21 サララは絶対王者
春の祭りが近づいてきた。砂漠というところは。夏は髪が変色するほどの灼熱だが、冬はまつ毛が凍えるほど寒い。しかし、春の二ヵ月ほどは、暑くも寒くもない快適な気候になるのだ。人々はその季節が来るのを楽しみにしている。
砂漠の民ベドウィンの出身の中には町に移り住んで商売で大成功した人がいるが、時に彼らは砂が恋しくなるのだ。四方を海に囲まれた国の人が、ふと海を見たくなるように。砂漠は清潔で美しく、エネルギーを与えてくれる。砂漠の国のある王が、疲れを感じると砂漠に来て休養するという話は知られている。
スルマール王国のベドウィンは、今では町で暮らしている者も多く、中には商いで大成功した者もいる。けれど、春になると砂漠に大きなテントを張らせ、休暇を取る。といっても、一度着いた贅沢癖は取れないので、料理人をはじめ、召使いを連れ、寝台などの家具も運ばせるから、そういう意味では町での暮らしとはさほど変わらないのだが。
彼らは砂漠に来ると鷹狩、蒸し風呂などを楽しむ。中でも一番楽しみにしているのがラクダ競争で、もちろん、彼らは賭ける。町の金持ちが相当な大金を落としていくから、村にとっては最大の稼ぎ時なのである。
そのラクダ競争の日こそ、サララが輝く日なのだ。
サララはラクダ競争の絶対王者、女子で、まだ十七歳で、足が悪いのだが、もう五回も勝ち続けている。
サララの普段の仕事は、シルクロード隊商の道案内。
ひと月前からすでにキャラバンの仕事を休み、本格的な練習を始めている。
今年はなんでも特別なラクダがエントリーされていると聞いている。そのラクダは「旋風」という名前で、乗り手は「三日月」、その素性は明かされてはいないが、相当な乗り手らしい。
その噂が飛び散って大きくなり、人々はその話で持ち切りだ。
サララはただ今五連勝中で、自分に勝てる相手がいるとは考えられないが、ついに負ける日がきたのかもしれないという思いも心の底にあり、例年以上の練習を重ねている。
そんなある日、リクイがサララの家にやって来た。リクイはふたつ年下の弟分で、砂漠で一番近くに住んでいる。近くといっても、一キロは離れているのただが。
「サララ姉さん、マッサージをしにきました」
「あんた、ばっかじゃないの」
とサララが例の調子で言った。
「サララ、姉さん、また言葉がきついですよ」
「医者でもない男に、身体をさわらせるわけがない」
「ぼく、男ですか。弟でしょう」
「いやだ」
「ぼくは本でたくさん勉強したんです。ぼくはそちらの足をマッサージしてあげたい」
とリクイが右足を指さした。
「こっちの足は動かないんだよ。何の役にもたたない。マッサージをするのなら、左のほうだろう」
「ぼくはサララ姉さんの身体の要は、その右足だと思っています」
サララはぎくりとした。
実はサララの中では右足が「神」なのだ。右足は何もしないし何もできず、他の身体の部分が懸命に働いている。しかし右足がつむじを曲げて痛みが生じたら、身体中が動かなくなる。そこには理屈とか、平等は通用しないのだ。
リクイは最近、サララの歩き方が以前と少し違うことに気がついた。そのことについて調べてみると、右足に原因があることを突き止めたのだ。右足が凝りすぎているから、他の部分がそれをかばおうとして無理が出てしまっている。
「ものはためし」
とサララが椅子に座った。
「ジェットからの手紙は届いた?」
ジェットというのはリクイの兄で、三カ月前に兵隊に行き、国境近くに配置されている。
「手紙はないです」
「本当に、あいつときたら、何をやっているんだろうか」
「兄さんはきっと書いてくれています。何かの事情で届いていないんです」
「そうだね。よっぽどの僻地に行かされたんだ」
「サララ姉さん、ここのところ、すごく凝っています。そのせいで、身体のバランスが崩れているんです」
「そういうことか」
なるほどとサララは思った。マッサージは気持ちがいい。
「あれ、どう思う?」
サララは壁にかかったピンク色の服を指さした。
「大会のために、母さんが縫って、タンタンが刺繍をしてくれた。あの子は注文がたくさんはいって忙しいというのに」
タンタンはサララの妹である。母親と町で暮らしている。
「きれいです。サララ姉さんはこんな色、着たことないですよね」
「ない。あんな女子っぽい色なんか、いやだって言ったんだ」
「姉さんは女子ですよ」
「私は色が黒いから、あんな色は似合わないんだ」
「絶対に、似合いますよ」
「それがさ」
とサララが額の髪をかきあげた。
「この服を取りに行った時、出来上がったばかりの服がかかっていた。白い上着に、紫色のズボン。裾には星のように銀色の刺繍がされていて、風になびくと裾が割れて、裏地の紫が見えるようになっている」
「手が込んでいますね」
「高貴な婦人の注文らしいけど、これは三日月が着るのではないかと思うんだ」
「旋風の乗り手ですよね。誰ですか、その人は」
「わからない。一度、旋風の走りとやらを見たいものだ」
サララの身体に力がはいって、固くなった。今年のサララは自信がないらしい。
「サララ姉さん、杞人憂天って知っていますか」
「なに、それ。誰かが店を出したのかい」
「心配するなという意味ですよ。サララ姉さんが勝ちます」
「そうなら、そう言えばいいのに。あんたは会うたびにどんどん利口になっているから、いやだ」
「どうしてですか。ぼくは少しでも多くのことを知りたいと思って勉強しているんです。サララ姉さんの役にも立ちたいし」
「勉強するのはいいことだ。たしかに、リクイは運動系じゃないけど、勉強には向いている。まっ、人はそれぞれだ。そうだ、リクイはマッサージ師になればいい。儲りそうだ」
これがサララ姉さんの精一杯の誉め言葉だとリクイは知っている。




