72 告白
「わたし、怒っていなかった。ただちょっと悲しかっただけだよ」
「ごめん」
今度はニニンドがサララの瞳が濡れているのに気がついたから、次の言葉が出てこなかった。
「謝らないで。こっちこそ、しっぺをしたり、殴ったり。なんか、……わたしときたら、ニニに痛い思いばかりをさせている」
「そんなの、全然かまわない」
ニニンドが自分の胸の中央を抑えた。
「好きなの?」
「えっ、 何が」、
ニニンドの目が大きくなった。
「痛いのが」
「まさか。嫌いだよ、痛いのは嫌だよ」
ちょっと笑いが出て、緊張が緩んだ。
「サララのしっぺは痛すぎだよ」
あの時、やっぱり我慢していたんだとサララは今さら思った。涙目を隠していたんだ。
サララが近づいて来て、ニニンドの袖を引っぱった。
「ごめんなさい」
サララはニニンドの胴体に手を回して、強く抱きしめた。
彼に何か特別に悲しいことがあって、会いに来たのだということを感じることができた。
「サララ、来てくれてありがとう。悲しませてごめん。ずっと会いたかったんだ」
「わたしも……、会いたいと思ってた」
ふたりのそばには大きな砂漠が横たわっていて、そこから砂まじりの風が吹いていた。
砂に音はないけれど、いつも何かしら風が吹いていて、それが砂漠の音なのだ。今日の風はひょーろひょーろと狭い筒を抜けるような、聞き慣れない音を立てていた。
「思うのだけれど」
ニニンドの次の言葉がなかなか出てこない。
なにとサララの瞳が訊いていた。
「一緒に……、一緒に、お互いを思いながら、生きてほしいと思うのだけど」
「ずっと一緒に生きていると思っていた。リクイとも、ニニとも」
「そういう仲間意識じゃなくて、もっと近くにいて」
「それって、申し込んでいるということ?」
とサララの目が驚いていた。
無理もない。ニニンドは自分でも驚いていたのだから。そういうことが言えた自分に。
「ニニは、わたしに、結婚の申し込みをしているの?」
「そうだよ」
とニニンドがすまなそうな顔をした。
他人のプロボーズの話は聞いたことがあるけれど、自分の場合には、こういうふうに、突然、 やってきたとサララは思った。
ニニンドは謝って自分の気持ちを伝えるところまでは考えてきたのだけれど、一気にプロポーズまで行けるとは思っていなかった。
「サララがいなくては、前には進めそうにない」
「そんなことはない。ニニは何でもひとりでできる人だから」
「言い方を間違えた。もちろんひとりでも前には進めるけれど、ひとりでは進みたくない。サララと一緒に、進みたいんだ」
「それは。でも」
ニニンドは、やっぱりだめだったかと思った。
そうだよな。
「でも」という言葉が続いたので、まだ可能性はあるのかなと彼は神経を集中させた。
「わたしはニニの力になりたいとは思う」
とサララが考えながら言った。
これは承諾してくれたということなのだろうかとニニンドが思った。ただ協力してくれるということなのだろうか。
「こんなおれと一緒になったって、苦労ばかりだよね。毎日、笑って暮らせるようなのんびりした日々はなどは待ってはいない。国は大変な状態にあり、問題は山積している。それに、明日は、生命がなくなるかもしれない」
これって、覚悟がなければやめておけ、ということなのだろうかとサララは思う。明日、ニニンドの命がなくなるかもしれない、なんて考えるのもいや。
「ばっかじゃ」と言いかけて、サララは口を閉じた。
「ニニが正直なのはいいけど、申し込みの言葉としては……」
「だめかい」
「だめというわけじゃないけど。もっと何か」
「わかった。待って」
こんなにことが早く進むとは思わなかったけど、なぜちゃんとした言葉を用意しておかなかったのだろうとニニンドは後悔した。ちゃんとした詩を用意しておけばよかった。
「楽しい時も、そうでない時も、サララとともに過ごしていきたい。道の途中で苦しみが待っているのなら、サララと苦しみたい」
こんなのしか思い浮かばない。よかったのかなぁ。
うん、とサララが小さく頷いた。
まぁ、いいけど。でも、サララだって、プロポーズにはもっとロマンチックな言葉が聞きたいのが本音。
「自分の希望ばかりを言ってしまったけど、サララと一緒になっても、おれにしてあげられること はあまりないよね」
ニニンド、ここにきてへっぴり腰にならないで、とサララが腕組みをした。
「おれにできることは、サララのことを思うこと、愛すること、それしかない。どんな時も思い続けるから、結婚してくれませんか。おれはここから成長したい。サララが成長するのも、近くで見ていたい」
ニニンドが緊張した面持ちで、噛みしめるように言った。
サララが大きく頷いた。
「ニニのプロポーズに点数をつけるとしたら、」
「プロポーズにも点数をつけるのかい、何点?」
「……二百点でした」
「千点満点の?」
「百点満点です。ありがとう」
それ、すごい点じゃないか。
「あれでよかったの?追試になるか思っていた」
「完璧。本当は、わたしはニニが生きていれば、それでいい」
「じゃ、いいということかい。おれの妻になってくれるのかい」
「でも、わたしにできると思う?王宮で暮らせると思う?」
ニニンドができるよと自分を指さした。おれだって、やっているだろ。
「宮廷には、いろいろな難しいしきたりがあるんでしょ」
「できるよ。できることだけやればいいんだ」
サララが目を瞬きながら、ゆっくりと頷いた。そうだね、できることをやるしかない。
「好きだよ」
とニニンドが言った。
ついに、その言葉がきた。
「好き」という言葉はただの単語ではない。魔力がある。その言葉一つで不安は消え、自信が生まれ、なんでもできる 気になる。ニニンドの目も鼻も口も、全てが好き。声も笑顔も、話し方も。そんな人が、自分を必要だと言ってくれているのだからね、がんばるしかないなとサララは思う。
「サララがキャラバンに行きたければ、行けばいい。縛られることはない。でも、かならずここに帰ってきて、旅で見たり聞いたり、学んだことを話してほしい」
「わかりました」
「戦争は決して望んではいないけれど、敵国が攻めてきて、戦争が始まるかもしれない。そんな時には、サララに宮廷で帰りを待っていてくれ とは言わない。ともにラクダを並べて、戦いに行こう。どう思う?」
ありがとう、とサララが頷いた。そういうの、いいね。そういうのが望み。
「ねっ、こんなわたしのどこがいいの?」
サララは確認したい。
サララはインスピレーション、原動力なのだとニニンドは言いたかったけれど、ちゃんとしたことを言おうとすればするほど、適切な言葉が見つからない。言葉というのは、肝心な時にはなかなか出てこない。
「ぜんぶ」
「すごいね。ニニ、ありがとう。でも、無理はしないで。そんなこと約束してくれて、でも、もし実現できなくても、わたしは責めたりはしない。わたし、ニニとがんばろうかな」
「約束は守るから、一緒に、がんばろう」
ニニンドはこれまで「がんばる」という言葉は嘘くさい気がして使ったことがなかった。
「がんばる」なんか、自分のスタイルには向いていないと思っていたけれど、自然に口から出て、自分はここから変わろうとしているのだと思った。
「そうだ、あの上まで行ってみよう」
ニニンドが砂丘を指さした。




