邂逅・Ⅲ
6年越し…
「ひどい臭いだ」
言葉を発した赤髪の少年は眉を顰め、馬に揺られながら道端に転がる死体を見下ろしている。周囲には黒く炭化した家屋の破片が散乱しており、腐敗した肉の塊には鳥や虫が集っている。少年の後ろには鎧に身を包んだ兵士が一様に続いているが、悪臭に耐え切れず胃液ごと吐き出す者もいた。
そのような中でただ一人、隣に並んで歩く初老の男は顔色一つ変えず満面の笑みを少年に向けた。
「はっはっは! 坊ちゃん。これが戦場です。んん~この香り、たまりませんなぁ!」
少年は口を膨らませ、喉まで戻ってきた朝食を何とか胃袋に押し返すと涙目のまま男を睨みつけた。五歳になった頃から剣術をこの男に習っていたが、軽い物言いがあまり好きになれない。
「ケイド! 坊ちゃんはよせ! それに……これじゃ戦いどころかただの虐殺だ!」
赤髪の少年、エディは地面に横たわる死体を尻目に先日の光景を思い出していた。逃げ惑う村の人々に嬉々として襲い掛かる我らの兵士。途中からエディは自身の立場を忘れて味方にさえ憎悪していた。
ケイドと呼ばれた男は傷のある左目を細め、エディを見返した。まるで心でも覗き込まれているように感じる。
「納得…いきませんか?」
「あぁ!」
数秒、止まった時間が流れ始めたかのようにケイドが再び笑い始めた。
「ふふ……まぁ今はいいでしょう。しかしエディ様、いずれは慣れてもらわねば困ります」
「分かっている!」
エディにもケイドの言い分は分かる。少なくとも分かっているつもりだ。吐くように、自分に言い聞かせるように言葉を繰り返す。
カッカリア――南の火山と東北の塩湖に挟まれた土地柄ゆえに、作物の実りは少ない。そのため国民の大半が傭兵業を生業としており、食料品などは他国との輸入に頼っていた。しかし主だった輸入先のエルンが滅びたことにより自国の食糧事情が暗転。さらにエルンの領土を吸収したメシュドドの勢力圏がカッカリアと接するところまで来ていた。一時期、両国の緊張が高まったこともあったが衝突、戦争までには至らなかった。
メシュドドはまだ戦える余力を残していたが無傷の相手と戦うには不安があったし、カッカリアも底力が未知数の相手と戦うには力不足であると自覚していたのだ。お互いが暗黙の内に不可侵の状態を作り出していた。
そんな中、カッカリアに属する開戦派の貴族が隠密機関を使い、メシュドドに探りを入れていた。その過程でエルン滅亡の原因を作り出したのではないかと噂されたのが、この村だった。報告書によると三百人程度の村であり、一人ひとりが優れた戦闘力を持つと書かれていた。
謎の新勢力の登場に開戦派の将軍たちの意見は大きく二分された。その一つが仲間に引き込めないかというもので、もう一つがメシュドドと手を結ぶ前に討伐できないか、というものだ。
しばらく続いた調査結果により意思の疎通が難しく、懐柔は不可能との結論に至った。
放置するべきという選択肢も挙がったが国の後押しもあり討伐する声が主流となった。あとは指揮官が決まり、軍が編成され、進軍経路などが選定された。
実戦経験のないエディが指揮官を担っているのは有力貴族の一人である父が口添えしたことが原因だろう。また、父は不足の事態を憂慮して副官には旧知の仲のケイドを就けた。言動こそ軽いがカッカリア三将軍の『我らが振るうは王の剣』に所属していた指折りの実力者だし、三千の軍を構成する者のほとんどがレシュヴァット旗下の重装歩兵だと聞いている。
エディは少しでも期待に応えようと息巻いていたが、結果を見ると肩透かしを食らった気分だった。予測された抵抗もなく、たった一晩で村の殲滅が終わってしまったのだ。被害もある程度報告されたが外周を包囲していた部隊から二十名ほどだった。
どこまでも甘やかされている自分を苦々しく思う。
「初勝利だというのに、浮かない顔ですな」
握りしめていた手綱を緩め、話しかけてきたケイドへと顔を向ける。
「いけません、いけませんなぁエディ様。勝ったというのに、そのような顔を見せられては軍の士気に関わります」
大仰に両手を広げる姿に少し苛立ったが、正論を言われては反論する気も起きない。無理にでも口角を吊り上げ、ケイドの反応を窺う。
「こうか?」
「そうですそうです。大勝したのですから笑って踏ん反り返ってればいいんですよ」
一行は村の中心で歩を止めると、ケイドは馬を降りて懐から小さな紫色の結晶を取り出した。細工を施された宝石のようなもので、昼間だというのに地面に近づけるほど強い光を放った。
「ここだ。お前たち、ここを掘るんだ」
部下たちはケイドの指示通りにすぐさま作業に取り掛かった。エディは浮かんだ疑問を投げかける。
「それだけ魔素が濃いと、ここにある死体が全部動死体になるんじゃないか?」
「この者たちに限ってその心配はありませんよ」
あまりにも単調に語ったケイドに疑念を抱いたエディは地面を掘り進める部下に時間の確認を取る。
「どれくらいかかりそうだ?」
「さぁ、何とも言えません。しばらくはかかりそうですが……」
曖昧な回答だったが、エディは了承するとケイドを近くに呼んだ。
「どうしたんですかい、坊ちゃん?」
「坊ちゃ……まぁいい。話がある」
ケイドは眉を顰めるたが諦めたように渋々とついてきた。部下たちに聞こえない距離になったところで、馬を近くにあった柱へと繋ぐとエディから切り出した。
「何を知っている?」
質問に対しケイドは答えることなく短く切りそろえた頭へと手をまわした。
「何を、とはこれまた唐突ですな。そりゃあ俺もこの歳ですからな、色々知ってますよ? 例えば、女の喜ばせ方とか……」
「とぼけるな! お前はこの村人たちがアンデッドにならないと確信していたな!? なぜだ? 報告にはなかったことだ。なぜ知っている!?」
交差した視線を外し、ケイドはため息を吐いた。次いで両手を上げ、降参の意を示した。
「……分かりました。お話ししましょう」
ケイドはエディに渡された報告書の改竄内容を淡々と語った。村人の戦闘能力、軍の構成、本来の目的など、初めて聞かされるものばかりで驚きを隠せなかった。
要約すると村の住人は高い魔法抵抗を持つものの戦力としては一部を除けば平凡であり、勝利することは事前に予測されていたとのこと。そこで貴族の嫡子などを指揮官に就け、初戦を華々しく飾らせ自身ひいてはエディの印象付けを行っていたのだ。
軍の大半を占める重装歩兵も経験の浅い者が多く、実際に精鋭と呼べる者はケイドを含め五百ほどだという。
最後の目的についてはエディも耳を塞ぎたくなるような話だった。エルンから亡命した主導魔法使いがいるらしく、その者たちを使ってカッカリアは今後需要の見込める魔道具の生産に力を入れる予定らしい。しかし、メシュドドが魔法使いの天敵である村人たちを取り込んだ場合、十分な脅威となりうるため討伐することになったのだ。
都合の良い長距離遠征の演習、一言で表すならこの言葉がしっくりくる。
「……とまぁ、こんなところですかね」
一通り話し終えるとケイドは人差し指を口に当て、バツが悪そうに笑って見せた。
「エディ坊ちゃん、私が言ったということは父君には内密にしていただけると助かります」
「分かった」
父、カーゼルは長男であるエディを溺愛しており、質の悪いことに本人にはその自覚がなかった。さらに彼は傭兵時代の実力が認められ、今では辺境伯の地位を王から賜っている。そのため並大抵の者では委縮してしまいロクに意見すら通せなくなっているのが現状だった。
カーゼルも悪気があっての行動ではない分、エディの中では大きな悩みの種の一つだ。もう二人の顔がエディ脳裏を過ぎったが、それらを思考の隅へと追いやった。
「エディ様、ケイド殿。例のモノが見つかりました」
「すぐに行く」
二人の話し合いが終わって数分、部下の一人が駆け足で呼びに来ていた。
地面にぽっかりと開いた穴は五メルターほどで、その中心から虹色に輝く玉が掘り起こされた。大きさは成人の頭蓋ほどで浮かんでは消える波紋を幾重にも漂わせている。神秘的な輝きに惹かれ、喉を鳴らす者は少なくない。
「これが、エルンの秘宝『魔力喰らい』……」
エディたちのように魔法の素養の無い者にとってはただの綺麗な石だが、魔法使いやその研究に携わる者にとってその価値は計り知れない代物だ。この宝石の詳しい能力までは知らされていないが、魔力喰らいというには魔力を吸い取ったりできるのだろうか。
長年かの大魔法使いバレッド・フォード・クアインの所有物であったことは確かだが、エディにはカッカリアがどのようにしてこのようなところにあるという情報を手に入れたのか謎だった。しかしケイドの話を聞いたことで合点がいく。おそらくエルンからの亡命者が漏らしたのだろう。
「よし、目的の物も回収した。撤収するぞ」
エディが帰還の号を発すると、どこからともなく風切り音が聞こえた。途端に脇に控えていたケイドの腕が伸び、エディを馬上から引きずり下ろした。
「なっ――」
「ゴァッ!?」
文句を言う前に視界が赤く染まり、後ろにいた部下が血飛沫を上げながら倒れていった。喉には短く折れた金属片が刺さっており、何が起こったかも理解できないまま絶命した。
ケイドは咄嗟に動けなかったエディを庇うように左腕を突き出した。鈍い金属音が二度響き、部下の命を奪った物と同じ金属片が地面に突き刺さった。
一行は飛んできた方向に目を向ける。
十数メルター先に少年が立っていた。黒い髪は汗の所為か肌に張り付き、服は薄汚れ、この村の住人と同じ武器を持っている。この世のすべてを燃やし尽くさんとする憎悪が宿った眼光は隊列の先頭にいるエディを静かに見据えていた。少年は奇襲が失敗したにも関わらず、片刃の剣を抜き前進を始めた。
たった一人で勝てる人数ではないということは誰が見ても明らかだった。しかし少年が躊躇う素振りは見られない。
「エディ様、お下がりを」
「待てケイド! あいつは俺よりも――」
少年の外見からして年齢はエディよりも少し下だと思われた。どうにかして戦いを止められないかと思案するが少年と眼が合い、確信する。彼はここに復讐しに来たのではない、死にに来たのだと。
エディは胸が締め付けられるように、少し苦しくなった。
「お前たち、エディ様をお守りしろ! 客の相手は俺がする!」
ケイドは後ろに控えていた部下に命令を飛ばし、少年の初撃に備えた。隊列の後方は何が起こっているのかも分かっておらず、いまだに混乱が残っている。新兵を多めに連れてきたことが災いしてエディを後方に下げることができなかった。
少年の左手が霞む。刹那、ケイドの跨っていた馬が嘶き、前足を大きく持ち上げた。弾みでバランスを崩し、ケイドは地面へと振り落とされた。世界が一転し上下の感覚が分からなくなる。
何が起こったのかを瞬間的に理解したケイドは本能に任せて剣を持ち上げ、自身の頭を庇う。そこに少年の一振りがぶつかり、甲高い金属音を響かせた。押し込まれたロングソードを腕力で押し返す。
「小僧ォッ!!」
怒声と共に少年の腹を薙ぐが、寸分のところで躱された。わずかな感触はあったが服を切った程度だろう。しかし服の切れ目を見たケイドの目が見開かれた。布が巻かれたような治療の痕があったのだ。
咄嗟に報告に上がっていた子供の話を思い出した。親子と思しきこの村の住人を追い詰めたが、親が子どもを谷へと放り投げたという。普通ならば助からない高さだった、深い傷も負っていたと聞く。これらを踏まえれば少年を助けた第三者がいることは明確だ。
思考の隙を見つけた少年が再び剣を振るう。数度剣を交えたが、どれも重い一撃だった。後先を考えない渾身の一振り、年齢に似つかわしくない足さばき。これが成長すればどれほどの脅威となるのか。芽は若いうちに摘んでおかなければならない。
ケイドは少年と距離を取り、ある程度離れると部下の一人から声が掛かった。一瞬だけそちらに目をやり、さらに後方へと跳ぶ。
「放てぇ!」
控えていた弓兵による一斉射撃。少年はケイドとの戦いに集中するあまり気がつかず、回避する動作に遅れがあった。確実に当たる。この場にいた誰もが少年の死を予見した。しかし矢は少年に直撃する寸前のところですべて弾かれてしまった。
少年の眼前に現れた光る壁が矢から身を守ったのだ。ケイドたちからどよめいた声が溢れる。
エディは少年が助かったことに安堵した自分がいることに驚いていた。
ケイドはゆっくりとエディたちのいる所まで下がり、辺りを探った。魔法による防壁を張ったのは少年ではないと確信している。脳裏でちらついている第三者の存在がさらに大きくなった。
「何者だ? 姿を見せよ!」
「あっ、あそこに! いつの間に……」
部下の一人が声を荒げた。見ると少年の横に男が立っていた。男の顔はフードで見えず、皮鎧を着込んだだけの木こりのような風貌だったが、魔法を使い、短時間で少年の隣に移動したと考えれば油断できない相手だ。
「誰かは知らんが、その子どもに組みするならば容赦せんぞ」
男は答えずに腰に提げていた剣を抜き、少年を背後に回した。
「それが答えというわけか」
ケイドは再び構えると、その両翼を重装備の部下で固めた。すると男は無造作にフードを外した。その下に現れた素顔を見た全員が言葉を失った。
「ウルゴだ……」と誰かが呟いた一言が波紋のように広がっていく。事態を呑み込めていないエディが後ろからケイドに尋ねた。
「何者だ?」
「エディ様は白狼の名を聞いたことはありませんかな?」
白狼、聞き覚えのある名前だ。先の戦争よりも前からこの一帯で暴れまわっていたメシュドドの英雄で、エルンも随分手を焼いていたらしい。しかしある日を境に姿を見せなくなったため、どこかで野垂れ死んだともっぱらの噂だった。
「そんな奴がなぜここに?」
この質問にはケイドも首を振るばかりだった。皆を見渡すと精鋭である古参の部下には緊張が窺える。たった一人にここまで狼狽えるとはウルゴという男はかなりの強敵なのだろうか。
それを見透かしたようにケイドが答えた。
「問題はあの白狼が魔法を使うだなんて、聞いたことがねぇってことですがね」
「伏兵がいるということか!?」
仮に伏兵がいるとしたら状況は最悪だと断言できる。現在エディが率いている部隊は五百にも満たず、その大半を占めているのが経験の浅い者たちだ。範囲魔法など撃ち込まれればひとたまりもないだろう。
エディはウルゴに視線を戻すと、観察を始めながら思考を巡らせた。
そもそも、奴の目的はなんだ? なぜこのタイミングで現れた? わざわざフードを被っていた理由は? 動揺を誘うため? だとしたら……
点と点が繋がり、一本の道筋となった。最も可能性の高いのは、今回の遠征は事前に露呈していた、という線だ。メシュドドもエルンの秘宝を狙っており、エディたちに場所を特定させてから奪う算段なのだろう。
つまり、ウルゴという男の狙いは時間稼ぎ。
メシュドドの進軍速度の恐ろしさは聞き及んでいる。カッカリアの索敵範囲の外から飛んできても不思議ではない。いや、既にすぐそこまで迫ってきているはずだ。そうでもなければノコノコと一人で出てくるはずがない。
何よりもこのようなところで小規模ながらも軍の衝突があったとなれば、二国間の関係がさらに悪化するのは明白である。最悪の場合開戦にまで発展するかもしれない。
「て、撤退しないか……?」
目まぐるしく回る思考の果てに出た単語を無意識に口から漏らしてしまった。ケイドは驚いた顔でエディを見やり、それは本気か、と瞳で語りかけてくる。
「エディ様! ヤツらがっ‼」
部下の叫び声に反応し二人を見るとすでに姿はなく、その場には煙が立ち込めていた。最初は毒を疑ったが、そのような効果はないらしい。睨み合いをしていたのはこの魔法が発動するまでの時間稼ぎだったのだろうか。
「追いますか?」
「いや、だめだ! 追うな! それよりも撤退の準備を進めろ」
「撤退……ですか?」
部下は困惑したようにケイドへと視線を移すが、聞き間違いではないと確認すると了承の意を示した。
ケイドは剣を鞘に納めるとエディにも聞こえるように大きなため息をついて見せた。
「ケイド、不満か?」
「まぁ、少し。理由を聞いても?」
エディは撤退の準備を進めながら、ケイドにその考えに至るまでの経緯を説明した。説明を終えるとある程度は納得してくれたが不満は残っているようだった。
「たしかに白狼が出てきたのには大きな意味があるかもしれませんが、もしかしたらあの少年の価値に気づいて保護したのかもしれませんぞ? 今後我々が抱える問題が一つ増えましたな」
「そうは言っても、仕方ないだろ」
敵地で時間を消費させる危険性をケイドも理解しているはずだ。
ケイドは地面でもがく馬の前脚から金属片を抜き取ると、ねぎらいの言葉を発しながらとどめを刺した。魔法使いを呼んで回復させることも出来たが重傷を治せば体力が落ち、満足に走れなくなる。それに回復魔法は貴重だ。こんなところで魔力を消費させるわけにはいかなかった。
すぐに代わりの馬に飛び乗ると、野営地に戻るためその場を後にした。
(2021年 9月25日 色々変更 3000文字追加)