=1話=
「平林さん!お願いします!ボクと付き合ってください!!」
学校から寮までのほんの短い距離で、まさか安っぽいドラマのように口から紅茶を噴射することになるとは思わなかった。
深緑にまだ黒を混ぜたような色のブレザーとグレーのズボンは隣町にある高校のものだが、紅茶の霧を顔の端に受け、「……あ…」と少し赤面した小柄な少年に見覚えはない。
いきなり発せられた言葉に地央は口元をぬぐいつつ慌てて周囲を見回した。
ほとんどのものが部活をしているので、とりあえず寮までの道に人影はなくホッとする。
そして改めて綿あめのようなフワフワの髪と、黒目の大きな丸い眼の少年を横目で見た。
いや、まあ、可愛いけどさ……。
はにかむ姿は可憐な少女のようではあるものの、だからといって発言の内容に問題がないわけではないだろう。頬を上気させ、潤んだ目を向けてくる少年に恐る恐る口を開いた。
「あの……、俺、男だけど……」
一目瞭然のことを改めて口にする地央をキラキラを潤んだ瞳で見上げる少年。
「僕、中里友、川迫高校の1年です!」
「……え?」
地央の精一杯の言葉を完全に無視のテイストで決めてきた友。どうしていいかわからず、いるはずのない右横の真直にすがりそうになった。
「僕、去年の文化祭で平林さんを見たときからずっとずっと憧れてました。僕の携帯の待ち受け、平林さんなんですよ!?……なのに急に学校辞めたって聞いて本当にショックだったです。それが先日復学したって聞いて、いてもたってもいられなくなって……!あ、ほら、これです。ね?」
ずいっと差し出されたガラケーの液晶画面。視界と視力の関係上待ち受けの内容を見るには随分近づかなければならないが、そうする気にはなれず、曖昧に笑って小さく首をかしげるにとどめた。
「えーと……」
どうしたらいいんだろうか。
「彼女いるんですか!?」
自分がゲイだと思われているのかと思ったが、彼女がいるのかと聞かれたところをみるとそうでもないようだ。
「いや、いないけど」
即答できる。
真っ先に頭に浮かんだ図体のデカイあいつは、間違っても彼女じゃない。
ただ、目の前の友の顔が一層輝くのを見て彼女がいるというべきだったと後悔した。
校陸からこっちやたら女子から告白されることが増え、「彼女いるから」と適当に受け流していたが、相手が男なのでどうにも勝手が違う。
「悪いけど、そういうのはないから。ごめんね」
この間まで中学生だったこの少年に変に期待を持たすようなことを言ってもいけないと、地央は心を鬼にして踵を返しフェンス沿いの寮へ脚を向けた。
「あ、待ってください!!」
友は慌てて地央のリュックを掴む。
急なその勢いに地央の上半身が引っ張られ、バランスをくずして後ろに倒れそうになった。
そのことにイラっとして文句を言おうとリュックのベルトを強く持ち振り返る。
「……あっ!」
リュックを掴んでいた小柄な友の体が、そのまま振り回されるようにしてフェンス脇の電柱へと飛ばされる。
それには地央も驚いた。
慌ててフェンスに手をつき体を支えている友のところへ近寄れば、眉根を寄せて呻いている。
「悪いっ。大丈夫か?」
視線を落とし、ありえない光景に地央の目が見開かれる。
地央の狭すぎる視界に飛び込んできたのは、友のふくらはぎから突き出た針金だった。
友の肉を割って伸びる針金の大元を辿っていくと、ふくらはぎの後ろから電柱の横に何気なく放置されていた廃材の針金の親元が。
「いてて……」
針金で足が串刺しになっている割には呑気な友。
いっそ投げ飛ばした形になってしまった地央の方が真っ青になっている。
「と、とりあえず救急車か!?」
震える手でポケットから取り出したが、あまりのショックに携帯を取り落としてしまう。
アスファルトに滑る携帯電話を慌てて取ろうとした地央の手に友の手が置かれた。
眼球だけを向けた地央に、友は首を傾けて泣きそうな顔を向ける。
「悪いと思ってくれてます?」
「そりゃそうだろ」
即答する地央に友は真摯な瞳を向けた。
「じゃあ、デートしてくれます?」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
グレーのズボンの繊維から突き抜け、見ているだけで痛みを覚える針金。
友は地央の携帯を手で被って渡そうとしない。
「デート、約束ですよ」
「わかったから早く寄越せ!」
無理に携帯を奪うようなことをして足に負担をかけてもいけないと焦れる地央。
これではどっちが怪我をしているかわからない。
すると、友が満面の笑顔を地央に向けた。
「やったー!!」
体の横で万歳の形をとった友の手から携帯を引き抜き、救急車両を呼ぶ番号が何故か浮かばず小さくパニックになる。
「え?117?119?」
「やだなあ平林さん。117は天気予報ですよ。ん?時報だっけ?」
呑気に笑いながら友はぞんざいに自らの脚を貫く針金に手をかけると、後ろから一気に引き抜いた。
「いっ!」
声は痛みを感じるはずの本人ではなく、凝視していた地央から漏れた。
「お前……雑だな。痛いだろーが」
友の笑顔に痛みの影はまったく見えなかった。
「平気ですよ。だって……」
その後は言葉をつながず、グレーのズボンを膝まで捲りあげて見せる。
「あ……」
そこにあったのは弾力のある薄橙の肌ではなく、シルバーと黒の硬質な素材にレースを透かし入れたようなしなやかな人工物だった。
「可愛いでしょう?特注なんですよ。この脚」
地央は言葉を失った。