邂逅・Ⅱ
少女は森の中を歩いていた。
身の丈に不釣り合いなサイズの籠を背負い、上方をキョロキョロと見渡しながら進んでいる。足取りは危なげで、たまに躓いては籠の中に詰まった木の実などをバラまいていた。
「あった、キグナシの実」
目的の物を見つけると木の根元に落ちていた棘がある木の実を拾ってカゴに入れた。木漏れ日が艶のある銀髪に当たってキラキラと輝いている。
ふと、彼女は顔を上げ、目を閉じて鼻に意識を集中させた。
血の、匂いがする。
森を歩いていると血の匂い自体は決して珍しいものではない。捕食された動物の死骸や、魔物同士の縄張り争いの跡など、探そうと思えばいくらでも風の中に混じっている。だが、今日のそれはどれとも違うものだった。
僅かに漂っている匂いを辿って木々を縫うようにして歩いていく。近づくごとに匂いが濃くなっていき、気がつくと川の畔に立っていた。
しばらく川に沿って進むと匂いの発生源を見つけた。黒髪の少年だ。見たことのない衣服を纏い、棒のような物を握ったまま下半身を水に浸して倒れていた。
小さく悲鳴を上げそうになったが、我慢して口を抑える。急いで少年を川から引きずり出した。触れた手が赤く染まる。息も弱々しく、今にも事切れてしまいそうだった。
木陰まで引っ張ると衣服を脱がし、傷口を確認する。腹部に刺し傷があり、背中にも切り傷があったため悩んだ結果、仰向けで寝かせることにした。
少女は傷口に手を当てると目を閉じて精神を落ち着かせた。
「治れ!」
魔法が発動し、暖かな光は少年の傷口を塞いでいく、――はずだったが、その兆候はいつまでも現れなかった。以前、瀕死のリスを助けた時は上手く出来たはずなのに。
「えっ? なんで!?」
彼女は慌てて力を込めなおす。
「治って!」
変化はない。それどころか、顔色が悪くなっている気さえしてくる。
「治れ治れ治れなおれなおれっ!」
どれだけ念じても、どれだけ力を入れても少年の傷が塞がることはなかった。まるで少年が死を受け入れ、魔法を拒絶しているかのようだ。
少女は籠をひっくり返して空にすると、その中に少年を入れた。傷口は衣服で縛っておいたのでしばらくは大丈夫だと思いたい。
「待っててね、大丈夫。大丈夫だから!」
笑顔で語りかけるがその額には冷や汗が滲んでいる。
彼女は少年の入った籠を背負うと全力で森の中を駆け抜けていった。
森の中にぽっかり開けた場所がある。ログハウスが一軒とその隣に屈強な男が一人。
黒髪に二割ほどの白髪が混じった男、ウルゴは斧を振り下ろした。乾いた音が辺りに響く。二つに割れた薪を拾い、再び切り株の上に置いた。
「ふん!」
気合を込めた一撃。薪は四つに分かれ、サイズに満足したウルゴはそれらを集めて他の薪が積んであるログハウスの軒下に並べていった。
息を吐いて汗を拭う。すると木の影から少女が顔を出した。イリスだ。彼女が近づいてきていたことは気配でわかっていたが、何か様子がおかしい。今にも泣きだしそうな瞳でこちらを見ている。
「イリス、どうしたんだ?」
「ぅう……ウルゴォ! この子が死んじゃう! 血が、とまらなくてっ……」
イリスは籠を置くと中から血まみれの少年を抱きかかえた。意識はなく、流れ出した血は彼女を真っ赤に染め上げていた。
「どうしたんだ、その子は?」
イリスの肩が震えているのに気づき、ウルゴは少年を受け取るべく近づいていった。
「これは……ひどいな……」
ウルゴは声を失った。外から見ただけでも重傷だと覚悟していたが、想像を遥かに超えていたのだ。背中の傷は大きく開き腹はえぐれている、それ以外にも、打撲、裂傷、すり傷などが多数見られた。体温はひどく下がり、息をしているのかが不思議なほどだった。
急いで手当しなければ……いや、急いだところで……。
イリスと目が合い、斧に伸ばした手を止める。今にも泣き出しそうで、少年が生きることを望む瞳。ため息を吐きつつも少年を家のテーブルに運んで寝かせた。寝かせる際に邪魔だった物はテーブルからはたき落とした。
「イリス、外に干してあるキグナシの実を取ってきてくれ」
「うんっ」
ウルゴはそう言うと血まみれになった少年の服を破り、蠟燭に火を灯した。
棚に置いてあった出来の悪いビンから傷口に液体を注ぐと辺りにアルコールの匂いが漂う。傷口を洗い流したらイリス持ってきたキグナシの実の針を引きちぎり、火で軽く炙った。針の根元に糸を括り付け、縫合していく。
背中と腹の一番大きな傷を塞ぐと、その上に薬草を粘り気が出るまで捏ねたものを塗る。布を被せ、暖を取り、体温の上昇を待つ。荒っぽさはあるものの今できる最大限の努力というやつだ。
死んで元々、生き延びれば奇跡、あとは少年の生命力だけが頼りだ。
ウルゴは汗を拭い、心配そうな視線をこちらに向けるイリスに笑顔を向ける。
「大丈夫だ、運んでくるのがもう少し遅かったら危なかったが、なんとかなるだろう」
「ホント? よかったぁ……」
この言葉にイリスは安心したように胸をなでおろした。彼女は少年が目を覚ますまで半日ごとに薬を塗り替え、暖炉の火を絶やさずに見守り続け、一日も欠かすこと無く看病を続けた。
― ★ ― ★ ― ★ ―
アスカが元服をした日、父であるジンベエから刀を貰った。元服と言っても従来の髪を剃って結いあげたりはせずに形式だけのものではあったが、村人たちも総出で祝ってくれた。
その日の父は上機嫌で、十歳であるアスカにも酒を勧めた。酔った勢いもあっただろうが父は自分の腰に提げた刀を鞘ごと抜き、アスカの目の前に突き出した。
『元服祝いだ。お前にやる。立派になったな、アスカ』
アスカは両手でそれを受け取ろうと姿勢を低くして手を伸ばした。そして受け取った途端、世界は一変した。周囲は炎に囲まれ、血飛沫を上げながら人が倒れていく。
再び暗転。次に現れた景色は崖で落ちる途中のものだった。遠くに見えるのは片腕を失い、自分を崖に投げた父。
「父上っ!」
必死に手を伸ばすが届くはずもなく、アスカは暗い闇の中へと落ちていった。
手を伸ばして何かを掴む。何か、とは自分が目を閉じているために見えないのだ。ゆっくりと重い瞼を持ち上げる。
ぼやけた視界が定まり、最初に見えたのは白く華奢な腕だった。少し力を加えれば簡単に折れてしまいそうだ。
腕をたどっていくと、肩、そして顔へと視線が移行する。最後に赤い瞳を丸くした少女と目が合った。
銀色の髪がさらさらと流れるように揺らめく。握った腕が震えていることに気づき、アスカは慌てて手を離した。
「rs、ghdd?」
何かを言いながら扉を開けて入ってきた男が目に入った途端、アスカは戦慄した。その男は斧を携えた白髪交じりの男だったのだ。過去に戦った兵士を写し見たアスカはベッドから飛び降り、少女と男の間に割って入った。腰に手を伸ばすが、挿していたはずの刀がない。
「…………………………………」
「…………………………………」
「…………………………………」
沈黙が訪れる。
武器がなくてもっ!!
アスカは素手のまま男に跳びかかった。
「ヌォゥッ!?」
男に拳が届くこともなく、アスカの身体が沈む。全身から力が抜け、倒れ込んだ拍子に顎を強く打った。
「なっ……!?」
「wnkttyn」
男はため息を吐いてアスカを抱き上げると、藁の敷いてあるベッドに寝かせた。今になってようやく自分が手当してあることに気がついた。息を吸うことで生温い空気が肺を満たし、時間差で襲ってきた痛覚が生きている事を実感させてくれる。
「たす、かった……?」
ゆっくりと顔を上げる。その先に見たものは敵には決して向けない視線、男に隠れた少女の心配そうに見つめる顔があった。
痛みに耐えて身体を持ち上げると、ベッドから降りた。男は驚いて身構えたが、アスカの行動を見てすぐにその構えを解いた。
「すまなかった……」
床に手をついて頭を下げる。命の恩人に対して勘違いとはいえ無礼を働いたのだ、当然のことである。
男と少女は顔を見合わせて何かを話すと、少女がアスカの頭に手をかざして何やらブツブツと唱え始めた。
念仏か?
どこからか風が流れてくるような感覚があったが、特に何かが変わったようには思えない。
「nnksybttmt」
少女に手の平を向けられ、困惑する。手を持って立たせようとしているのだろうか、それにしては何かを期待しているように目を輝かせているようにも思える。
「ど、どうすればいい?」
アスカが首をかしげながら質問をすると、二人は再び顔を見合わせる。今度はやたらと嬉しそうだった。
「hnsgwkr?」
「mt、mhkrdwysmnt」
少女は笑顔で話しかけてくるが、内容が分からない。男はそんな彼女を窘めているように見える。この二人の関係は何なのだろうか、親子にしては顔が似ていない、と思う。
「待って、待ってくれ。何を言ってるか分からない。助けてくれたことは、感謝している。でも、戻らないと……」
少女の顔が曇った。どうやらアスカの言うことは理解できているらしく、一方通行で会話が進む。
「俺の、刀を見なかったか?」
「カタナ?」
刀の長さや形状を身振り手振り織り交ぜて説明すると、さっきまで寝ていたベッドを指さされた。確かに立て掛けてあり、今まで気がつかず盲点だった。顔の温度が僅かに上昇する。
「あ、有難う」
礼を言いつつも刀に手を伸ばすが、アスカの手は空を握り、そのまま床に倒れた。少女は小さな悲鳴を上げる。起き上がろうにも体に力が入らない。
見かねた男がアスカを抱え、ベッドに戻す。抵抗しようにも動けず、瞼も重くなってきた。
「mhysm」
相変わらず何を言っているのか理解できない。だが、この男に父親の影を少し重ねている自分がいた。
出会って一日と経っておらず、ろくに会話も成立していないが、妙な安心感があった。
「父上……」
視界が狭くなり、薄れる意識の中で小さく呟いた。
― ★ ― ★ ― ★ ―
太陽が沈み、二つの月がうっすらと見え始めた頃。ウルゴはログハウス横の切り株に腰を下ろし、焚火の明るさを頼りにキグナシの実を仕分けていた。普段であれば小屋の中で作業をしている、眠っている子どもを起こすのも忍びない、というのも一つの理由だった。
少年が来てから五日が経っていた。一度は目を覚まし、水でふやかした軽い食事は食べることができていた。驚異的な回復力だと心底思う。
風が吹き、炎が揺らめいた。近くに立てかけてあった斧が煌めき、ウルゴは数秒手を止めた。だが首を振ると何事もなかったかのように作業を再開した。
「明日は雨が降るぞ……」
誰かに語り掛けるように独り言を呟くと動かしていた手を止めて、小屋に戻りイリスを探した。ベッドの上で寝息をたてる彼女を見つけ安心したが、少年と刀は見当たらなかった。
ベッドはもう冷たくなっており、紐で括られた丸い雑銅貨のようなものが置いてあった。礼のつもりだろうか。紐の端をつまみ上げ、吊り下げると金属特有の音がちゃらり、と鳴った。
「律儀な」
なんにせよ自分から去ってくれるのならそれに越したことはない。
「ん……ウルゴ?」
気配で目を覚ましたのか、イリスがもぞもぞと半身を起こし赤い瞳をこちらに向ける。少年がいなくなっていることに気がつくと訴えるような目で見るようになった。
ウルゴが首を振ると、その意味が分かったイリスはベッドから降りると外に跳び出していった。
「待て! イリス」
ウルゴの制止も聞かずにイリスは走り去り、森の中へとその姿を消した。後を追いかけようとしたが立ち止まり、物置の中に仕舞っていた護身用の剣を取り出した。近くにあった革袋も引っ張り出すと使えそうなものは手当たり次第に放り込んでいく。
優しい子に育ってくれたが、アレでは先が思いやられる。
ウルゴは心の中で悪態をつくと、床に転がっていたキグナシの実を軽く蹴り飛ばした。
「くそっ、あの時トドメを刺しておけば……」
イリスが少年を連れてきた時点で助ける手段がない事を説明し、せめてこれ以上は苦しませることはないとでも言えばよかったのだ。
ウルゴには少年の正体がある程度見当がついていた。魔法が通じず、見たこともない衣服を着た者たち、あの村の住人で間違いないだろう。
もしも面倒事に巻き込まれ、イリスの身に何かあったなら、その時は――
「エレク、あの子を見守ってくれ」
ウルゴはかつての友に願うと、外に出る。燻ぶっていた焚火から松明に火を移し、鎮火を見届けることもなく森の中へと進んでいった。
もうちょっと邂逅が続きます。
そろそろこの世界の言葉が分かるようになってきましたかね。
(2021年 9月12日 1000文字くらい追加)