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ざあざあと、天井から大量に、水が流れ込んでくる。
飛行船のバラストが破壊され、裂け目から水が流れ込んでくるのだ。水は床に溜まり、うっかりすると、つるっと滑りそうだ。
しかし、バラストから盛大に水が放出されるに連れ、飛行船は徐々に、姿勢が戻り始める。
「地上に戻れないのかっ! 何とかしろっ!」
苛々と、ゲオルクは悲鳴のように絶叫し、怒りの籠もった眼差しで、熊蔵と好敏を睨み据える。
熊蔵は苦笑いを浮かべて、答えた。
「俺は、飛行機の操縦はできるが、飛行船の訓練は受けていない。操縦装置があっても、どう動かして良いやら、とんと判らん!」
好敏は熊蔵に尋ねた。
「エンジンは動かないのか?」
「どうかな……」
熊蔵は、大儀そうに立ち上がった。床はまだ、傾いているので、用心深く船首方向へとじりじり、進んで行く。
好敏も、熊蔵の後に従った。
船首の窓から、外の景観が良く見える。窓を眺め、好敏は唸った。
進行方向に、巨大な山塊が迫っている。このまま進めば、衝突するのは、明らかだ。
同じ結論に達したのか、熊蔵もまた眉を顰め、厳しい顔つきになった。
どかどかと足音を立て、ゲオルクが二人の背後に迫った。
「あの山が見えないのかっ! 衝突したら、一巻の終わりだぞ!」
好敏はゲオルクの態度に、怒りを堪えた。
こいつに怒っても、意味がない。恐怖が、ゲオルクに、こんな見っともない態度を取らせているのだ。
熊蔵は操縦装置に手を伸ばし、あれやこれやと、スイッチや、操縦桿を動かしている。
表情は硬く、声を掛ける雰囲気ではない。
どどどどど……。
微かな震動が、床を伝わってくる。
好敏は、横の船窓に顔を押し付けた。
飛行船から横に突き出している、エンジンから黒煙が吐き出され、プロペラが回転を始めていた。
好敏は歓声を上げた。
「エンジンが動いている! プロペラも、回っているぞ!」
操縦装置に向き合った熊蔵は軽く頷いた。無表情のまま、両手を忙しく働かせている。前を見たまま、好敏に命じた。
「計器を読んでくれ!」
「了解っ!」
好敏は、ずらりと並んだ計器盤に顔を近づけ、狂おしく指針を睨みつけた。
「風速前方三十メートル! 横風、十時方向より微風あり! 高度三百! トリム角四・五度!」
次々と計器の指針を読み上げていく。飛行機の訓練が生きている。隣の熊蔵は、好敏の声に、てきぱきと操縦を続けていた。
熊蔵は「飛行船の訓練は受けていない」とは言っていたが、やはり同じ、空を飛ぶ機械である。操作方法は、かなりの部分で共通している。
飛行船の姿勢が、徐々に戻り始めた。がっくりと頭を下げた状態から、船首が持ち上がり、床も水平を取り戻す。
「動いているな。お前たちが、操縦しているのか?」
上から降ってくる声に、好敏は背後を振り返った。
見上げると、ゴンドラの天井に開いた階段から、カシムが顔を覗かせていた。
飛行船の姿勢が戻ったので、入口まで来られたのだろう。カシムは用心深く、階段に足を掛け、そろそろと近づいた。
ゲオルクは怒りの視線でカシムを睨み、手にした銃を持ち上げた。
「おっと! 剣呑、剣呑……。俺を殺して、どうするつもりだ?」
カシムはおどけた仕草で、さっと両手を上げて見せた。ゲオルクの握る銃口が、ふらふらと彷徨う。好敏は手を伸ばし、ゲオルクの腕を掴んだ。
「止めておけ! 今は俺たち、一蓮托生。啀み合っても、どうにもならない」
好敏の言葉に、ゲオルクは項垂れた。がくりと両肩が下がり、銃を仕舞う。
カシムは「ふっ」と小さく、息を吐き出した。そっと額の汗を拭っている。
好敏は、操縦装置と格闘する熊蔵に、向き直る。
操縦装置の窓を見やり、愕然となった。
見ると、前方の山が、ぐーんと接近している! もう、ぶつかりそうだ!
「日野さんっ! 衝突するぞ! 避けろ!」
「判っている! これは、わざとやっている。これから、飛行船を、あの山にぶっつける!」
「何だって? 正気か?」
好敏は、熊蔵に叫んだ。熊蔵は叫び返す。
「そうだ、俺は正気だ! このまま、ふらふら飛行船を飛ばせても、着陸はできない! 着陸させるには、前方の山にぶちあて、進行を止めるんだっ!」
ゲオルクが顔を真っ赤にさせ、怒鳴った。
「そんな、うまくゆくのかっ? あんた、さっき、飛行船の訓練は受けていないと、証言したじゃないか!」
熊蔵は叫んだ。
「厭なら、出入口から、飛び出せっ! うまくタイミングを計れば、助かるかもしれん」
ゲオルクは、熊蔵の言葉に「ぐうっ!」と唸った。くるりと背を向け、猛然とゴンドラ出入口を見詰める。
出入口からは、猛烈な勢いで、山肌が後方に流れてゆく。
好敏の目測では、山肌と飛行船の距離は十メートルもない。熊蔵の提案は、充分に検討に値する。うまく受け身を取れば、運がよければ、生き延びるかもしれない。
「よしっ!」
ゲオルクは決意の表情で叫ぶと、だだっと出入口の桟に手を掛けて、身体を乗り出させた。
恐怖の表情を浮かべて、地上を見下ろす。
「跳ぶっ!」
宣言すると、さっと手を離し、身を躍らせた!
好敏は出入口から、地上を覗き込む。
ゲオルクの身体が、山肌に叩き付けられるように転げてゆく。
ころころと斜面を転がり、視界から消えた。
無事だろうか?
好敏には、確認できない。
熊蔵が操縦桿を握り締め、叫んでいた。
「ぶつかるぞっ! 衝撃に備えろっ!」
好敏は、前方に立ち塞がる、山肌を睨んだ。
もう、後戻りはできない。後は、熊蔵の操縦に任せるしか、ない!
好敏は覚悟を決め、目を閉じた。




