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明治四十三年(一九一〇)四月吉日、新橋駅ホームには、盛大な歓送の列が、敦賀へ向け旅立つ二人の軍人を見守っていた。
駅頭に立つのは、徳川好敏と日野熊蔵で、二人とも陸軍大尉である。今朝の二人は、スーツに中折れ帽、新調のコートという出で立ちで、顔にはこれから迎える興奮が、はっきりと見て取れた。
これから二人は、敦賀から汽船に乗り換え、ロシアのウラジオストクからシベリア鉄道で欧州入りするのである。
目的は、フランスの、アンリ・ファルマン飛行学校へ留学し、五年前にライト兄弟が実用化した飛行機械の操縦法を修得。さらには、日本国内への飛行機輸入という任務を担っていた。
すらりとした上背のある青年は徳川好敏で、最近になって伸ばし始めの口髭が、微かに微風に靡いている。年齢は、満二十六才。
徳川という姓から判るが、御三卿の一つ、清水徳川家の嫡男として生まれ、陸軍幼年学校を経て、士官学校に入学。工兵隊の士官として、軍人生活を歩み出した。
ホームには、軍関係の見送りが目立つが、陰に隠れるようにして、徳川家の人々がひっそりと見送っている。
清水徳川家は明治になって伯爵の位を賜り、華族の一員であったが、当主の篤守が家産を濫費、借金を重ね、爵位を返上して平民になってしまう。
今回の洋行は重大な責務を負うが、それだけに見事に成功すれば、徳川家に再び爵位が賜るであろうと予想できた。好敏には、清水徳川家の再興という希望が込められていた。
好敏の隣に立つ、がっちりとした身体つきに、大きな頭の人物は、日野熊蔵である。
熊本県球磨郡人吉の出身で、好敏と同じく工兵隊所属である。熊蔵は日野式拳銃の設計者として知られるが、独自で飛行機の開発にも携わり、機体も完成させていた。
しかし、熊蔵の設計による機体は、遂に飛行に失敗し、陸軍は熊蔵の開発に見切りをつけ、好敏と共に欧州へと留学させることを決定した。
今度こそ、断じて失敗は許されぬ……。熊蔵の大きな顔には、そんな厳しい決意が刻まれていた。
そろそろ汽車も動き出そうかという刻限になって、二人の前に、美髯の紳士がふらりと近寄った。
二人は紳士の登場に、さっと敬礼をする。
紳士は鷹揚に答礼をすると、にっこりと笑い掛けた。
「誠に目出度い旅立ちである! 二人とも、今回の任務は重大である。儂も吉報を心待ちにしておるぞ!」
陸軍中将の長岡外史であった。
長さ一尺にもなろうかという、長大な口髭を伸ばし、陸軍内部では珍無類の、変人として通っている。
陸軍の中では、飛行機の可能性にいち早く着目し、今回の留学を立案したのも、長岡であった。
長岡は臨時軽気球研究所を組織し、好敏と熊蔵を所属させている。
好敏と熊蔵は、顔を真っ赤に染め、長岡の言葉に深く頷いていた。
「必ず、閣下のご期待に応えます!」
好敏が甲高い声で答えた。
長岡は上機嫌で頷き返すと、二人に汽車に乗り込むよう、促した。
「日野熊蔵大尉! 徳川好敏大尉の成功を祈願して、万歳──っ!」
居並ぶ軍関係者の中から、「万歳」の声が上がり、軍楽隊が勇壮なマーチを演奏し始める。二人は客車の窓から、ホームに向かって手を振った。
駅員が笛を鳴らし、汽車は新橋のホームから滑り出した。