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第一章(1)

丸い太陽が、床に落ちた熟したトマトのようになった夕暮れどき。

ローズが店のカウンターでうとうとしていると、ちゃりんとドアベルが鳴った。

「はい、いらっしゃいませ」

客が入ってきたのがわかって、ローズは慌てて垂れていたよだれをぬぐって椅子から立ち上がった。

今年の春魔法学校を卒業した魔法使い見習いのローズは現在、三賢者の一人レオナルド・メルキオールが主催する魔法ショップに住み込みで働いている。

ごく普通の魔法ショップでは主に薬や香辛料、お守りなどが売られているが、レオナルドの魔法ショップでは美容によいとされる食品や化粧品も販売している。そのせいか、毎日貴族から主婦まで多くの女性客が、王都の大通りに面したこの店に立ち寄る。

今来た客も若い女性だ。

客は昼飯時から昼過ぎにかけてもっとも多いが、彼女のように閉店間際になってくるのは珍しい。

若い女性客は、水色がかった長い銀髪に透き通るような青い目をしていて、まるで精巧な人形のような顔立ちだ。すらりとした体に名のしれた魔法使いが着ているような滑らかな光沢を放つ白い長いローブをまとっている。

きわめて身分が高そうだが、このあたりでは見かけない顔だ。

買い物帰りなのか、女性客はとてつもなく大きなキャベツを腕に抱えながら珍しげにきょろきょろと茜色がかった店内を見回していた。

「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」

ローズはにこっとして客に話しかけた。

レオナルドの魔法ショップでは、工房に入ったばかりの新前はまずカウンターでの接客や店内の掃除をさせられるのが決まりだ。要するに雑用係で、ローズのような駆け出しの魔法使いが店の裏にある工房で薬を練ったり、調理をさせてもらうまであと二年ほどかかる。

女性客はローズの言葉に一瞬きょとんとしたが、ああと小さく何か納得したようだ。

「わたしここへ買い物にきたわけじゃないの」

女はつっけんどんとした口調で答えた。かなり高圧的な物言いだ。それも慣れた感じが伝わってくる。ローズは一瞬眉を寄せたがかろうじて笑顔を保った。

よほどのことがない限り、少しでも客に粗相があるとわかるとこの工房では即刻破門されてしまうのだ。先月も髑髏クッキーを万引きしない・したで客ともめた同僚が無理やりやめさせられた。

見習いは一度破門されると、違う工房でまたいちからやり直さねばならない。しかし一度破門処分された見習いを雇う工房はそうそう見つからない。それでは正式な魔法使いになるのに時間がかかるので、客がどんなにいけすかなくてもローズはなるべく問題を起こさないように振舞っている。

ローズはふたたび若い女性客に丁重に尋ねた。

「ではどのようなご用件でしょうか」

「ここにローズ・スミスという人がいる?」

「それは私ですが……何の御用でしょうか」

ローズは戸惑いながら答えた。

どうして見ず知らずの人間がわたしの名前を知っているんだろう。

ローズは相手の態度もあいまってえたいのしれない不気味さを覚えた。

女はふーん、と冷たい視線で値踏みするようにカウンター越しにローズを見下ろしてきた。

なんだか学者か錬金術師が研究対象を観察しているみたいだ。

何よ、失礼ねとローズは思ったが表情には出さなかった。それが半年ここで働いた成果だ。

ローズはおとなしくぶしつけな視線に耐えた。

「うーん、予想していたよりあまり胸がないわね。腰も細そうだし。生育不良って感じ。ま、仕方ないわね。あの人が選んだんだから」

「な!」

女はしばらく無機質な青い目でじろじろ見つめた挙句、さらっと失礼なことを言い放った。

日ごろ気にしていることを無遠慮に指摘されて、ローズはとうとうキレそうになった。

「なんなの、あなた。いくら客でも言っていいことと悪いことが……ぐはっ」

ローズはのけぞった。最後まで言い終える前にいきなり胸にキャベツを押し付けられたのだ。

「何するんですか、いきなり。いっとくけど野菜の押し売りはウチではうけつけませんから」

ローズは反射的にキャベツを抱きかかえたが、すぐに女に抗議した。ここまで侮辱されて黙ってはいられない。

すると女は不思議そうに首をかしげた。どうしてローズが怒っているのかわからないようだ。

「ヤサイノオシウリ?なあにそれ?わたしはその子に頼まれただけよ。あなたの元に送り届けてほしいって」

女は白い指でキャベツを指した。

その子?

視線を腕の中におろすと、なんとキャベツの中には赤ん坊がうまっていた!

否、赤ん坊がキャベツの葉でくるまれていた。

金色の髪をした赤ん坊は、すやすやと心地よさそうに眠っている。

あまりの予想外の出来事にローズは完璧に固まってしまった。

誕生日に親友からもらった輝石から、羽根カエルが孵化したとき以来の衝撃だ。

「大事に守ってね。そのうち協力者が現れるとは思うけど。それまでがんばって。じゃ」

自分の役目は終わったとばかりに、女はとっとと踵を返した。

ドアベルが涼やかに鳴る。その柔らかな音に、固まっていたローズはようやく我に返った。

「ちょっ!ちょっと待ってください。困ります。うちは教会みたいに赤ちゃんを預かったりしません」

客に赤ん坊を押し付けられたなんぞと店長のバネッサに知られれば、よくて減給、最悪レオナルドに報告されて破門だ。ローズはカウンターから出て、女を追いかけようとした。

しかし、まるでそれを阻止するかのように赤ん坊が目覚めて泣き出してしまった。

「ああどうして今起きるのよ。おとなしく寝てなさいよ!……ああ怒鳴った悪かったわ。だからどうかそんなに泣きわめかないでちょうだい」

ローズが小さく子守唄を口ずさむと、赤ん坊はぴたりと泣き止んだ。

ローズは捨て子だったので魔法学校に入学するまで、教会で過ごしていた。そのとき僧侶から年下の子供の面倒を任されていたのである程度泣いている子をあやすのは慣れている。きゃっきゃっと機嫌よさげに笑い始めると、ローズはほうっと息を吐いた。

とりあえず、バネッサには赤ん坊のことは内緒にしておいて、店仕舞いしたらこっそり保安官に相談しようと思った。

「もうなんなの、あなたのお母さん。あんなにひどい人ね。好きであなたを生んだくせに他人に任せるなんて」

ローズはつい愚痴をこぼした。

どんな事情があるにせよ、自分が生んだ子を簡単に手放せるなんて信じられない。

自分も捨て子だったからか、どうしても子供を捨てる親にローズは厳しい目を向けてしまいがちになった。

赤ん坊は当たり前だが、自分がどういう状況にいるかわからずに、ローズをにこにこ見つめてくる。

円く白い頬がうっすらと赤く染まっていて愛らしい。赤ん坊らしい円く大きな瞳は、

冬にたたずむ森のような深い緑色をしていた。

「あら、あなたどこかで見たことのある顔ね」

誰だろうと考えていると、ローズはあっと小さく声をあげた。

「この子、わたしに似てる……」

そう呟いたとたん、赤ん坊の顔がぐにゃりと歪んだ。

ローズは悲鳴をあげた。


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