6
好敏が半地下室に閉じ込められていたと思っていたのは、間違いだった。通路に出て、すぐに別の部屋に入ると、そこには外に開いた窓があって、向かいの家が見える。
窓から外を覗くと、地面が見えるが、石畳で舗装されておらず、剥き出しの地面だ。ということは、好敏の閉じ込められた民家は、斜面に建てられていたのだろう。斜面に食い込むように倉庫が作られ、半地下の構造になっていたのだ。
部屋は、農家に良くある造りで、天井には太い木の梁が渡され、農具が置かれている部屋もあった。多分、ウイーン郊外の農家に、好敏は連行されたのだ。
黒服の若者は、黙ってずんずん前へと進んでいく。
時折、通路の陰から、銃口を覗かせて灰色の男が攻撃するが、すぐに反撃して血路を開く。若者たちの動きは、きびきびとしていて、今まで何度も、このような場面に遭遇していたことを、窺わせる。
銃弾が、壁にびしっ、びしっと食い込んでも、顔色一つ変えない。冷静に応戦し、相手が怯むと、即座に前へ、前へと進んで行く。
とうとう、一行は、外へと飛び出した。
目の前に、メルセデスのリムジンが停まっている。リムジンは無人で、いつでも発進できるよう、キーは刺さったままだ。
やった!
こいつを頂けば、楽々と逃走できる!
一歩、リムジンに近寄ろうとした好敏を、リーダ格と思われる男が止めた。黙って頭を左右に振って「こっちへ!」と指を曲げる。
躊躇っていると、苛立ったように「しゅっ!」と歯の間から、息を吐き出す。今にも怒りを爆発させそうなので、好敏は訳が判らないままに、若者に従いてゆく。
そのまま建物の陰に潜むと、若者たちのグループの二人がリムジンに乗り込み、発動機を始動させ、走り出した!
呆気に取られていると、すぐに好敏たちが拘留されていた農家から、ゴロス少佐を先頭に、灰色の男たちが姿を現す。
走り去るリムジンを見て、ゴロスは憤懣やるかたなし、といった調子で、何か罵り言葉を口にして、地団太を踏んだ。
さっとゴロスは、建物のもう一方の陰に機敏に飛び込むと、今度は好敏の二輪車に跨り、リムジンを追跡して行く!
「糞っ!」と好敏は、小声で毒づいた。あの二輪車は、好敏の俸給の大部分をはたいて手に入れた宝物である。それを、むざむざと、ゴロスに奪われるとは……。
「これで、少し時間が稼げる。リムジンに、あんたが乗っていないとは、すぐには、露見しないだろう」
好敏は振り向いた。
下手糞なドイツ語である。好敏と、良い勝負だ。
話し掛けたのは、最初に声を掛けてきた、黒髪の若者だ。精悍な顔つきで、どことなく中近東出身と思われる。年齢は、好敏より、二、三歳は上か?
「それを狙って、黙って行かせたのか? 俺の身代わりになった二人は、どうする?」
若者は、にやっと笑い返した。
「心配ない。こういう荒仕事は、何度も経験しているからな。程よい所で、車を乗り捨てて、人込みに紛れる術を、心得ているよ」
若者の言葉に、好敏は密かに、恥じ入った。ゴロスたちの追跡を振り切れず、連行されただけなのに、このグループは、易々と追跡そのものをあしらえると、主張するのだ。
セーラが囁いた。
「あたしたちは、どうなるの?」
「それも考えている。こっちだ!」
若者は素早く立ち上がると、足音を忍ばせて歩き出した。
路地に、荷車が停まっている。荷車には、一杯に残飯が満載されていた。残飯の大部分は腐っているらしく、酷い臭気を発散させている。荷車の先には、驢馬が繋がれている。
驢馬は、じろりと好敏の顔を睨んで、気に入らないのか「ぶほっ!」と一声、嘶いた。
「下を覗き込んでみろ」
言われて、荷車の底を覗くと、革製の太いベルトが垂れ下がっている。
「そのベルトに身体を差し込み、隠れるんだ! 後は、安全な所へ連れて行ってやる」
好敏は、セーラとアドルフの顔を見た。
「どうする?」と呟くと、セーラとアドルフは、黙って頷いた。他に選択肢はない。
荷車の底に這い進み、ベルトに身体を捻じ込んで、ぶら下がる。
荷車に満載されている残飯の匂いで、気が狂いそうだ。しかし、この残飯のお陰で、敵の目を晦ませるのだろう。
三人が隠れると、ぎしっ、と荷車が軋み、ぴしっという鞭の音が聞こえる。驢馬が不平そうに、鼻を鳴らすが、それでも、ゆったりと動き出した。
後は、じっと、ひたすら我慢するだけだ。
荷車の揺れに身体を任せ、好敏は考えに沈んでいた。
ゴロスの口振りでは、ハンス・シュミットと名乗る情報提供者は、生きて活動を続けているらしい。死んだように見せ掛けるなど、諜報活動に勤しむ連中には、当たり前の日常なのかもしれぬ。
いったい、ハンス・シュミットの正体とは何だ? 何者なのだろう……。
それと──。
好敏には、もう一つ、圧倒的に気懸かりがあった。
セーラである。
ゴロスが好敏の自白を引き出すためには、アドルフより、セーラを拷問したほうが、遙に効果的なはずだ。
しかしゴロスは、セーラを選ばず、アドルフを選択した。何か、セーラについては、手を触れるべきではない、と考えている顔つきだった。
そう言えば、セーラについて、好敏は何も知ってはいない!
父親は、セーラの言葉によれば、オットー・リリエンタールという、飛行研究家だと主張している。では、母親は誰だ? セーラの実家は?
普通なら、セーラと好敏の関係に至ったら、お互いの詳しい事情を教え合うはずだ。
だが、セーラは、一方的に好敏の身辺について質問するが、自身については一言も語っていないのを、改めて悟っていた。
そのセーラは、好敏の身体にぴったりと寄り添い、ベルトに身を隠している。
二人の視線が合うと、セーラは微かに頷き、笑顔を見せた。
セーラは、好敏を全面的に信頼し、総てを委ねている。猛烈な臭気も、好敏がいれば耐えられると、無言で訴えているようだ。
好敏は、セーラの顔を見詰め、沈思黙考していた。




