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暁の双翼  作者: 万卜人
第一章 秘密指令
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 好敏はスロットル・ペダルを踏み込み、エンジンの回転を上げ、同時に昇降舵エレベーターを操作し、機体を上昇させた。手許の操縦桿を傾け、補助翼エルロンを使って、右方向へ機首を向ける。

 足下にはフランスの大地が広がり、風は真っ向から吹きつけてくる。速度は目測で約三十三ノット。背後の星型回転式エンジンの唸りが伝わり、力強い震動が心地良い。

 アンリ・ファルマン飛行学校に入学しての、初の単独飛行であった。

 好敏が操縦するのは、アンリ・ファルマンⅢ型と呼ばれる、推進式複葉機である。これが将来、日本に輸入される予定となる。この機体は、最長飛行時間三時間、航続距離百マイルという、当時では最も優れた複葉機である。

 アンリ・ファルマンⅢに搭載されている発動機は、ノーム社製空冷星型七気筒の、ロータリー・エンジンである。つまり、星型に配置されたシリンダーのクランクが中央で固定されたコンロッドにより、エンジン自体が回転し、直結されたプロペラを回すのである。

 なぜこのような、奇妙奇天烈なエンジン配置になったかというと、この時代、低回転、低出力のエンジンでは、シリンダーの震動が、機体に悪影響を与えると判断され、それならエンジン自体を回転させ、遠心力により震動を吸収させようという設計なのだ。

 飛行学校に入学して、好敏は懸命に操縦技術を吸収し、ようやく単独飛行にまで漕ぎ着けた。

 無事に着陸に成功すれば、好敏の飛行技術の修得という、大目的は達成される。

 飛行眼鏡越しに足下を見ると、飛行学校の建物が見え、幾人かの人影が見える。高度は約三十メートル。

 好敏は旋回を繰り返し、三周を数えた。規定では、三周を終え、着陸に成功させれば、飛行免許を交付される。

 操縦桿を前へ倒し、好敏は機体を前方へ傾ける。高度が下がり、見る見る大地が迫ってくる。昇降舵を巧みに操り、好敏はスロットルを絞り込み、対地速度を加減して、着陸態勢に入った。

 着陸用の車輪が遂に地面と接触し、突き上げるような衝撃が伝わってくる。

 車輪には、着地の衝撃を吸収するための橇が装備されている。この工夫により、舗装されていない地面でも、機体に損傷を与えることなく、滑らかに着陸できるのである。

 この時代、補助翼はあるが、フラップは発明されていない。機体を着地させるには、単純にエンジンの出力を絞るだけである。が、まだまだエンジンの能力が低く、速度も三十二ノット前後であるから、フラップの必要性は、まだ存在していない。

 とにもかくにも、好敏は、機体を見事に着地させた。教科書どおりの、理想的な着地であった。

 エンジンの回転が止まると、すぐに飛行学校の方角から数人が駆け寄って来た。

 先頭の背広姿のカメラマンが、早速、飛行機の操縦席に座る好敏に向かい、シャッターを切る。これは好敏が試験に合格したという証明であり、飛行免許に写真が添付されるのである。

 カメラマンが素早く撮影を終えると、好敏はようやく操縦席から地面に降り立った。興奮はまだ去らない。

「おめでとう。よくやった!」

 声を掛けたのは、飛行学校の校長であり、機体の設計者でもあるアンリ・ファルマンである。

 年齢は三十六歳。ほっそりとした身体つきで、真っ黒な髪の毛をぴっちりと横分けにして、口許には濃い髭を生やしている。背後に、弟のモーリスがにこやかな笑みを浮かべていた。

「有難う御座います……」

 好敏はもごもごと口の中で、感謝の言葉を述べた。気がつくと、奥歯がかちかちと鳴って、全身がぶるぶる、瘧のように震えている。

 飛行の時には自信が満身に溢れていたが、ようやく地面に降り立ち、身体は正直に反応しているのだ。

「やったわね!」

 明るい女性の声に、好敏は大きく息を吸い込み、身体の震えを必死になって静めた。

 目の前に、ほっそりとして、小柄な身体つきをした女の子が、好敏を見上げている。セーラ・リリエンタール。アンリ・ファルマン飛行学校、唯一の女性である。

 セーラの肌は磁器のように硬質な白さを見せ、髪の毛はほんの少し、亜麻色がかっている。

 つんと尖った鼻先に、生意気そうな大きな瞳をしている。しかし全体の権高そうな印象は、頬にぱっと浮かんでいる赤みで救われていた。

「これであなたも、一人前の飛行機乗りってわけよ! お祝いしなきゃ。どう、これから一緒に?」

「いいな……! そりゃあ、良い考えだ」

 やっと、好敏は返事を絞り出した。

 セーラの顔がぱっと明るくなり、身を捩ってするりと好敏の腕に自分の腕を絡ませる。

 腕を組んで歩き出す二人を、校長のファルマンが好意的な笑みで見送った。

 セーラの国籍はフランスであるが、父親は、かの有名なオットー・リリエンタールと聞いている。グライダーによる、人類初の飛行を行い、また人類初の、航空機での死亡事故を記録している。

 好敏は、飛行学校に停めてあった愛用のモーター・サイクルに歩み寄った。バイク、あるいはオートバイという呼称は、まだこの二輪車には与えられていない。

 空冷直列四気筒、サイドバルブ、七百五十㏄、前輪懸架式、後輪リジッドという組み合わせの、最新式だ。

 この二輪車を手に入れた理由は、誰よりも先に、飛行学校に一番乗りをして、飛行訓練を受けるためだ。二輪車の効果は抜群で、好敏はいち早く卒業に漕ぎ着けたのである。

 二輪車に跨ると、好敏はセーラに顔を向けて口を開いた。

「着替えするから、ホテルに寄るぞ」

 セーラは「うん」とばかりに頷くと、二輪車の後席に跨って、好敏の腰に手を回した。

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