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長い、途轍もなく長い列車の旅が、ようやく終わりを告げ、終着駅のミュンヘンに到着したのは、夕刻過ぎである。
気温は摂氏十度以下に下がり、空にはちらほらと、星が瞬いていた。ミュンヘン駅から降り立った瞬間、カシムはありありと緊張を示した。
「尾行されているぞ!」
好敏の脇に近寄り、小声で囁いた。
やはり……、と好敏は小さく頷いた。カシムの懸念どおり、ウイーンを脱出するのが、あまりに簡単すぎた!
「ゴロス少佐の手か?」
好敏の質問に、カシムは「いや」と否定の意味で、片方の眉を上げた。
「それは、判らん。だが、駅を出たすぐから、ぴったり俺たちを尾けている相手がいる。俺は、尾行があれば、全身で判るんだ」
二人の会話を聞きつけ、アドルフが顔を真っ青にさせて割り込む。
「こ……これから、どうします? 逃げるんですか?」
好敏はアドルフの質問に答えず、顔を動かさず、目だけで周囲を探った。
ミュンヘンは、ベルリン、ハンブルクに次ぐドイツの三大都市で、駅頭には無数の通行人、馬車、自動車が行き交い、雑然としている。
ちらっと一瞥しただけでは、それらしき怪しい人物は誰も見当たらない。が、好敏は、カシムの勘を全面的に信頼している。
長年に亘って反政府活動に携わっているカシムが、断言するのだ。カシムの勘は、確かだろう。
「まず、宿を探そう。尾行を撒くのは、明日にしよう。まさか、今すぐ相手が行動を起こすとは思えない」
カシムは即断して、アドルフに答えた。アドルフは強張った表情のまま、頷いた。
セーラは無言で、好敏の腕に縋ってくる。
ひし、と掴んだセーラの腕から、恐怖が好敏に伝わってくる。好敏は無言で、セーラの手に、自分の掌を重ねてやった。
セーラが顔を挙げ、青褪めた表情のまま、微かに笑顔を見せた。好敏は元気付けるために頷いた。安心したように、セーラの頭が、好敏の肩に擦り寄ってくる。
二人はぴったりと身を寄せ合い、歩く。
ふと視線を感じると、アドルフの青い瞳と出会う。アドルフは、好敏の視線に、慌てて顔を背けた。
カシムは歩道から、近づく乗り合い馬車に手を上げた。馬車が止まると「近くのホテルを頼む」と御者に告げた。御者は頷いた。
一同は馬車に乗り込んだ。
御者が「はっ!」と小さく叫んで、鞭をピシリと鳴らす。
パカパカという蹄の音を聞きながら、好敏は馬車の窓から外を覗き込んだ。
相変わらず、尾行者の姿は見えない。
しかし、向かい合わせに座ったカシムからは、全身にピリピリと張り詰めた緊張が伝わってきた。
懐を無意識に探っている。上着に隠したブローニングの自動拳銃を確かめているのだ。
好敏も、ゴロス少佐の地下牢から脱出したとき、相手の拳銃を奪っている。ゴロス少佐の部下が使っていたのは、ルガーP08である。
さて、この銃を、実際に使う機会があるのだろうか? いや、それよりも、自分が銃を撃つ覚悟があるのか?
好敏は不安を押し殺した。




