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これより、本作品に登場した、人物のその後を記して、稿を終える。
セーラことエリーザベト・フランツィスカ・フォン・エスターライヒは、ヴァルドブルク=ツェイル伯ゲオルクと一九一二年に結婚、四子を設け、一九三〇年に死亡している。
夫のゲオルクは、エリーザベトが死去してから、エリーザベトの実妹ゲルトルートと再婚している。
ヘルマン・オーベルトは一九二七年に《ドイツ宇宙旅行協会》を設立。二十九年のドイツSF映画『月世界の女』で、科学監修を務め、同年、ヴェルナー・フォン・ブラウンとともに、VⅡロケットの開発に従事している。第二次大戦後は、ブラウンの招きによってアメリカに渡った。
フェルディナント大公は、一九一四年、サラエボでセルビア独立運動の闘士により、妻のゾフィーと共に暗殺の凶弾に倒れ、大公の死によって、第一次世界大戦の鉤金が引かれた。大公を暗殺した銃弾は、ブローニング一九〇〇によって発射されている。
暗殺される前に、大公は日本を訪問している。その時の印象により、親日家となり、ウイーンのシェーンブルク宮殿に、日本庭園を造らせた。
大公の造らせた日本庭園は、一九八〇年代まで忘れられていたが、日本の作庭家によって再発見されている。
ヒンデンブルクは、一九一一年に軍を退役、引退生活に入った。ヴィルヘルム二世の不興を買ったと、専らの噂だったが、公式の記録では、なぜヒンデンブルクが皇帝から遠ざけられたか、判ってはいない。しかし、第一次世界大戦の勃発と共に、軍務に復帰。タンネンベルクの戦いによって、英雄としてドイツ国民に熱狂的に迎えられ、共和制に移行したドイツ国大統領に就任する。
アドルフは──いや、ヒトラーと呼ぼう。ヒトラーのその後は、ナチス・ドイツの記録に詳しく、本稿では詳しく記すのは控える。
日野熊蔵は、独自の飛行機開発に失敗。軍を追われ、最終階級は中佐で終わった。一九四六年永眠。享年六十七歳。法名安養院鉄岳誠心居士。
さて、徳川好敏のその後であるが──。




