツリと雨粒が地面に染みを作り、次第に大地を潤していく。アスカは膝から崩れこれ見よがしに大声で話しかけた。
「……父上っ!」
木にもたれ掛かった父は体温を感じさせず、光りを灯さなくなった瞳は何を映しているのだろうか。
『アスカ、男子たるもの、そう簡単に涙を見せるものではないぞ』
父の言葉が頭の中で反芻される。アスカは涙を拭う。だが、奥から溢れて止まらない。それらは雨粒と共に重なり、大地へと吸い込まれていった。
震える手が自身の持つ刀へと伸びる。
『生きろ!』
父の、ジンベエの声が頭の中に響いた。様々な感情が泡立ったそばから消えていく。最後に大きく息を吸い、止め、そして時間をかけて肺から押し出した。
「わかりました。ですが……ですが今日だけは泣くことをお許しください!」
アスカは近くにあった紫色の花を一本摘み、ジンベエの胸元に添えた。
「今は時が足りません故、これで。それと形見として父上の太刀をいただいてゆきます」
手を合わせてお辞儀を済ませ、二人が分かれた崖へと向かう。その途中で地面に刺さった刀と投げ捨てられた鞘を拾った。刀は刃こぼれがひどかったが泥を服で拭うと鞘へと納め、腰に差した。
「wkrhsndk?」
再びジンベエのいたところに戻るとウルゴが立っていた。なんとなくだが彼の言ったことが分かったような気がした。アスカが頷くと短くため息を吐いて「krz」と言った。
アスカは彼について行くことを決め、一歩を踏み込んだ。ジンベエに供えられた三つの花弁からは今も雨粒が滴っている。