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宿は、もともと農家だったと見えて、一階は天井が高く、太い梁が剥き出しに通っている。床は洒落た白黒の市松模様である。
いかにも農家らしく、一階は食堂となっていた。階段の側がクロークである。欧州には民家を改造したホテルは珍しくない。
先に踏み込んだ大公は、好敏に向かって振り向くと、穏やかに話し掛けた。
「少々、お話をしたいのだが、よろしいか?」
口調には有無を言わせない、迫力が籠もっている。好敏は気圧されるのを感じて、激しく頷いていた。
大公の視線が、好敏の背後に向かう。何だろうと好敏も大公の視線を追うと、何と、アドルフがぴったりと、くっついて来ている。
「これは身内の話でね。君は遠慮して貰えないだろうか?」
大公の命令に、アドルフは飛び上がるようになって「は、はいっ! 失礼しました!」と叫ぶと、そそくさと二階へ駆け上がった。
一階の、窓際に席を取り、大公、好敏、セーラ、グレタの四人が輪になって座る。
大公はゆったりと、懐から葉巻を取り出すと、吸い口を専用の鋏で丁寧に切り取り、口に咥えた。一服吸いつけ、紫煙を吐き出す。強い、葉巻の匂いが辺りに充満する。
好敏は、おずおずと、口を開いた。
「お話と仰いましたが、どのような?」
大公の視線が、好敏と、隣に座るセーラを往復した。意味ありげな視線に、思わず好敏とセーラは顔を見合わせた。
「君らは、関係を持って、どのくらいになる?」
大公は前置き無しで、ズバリと切り出した。質問に、好敏は、自分の耳が、かーっと、真っ赤になるのを、感じた。
セーラは、さっと俯く。
「エイラ……君がセーラと呼ぶ娘は、オーストリア王族の一人だ。将来については、慎重に考えなければならないのは、承知して頂けるだろうね?」
「つまり、別れろ、と仰るのですか?」
好敏は表情を固くして、答える。大公は、ゆるゆると否定の意味で、首を振った。
「そうではない。君が、エリーザベト・フランツィスカ・フォン・エスターライヒ嬢に相応しい人物かどうか、それが問題なのだ」
大公の言葉に、セーラが素早く口を挟む。
「相応しいわ! だって、好敏さんは、日本の由緒ある家柄の皇太子なのよ!」
「セーラ、何を言い出すんだ?」
好敏は呆気に取られていた。
自分が皇太子? セーラはどんな勘違いをしているのだろう?
好敏の顔色を見て、セーラは必死に食い下がる。
「違うの? だって好敏さんの苗字は徳川でしょう? 昔の日本は〝ショーグン〟という身分の人が治めていて、徳川家は〝ショーグン〟の家柄って、聞いたわよ。だから、好敏さんは、立派なプリンスでしょ? 爵位も持っているって、話したじゃない?」
あまりの勘違いに、好敏はうまく思考が纏められない。苦手なドイツ語で説明するのだが、言葉は縺れてしまう。
「正しくは『持っていた』だよ。確かに清水徳川家は、伯爵位だったが、今は持っていない。僕は普通の、平民だ」
さすがに、父親の不始末により、爵位を返上したなどとは、説明できない。
「爵位は、持っていないと?」
大公の言葉に、好敏は胸を張った。
「そうです! しかし、日本は天皇陛下の下に開国し、一君万民の体制になっております! 爵位があろうと、あるまいと、それが僕の中身には一切、関係ありません! 日本陸軍大尉、それが徳川好敏です!」
セーラと、大公の表情を見て、好敏はさらに詳しく説明する必要を感じた。
「確かに徳川家は、江戸幕府というのを拓き、二百六十年余に亘って、日本を統治しました。しかし明治の御世に、大政奉還をなしとげ、政治を天皇陛下を中心とする、明治政府に平和的に委譲したのです。それ以来、徳川家は、天皇陛下の忠良な臣民となっております。ですから、僕はプリンスでも何でもないのです」
大公は「ふーむ」と唸り、口髭を捻り上げた。表情は穏やかである。
「なるほど、良く判りました。それでは貴君は、エイラ──おっと、セーラですな!──を妻にしたいと仰るのですか?」
好敏は一瞬、黙り込んだ。
脳裏に、清水家、田安家、一橋家、水戸家、紀州家、尾張家歴々の、親族一同の顔が浮かぶ。
全員「外国人の娘を妻など、断固として考えられない!」と声を大にして叫ぶ光景が、目に見えるようだ。
しかし好敏は、腹を決めていた。
「はい。セーラを……エリーザベトを妻にと、切望いたします!」
遂に口にしてしまった! もう、後戻りはできないぞ……!
大公は葉巻を喫うと、大きく紫煙を吐き出した。灰皿に葉巻をぐいっと押し付け、始末する。
決意したように立ち上がると、頷いた。
「君の決意は承った。後は、セーラ次第だな。二人で、良く話し合って貰いたい」
好敏は慌てて立ち上がった。つい軍隊式に、敬礼をしてしまう。大公は面白そうな顔つきになって、小粋に答礼すると、背を向け歩き去る。
がたん! という音に、好敏が音の方向を見ると、セーラが蒼白な顔で立ち上がっている。好敏とは、目を合わせようとしない。
「セーラ?」
「あ……あたし、失礼するわ……! ちょっと、疲れているの!」
小声で答えると、そのまま固い表情を保ったまま、二階へと向かう。好敏はつい、追い掛けてしまった。
「セーラ、どうしたんだ?」
「従いてこないでっ!」
強い語調で答えると、バタバタと足音を立て、階段を駆け上がった。好敏は訳が判らずに、セーラの後を追って階段を上がる。
たたたっ! と小走りにセーラは二階の廊下を走り、自室のドアに飛び込んだ。
ばたんっ! と、好敏の鼻先で、ドアが勢い良く閉められる。
「セーラ、話を……」
「今は駄目っ!」
ドアの向こうから、セーラの悲鳴が響いた。
「グレタ、グレタはいる?」
「はい、ここにおりますです」
気がつくと、背後にグレタの巨躯が立ちはだかっていた。グレタはニヤリと、意地の悪そうな笑顔を見せていた。
グレタはドアに近づき、囁く。
「エリーザベト様、何か御用で御座いましょうか?」
「あたし、誰にも会いたくないの! だから、ドアの前で見張っていて!」
「畏まりました」
グレタは大仰に点頭すると、ジロリと好敏を睨んだ。
「お聞きになられたでしょう? お嬢様は、気分がすぐれないようで御座います。自室にお引取り頂きます」
好敏は茫然と、その場を立ち去った。
何があった?
セーラの変貌は、いったい?
好敏の胸は、疑惑に荒れ狂っていた。




