終幕
「ちくしょうっ。殺りやがった」
一畳ほどの広さしかなく、四方を薄いパーティションで区切られただけの薄暗い個室ブースで、パソコンの乗った机を思い切り叩き、悪態をつく戻川。
うるせえぞという音が隣のブースから聞こえ、戻川は舌打ちをして席を立った。ブースを出て、ドリンクコーナーへと歩いて行く。
「何だよ、畜生……プレイヤーにまで手を出すなんてあり得ねえだろ。NPC同士だけにしとけよなぁ……」
マンガの詰まった本棚が作る狭い通路を、ブツブツ言いながら通る。
「またアカウント作り直しかよ……。くそっ」
コーラをコップに注ぎ、ついでに数冊の格闘マンガを手にとってブースに戻った彼は、パソコンの画面を見てつぶやいた。
「あれ……。接続が切れてる」
再接続を試みるが繋がらない。仕方なくブラウザを立ち上げ、インフォメーション・サイトを見る。
「なんだよ……サーバに不具合が発生しております、だぁ? くそっ。最近不安定すぎるぞ」
ため息をついて、戻川は椅子の背もたれを倒した。
駅前のマンガ喫茶。インターネットに繋がるパソコンのあるブースに彼はいた。ここ数週間、毎日現れては丸一日過ごしていく彼を、店員は不審に思っている。
戻川は仕方なく再接続を諦め、気まぐれに普段見ないニュースサイトを覗く。大臣が失言の責任を取って辞任、アイドルが電撃入籍、誰も興味のないニュースが続く。
「……通り魔か……物騒だな」
路地裏で40代の男性が射殺されているのが見つかったと報じられていた。財布などは取られておらず怨恨の線で捜査中。犯人は見つかっていない。被害者の名前は小津和郎。
「昨夜か……げっ。近くじゃないか……。このへんも物騒になったな」
やがてニュースを見るのに飽きた彼はマンガを読み始める。3冊をあっと言う間に読み終わった頃再度サーバへの接続を試みるが繋がらなかった。
「仕方ないな。帰るか……」
時刻は午後十時半。彼は今日も徹夜でスモール・ワールドに入り浸るつもりだったが、諦めることにした。精算をすませて店を出て、暗い道をバス乗り場まで歩く。
「あ、しまった。今日は休日か。バスがねえや」
無職でバイトもしていない彼には曜日の感覚が無い。
「仕方ないな。歩いて帰るか」
歩けば30分はかかる距離だが、最近運動不足だしな、と暗い夜道を歩き始める。
そして。
彼が、自分がミスをしたと悟ったのは、大通りを外れて公園沿いの道を歩いているときのことだった。
「右に曲がれ」
つけられていた、と気づいたが既に手遅れだった。わき腹に何かがつきつけられている。戻川は、その銃に見えるものが本物かどうか確認したかったが、その勇気はなかった。つきつけているのは真っ黒なコートと目深に被った帽子に身を包んだ長身の男だった。言われた通り右に曲がり、誰もいない公園に入る。言われるがままに明かりに照らされていない方へと歩く。
ニュースで見た通り魔だ、と彼は思った。警戒しなかった自分を責めた。
「サーバがなぜダウンしたと思うね」
低い男の声。その言葉で戻川は、男が通り魔でないことを知る。他の誰でもない戻川を狙ったのだ。背中を急激に吹き出た汗が伝う。
「……お……俺……」
「戻川次郎君、だね。君がジェームだということはわかっている。……昨晩と今夜、サーバがダウンしたのはクラッキングのせいだ。プレイヤー・キャラクターがどこから操作されているか、割り出すためにクラッキングがかけられたのだ」
「……な、なぜ……」
男は息を漏らした。
「探偵ジェーム君に問題だ。昨晩、オズワルド・ベイリーが殺され、サーバがダウンし、翌朝死体が発見された。何かおかしいと思わないかね?」
「な、何を……」
「聞き方を変えようか? どうして彼はサーバが復旧した後死んでいた?」
「え……?」
「わからないのかね? それでよく探偵を名乗ったものだ。いいかね? 他のNPCは皆、リセットされてそれぞれの部屋で寝ていたのだよ。君が解説したとおり、記録は数時間巻き戻ってしまっているのだからね。ならば、オズワルドがNPCなら彼もまた生きていた時の記録に巻きもどされ、殺害は無かったことになる筈じゃないのかね? 翌朝ベッドで目覚めることができた筈なんだよ」
「……」
戻川は自分の背後で銃を突きつけたまま喋る男の声が、どこかで聞いたことのある気がしてならなかった。
「わからないかね? 探偵ジェーム君」
戻川はうめくように言った。
「オズワルドは……NPCじゃなかったというのか」
男が頷いたのがわかった。
「そうだ。オズワルドはプレイヤー・キャラクターだった。奴は大金を積むことで、ベイリー邸の主の座を買ったんだ。もともと、あそこには別のキャラクター、NPCの主がいた。だが、オズワルドの奴は1000万ほど金を積んで運営側と交渉し、オズワルドという自分のプレイヤーキャラクターをベイリー邸の主にしてくれるよう頼んだのだ。奴はスモール・ワールドのスポンサー企業にもコネがあってね。運営側もしぶしぶ要求を飲んだ。結果、ベイリーの妻や娘息子たちは、奴のキャラクターであるオズワルドを夫あるいは父親だと思うように設定が書き換えられた。それからの奴はやりたい放題だ。君は知らないだろうが何人もの使用人が奴に酷い扱いを受けてやめている。最近雇われたあのメイドも、オズワルドが自分好みのNPCを用意するよう5百万ほど積んだ結果、創られたキャラクターだ。だが、運営側も、オズワルドの好みに合わせた容姿や育ちなどの設定を作ることはしたものの、一旦創られたNPCの意志まではコントロールできない。スモール・ワールドのNPCは全員、特殊な人工知能プログラムに基づいて行動していて、それをいじることは運営側もできないらしいんだよ。だからオズワルドは自分が大金を積んで設定をいじったキャラクター達に殺されるという皮肉な結果になってしまった訳だ」
「お……」
「お?」
「小津……なんだな、あの、昨日殺された」
「ほう!」
突然わき腹につきつけていた銃が離れ、ほっとしたのもつかの間、前に回った男は戻川の喉につきつけなおした。
「気づいたかね。そうだ。小津和郎……昨日死んだ男だ。彼の分身がオズワルドだ。自分の名前からもじってキャラクターにつけていたようだな」
目深に被っていた帽子を少し持ち上げ、顔を見せる男。その顔は戻川の知らない顔だった。髪に白髪が混じり始めているが、意志の強そうな目が印象的だ。
「話を戻そう。オズワルド・ベイリーは家族と使用人に殺された。そのうちの誰かに、ではない。全員にだ。銃の引き金を引いたのが誰だったかは問題ではないのだ。あの晩、全員が殺意を持って奴の寝室に集まっていたんだよ。君が見たようにリータが寝室に入る前に、既に全員があの部屋にいたのだ。まったく! 昨夜こそ、彼らが屋敷の主人に反旗を翻した記念すべき夜だったのだよ! だからこそ必然的に、オズワルドは死んだ。彼らは勝利した。……だが……彼らが知らなかったのは、オズワルドがプレイヤーであり、こちらの世界にはのうのうと生きる本体がいるということだった。本体たる小津和郎が生きていては、奴はただ次のオズワルドを作るだけだろう。それではいけない」
「あ……あんたはまさか……」
「私だけは奴の寝室に行かなかった。倒すべき相手はスモール・ワールドの外に存在することを知っていたからだ。彼らが寝室に乗り込むのと同時に、私はログアウトして友人に連絡を取り、オズワルドを操っている奴の居場所をつきとめるよう依頼した。優秀な私の友人は小一時間で突き止めた。小津の居所をつきとめた私は奴を待ち伏せ、家を出たところで息の根を止めた。
最も、そのクラッキングのおかげでサーバがダウンしてしまったのは想定外だったが……。今考えればこれはこれで幸いかもしれん。あの家に住む彼らは、自らが殺人を犯したことを覚えておかずに済む。彼らの記憶には残らない」
戻川はそこでたまらずに叫んだ。
「教授か……! あんた、ラズカー教授なのか!」
「そうとも」
その目は……獰猛に光る目は間違いなくアサルト・バンジット・ラズカー教授のものであった。
「私はね、ベイリー邸が奴によって蹂躙される前の屋敷の主ギルバート・ベイリーと親友だったのだよ。このスモール・ワールドがサービスを開始して以来の、20年の友情だ。それが奪われたのだ。NPCであった彼は、オズワルドにその座を取って替わられることによって、あの世界から消滅してしまった。消滅だ。墓さえない。存在しなかったことにされたのだ。許せるかね? 許せるというのかね? 私はあの家のNPC達と同じように、いや誰よりもオズワルドに殺意を持っている人間だと言っていい」
「……お、俺も……殺すのか」
「はっはっは。何を言う。君はもうとっくに殺されているんだ。わかっている筈だ。探偵ジェームは死んだ。まあ、今回もサーバはダウンしている。サーバが復旧し次第、私は君の死体を秘密裏に始末してしまおうと思っている。誰にも発見されることはない。記録がリセットされ今日の出来事を忘れた皆は、君がいなくなったのが何故か知らない。事件は迷宮入りになるだろう。だが、それで良い」
「お、俺が何をしたっていうんだ……」
「君は自尊心のためにあの家の平和を乱そうとしたじゃないか」
「俺は悪いことはしてない、殺人を告発しただけだ」
「頭の悪い探偵だな。正しいことをすれば恨みを買わないとでも思っているのか? お目出度い男だ」
「ばかな……なぜだ? たかがゲームじゃないか……たかがNPCの敵討ちで殺人なんて……」
「たかがゲーム? たかがNPC?」
銃の引き金に指を当てて、教授は尋ねた。
「君は、自分がNPCだと考えたことがあるかね?」