ジンベエ
申し訳ありませんが、この部分は改変中です。
星が瞬く雲の隙間から月が一つ顔をのぞかせていた。照らされた草木は風に揺らされ、時折葉が擦れあう音を奏でていた。
山のあちこちで篝火がたかれていた。火を囲むように男が四、五人腰を下ろしている。それぞれ刀や弓などの武器を持ってはいるが、刃が欠けていたり、弦が萎びていたりと見てくれのいいものではなかった。中には鎧で身を固めるものもいたが、あまりに簡素であり薄汚れていた。落ち武者が身を転じて山賊になったと思えばしっくりとくる。
だが対照的にその男たちの眼光は鋭く、皆一様に山の麓にある村を見ていた。山賊たちのいる山を下り、堀を挟んだところに村があった。村と呼ぶには守りが堅い造りになっており、周囲には木製の頑丈な柵が張り巡らせてある。村に通じる唯一の道には堀はないが門が立ち塞がっており、男が数人がかりで体当たりをしてもびくともしない重厚感があった。
村は見たところ人口は三百人いるかいないかである。山賊たちは四十名で全員が武器を携帯しているためいざ戦いが始まれば勝敗は決しそうなものだが、山賊の頭目は慎重にならざるを得なかった。その原因となったのは村に流れ着いたジンベエという侍であり、百姓仕事しか取り柄のなかった村人たちに防備を固めさせ、自警団なるものまで作り上げてしまった。
これが一昔前ならば脅して見せしめに一人二人を斬り伏せれば、大人しく食料や女を差し出したものだがあの男が居着いてからはそれも難しくなってきている。
それならば手頃で襲いやすい他の村を標的にしたらどうですかと、部下から言われたこともあった。しかしそう簡単に諦めがつかない理由もあった。
頭目は右腕にある今は完治しているが深い傷跡をさすり、目を閉じた。力を込めるがやはり右手は閉じる事はできずに開いたままだ。
やがてゆっくりと目を開けては村にある一際大きな建物に目をやった。見えるはずもないがその中にいるであろう人物に思いを馳せ、再び目を閉じるのであった。
「必ず、この手に……」
そう呟くと、頭目は夜明けとともに村を襲うように指示を出しにいった。
― ★ ― ★ ― ★ ―
「ジンベエさん、奴ら静かなもんでさぁ。こりゃ夜襲はねぇんじゃないですかい?」
背は高いが細身の、ひょろっとした男が窓から点々と見える炎の揺らめきを睨みつけながら言った。部屋の中には男が五人、二本の蝋燭が彼らの影を揺らしていた。目を向けられた男、ジンベエは何か意見を求められていることに気づくとゆっくりと口を開く。
「そうかもしれん。夕べは雨が降っていたからな、霧が出るだろう」
「霧……それに紛れてくるか」
反応を示したのは最高齢の、初老を迎えた男だった。この男は村長であり、白が混じり始めた顎髭を数度摩り頷いて見せた。
「確かに、時期でもある。それで、どうする? 迎え撃つかね?」
「いや、打って出る」
ジンベエの言葉に他の四人は驚いたように目を見開いた。ひょろっとした男が口火を切った。
「正気ですかい? いや、ジンベエさんが言うんだから何か考えがあるのは分かってるんですけどね?あっしにも分かりやすく教えてくれるとありがたいんですけどね」
「理由はいくつかあるが今なら相手があらかた固まっていることが大きい」
「つまり?」
「これまでは相手の人数が少なかったから防げたが、今回は違う。要所だけを守るのでは後手に回るかもしれん。そうなれば総崩れだ」
ジンベエは数年前、村を外敵から守るために自警団なるものを設立した。人数は五十名程で主に若い男で構成されている。皆、田畑の力仕事で腕っぷしには期待できたが、武器の扱いに関しては素人だった。幸運にも十本の鉄製の武器を一年前に行商人から買うことはできたが、まだ大半の者は木製や石製の農具を使っている状態だ。弓矢も考えたが、ジンベエも弓作りは専門外であり、また試しに作ったはいいものの完成度は低く、いざ戦いになった時誤射の可能性を考えると石を投げたほうが早いという結論に至った。
防具は急所を守るためだけに胸当てをするだけの簡素なものとなっている。それでも防げるかどうか怪しいものであり、つけているよりも身軽になったほうがマシだと着けない者もいた。
「なんだかジンベエさんらしくありやせん、前なら」
「よさぬか、スケロク」
ひょろっとした男、スケロクは村長に制止さればつが悪そうに首元を掻いていた。村長はそのままジンベエに向き直り口を開いた。
「決着を、つける気なのか」
「……はい」
「あれはワシの…そう、ワシの所為でもある。ジンベエ、お主はワシらが反対しても行くつもりなのか」
「覚悟の上です。たとえ一人でも」
「カヤメが悲しむぞ」
ジンベエは困ったように笑顔を作ると、少しだけ間を置いた。
「アスカがいます。あの子はまだ幼いが、才もある。カヤメなら立派に育ててくれるでしょう」
「気は、変わらぬか」
言葉は交わさず、ゆっくりと頷くのを見て村長はため息を吐いた。
雲が晴れ、霧が出始めたころジンベエは闇夜に紛れて村の柵を跨ごうとした。普段の防衛線であれば鎧を着ていたが、今は紺の麻布を身にまとっていた。
山賊の側面を迂回し、山頂に陣取っているであろう頭目を潰す。頭さえ失えば残された山賊たちは守りの堅いこの村を執拗に狙うこともなくなるだろうと考えていた。
「ジンベエさん、あっ……」
堀を降りかけたところで声がかかり、ジンベエはやむを得ずに足を止めた。振り返ると二人の若い男が柵を越え、上手く着地ができずに堀を転がり、丁度足元にまで転がり落ちてきた。
二人とも痛がる素振りも見せずに跪き、連れて行ってくれと請うまでの動きは見事というべきだが、気が変わることはなかった。
「村長に言われたか」
ジンベエのこの一言に若者は言葉を詰まらせた。何よりもそれが全てを物語っている。
「た、頼まれなくったって! 俺はジンベエさんと一緒に……!」
「バカ、声が大きい」
「あっすまん……」
今大声を出したことよりも先に堀を転がり落ちた時のほうが目立っていたぞと思ったがそれは言わずにとどめた。
熱くなって声が出てしまった若者は自警団の稽古にもよく顔を出し、積極的に刀を振るっていた。腕もよく、中でも一か二を争うほどである。
もう一人は剣の腕こそいまひとつだが、頭の回転が速く細かいところまで手の届く指揮官肌の青年だった。
「お願いします、俺達にも戦わせてください」
「お願いします!」
さて、どうしたものかと思考を巡らせたた時、辺りが一段と陰った気がした。空を見上げ、ジンベエの思考が止まった。
雲はなく、見えているはずの月もなかったのだ。ただどこまでも吸い込まれそうな漆黒が広がっていた。声がかからないのを変に思ったのか二人の若者も顔を上げてようやく異常事態に気がついたようだった。
それはさらなる広がりを見せ、村全体を囲みつつあった。やがて漆黒の膨張が堀の外側で止まり、村との境界線が青白い光で区切られた。ジンベエは闇の中を見据えたが、先は見えず、反射して顔が映ることもなかった。
「……まさか、妖術でも使ったか?」
ジンベエの呟きに二人は怯えた様子を見せたが、一瞬で振り払っていた。そんな姿を頼もしく思いながらも、想定外の事態に作戦を断念した。
村長の家に戻ると若い衆が集まっていてちょっとした騒ぎになっていた。どれも自警団の一員であり不安そうな顔をしていたが、ジンベエの顔を見るなりそれも和らいで見えた。その中をかき分け村長が顔を出した。面にはでていないが冷や汗が滲んでいる。
「ほぅ……。ジンベエ、戻ったか。して、どうじゃった? 何が起きておる?」
「わからない。ですが、村は囲まれ出口はありませんでした」
ジンベエはあくまでも偵察をしてきた風を装った。村長もそれを望んでいるだろうし、無駄に争いを起こす必要もないからだ。彼は後ろにいた二人にある程度の指示を出し、若い衆にいつでも戦闘できるように準備をさせた。
家に足を踏み入れると少し気の弱そうな、しかしどこか品のある女が甲冑の前に座っていた。それがカヤメだとわかるとジンベエは少しばかりの焦りを覚えた。
「起きていたのか」
「あれだけ騒いでいれば、嫌でも起きます」
「そこで何をしている?」
「戦いになるのであればそのお手伝いを、と」
ジンベエは頬を引きつらせカヤメを見ると彼女は口元を隠し、ふふ、と笑った。
「連れていけとは言いませんよ。鎧の着付けを手伝いとうございます」
「では、頼む」
それからは言葉を交わすこともなく、ただ黙々と、黙々と甲冑を着けていった。途中、カヤメの手が震えていることに気がついたがそれでも何も言ってやれず、胸の内で静かに息を吐き出すのであった。
後日また投降いたします。