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暁の双翼  作者: 万卜人
第四章 陰謀家たち
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 荷車は、じれったいほど、ゆるゆると通りを進む。満載されている残飯の臭いで、鼻が曲がりそうなのを、好敏は必死に堪えた。

 耳を澄ませていると、周囲の会話が、ドイツ語から、耳にした覚えのない言語が混じるようになった。閉じ込められていた時、微かに聞こえてきた、回教徒の祈りの言葉に、響きは似ている。

 残飯の臭気に、強い香辛料の匂いが混じる。

 ようやく、荷車が停まった。

「もう、いいぞ!」と声を掛けられ、好敏、セーラ、アドルフの三人は、ごそごそと荷車の底から這い出す。

 好敏は、立ち上がり、周囲を素早く見回した。

 ウイーンの旧市街らしい。建物は古ぼけ、通りは狭く、ごみごみとしている。

 すぐ横で、好敏を救い出したグループのリーダーが、明らかに緊張を解いた様子で、壁に背中をくっつけ、紙巻煙草を取り出して口に咥えていた。

 荷車を御した部下は、リーダーに一つ頷くと、ぴしりと鞭を鳴らし、驢馬を急き立て、大通りへと消えた。

 好敏たちは、思わずお互いの顔を見合わせた。セーラはドレスの乱れを気にしている。アドルフは不安そうで、怯えたような眼差しを辺りに向けている。

 火を点けた煙草を咥えたまま、リーダーは「こっちだ!」と頭をちょっと傾げ、好敏たちを案内する。最小限の言葉しか、口にしない主義らしい。

 案内されたのは、裏通りに面した、三階建ての建物だった。見るからにオンボロで、壁の漆喰は剥がれ、古い煉瓦塀が、所々で剥き出しになっている。

 狭い入口を抜けると、二階へと続く階段になっている。階段は木製で、踏むとギシギシと軋んだ。

 通されたのは、五角形の、妙な間取りの角部屋だった。建物の形が、狭い通りに押し込められているように建てられているので、こんな不思議な形の部屋になったらしい。

 床は、掃除が長い間、されていないようで、踏み込むと砂埃で、靴底がじゃりじゃり音を鳴らした。

 細長い窓側に、鉄製のベッドが置かれ、向かい側に木製の長椅子があった。リーダーはベッドに腰を下ろし、じろじろと好敏たちを観察した。

 好敏は、ついに口火を切った。

「助けて貰って、感謝の限りだが、お互い、自己紹介といかないか?」

 リーダーは、にやっと笑った。

「そうだな。俺はカシムと名乗っている。あんたらも、そう呼んでくれれば良い。俺は、ある組織の長を務めている。その組織は……まあ、今更この期に及んで奇麗事を言っても始まらない。要するに、反政府組織だ。もちろん、オーストリア=ハンガリー帝国への、反政府活動だがね!」

 反政府組織という言葉に、好敏の隣で茫然と立ち竦んでいたアドルフが、びくっ、と身を震わせた。口許がぴくぴくと痙攣し、身内から湧き上がる戦慄を必死に耐えている。

 好敏は質問を投げ掛けた。

「なぜ、我々を助けた?」

 カシムと名乗った若者は、挑戦的な目つきになった。

「奇妙な噂が流れている。ハンス・シュミットという、情報組織の一員が殺され、残された写真を手懸りに、さまざまな組織が動き出している──。そんな噂だ。そんな時に、シュミットが接触した、日本政府から一人の軍人がウイーンに派遣され、調査を始めたらしい……。すると、オーストリア王宮警護特別隊のゴロス少佐が、あんたらを街のど真ん中で逮捕し、連れ去った。さてこそ! と俺たちは色めき立った。それで、あんたらを救出することにしたのだ」

 好敏は肩を竦めた。

「なんだか、皆、シュミットに振り回されているな。俺はシュミットという御仁に、顔を合わせたこともないのに、ゴロス少佐は俺がシュミットと連絡を取り合っていると、誤解している始末だ!」

 カシムは薄ら笑いを浮かべた。

「そんな与太話を信じろ、と言うのかね? 少佐が、あんなに血眼になって、あんたらを誘拐したというのに」

 好敏は、むっとなって、黙り込んだ。

 すると、それまで黙り込んでいたアドルフが、堪りかねたように口を開く。

「反政府組織って、どんな組織なんです? あなたがたは、どの国の組織なんですか? オーストリア帝国に対立する国は、沢山あるけど、あなたがたもそんな国から、ウイーンに来たのですか?」

 カシムの眼差しが、怒りに燃える。

「推測は、ついているんじゃないのか? 俺たちは、セルビア独立運動の闘士だ! オーストリアに奪われた、ボスニア・ヘルツェゴビナを奪い返すまで、俺たちの戦いは続く……だが」

 言葉を切り、カシムは笑いを浮かべて、好敏を見詰めた。

「なぜ、あんたを、危険を冒して救出したか、説明しよう。古くから、こう言われているだろう? つまり〝敵の敵は味方〟とね! ゴロス少佐に誘拐され、あんたらはオーストリア王族と敵対関係になった。すなわち、俺たちにとっては、新たな友人というわけだ」

 好敏は「ふん!」と鼻を鳴らす。

「嘘つきめ……。あんたは、嘘をついている。俺は、相手が嘘をついているときは、目で判るんだ!」

 好敏と、カシムの間に、一瞬、鋭い緊張が張り詰めた。最初に、カシムは緊張を解き、頷いた。

「まあな。だが、丸っきり嘘、というわけでもないぜ。手を晒すと、ハンス・シュミットが日本政府に漏らした『新兵器』ってやつに、俺たちも興味を持っているんだ」

「やはり、そうか!」

 カシムはゆっくりと、立ち上がった。

「俺たち、セルビア独立同盟。オーストリア帝国、ロシア、ドイツ。その、どの情報組織も、シュミットの言う『新兵器』についちゃ、神経を尖らせている。本当にそんなものがあるかどうかさえ、確かじゃない。だが、もし存在するなら、由々しき事態だ。もし『新兵器』がオーストリアに渡ったら……」

 背後で、息を呑む気配に、好敏は目の端でアドルフの様子を盗み見た。

 アドルフは、全身に力を込め、何か自分だけの考えに沈んでいるようだった。

 好敏は、ゴロス少佐に対し、アドルフが示した反応を思い返していた。アドルフは、オーストリアの現状に、酷く不満を感じているようだった。

 まさか、妙な考えを弄んでいるんじゃないだろうな?

 好敏はアドルフに対し「決して目を離さないようにしよう!」と決意していた。

 そのアドルフは、顔を挙げ、好敏に目を向けた。

 唇に、微かに笑いが浮かんでいる。

「あのう……」

 おずおずと、好敏とカシムの間に話しかけるように、曖昧に手を泳がせる。

「僕、思い出したんです」

 ぐいっ、とカシムが上体を折り曲げるようにして、アドルフに注目する。

「何を、思い出したんだね?」

「ハンス・シュミット氏が、撮影した、写真の場所を……」

「何っ!」

 好敏と、カシムは同時に叫んでいた。

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