54 組紐の発見
ハヤッタは宮廷に戻ると、王の許可を得て、信頼のおける数字に強い部下を各地の師団に送り、その目で出納簿を確認させることにした。
ハヤッタ自身は倉庫の中身の点検に取り掛かろうとした。王宮には金庫、銀庫、銅庫、宝物庫などの倉庫がある。この十年というものこのスルマール王国には戦争はしばしばあったが、幸い飢饉、大火事、洪水、疫病がなく、倉庫は金銀銅で満ちているはずである。
その倉庫はマグナカリ王弟殿下の管轄で、その鍵は国王と王弟だけが持っている。
国王がしきりに王弟を呼びにやるのだが、彼は宮廷を離れていて、居場所がいまだわからない。
「ひとつだけでも、倉庫を開けるわけにはいきませんか」
ハヤッタが懇願した。
うむむ。
王は悩む。繊細な弟の神経を荒立てさせたくはないからである。
「財政はマグナカリが取り仕切っているので、耳にいれないで開けることは控えたい。彼はプライドが高く、こういうことには敏感で、傷つきやすい。そこのところに特に気をつけて行動しなければ、後で起らなくてもよい問題が起きるだろう。とにかく、それだけは避けたい。彼との関係は一度もつれたら、なかなかもとには戻らない。マグナカリはもうすぐ戻ることだろう。それまで待つのが良策だろう」
国王がそう言って、ハヤッタの顔を窺った。
「誠に。私も、王弟殿下のお帰りを待つのがよろしいと思います」
そんなことを言っている場合ではないのだが、「わかりました」とハヤッタはかしこまって礼をして、その場を足早に、まだびっこを引きながら立ち去った。
その部屋には、ニニンドの指揮の下、鬼ヶ岳の事故現場周辺で見つけたすべての物品がテーブルの上に集められていた。
ハヤッタが現れて、テーブルに並べられた三十個ほどの発見物の中を見て回った。ほとんどががらくただったのだが、中に三十センチくらいの紐があった。
ハヤッタがそれを取り上げて、泥を水で落としてみると、それは赤、茶、オレンジ色で編まれた組紐の部分だった。
ハヤッタがそれとなく、それをリクイに示した。
「それは」
リクイが驚いて、その紐を手に取った。
「これは兄のものです。ジェット兄さんは、これをいつも首にかけていました」
「ああ。それは」
その時、ニニンドは思い出した。
それはサララと市場に行った時、腕相撲で優勝した若者がつけていた組紐だった。
「その彼とは井戸のところで出会ったのだけれど、彼は上半身裸だったから、この組紐を首にかけていたのがよく見えた。組紐には丸い玉がついていた」
「何色」
「丸い緑の玉だった」
「ああ、そうなんです。兄さんの組紐には緑の石がついていた。とても大事な石なんだよ。この石の持ち主が、いつか自分たちを迎えにくると言っていた」
「私が話していると、そこに美しい女の子がやってきた。今思うと、彼女がハルザード王国の姫なのだろう」
「その時、サララはそこにはいなかったのかい」
「サララは、離れたところで待っていた」
どうして、とリクイの目が訊いていた。
「おれが早食い大会に出て、顔中を米粒だらけにしたから、ひとりで洗いに行ったんだ」
ニニンドがリクイの耳元で言った。
ええっ、きみが早食いをしたのかい。
「それはまぁいいから、つまり、私はリクイのお兄さんと会ったということだ」
あの時、サララが一緒に井戸まで来ていたら、ジェットと会えて、この事態はなかったのだろうか。
そうか。その日、兄さんは市場にいたのだ。
リクイは切れた組紐を手にしながら、不気味な心臓の音を聞いていた。
「でも、まだ望みはあるから」
ニニンドが慰めた。
「生きているという望みかい」
「そうだよ」
「でも、現実には、千人もの人が崖にはいつくばって、日夜捜索しても見つからないのだから、兄さんはもう見つからないと思う。獣にでも、食われてしまったのだろう」
「そしたら、骨があるはずだろう」
「そうだけど」
その夜、リクイは夢を見た。
崖から、ジェット兄が転げ落ちていく夢だ。
「ジェット兄さん」と叫んで手を伸ばして助けようとするけれど、次の瞬間、夢は終わった。
リクイは眠ることができず、誰もいない宮殿の廊下を歩いた。
庭の隅に黒く丸まった影があった。
誰なのだろう?
近づいてみると、それはニニンドだった。彼は口を一文字に結んで、頭を垂れていた。彼も似たような状態で、母親を亡くしているのだった。
リクイは声をかけずに、立ち去った。
次の夜、屋根に上がった時、
「崖の下には、別世界へ続く入口があるのだろうか」
ニニンドがぽつんと言った。
「どうして」
「そうでないと、説明ができないだろ。こんなに探しても見つからないんだから」
「そうかもしれない。ニニンドはお母さんがまだ生きていると思っているのかい」
「母上が生きていたら、必ずおれに会いにくるはずだろう。それがないのだからね、生きてはいないだろう。でも、母上は人の想像を超えた人だからね、どんなことも可能なんだ。今でもおれをどこかで見ておもしろがっていて、ただ出てこないだけかもしれないとも思いたいけど、それはないだろう」
「そうだね。この世には、本当に不思議なことがあるから。想像ができないような不思議なことが起こっていてほしい」
ニニンドは今まで母親について語らなかったから、リクイは彼が何を考えていたのか知らない。
悲しみは波のように来ては返る。
悲しみは突然津波のようにやってきて、次々と思考を破壊していく。だから、逃げようがない。
リクイはジェットと離れてから一度も手紙が届いていなかったけれど、兄は生きていたから、つながってはいた。この世にその人が生きているのといないのでは、ゼロと千億以上の違いがある。天と地ほども違う。
十三歳の時、兄さんとしばらく会えないというだけで、リクイは夜を越えられないと思ったくらい寂しかった。でも、また会えるという希望があった。でも、兄さんが死んでしまったら、希望が消える。楽しい未来はもうない。
「兄さんが死んだとわかったら、ぼくは二度と笑うことがないと思う」
うん、とニニンドが頷いた。
リクイ、わかるよ。おれも、そう思ったから。
いろんな悲しみがある。他の悲しみはどんなに深くでも、それは詩や踊りになって、美しく生まれ変わることができる。でも、死は美しく生まれ変わることはなく、死のままだ。死は別格で、絶対で、残酷だ。
すべてのことには可能性がある。余命を宣告された病人が、治ることもある。しかし、死だけは違う。
死ぬと、可能性がなくなる。
そして、人は死に慣れることはない。
でもね、その人との時間はもうないけれど、この世界には、まだ見るべきもの、知るべきもの、おもしろいことがたくさんあるとわかる日が来ると思う。その暗い道を抜けてそこに辿りつくまでには、長い時間が必要なんだ。その長い時間っていうのが、拷問だ。
その道をきみが歩いている時、おれにできることはそばにいて、話を聞いて、背中を撫でることくらいだ。
リクイ、きみはひとりで歩き抜くしかないんだよ。
肝心な時って、たいていひとりだよね。助けたいと思ってくれている人はいても、助けることができないんだ。ひとりでやるしかない。
おれの母上を失った悲しみはね、今は傷口は治り、もう出血はしていないように見えるかもしれないけど、傷跡はしっかりとあるんだよ。そこを押せば、すぐに血が吹き出すだろう。
リクイ、いつか、きみとはその話をしたい。でも、今ではない。




