表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

言葉と文字の追憶

作者: 有凪いちほ
掲載日:2026/07/04



外からの夜風に、窓の木枠がカタカタと鳴る。

ペン先を黒のインクに浸し、硬く古い紙の上へ滑らせていく。

 隣に開いた本の文字を、ノートへ丁寧に書き写していくのが、欠かしたことのない日課だ。

ペンを手放し、ぐっと伸びをして掛け時計を見ると、針は十一時を指していた。

 夜の闇には記憶が呼び起こされる。手元の、書き連ねた文字へと目を落とした。


 自分が作ったわけでもないのに、人が大地に線を引いていく。

 人が一歩で跨げる程度の線を引き、これは自分のものだと言った。

 その中に「その一人」はいた。

 まるで、与えられたお菓子を横取りされないために、手でいっぱいに囲む子供のように。誰にも取られないよう、分け与えないよう、隠すことに躍起になるうち、自分の体でお菓子を潰している、けれどそんなことにも気づかずに。いつの間にか「その一人」は、自分のお菓子を見もしなくなっていた。ただ囲うその手が、払い除けられることだけを恐れ、囲むことに固執し心を囚われていった。

 ただ、周りは豊かで優しかった。誰かを見る余裕もあった。

「その一人」の隣りに座っていた彼はずっとその姿を見ていた。心を囚われた「その一人」が苦しそうで辛そうで、どうにかしようとそっと肩に触れようとしたとき、「その一人」は彼のお菓子を奪って食べた。

 彼は悲しんだ。それはとても、大切なものだったから。

 そして気づいた。「その一人」をどうにかすることなど、もうできないことを。

 放っておけば、また自分が大事にするものを何の意味もなく奪われる。「その一人」は自分のものにさえ見向きもせず、ただ存在だけを残しボロボロにしていながら、また誰かの大事なものを奪っていく。それだけは、絶対に駄目だと思った。

 彼は「その一人」はここにいてはいけないのだと思った。

 戦うことを決め、見ていた周りも彼が正しいと頷いた。

 そのとき「その一人」の腕の中の、ボロボロになったお菓子の欠片に見向きする者は誰もいなかった。




             *





荒い呼吸だけが、頭の中に響いている。

 どれだけ逃げ続けたか、立ち止まった瞬間足が細かく痙攣し、ついに少女は枯葉の上に座り込んだ。体を支えるよう脇にある木に片手を付きゼエゼエと息をする。喉が開かずままならない呼吸を繰り返す。涙と、胃の中がぶり返しそうになるのを堪えながら下を向き何もない一点を見つめる。

 いつからか降り始めた雨は体を濡らし体温を奪っていた。呼吸が落ち着き、自分の体が冷え切っていることに気づく。そこまで来て初めて少女は自分が来た道を振り向いた。

 自分がいたはずの街が、背を向け四肢を千切る思いでそこから逃げていたはずなのに、まだ見える場所にある。

 遠くに燃える炎が熱い、離れていても汗が流れ意識は朦朧とし、けれど心は凍えていく。どうすればいいのかわからない自分の体を固めるように肩を握りしめ背中を丸めた。強く目を瞑り、そのままどれだけの時間が過ぎただろう。

 日が沈み始めていた。

 降っていた雨は上がり、木々の隙間から落ちる夕日の木漏れ日が山の森を赤く染めている。静まり返った森の中でかさりと落ち葉を踏む足の音が聞こえ少女は目を覚ました。のそりと顔を上げる。体は休まってはいなかった、自分でもわかるくらい緊張に張り詰めた筋肉が体の中で軋んでいる。少女は目を開け硬い心のまま音のした方を見つめた。自分の体の中で鳴る心臓の音だけが聞こえ、神経が異常に研ぎ澄まされる。もう一度枯葉を踏む音が聞こえ、足音と共に遠い木々の間から現れたのは緑黒の服を着た青年だった。気づいていないのか辺りを見渡し近づいてくる。血が下がり心臓が跳ね、嫌な汗が流れた。青年が着ているのは自分たちを殺す人間の服だった。

 青年の視線に捉えられ、少女の体は息を止める。

 このとき少女と青年は互いに違うものを見ていた。

 青年は少女の頬に刻まれた紋章を、少女は見たこともない色の髪と鋭い目を。そして二人の視線は交わる。

 少女は怯えた。合った目を逸らすこともできず、震えた体を地面に押さえつけ、細く弱い背中をさらに縮め小さくさせる。まるで怯えながら威嚇する猫のように、顔だけを青年に向けていた。

 青年の足がわずかに少女の方へ動く。しかしその瞬間山に甲高い笛の音が鳴り響き、青年はその方を向いた。音のする方の空を見てじっと立つその背中を少女は見ていた。音が止むと青年は少女を振り向くことなく来た道を戻っていく。

 姿が見えなくなると、少女はどっと疲れを感じた。何も考えることはできず、ただ意識だけがまた泥のように沈んでいった。



 少女が次に目を覚ましたのは夜だった。あれからどれだけ時間が過ぎたのかもわからない、ただ体のだるさから一日程度ではないだろうという感覚がある。

 前よりも少しだけ体に当たる空気を寒く感じず、横になったままもぞりと顔と目を動かす。周りは何故か眠る前と景色が違うように思えた。そのまま視線をずらしていくと少し離れた場所に大きな岩が見え、あんなものがあっただろうかと記憶を巡らせる。次の瞬間、岩に背中を預け座っているあのときの青年の姿を見つけ朦朧としていた意識が醒めた。驚き起き上がった拍子に自分の体から地面に何かが落ちる。それを見て少女はさらに驚愕した。それは緑黒の服の上着だった。血が回らず目眩に頭を押さえる。体が重く思うように動かない。音に気づき青年は少女へ顔を向けた。目を向けられるのがわかっても少女に動く気力はもうなかった。

 青年は何かを手に取り立ち上がると少女へと近づいていく。光のない眼でただぼうっとどこかを見つめる少女の前に、青年は何かを置いた。そうして元いた岩の前へ戻っていく。

 少女は自分の前に残されたそれを見た。よれた紙の上に置かれていたのはパンと水。それが一体どういう意味を持つのか理解することができなかった。けれどしばらくそれを見つめていた少女は恐怖に呑まれた。固まった手で青年へ向かってそれを押し返し、額を地面につける。まるで許しを請うように少女はそのまま動かなかった。

 青年はその姿を見ていた。地面に這いつくばったまま動かない少女に、もう一度立ち上がる。近づいてくる足音に少女は怯え顔を上げると、青年は押し返されたパンを一口ちぎり自分の口へ入れた。そして同じようにもう一度ちぎると、今度は膝をついて少女の顎をつかむ。何かわからないでいる少女の口を指で開かせると、青年はちぎったパンを少女の口へ入れた。そして一度だけ大きく少女の頭を撫でる。手を離し立ち上がると、岩の前へ戻り元のように座り目を閉じる。

 少女はパンを噛んだ。二度噛んで飲み込んだ。その瞬間空腹を思い出し、ゆっくりとパンを手に取り食べ始める。食べていると喉が渇いた。置いてあった水を掴み口へ含む。冷たい水が喉を流れていくと、その瞬間涙が流れた。そのあとはただ泣きながら食べ続けていた。


 朝、そのまま眠っていた青年が目を覚ますと、少し離れた脇に自分の上着が畳まれて置かれているのを見つけた。立ち上がりそばまで行ってそれを拾う。周りを見回すと自分のいた岩の裏からガサリと落ち葉の擦れる音がした。振り返ると、少女が隅に小さく丸まり眠っていた。  

 青年はその姿を見つめ堅い眠りだと思った。眠っているはずなのに息さえうまくつけていない。普通ならばあるはずの呼吸に合わせてゆっくりと上下する身体の動きがなく、凍ってしまったように固まったままだった。ただ、すぐそばの落ち葉の上にはパンを包んでいた紙と水の容器がそれだけになって落ちていた。

 近づき少女を見つめ立ち止まる。足を屈め紙と容器を拾い立ち上がると、青年は持っていた上着を羽織り山の中へ歩いていった。



 数日が過ぎても少女の体に溜まる疲労は増すばかりで、足の激痛はより酷いものになっていた。立とうとすれば倒れ、歩くことはできない。痛む場所に手を伸ばしても顔を歪めるばかり。気力はなく、じっと座り息をしているだけの時間を過ごす。そんなとき思い浮かぶのは家族のことだった。けれど少しして、思い出そうとするたび自分でそれを拒絶するようになっていた。その過去の先に繋がっているのがすべてこの今だと、そう気づいてしまってから。そうして自分から全部捨てていくような時間が続き、辛すぎたのだろう。あの青年のことを思い浮かべるようになっていた。

 青年は毎日のように少女の元に食料と水を置きに来ていた。頭を撫でたのはあの一度のみで気のせいだったのではないかと思うようにもなっていたが、それでも恐れは感じないようになり始めていた。

 そうしてまたじっと目を閉じていると、いつもの方向から枯葉を踏む足音が聞こえた。目を開けると青年が歩いてきているのが見える。けれどいつもと違い、袋を持つ手の脇に布のようなものと大量の木の枝を抱えていた。青年は近づいてくると、少女を見て荷物を合わせて片手で持ち、空いた手で少女の腕を掴んだ。力は加減されていて痛くはない。そして立ち上がらせると、そのまま手首を握りどこかへと歩き出す。 

 しかし足の痛みはすでに限界に来ていた。バランスを崩し膝をつくと、手が離れたことで振り向いた青年が、座り込んでいる少女の姿を見て、一瞬のうちにどんな体の使い方をしたのか、少女をその背中におぶさっていた。少女は驚き少しの間抵抗したが、何事もないように森の中を歩いていく青年に心は落ち着いていく。背中で揺られながら不思議な感覚が胸の中で生まれていた。荷物を持たない片方の手で、青年は少女を落とさないようしっかりと支えていた。


 山の中を進み、行きついたのは小さな川の流れる川辺だった。対岸はずっと続く森になっており、自分たちのいる側は硬い岩盤の崖が川の先まで続いている。

 青年は少女を背から静かに下ろすと、その岩盤の崖を眺め始めた。何かを探すように歩いていく。少女は置いていかれることを恐く思い、一定の距離を置きながら痛みに耐えゆっくりとついていった。しばらくして青年はある場所で止まり、確かめるように見入った後、岩と岩の間の窪みに手を掛け力を入れた。すると大の男ふたり分ほどの大きさの岩が境目から外れ、手前へ向けて倒れた。驚き近づいていくと、よく見ればそれは岩ではなく厚い木の板で、偽装のためか灰色の塗料が塗られているだけだった。

 板の外れたその中は緩やかに下に続き広く空洞になっているようだった。奥に光はなく暗い。

 青年は外したその木を脇の岩盤に立てかけ、空洞の中へ入っていく。少し行くと振り返り少女を見る。付いてこいということのようだった。どうしようか迷っていると、青年はもう一度少女のそばまで来て、背におぶさり中へ入っていった。

 中は外から見て想像していたよりも広く、下は岩盤と砂が交互になっていた。

 青年はある程度まで奥へ行くと少女を下ろした。一緒に毛布と袋を地面へ置くと、枝だけを持って何かを始める。少女はそれを下ろされたところから見ていたが、体勢が辛くなり壁際へ行くために立ち上がった。その瞬間、痛みに駆られ座り込む。さっきついていくことに無理をし過ぎたのだろう。少女が自分の足を振り返るのと青年が音に少女の方を見たのはほぼ同時だった。目が合い少女がびくりとするのを見ると、青年は視線を逸らし何かを思うように壁の方をじっと見つめ、また背を向けて手を動かした。

 青年が何をしているのか、それが少女に分かったのは青年が立ち上がり袋を取りに行ったときだった。青年は袋の中を探り小さな箱を手に取ると、そこからマッチを取り出し火を点け、それを組んだ枝に触れさせそのまま中に放り込む。

 焚き火だった。静かに燃えるそれを様子を確かめるようにしばらく見たあと、青年は立ち上がり入り口へ向かった。少女の横を通る瞬間少しだけ少女へ目を向けて、そして出て行くと立て掛けていたあの木の板をもう一度入り口にはめ込んだ。そのままその足音はどこかへと行ってしまう。

 目の前に作られた火があるからか、その行為を閉じ込められたとは感じなかった。

 座り込んだままの体勢は辛くなり、何とか動いて岩の壁に寄りかかる。無意識に焚き火の前へと来ていた。チラチラと揺らぐ赤い炎を見つめ、そっと手をかざす。離れていても流れる空気がほんのり温かいのを感じた。手を膝の上に戻しもう一つの手で甲をさする。青年の出ていった入り口の方を見ると、外から見た時はわからなかった板の小さな隙間が、日の光をまるで星のようにこぼしていた。


 青年が戻って来たのは少女が短い眠りを終えたころで、帰って来たその手には箱を持っていた。少し大きめの固く頑丈そうなもの。

 まだ途切れることなく燃えていた火に薪を数本放り込むと、青年は少女に近づきそばに箱を下ろした。恐かったが、青年がそれを開けたとき中に見えたのは包帯やピンセットなどの救急のための用具だった。その中身を確かめるようにした後、青年は少女の足をつかんだ。

 びっくりし初めて小さく声を漏らすと、少女の様子に青年は手を離した。けれどその場を離れようとはせず、じっと足を見つめる。かと思うと今度は気を使いながら、少女の痛めている足首に直接そっと触れた。切り傷にはなっていないから染みる痛みはない。

 青年が何をしようとしているか予感がついて、でもどうしてと疑問が頭を回った。そうして固まっている間も青年は手を動かし、靴を脱がせ静かに位置と具合を確かめていく。箱の中から白く大きい布のようなものを取り出すと、ハサミで適度な大きさに切っていく。

 片膝をついてその作業を行う青年の手元を少女はじっと見ていた。慣れた様子でそれを足に付けられ、冷たさに驚き反射的に引こうとした足をしっかりとつかまれる。青年はテープで離れないよう布と足を固定すると、最後にネットを被せ箱を閉じた。そして焚き火のそばへ行き、座って火を保たせる。

 少女は、彼が一体何をしたいのかわからなかった。彼が何のために、何を基にして動いているのか。命令か方針か、だって彼らは私たちを殺すのに。

 ただ少女は救われた。殺されるとは思えなかった。「例えばこれから」という想像も、気を使いながら触れられた手の感触からできなくなっていた。彼が少女に残したのは、足の白い布だけだった。

 安心したのか、どっと疲れが寄った。頭がくらくらする。逃げ始めてからの緊張と疲れが一気に重なりやって来たようだった。自分の心臓も不自然に動く。頭を岩壁に寄せもたれた。頭はとても熱いのに体が寒い。一瞬壁際に置かれた毛布が目についたが手を伸ばす気にはなれなかった。あれは彼のものだ、私のためにあるものじゃない。第一手を伸ばすような気力ももうなかった。ぼうっと揺らぐ景色に目を細め気絶するように目を閉じた。

 起きたとき少女は熱を出していた。目を開け熱い顔と頭を冷ますように少し周りを見る。体は寝かされ毛布が掛けられていた。背中が痛くないから下にも何かが敷いてあるとわかる。頭を横へ動かすと目の前に濡れた布が落ち、それが額に乗せられていたのだとわかった。前と同じ位置にある火の前に青年が座っているのが見える。

 私はどれだけ寝ていたんだろう。

 それを計れるものはなく、ただ温かさを求めるままにもう一度毛布の中に体を埋めると、布の擦れる音に気づいた青年が振り向いた。近づいてきたが目はぼうっと開けたままでいた。そばに立った青年と目が合う。

 青年は少女をじっと見つめ、しゃがむとさっき落ちた布をもう一度冷たい水に濡らし絞って額に乗せ、次は少女に近い壁際へ腰を下ろした。壁にもたれそのまま目を閉じる。そっちを見ようとまでは思わず、少女は暗い天井をぼうっと見つめる。

 じっと、どこまで続くかわからない暗い闇を見ていると頭の中は静かになり、記憶ばかりが掘り起こされた。なぜか思い出すのは幼いころ亡くなった父親のことばかり。優しい父の、頭を撫でてくれた冷たい手の感触を額に思い出した。

 そうして眠りに落ちた。


 窓から入るのどかな風に髪を揺らされ手を止める。風の入ってくる方に顔を向け、揺れるカーテンを見る。机と椅子しかない自分の部屋。朝からは工場へ行き糸を紡ぐ仕事をして、夜帰ってくると、父の部屋にある本を持ち出し、書いてあることをただ紙に写すだけの勉強をいつものようにする。窓から見える空は曇っていて、山へ続く森がざわめいている。

 雨が降るかな。

 机へ向き直りもう一度ペンを動かしたとき、一階から母の帰ってくる音がした。嬉しそうに迎える弟たちの声も聞こえる。

 嬉しさに笑みをこぼした。本も紙もそのままに椅子を降り部屋のドアへ手を掛ける。

 瞬間、閃光が視界を貫いた。目をつむる間もなく爆音と爆風が体を襲う。

 何が起こったかはわからなかった。ただ目を開いたとき暗闇にいた。自分が倒れていることしかわからない。何度か瞬きをすると周りに木があることがわかった。自然の木ではなく、木材。体を動かすと張り詰めたように右足に痛みが走った。足の方を見たが怪我をしているのかさえ見えない。周りへ首を動かしていると外の土に反射しているのか薄い橙の明かりが見えた。隙間を縫うようにして這いずりそこへ向かう。近づくと風を感じそこがやはり外だとわかった。全身の力を絞りその場所を抜ける。けれど抜けた先から見える景色に呼吸が止まる。街は炎に包まれていた。そこで今まで耳が機能していなかったことを知る。大きく鳴るサイレンの音、人の叫び声。

 ――母さん。

 振り向いた。驚愕し声は出なかった。

 何もなかった。建物が何もない。燃えているのだ。止める方法などない炎だけが広がっている。

「母さん!」

 叫んだ瞬間爆音が響いた。熱い風に顔を腕で覆う。数秒続いたその風のあと腕をどけたとき、川の上で橋が燃えているのが見えた。炎に巻かれたまま水の中に崩れ落ちていくそれを見て足が震え悟った。

『死ぬ』と。

 そのとき小さな声が聞こえた。ごく小さな声。周りを見る。ぼやける視界で必死に瓦礫を見つめると燃えている家の端の木材の下に頭と手が見えた。

 足をずって駆け寄る。そばまで来て土に座ると血だらけの母が弱い息をついていた。疲れ切った目が私を捉えると、そっと安心したように細まる。白く痩せた傷を負った手が私の手を取り握った。

「逃げなさい」

 


 目が覚め深い水から這い出たように大きく息を吸う。暗い闇を見て一瞬夢の中と混合した。けれど周りに瓦礫はなく、体は毛布に包まれている。息を吐きだし、呼吸を大きくゆっくり繰り返していると自分が生きているのだとわかった。体が気持ち悪い、汗で濡れている。疲れに目を閉じ、息をしながらそっと服のポケットに手を入れた。カサリと音を確かめ、そっと手の力を抜く。

 逃げて来る前の最後の出来事。熱く苦しい記憶。忘れたわけではない、でも見たくなかった。

 見たものを打ち消すようにゆっくり起き上がると額から布が落ちた。それを見て周りを見渡す。火は消されていたが落ち着いてきて目が慣れると周りが見えた。少しして岩壁に沿って座り眠る青年の姿を見つける。

 目にかかっているまっすぐな髪。耳にかけている左側だけは少し表情が見える。寝ているときの人の顔は幼い。起きている時とは違う気を張っていない青年の姿。まだ若いだろうに、なぜこんなにも違うのだろう。

 じっとその兵士を見つめていた。さっきまで恐怖にうなされていたはずなのに、心は静かに凪ぎ始めている。額から落ちた布を水に浸し自分の体を拭った後、もう一度毛布の中へ潜る。その夜、少女は眠ってしまうまでただじっと青年を見ていた。

 


 青年はずっと洞窟の中にいるわけではない。長い時間少女の近くにいるのは確かだが、いつもどこかへ行っては、どれだけかすると戻ってくる。時間に決まりはなく、いつも不規則にそれが行われていた。

 しかし熱が下がるまでの間、青年が少女と一緒にいる時間は長くなっていた。そして熱が下がった今ではまた元のように戻っている。

 青年のいない洞窟の中で、座ったまま背中から毛布を掛け、焚き火の火を枝でいじる。

 足にはまだあの白い布を貼っているが、前のように立ってもいられないわけではない。歩こうと思えばもう歩くことはできる。青年もそのことにはもう気づいているはずだ。でもどこかへ連れて行こうともしない。ほかのだれかを呼ぶこともない。彼が何をしたいのかわからなかった。

 でも何よりわからないのは自分のことだった。何故ここから逃げないのだろう。歩けるようになったのなら、どうして逃げようとしないのだろう。

 外へ出る方が危険だからと、それは後から考えて思ったことだった。

 本当はわかっていた。もう青年のことを恐いとは思っていない。それどころか――

 自分の心を見つめながら足首をさすっていると入り口から音がした。いつもこの瞬間だけは緊張が走るが、いつものように入って来たのは小さな袋を持った青年だった。その袋の中身が水と食料であることはもう知っている。

 青年は焚き火のそばへ来ると少女の斜め前に座った。ふたりで火を囲うような形になる。

 最近は空気が冷たくなってきた。温まろうとするのは人間の自然な心理だ。だとしてもそのために、少女と青年の距離は近づいていた。最初から少女を警戒もしていなかった青年との距離は、少女さえ動いてしまえばどうとでも変わった。青年は少女が近くにいても何もしなかった。たまに見てくることがあったとしても、それは誰が見ても足の怪我や体調のことを確かめているにすぎないもので、それ以外の時間はじっと岩や炎を見ているか、目を閉じているかだけだった。

 今も青年はじっと炎を見ている。

 その横顔を少女は見ていた。目にかかる前髪から覗く鋭く真っすぐな瞳に、赤く燃える炎がゆらゆらと静かに映っている。

 と、少し視線を下ろしたとき、少女はあっと小さく口を開いた。声は出していない。青年のひじの横辺りに小さく血の滲んだ跡がある。近づきその腕をとった。迷いはなかった。何かと思った青年は少女を見たが口だけは開かない。じっとその血を見つめた後、少女は青年の袖をつかみ捲りはじめた。

 青年はそんなことをしてくる少女のことを引きはがそうとはしなかった。行動に何かの意志は感じていたからで、それを自分を攻撃しようとしているものには思わなかった。

 実際、少女が青年にしようとしていたことは全く逆のことだった。

 少女は青年の負ったその傷が一体何であるかに思うところがあり、袖をまくり傷口を見て、やっぱりと思っていた。

 このあたりの山にだけごく僅かな期間生息する植物がある。それは鋭く硬い枝を持ち、先に毒を持っている。ただあまりにも数が少ないためもはや幻に等しく、近づくなと言われるのみでそれだけになっていた。しかしその毒は早く処置をしなければ傷口から膿んで腫れ、熱と激痛に長い間耐えなければならなくなる。少女は自分でなくともそれを経験したことがあった。

 幸い、青年の傷は見る限りまだできたばかりのものだった。傷周りの血が少し紫がかっているが、この段階ならまだ熱は持ってもひどい痛みにはならない。

 少女は青年が持ってきてからずっと置いてあるあの救急箱を奥から取ってくると脇に置き、もう一度青年の腕を見た。少し迷い、それでもと思いながらハサミを手に取ると片方の刃を消毒しそしてそれを傷口の上に当てる。

 ここまですれば振り払われたりするかと思ったが、青年は声を出すことも動くこともせずじっと少女を見ている。

 人としての感情から生まれるためらいに目をつむり一つ息を吐くと、一瞬で傷口を刃で切った。小さく切ったが、血が溢れてくる。少し下に布を当てながら周りが汚れないようそれを受け止める。指で押すようにして傷口の血を流れさせた。

 痛々しいが、それが一番効果的な対処の方法だった。普通にはわからない血の濁りが消えた段階で止める。消毒をしガーゼを貼り、上から包帯を巻いていく。

 その間本当にずっと青年は動かなかった。ただじっと、自分の傷に向かう少女の姿を見ていた。


 夕方頃、血の付いた服を変えるために山を下りていた青年が少女のいる場所に戻って来たのは夜が深くなってからだった。

 そっと板を外すと、横になっているシルエットが外からの月の明かりでぼんやりとわかる。火はすでに消されていた。

 起こさないよう足音を立てず奥へ進むと、ゆっくりと眠る少女の手元に異質な何かが見えた。近づいてしゃがみ込む。それは四角い小さな紙で、何かが書かれているようには見えない。そっとそれを取り確かめるよう裏返し、目を開く。

 それは写真だった。父と母らしき大人が後ろに立ち、その前に三人の子供がいる。一人だけの女の子は顔立ちはそのままの、幼いころのその少女の姿だった。

 写真をそっと少女の手元に戻し、青年はじっと眠る横顔を見つめる。

 さっきまではわからなかった頬を通る涙の跡が、夜の中で見えた。






   第Ⅱ部

 

 表面的には突出した工業地帯だった場所も、今では瓦礫だけの地になっている。それを見渡す山の麓を青年は歩いていた。黒く硬いブーツで枯葉を踏みながら遠くの枝の間に覗く小さな青い空を見る。

 それからしばらく歩き、森の間に開かれた小さな空間に出た。三つほどのテントが立てられているその場所まで来ると、青年はそのうちの一番右端のテントに近づき入り口の布を捲った。

 中には空間を半分ほど占める複雑な機械と、その前で作業を行う三人の隊員がいる。モニターを見て何かを記録している者もいれば、ただただ耳に機械を当て音を聞いている者もいる。そのうち青年は真正面の一番奥にいる隊員に近づいていった。

『少しいいか』

 肩を叩きそう言うと振り向いた若い男は口の動きだけで言葉を読み取る。

 乾いた笑顔で『ああ、いいよ』と返すといくらかのボタンを押し、耳に付けていた機材を外し横の板に掛け立ち上がる。

『休憩よろしく』

 後の作業を部下である仲間に任せ、返事をする声を聞きながら若い男と青年は二人テントの外へ出た。

 何も言わず歩き始めた青年のあとを若い男はついていくように歩き、ほどほどにテントから離れた場所まで来るといつものように話しかけた。

『やっと教えてくれるわけ』

『何をだ』

『何をって、いつもいつもどこに見回りに行ってるんだよお前、睡眠時間も削ってるだろ』

『ほかの奴らは気づいてないだろうな』

『俺クラスじゃないとわからないよ。ていうかほんと一体何してるんだよ』

『……お前ならわかってくれると思う』

 若い男は青年の言葉に肩をすくめ、また歩き始めた青年の後をついていく。山の中に入るにつれ、向かっている場所が本来青年に与えられた責務とは関係のないものであることに気づいたが、何も言わなかった。それからまたしばらく歩き頂上付近まで来たころ、青年は初めて足を止めた。若い男もつられるように足を止める。そこは少しだけ開けた場所で、一つだけある大きな岩が生育を邪魔しているからだろうと若い男がなんとなく思っていると、青年が振り返りどこか遠くを見た。その目の先には離れていてもはっきりと見える瓦礫だけの街があった。

『ここ一帯の殲滅を終えたのはひと月前だったな』

『そうだね。正確には三十七日前だけど』

『そのとき、仕掛けた通信機の処理をする見回りの途中、生き残っていた子供を見つけた』

 そのまま黙った青年に若い男は珍しく本気で目を見開いた。青年の背中を見つめ、脱力するようにため息をつく。

『匿ったんだろ、わかるよお前のしそうなことくらい…………ばかだなぁ』

『完全な非戦闘員だった。戦闘に対する技術も知識も体力もない、何も持ってもいなかった』

 毅然とした声で言ったところで青年は少女の写真を思い出した。写真の中で笑う幼い姿と、それを抱き眠る少女の顔。

 思考は若い男の言葉に遮られる。

『きっと外れにあった製糸場の子だろう、あそこにはごく僅かだけど一般人もいたって聞いてる。こんな軍事力の巣穴みたいな場所に住んでいたなんてかわいそうな話だね』

 いつの間にか青年より前に若い男は出ていた。ここまで来て、いったいどこに行こうとしているのか予想がついたのだろう。ここから近く、もう使うことのない待機所は一つしかない。歩くその背中は何を思っているか、友人である青年にさえ滅多に見せようとしない。ただ言葉だけを変わらない調子で続ける。

『戦力は確かにだいぶ尽きてきてるみたいだ、情報も入ってくる。だからお前も今俺をこうして連れてきたんだろ? お前が何したいのかはなんとなくわかる。ただね、ちょっとやっかいなことになってるんだ』

『やっかい?』

『権力持ってる本元の奴らが西の完全な市街地に潜り込んだらしい。探りは入れてるらしいけどかなり難航しそうだ』

『……そうか』

『残念だったね、今すぐは無理だ、戦いが終わるまで待つしかない。かなりみんなピリピリしてるから存在も隠しておくべきだね、刺激しないほうがいいよ。とりあえず一応こんなところまで来たし、その子と話くらいはしておいた方がいいかもしれないけど。お前といれば警戒心も持たれないだろ』

 青年にとって幸いだったのは、その友人は少なからず青年を信用していることだった。

 青年の友人であるその若い男が住んでいたのは少女の住むこの国に爆撃を受けた地だった。見かけには分からないがこの友人が深い情を持つことも、この国に対する憎しみがあることも知っている。それでも頼んだ。頼める人間が彼しかいなかったということもある。ただそれ以上に青年はこいつならわかってくれると信じていた。

 森の中を歩き川のせせらぎが聞こえて来たころ、前を歩いていた若い男は青年の隣へと並んだ。待機所の詳しい位置は現場へ出る隊員しか知らない。そうして入口へ近づいていく中で青年は少女のことを考えた。急に別の人間を連れて現れたら怯えるのではないだろうか。けれど考えている間にドアの前まで来ていて、そうなったらそのときは対処をしようとそのまま板を外した。中へ日が差し、焚き火の前に座っていた少女の目がいつものように青年の方へ向く。  

 案の定だった、遠くても怯えているのがわかる。

『十四、五ってところかな。これなら話も通じそうだ』

 若い男はそんな様子を気にもしないように呟くと、近づいていき少女の前で片膝をついて目線を合わせた。

「こんにちは」

 若い男は笑顔で言ったが怯える少女には聞き取れなかったようで、ただ座ったまま腰が抜けたように後ずさろうとする。けれど若い男はそれでも臆せず、作った笑顔だけを解いて優しい声ではっきり、ゆっくりと伝えていく。

「大丈夫、安心して。僕はあいつの友達なんだ、攻撃はしない」

 後ろに向かって指を差して示すと、少女は青年の姿を見てだんだんと落ち着いていった。

 足から緊張が無くなり座り直そうとした少女は、そこでやっとそのことに気づく。顔を上げ若い男を見る。

「あなたは、私たちの言葉がわかるんですか」

 若い男はにこりと笑った。

「うん、僕が所属してるのは通信だから」

「通信……?」

「そう、なんていうかな、きみの国の言葉を解析したりしてる。それにしても、よくあれとほぼ一か月も一緒に過ごせたね、恐かったでしょ」

 若い男が楽しい内緒話でもするように少女に言うと、いつの間にかすぐ後ろまで来ていた青年が若い男の頭を殴った。

『いたっ』

『余計なことはいい』

『なんで知らないのにわかるんだよ』

『そんなものは見てればわかる』

『まったく……ほんと勘がいいのだけは厄介だよね』

 睨む青年の視線から逃げるように若い男は少女に向き直る。何があったのか分からず困っている様子に、安心させるようさっきと変わらない調子で話しかけた。

「あのね、こいつが聞きたいことがあるみたいなんだ、いい?」

 若い男の言葉に少女は青年を見た。岩壁の方を見るその表情は何も変わっていない。視線に気づかれ目を向けられると反射的に視線を逸らし、若い男に小さく頷いた。

「きみの……きみは、自分の家族がどこへ行ったか分かる?」

 若い男は言葉を選びながらできるだけ傷を刺激しないように聞いたものの、その質問に少女は表情を失い下を向いて口をきつく結んだ。肩までの髪が垂れ顔を隠す。夢にも見た、逃げる前の瞬間を思い出していく。

 微かに少女の唇は動き、その言葉を若い男は冷静に伝える。

『亡くなったそうだ』

 後ろで何も言わずにいた青年は小さく目を伏せる。

『頼む』

 一言の短いそれを聞いた若い男はそのまま少女をなぐさめるような声を出した。ただそうして言われた言葉に少女は耳を疑った。

「きみ、僕らの国に来る気はないかい」

 少女は顔を上げ驚きから体を後ろへ引いた。それが恐怖から来るものであることは誰が見てもわかり、若い男は青年に注意を受けた。彼らは少し言い合った後、また若い男は少女に向き直る。

「きみを捕らえようとしてるわけじゃない。それに今すぐの話でもない。でもその時が来たらすぐに決断できるくらいには考えておいてほしい」

「なんで……」

「これが、あいつがきみに言いたかった提案なんだ」

 少女は青年を見た。話が伝わったことがわかっているのか、青年はじっと少女を見て本当だとでもいうように目を閉じる。

 若い男は続ける。

「今はまだほかの場所で争いが起こる恐れがあるから、きみを僕らの国へ連れていくことはできない。その争いを止めるような力は僕らにはないから、どうにかすることもね。僕らがここにいる間はあいつが守ってくれるだろうけど、終わったとき君は一人になる。一人でここで生きていくことは無理だ、あいつはそれを危惧してる。だから僕らの国で暮らせるようにするのが一番だと思う。君はあいつに見つかって幸運だった。苦労はするだろうけど、生きていくには必要なことだと思ってくれるといい」

 聞こえる若い男の声が遠のいていくのを感じた。目の前の口が動くのだけが見える。まるで脳が聞くことを拒否しているように。

 何でこんな話をされているんだろう。

 不意に涙がこぼれた。一度零れるとそれは今まで忘れていたように溢れていく。体が震えた。嗚咽が止まらない。声だけは必死にこらえた。見られている、泣きたくない、それでも止めることができなかった。頭の隅で微かに彼らの話す声が聞こえた。少ししてそっと頭を何かに包まれる感触がする。涙をぬぐう手の隙間から見えたのは青年の姿だった。青年は座り込んだ少女の前で同じ高さになって両方の手で少女の耳を優しく包んでいた。いつも鋭い眼はそっとどこかわからない場所を見るように伏せられている。

 何も聞こえない。聞こえないふりをしてもいい。

 まるでそう言われているみたいだった。自分を労わってくれているような姿に少女はそっと目を覆う。さっきよりもゆっくりと流れる涙を止めることなく地面に落とした。

 

 いつの間にか日が沈むような時刻になっていた。顔を照らすのが火なら自分の目が赤くなっていようと関係はないはずだ、少女はそう考えていた。今洞窟の中で火を囲んでいるのは少女と青年のふたりだけ。

 若い男が帰っていったのはつい先ほどのことだった。彼は青年と違いあまり自分の場所を離れていることはできないのだという。帰らなければいけないと言う彼と最後に青年の前で話をした。

「考えてはおきます。ただ、私はここに残るかもしれません。私の家族はこの場所で亡くなりました。私は逃げることを選び生き延びましたが、見殺しにしたようなものです。だから……」

 少女の言葉はそこで止まった。もう続かないことを悟り若い男は青年を見る。

『考えておくけどわからないって』

『そうか』

『お前どうするの、この子』

 若い男は青年を見る。何も言わないまま見つめてくる青年の鋭い眼は、周りからは恐がられたとしても友人である若い男からしてみれば、これ以上ないほど強い意志を持っているものにしか見えなかった。

『お前ってそういうところあるよな』

 諦めたように呟くと、若い男は少女の方を見る。

「僕もここにいる間は協力するよ」

 そう言って笑ったが、少女は浮かない顔をした。何か言いたげな表情に若い男は目線を合わせるようしゃがむ。少女は難しく何かを考えているようだった。 

「……あなたたちは、危険なんじゃないですか。相手の国の人間を庇うこと」

「うーん、まあ、それはそうなんだけどね。でも、僕らも人間だから。イカレてるわけじゃない。色々な考え方はあるだろうけど、少なくともそこのそいつと僕は戦い方も知らない人間のことを殺したいなんて思ってはいないんだよ。できれば生きてほしいくらいだ。第一きみらは、何でこんな争いが起きているのかさえわかっていないだろ?」

 少女はその言葉にどきりとした。

 何も知らない。

 こわばった少女の表情を解くように若い男はそっと笑いかける。

「大丈夫、ここはもう開放区だから。誰も目を向けてはいない。別の戦いがあってほとんどの隊士はそっちへ行ってるし、ここに残ってるのは非戦闘員の僕の部下が数人、それと僕とこいつだけだ。このあたり一帯の管理はこいつに任されてる。それにヘマはしないよ、僕けっこう頭いいからね」

 場を和ませるようにおどけて笑った彼の言葉に少女は少し表情を緩める。

「あの、一ついいですか」

「ん、なに?」

 少女は青年の方を振り返ろうとしてやめ、少し下を向く。

「あの人、私のこと迷惑に思ってませんか」

『……ふっ、ハハハハハ』

 本気で心配する少女の様子に若い男は吹き出して笑った。目の端を拭いながらおかしそうに青年を見る。

『何だ』

『お前が迷惑がってないかってさ。ははっ、恐がらせてないでもっとちゃんとわかりやすい表情しろよ』

 睨む青年をものともせず、むしろそれには振り向いた少女の方が動揺し若い男は視線を前に戻した。

「大丈夫、こいつもともとこういう顔なだけだから。言っておくときみといるときのこいつは見てきた中でもかなり機嫌がいいほうだ。わかりにくいだろうけど心配しなくていいよ、こいつはきみのこと気に入ってる」

『余計なこと言ってないだろうな』

『言ってない言ってない』

 少女は言われた言葉を頭の中で繰り返す。若い男はふうっと息をつき、やっと空気は落ち着いた。

「きみ、名前は?」

 若い男に尋ねられ、少女は少し迷いながら自分の名前を口にする。

「……ミラ、です」

「ミラね。僕はレイ、あいつの名前はシンだよ」

 何のためらいもなく若い男は自分たちのことを名乗る。ミラは青年を振り向いた。

「シン……さん」

 少女の口から出た自分の名前に青年は一瞬目を開く。レイはその様子を見て少し笑い立ち上がると隣へ並んで耳打ちした。

『「さん」はこっちでの敬称だよ』

 同じ音の言葉の意味にシンは表情を緩めた。初めて見るその顔に、ミラの中に張り詰めていた最後の糸は溶けていった。


 レイはその日以来、短い時間ではあってもよくミラの様子を見に来るようになった。あまりにも堂々とした時間帯に来ることはシンに止められていたらしいが、かなり日中まで冷えるようになってきたその日、まだ太陽が真上にあるうちにレイは入り口を開け顔を覗かせた。洞窟で火を囲み座っていた二人は驚き、シンは当たり前のように怪訝な顔をする。

『お前こんな時間に来るな』

『お前の見回りを協力するよう頼まれてるって上にも下にもそれとなく言ってあるし、残ってるやつらだけでできるよ。少しだけさ、すぐ戻る。それにほら』

 レイが背中に隠していた手を見せる。持たれている袋が何かはミラにもわかった。

「今日配給来たばっかりだったからさ、内緒で取っておいた」

 片目を瞑る合図のような仕草にミラは口元を緩め立ち上がる。その様子にシンは諦めたように目を火へと戻し、まだとっていなかった昼食を三人で食べることになった。

 久しぶりのタンパク源の多い食事にミラは体が温まるのを感じた。スープを口へ運びながら隣に座る二人を見る。シンとレイはそう教えられているのか、食事中に話をすることはほとんどなかった。ただそんな風でも気まずいと感じることはなく、むしろそこに漂う空気は温かいもののように感じられた。それは単に真ん中に火があるからというだけではない気がした。

 無言の食事を終えたあと、お湯を沸かし一息ついているとレイが思い出したような声を出した。

「そういえばミラ、こいつの怪我とか治したことない?」

 後ろを向いているせいでシンは自分を指されていることに気づいていない。知らないところで人の話をする罪悪感に駆られながら小さな声を出す。

「治したってほどのことは……処置は少し、しましたけど」

「ああ、ならそれだ。こいつがそれにすごい感謝しててさ、お礼言っといてくれって頼まれてるんだよ」

「えっ」

 ミラはシンを見る。それに気づいたシンは飲もうとしていた湯を口から離しレイを見た。

『お前何言った』

『何って、お前が怪我の処置してもらって嬉しがってるよって』

『は?』

 シンはもう一度ミラを見る。まだ自分を見ているミラのその表情にシンは眉を寄せ再びレイを見た。

『お前なあ』

『いいじゃない、ほんとのことだろ? 肘の包帯、俺にバレてないとでも思った?』

 にやにやと笑うレイにシンは湯を下に置き、硬い表情のまま空になった全員分の食器を持って立ち上がった。そしてもう一度牽制するようにレイを睨むと背を向け歩いていく。こわいこわいと呟き笑うレイの横で、ミラは入り口へ向かったその背中をじっと見つめていた。

 その後少し話をしてレイは帰っていった。けれどそのあともなかなかシンは戻ってこない。あのまま帰っていったレイとそっちへ行ったのかと思ったが、それなら食器が川辺に置かれたままのはずだ。

 どちらにしてもと思い、ミラは様子を見るため火に薪を入れてその場を離れ入り口へ向かった。板を少しずらし岩陰からそっと外を見ると川辺にいるシンの背中が見え少しほっとする。

 ミラは目はいい方だが、川辺に膝をつき背を縮めたままのその姿が何をしているかはさすがに遠目ではわからなかった。手が動いているようには見えず、ただずっと遠くのどこかを見ているように感じる。けれど戻ってこないということはやはりまだ洗い物をしているのだろうか。手伝った方がいいかと洞窟から足を踏み出すと、外の空気は思っていたよりも冷たかった。そっと近づいてはいても石や枯葉を踏む音にシンは気づいているだろう。そばまで行くとシンはミラを振り向いて眉をひそめた。やはりわかっていたらしい、おそらく出てこなくてもいいということだろう。けれど中へ戻そうとしても言えないからか仕方ないというようにまたシンは作業を再開した。

 ミラはシンの隣りまで行きしゃがんだ。手を伸ばせば川の水に触れるくらいの距離。寒いので試そうとは思わなかった。膝を抱えたまま、水へ浸かるシンの手を見て視線を顔へと移していく。見られているのはわかっているだろう、しばらくしてシンは手を止めた。短く息を吐く。初めて見るシンの困ったような様子だった。少しじっと川の方を見ていたあとシンはミラを見て何とも言えないような、どうしていいかわからないというような顔をした。その表情につい笑ってしまう。

 この人は不器用なだけなのではないだろうか。

 堪えるようにしながら反対側を見てくすくすと笑っていると、シンは今度こそ食器を洗い終えミラを置いて洞窟へ向かった。ミラは申し訳なさそうにしながら立ち上がりその後を追っていく。傍から見ればその様子はとても幸せそうに見えただろう。

 彼らの様子を、帰ったはずのレイはじっと遠くの木陰から見つめていた。


 夜が深くなり誰もが寝静まったころ、シンはテントの方へ戻ってきていた。

 眠るミラの様子は最初の頃よりもずっと楽なものになった。顔の表情や体からも緊張はなくなり、呼吸に合わせしっかりと休まっている。できればその状態を保ちたいが、季節に変えられていく気温はさすがに焚き火だけではどうにもならない。

 起きている間ミラは何も困った様子を見せないからわからずにいた。眠っている間は体が素直になるのか、ふと目を覚まし様子を見ると毛布から覗く手が小さく震えていた。今更気づいたことに自分で呆れながら、毛布をもう何枚か持ってきておいた方がいいかと考え外へ出てきたのだった。

 口にライトを咥え予備倉庫の鍵を開けていると、後ろから声を掛けられた。誰なのかは当たり前のように判断が付き振り返ると、レイが眠たそうなくせにいやにはっきり作り笑いをして立っていた。

『待ち伏せか』

『まあね、お前遅すぎ』

 あくびをしてそう言うレイに寝ればよかっただろと思いながら、シンは外にある椅子に座った。ここまで待っていたということは私情的な話があるということだろう。レイはその通りだとでもいうように何も言わずシンの向かいの椅子に腰かけた。

 肘掛けに片腕を置きトントンと指を鳴らした後、レイは眠そうに口を開いた。

『あの子、ミラね。むかし弟が君と同じ傷を負って重体になったことがあったんだって。だから処置できたんだってさ』

 それだけで何を言わんとしているのかシンにはわかった。

 自分たちがこれ以上あの少女と深くかかわるべきではないと、そうレイは言おうとしている。

 何も反応を返さず、地面を見たまま低い声を出す。

『あいつにちょっかいを出すなよ』

『はは、何のことさ。しないよそんなの』

 シンは眉を顰めた。はべらかすように笑っていたが、やりかねないだろうと心の中で思う。  

 レイに人を見定めようとする癖があることを長い付き合いの中で知っていた。

 今までもなるべく二人にはさせないようにしていたものの、その予感は当たることになる。


「ミラ」

 名前を呼ぶ声に入り口を振り向く。自分の名前を呼ぶ人は今は一人しかいない。

「レイさん……?」

 置いてある道具や衣類を整理していたミラはものをざっと壁際へ寄せ手を止め、入り口の近くまで行く。何故かレイは入り口から中へ入ってこない。

「入れ違いになっちゃいましたね、シンさん今薪を取りに出ていったんですよ」

「そっか、残念だな。ならミラ話し相手になってよ、こっち出といで」

 あまり残念そうでもなさそうに答えてレイはミラの手を掴んだ。

「え、でも外はあんまり……」

「大丈夫だいじょうぶ、あいつが戻ってくるまで暇だろ? おいで」

 渋るミラをレイは外へ引っ張り出した。出てきたところで反対の手に持っていたものを羽織らせる。いつもレイやシンが着ているのと同じものだ。全身を覆う厚く温かい上着。レイに前を閉めるよう促されその通りにすると、次はにっこりと笑って指で上を示される。釣られるように向いて目を開く。

「うわぁ……」

 きれい、と。感嘆の声だった。空には満天の星が光っている。隣でレイも腕を組んで上を見る。

「冬の方が空気は澄んでるからね」

「これを見せようとしてくれたんですか?」

「うーん、まあそんな感じ」

 若干ぎこちないように聞こえたがレイはそのまま笑って川辺へ寝転んだ。ミラも来るように言われ隣に並んで二人は空を見て寝そべる。上着の生地が厚いからか背中は痛くなかった。ふたりだけでいるのは初めてだなと思いながら、先に話しかけたのはミラだった。

「シンさんとは、仲がいいんですね」

「まあ、長い付き合いだからね。あいつ威圧感あるし目つき悪いでしょ、おまけに不愛想だし他の同期は恐がるからって組まされるんだ。だから、君と一緒にいるときのあいつ見たときは驚いたよ。あいつがあんな風に人といるのを初めて見た。最初もきみと話がしたいからって、だから俺を連れてきたんだからね」

「シンさんが、私と話したいって言ったんですか……?」

「うん、そうだよ。意外?」

「いえ、あの……あの人なら、勉強すればあなたのように、少しは話すことができるんじゃないかと思って……」

 レイは乾いたように笑った。

「ああ、そりゃ無理だね。あいつバカだから」

「え?」

「ああ、違うよ、人間的にはそりゃ賢いさ。うちの集団の中でもずば抜けてる。勘の良さと格闘の腕も一番だし。ただ、読み書きができないんだ。だから能力が高くても上へ行けずにいる。あいつの家は貧しくてね、国の北端の、一年中雪が降ってるような場所に生まれて、それで小さいころからずっと働かされてたんだ。それでも生活するにはいっぱいいっぱいで、勉強する余裕がなかったんだって」

 自分の知らないシンの過去の話にミラは聞き入る。

 その頃、そうして話すふたりの様子をシンは離れた木の陰から見ていた。

 シンが薪を取り終え川辺へ戻って来たのはつい先ほどのこと。薪を脇に抱え森から洞窟の方を見たとき、入り口の前に話をするミラとレイの姿があった。目立つ時間ではないし無理やり追い返す必要もないかと思い近づいていくと、森を出る一歩手前でふたりが川辺へ行き寝そべるのが見えた。声が聞こえ、ミラが穏やかに話しかけるのが見える。なぜかそれを見て足は止まった。一本の太い木の陰で立ったまま何かもわからないふたりの声を聞いていた。わかるのはたまに聞こえてくる自分の名前だけだった。

「そういうことがあって、あいつはあんまり自分の小さいころにいい思い出がないらしくてね。いつかあったかいところに行って暮らすのが夢だって言ってた」

「……そんなことも知ってるんですね」

「昔話してくれたことがあるんだよ」

 レイは話しながら訓練生の頃を思い出した。シンの故郷に近い寒い地にあった訓練場。寮の部屋の中さえほとんど冷たいままで、一つだけ与えられているストーブを真ん中に置き、狭い部屋の端と端に並ぶ二段ベットの下、向かい合って話をしていた。

「あいつはうちの国の言葉も、話せるだけなんだ。軍に入ってから自分のための語学の勉強をする余裕ができ始めたのは、たった一年前だからね」

「話すことはできるんですね」

「そうそう、なんていうかな、あいつ地獄耳なんだよ。生きるために身に着いたのかわからないけど、聞き取るっていうのにはものすごく長けてるんだ。聞いたことは全部覚えてるし、軍の教育を受けるときもそれで成り立たせてたくらいだから。もしかしたら、この会話も聞こえてるかも」

 おどけたようにレイは言い、ミラもつられるようにしてふたりはくすくすと笑う。

 木陰までは笑う声だけが聞こえ、シンはなぜかいい予感がしない。

「僕も聞いていいかな」

「なんですか」

「君は、僕らが恐くないの」

 唐突に空気が変わった。ミラはレイを見たが、その表情は笑ったまま空を見ているだけで何も読み取れない。ゆっくりと冬の風が頬を掠めていく。

「君の家族を、殺したかもしれない人間だよ」                  

 その笑顔は試すようにも見えた。けれどそのことに気づいたのは離れた場所にいたシンだけ。ミラはまっすぐに夜の空を見つめ考えていた。言いたい気持ちはある、それを表す言葉を見つけようとしている。

「……最初に会ったのが、シンさんだったから」

 言うとレイが自分を見るのがわかった。まだ続くのをわかっているように何も言わないでいる。感情に言葉を追いつかせるのに幼いミラにはまだ時間が必要だった。レイはそれをわかって言葉を紡ぐのを待ってくれている。その期待に見合うだけの自分の心のそのままを示したいと思った。

「あの人は私を守ってくれました。それだけが事実です。私は、女でも子供でもある前に人間です。「国」じゃなく人間なんです。私たちは人と人です。それだけが……真実だと思います」

 ミラは夜に輝く星を眺めた。レイはそんなミラを見つめる。

 シンはひとり彼らの優しい声を聞きながら、木の影の中そっと目を閉じていた。


 空が厚い雲に覆われたその日、シンは責務のため山を歩いていた。昼間から長く洞窟を空けるようになったのは三日前からだ。

 もうこの争いで自分が何かすることはないと思っていた。

 人が歩くには険しすぎる足元を見るシンの表情は難しく固まっていた。

 見回りの強化は上からの命令だった。その理由を聞かされることはなかったが、おそらくこの場所に何かあるわけではなく用があるのは自分たちにだろう。最近西の情勢が慌ただしくなっていることは勘づいている。それはレイも同じだった。

『能力がありすぎるのも考えもんだね』

 上からの連絡を伝えてきたあと、椅子に座ったまま頭の後ろで手を組み、何もないテントの隅を眺めそんなことを言っていた。

 何もなければいいと考えていた。戦闘員らしからぬ思想だ、自分でもそんなことは初めてだった。例えば自分をそんな風に変えた何かがあるとするなら、思い当たる節は一つしかない。

 川辺へ戻って来る頃にはもう夕方になっていた。シンは踏むたび擦れる石の音を聞きながら川の水際へと近づきタオルを取り出すと、それを浸し冷たい水で体を拭っていく。そうしていると無理やりでも幼いころの記憶が蘇り、打ち消すように固く目をつむりながら身を清めていった。それを終ると服を整え立ち上がり洞窟へと戻る。

 入り口を開けたところで最初に目についたのはミラの姿だった。背を向けてはいたが手元で何かがパラパラと動いているのがわかる。近づいていくとミラはハッとするようにシンを見上げた。よほど集中していたのか今まで気づいていなかったらしい。手にあったのは細かい文字の書かれた紙の束だった。流れるような筆跡には見覚えがある。

『僕があげたんだよ、むかし通信で使ってた古い記録書だ。覚えるために作られたものじゃないからちょっと難しいだろうけど、どうにかできるかはこの子次第だね』

 岩壁の奥の影に立っていたレイががシンのそばへ来る。

『……教えてはやらないのか』

『言葉っていうのは自分で学ぼうとしたものしか本当の意味を持たないんだよ、持論だけどね。まあでも、お前が教えてくれって言ったときは教えるよ、長い付き合いのよしみで』

 絶対にシンが聞いてこないのをわかったうえでからかうようにレイは言ってくる。やけに今日は饒舌だった、少し不信になるくらい。ミラはふたりのいつもの調子に安心したようにまた紙に集中し始める。そんなミラを見ていると、『シン』と小声で耳打ちするようにレイが名前を呼んだ。見ると目で合図をされる。どうやらミラに紙を渡したのはやはりそれだけの意味ではなかったらしい。紙に夢中なミラを残し、ふたりで入り口の外へ出た。日の落ちた冷たい空気の中で板を閉め、川際まで歩いていく。

 空を覆っていた雲が少しだけ途切れる。空気が澄んでいるからか、月だけは綺麗だった。森かぼんやりと明るく映し出され流れる水も輪郭がわかる程度の光を反射する。そんな川をレイはじっと見つめていた。珍しく自分をごまかしていない口が重そうに開いた。

『連絡があった。もうすぐ最後の作戦が始まる。俺らにも命令がかかるはずだ』

 シンは遠くの森の闇を見た。暗くねっとりとした重圧に覆われるような感覚に、一瞬息さえできなくなる。

 何となくわかってはいた。ここに立つ限り、自分たちにはどうすることもできない。

『でも、それが終わればきっと……』

 そっとそんな声が隣から聞こえた。言い淀んだレイをシンは見る。レイはまた川を見つめ何も言わなくなった。その様子にそっと目線を下ろす。

「人と人、ね」

 聞こえた呟きにシンは顔を上げた。レイは何かを思い出すように微笑んでいた。顔を逸らすように後ろを振り向きシンの横を通り過ぎながらその肩を叩く。

『お前がどうしてあの子を大事にするのか、わかったよ』

 目を開き、歩いていく後ろ姿を見る。細い背中から最後に聞こえた言葉にシンはそっと目を伏せた。

『お前がいてくれてよかったよ』

 小さな声で言うと、風が強く鳴った。聞こえないはずなのに、レイが笑ったような気がした。


 しばらく外で空を眺めたあと、再び月が陰るのをきっかけに洞窟へと戻った。中へ入ると火は消えかけていて、弱弱しく燃えるそれに薪を一本足し壁際へと向かう。

 ミラは毛布を体に巻き付け、記録書を手にしたまま眠っていた。隣にそっと腰を下ろし、寝顔を見つめる。焚き火の揺れる明かりが温かくミラの頬を撫でていた。穏やかに閉じられた瞼に掛かる軟らかな髪をそっと指で除ける。守らなければいけないのだと、そう思った。


 毛布をかぶり、体に巻き付けて食事後の空になった食器を両手に持つ。火をそのままに入口へと向かい、ドアのそばまで来ると食器を下に置き板を外した。冷たい空気が一気に入ってくる。もう一度下に置いていた食器を持つと外へ出た。

 川を流れる水のそばまで行きしゃがむ。手を中に入れると冷たく食器を手早く洗っていく。最後のコップを洗い終えたその時、遠くの空で地を割るような音が聞こえた気がした。覚えのあるそれに音がした方角を見る。けれど雲が浮かんでいるのが見えるだけで何もいつもとは変わらない。冷たい風が吹き、空耳だったろうかと洗い終えた食器を持って足早に一人きりの洞窟へと戻った。 

 シンとレイが最後に洞窟に現れたのは数日前、大量の食べ物と水を持ってきて洞窟の中に置いた。何事かと思っているとレイは何も言わず笑顔で頭を撫でてきて、シンに頭を叩かれていた。シンは結局、最後までミラの方を見ることはなかった。

 様子がおかしいとわかっていたはずなのに、何で聞こうとしなかったのだろう。

 今更になって後悔していた。置いて行かれたとも見捨てられたとも思っていない、最後のレイの笑顔もシンの何かを思う背中も、きっと何か理由があるのだとわかる。ただこんなにも広く暗く、寒い中に一人でいるのはあまりにも――。

 レイがくれた紙の束を手に強く握った。食べるものも水も火もまだ十分に残っている。でも何かが足りない。体ではなく、心を満たしてくれる何か。それを彼らがくれていたのだと一人になって知る。

 早く帰ってきてほしい。ここが彼らにとって帰る場所でないとしても、それでも。

 入り口を見つめ膝を抱える。目蓋は重くなりきつく組んだ腕の中に頭を埋めた。動かないミラの小さな体を温めるためだけに火は熱く燃えている。

 ドアの揺れる音に沈みかけていたミラの意識は一気に覚めた。人が手を掛けない限りあの板が揺れることはない。毛布を頭まで深くかぶり期待と恐怖に身を縮ませる。入り口の方を見つめ、心臓の跳ねる音だけが聞こえた。ゆっくりと板が動き外される。月明かりに見えるシルエットは見間違うことはない、シンの姿だった。どれだけ待ち焦がれていたのかミラ自身その瞬間に気づく。ミラは頬を緩め立ち上がった。けれどなぜだろう、様子がおかしい。

 立ち止まり入り口の影を見つめると静かな空気の中に荒い呼吸が聞こえた。次の瞬間、シンは崩れるように倒れる。

「シンさん!」

 名前を叫び駆られるようにそばまで行きその肩に触れる。苦しそうに繰り返される荒い息遣いに、倒れそのままになっている体を背中から支えずらした。負担を掛けないよう岩壁にもたれ掛けさせると月明かりがシンの体を照らし、ようやく状態がわかる。

 愕然とした。脇腹を押えるその手は赤く染まり、止まることのない血はゆっくりとシンから力を奪うように地面へと落ちている。荒い呼吸の中わずかに息を止める瞬間痛みを堪えているのが目に見えてわかった。汗を流し今にも意識を失いそうな姿に、脳裏に母の姿がよぎった。

 傷口を押える手に自分の手を重ねミラは必死に名前を呼んだ。これほど自分を無力だと感じたことはなかった。やりようなく手に力を入れたまま俯きかけた時、開いたままだった入り口から声が聞こえた。

『やっぱりここに来たか!』

 怒るような声はレイのものだった。振り向くと何かを言いながら近づいてくる。安心した瞬間ぞっとした。レイの体もシンほど酷くはないものの少なからず傷を負っている。

 いったい何が。

 呆然とし心臓だけが大きく打つのを感じるミラの隣でレイは持ってきた鞄を開け処置の準備を始める。

「何があったんですか」

「ごめん答えてる暇ない、これ付けてこいつの体押えて」

 焦るように差し出されたマスクをレイはもうつけていた。こめかみを流れる汗から痛みに耐えているのを感じる。言われた通りマスクをつけシンの腕と足を動かないよう体で押える。

 壮絶だった。痛みに耐えるシンの姿、勝手に動いてしまう自分の体に悔しがる表情、彼の体を押えていると触れる場所から繋がるように痛みを感じた。見ているだけで頭の中がひどく揺らいだ。吐きそうにもなった。それでも隣りで懸命にシンの傷に向き合い血に濡れるレイの姿を見ると、ただ冷静に泣きそうになった。

 処置をする間ミラはシンの体を押えながらその手をずっと握っていた。けれどシンは痛みに耐えるたび体力をすり減らし耐える力を失っていった。ついに声を抑えられなくなり強く呻く。

「シンさんっ」

 名前を呼んだ途端目の奥が熱くなる。何の前兆か反射的にわかり必死にこらえた。目を強く瞑り汗を流すシンの顔を見ていられず目を逸らすと手が震え始める。そのとき隣から疲れた優しい声がした。

「大丈夫、こいつタフだから」

 マスクの下でレイがそっと笑うのが見えた。無理してるのなんて丸わかりだった。

 落ち着かせようとしてくれているのだとわかりミラは心を持ち直す。あと少しだという声に目を見てしっかりと頷き微笑んだ。きっとうまく笑えてはいないと思った。

 シンの傷を塞ぐ手術は無事に終わった。容体も安定し、シンを寝かせたあとミラはレイの傷の手当てをした。深くはないが多い傷、跡が残るものもあるだろう。それら一つ一つに丁寧に手当てし包帯を巻き終えたあと、片づけをしているミラをレイはちょいちょいと指で呼んだ。近づくと腕にくるまれ、驚きに固まる。動けずにいると耳元でレイの掠れた声がした。疲れてのどが乾いているのだろう、そうわかると力が抜けじっと耳を澄ました。

「今回のこと気になるだろうけど、詳しいことは言えないんだ、ごめん。できればあいつが起きても、このことを聞くのはやめてやってほしい。でも……ただ、最後の戦いをしてきたんだ。どうなるかはわからない。でも、俺たちの役目はこれで終わったんだよ」

 ふたりが私に話したくない、思い出したくもないという戦いのことを思った。察して目を瞑る。

 ただ最後ということは、これ以上こんなことが起きないと信じてもいいのだろうか。

 安心させようとしているというよりもレイが人のぬくもりを求めているように感じたので、そのまましばらくの間ミラはレイの腕の中にいた。


 ミラが自分の腕の中で眠ってしまうのを見ると、レイはしばらくその寝顔を見つめ手を離した。岩壁のそばからやわらかい布を一枚取ってきて地面に敷くと、その上にミラを寝かした。上から毛布を掛け立ち上がる。シンが眠っているのを一瞥すると外へと出た。

 深く静かな闇の中を歩き適当な場所まで来ると木のそばにドカッと座った。足に負担を掛けないように体が勝手に規制を掛けたせいだ。ほとんど落ちるように下ろした腰を少しだけさする。落ち着くとほうっと息を吐き木にもたれかかった。山の頂上に近い場所から木の間に見える小さな瓦礫の地を見下ろす。じっとしていると神経だけが研ぎ澄まされ、切れた皮膚がジンジンと痛んだ。赤くなっているだろうことなど容易に想像できた。

 ミラの処置の方法は間違っていなかった、けれど一番いい方法でもなかった。自分で手の届かない場所ならまだしも腕や足ならレイはもっといい方法で後に痛みの残らない処理ができたはずだった。けれどミラが救急箱を持ってきて自分の腕に触れたとき、それをやめさせようと思うことはできなかった。それ以上に、やらせてみたいという思いが強かった。どんなふうに自分の傷と向き合い、触れてくれるのか、それを見てみたいと思った。

 結果今傷口は痛んでいる。体を動かすだけでも空気が染みる。けれどそれが心地よかった。傷が痛くても空気が冷たくても温かい何かに包まれているように満ち足りた気分だった。まだ人の熱を抱いているような感触の残る手のひらを強く握る。そのまましばらくレイは夜を見つめていた。自分が止まっていても世界は進んでいく。空がうっすらと明るくなり始めるころ、レイは立ち上がりよろよろと洞窟へ向かった。

 入り口の戸を開けるころには日が出始めていた。新しい朝を迎えた山の中、洞窟にも光が入る。ぼうっと照らされたその中、見えたものにレイは零れるように笑った。洞窟の奥、いつの間にかミラは眠る場所を変えていた。温かくやわらかい布の中でなく、シンのそばを選びその手を握って眠っていた。


 焚き火の火を見つめ薪を足す。今まで何度繰り返しただろう。そっと振り向くと、傷を労わるように壁にもたれ座っているシンの姿が映る。形だけの鋭い眼は静かに伏せられ地面を見つめていた。

 傷を縫った翌日の夜シンは目を覚ました。傷口が開かないよう動けないでいるシンのためにミラはいつもより岩壁に寄って火を焚いた。薪をたくさん入れて後ろを振り向くとシンがほんの少しだけやわらかく目を細めるのがわかった。意図が伝わっているようでうれしくなる。そのときまでは平和だった。

 レイが姿を現したのは夜が更け火の番をしていたミラがうつらうつらし始めたころだった。一度テントに戻ると言って昼頃出ていたままだったので、その姿を見て安心し、レイがいるならもういいかと火のそばで横になり毛布に潜り込んだ。けれどそうしているとレイたちの話声が聞こえて目が冴えてくる、何だか空気が低く重いもののように感じられてじっと彼らを見つめていた。話しが終わりレイが立ち上がったとき、シンは洞窟の奥を向いていた。私の方を見たレイはそっと笑い近づいてきてしゃがみ込む。

「ごめん、起こしたかな」

 そう言ってずれた毛布を掛けなおそうとするレイの手をミラは掴んだ。何となく気にかかった。

「何の話してたんですか」

 レイはその問いに難しい表情をした。できれば答えたくないというような。でも迷っているようにも見えた。あとは押すだけだと服の袖を絶対離さないよう強く握ると、レイは観念するように目をどこか遠くへ向け答えた。

「……僕の見立てだし、気のせいならそれでいいんだ。あいつの傷は、思っていたよりも深くてね……もしかしたら、あいつの右足はもう前のようには動かないかもしれない」

 起き上がる衣擦れの音でシンはこちらを向き、状況を見てレイを睨んだ。ごまかすように笑うレイの笑顔はいつもより弱弱しく、気のせいであるはずのそれが確信に変わる話をしていたのだと思った。

 言われずともあれから十日が過ぎ状況は感じ取っていた。シンの体のそばには長く頑丈な木の枝が置かれている。ミラは俯き自分の小さな手を見つめた。眉を寄せ硬く目を閉じる。

『シン』

 レイの声が聞こえ見るといつの間にか入り口の板を外し立っていた。シンはレイの目を見ると、横に置いている太い枯れ木の杖を手に立ち上がる。近づいてきたレイに肩を借りる姿を見て嫌な予感がした、シンはミラの前でそういう姿を見せることを避けていたはずだ。レイと歩いていく姿に顔を歪めその背まで駆け服を掴んだ。

「どこに行くんですか」

 手は震えていたかもしれない。咄嗟に言っていたその言葉をわかるはずもないシンはただミラの顔を見つめ、一瞬その目は戸惑うように揺らいだ。心配か恐れか、ミラの顔は歪んだままだっただろう。こんな状態で何をするんだと、服を握る手の力を強くする。

「ミラ、大丈夫だよ」

 隣から宥めるような優しいレイの言葉が聞こえた。シンはじっとミラを見つめ、そっと空いている片方の手を伸ばした。それはミラの頭に触れ、優しく強く一度だけ回される。懐かしい熱だった。触れられた感触だけを残し離れていくそれをミラは泣きそうになりながら見つめていた。

 何も言えなかった。立ったまま出ていくふたりの背中を見つめ、板が閉じられてもそのまま体は動かなかった。

 このまま帰ってこなかったら。焚き火の前で膝を抱えそんなことを考えていた。ふたりが今の状態で向こうへ行ってどうなるのか、想像はするだけ悪い方にしか進まず途中から考えるのを止めた。

 体育座りで頭を埋める。火は知らないうちに消えていた。周りの空気が冷えたことでそれを感じ取り黒くなった薪を見つめ小さな願いを掛けた。ふたりが帰ってくるまでは点けない。寒くても待ってる。だから、早く帰ってくるように。

 長い時間だった。実際は一日程度だっただろうそれは、ミラの中では一生終わらないように思えるほどの時間だった。

 途中、薪の燃えるパチパチという音に埋めていた顔を上げると点けた覚えのない火があった。けれど彼らはまだ帰ってきていない。ぼうっとしたままもう一度背を丸めふと隣を見ると、そこには母が座っていた。

 隣に座り手を伸ばしてくる。ミラの髪に触れ手で梳かす動きに感触はなかった。夢なのかとわかり母の足元を見つめる。懐かしさから心がほろほろと崩れていくようだった。自分が弱くなってしまうように思えて顔を逸らそうとしたとき、母がわらってそっと何かを呟いた。うまく聞き取れず口元を見る。二度目、読み取れたその言葉に失いかけていたつらい記憶が蘇った。 

 その言葉は、逃げることを嫌がるミラに母が最後に言った言葉だった。どうしてそんな言葉を忘れていたのか今になって気づく。その言葉をミラはずっと、無意識のうちに自分から消そうとしていた。母は最後、もういちど刻み込むように繰り返した。

(生きて)

 微かに外から聞こえる風の音に顔を上げた。眠ってしまっていたらしい体は冷たかったが、毛布を強く握り自分が動いているのだと感じる。その後すぐに外の気配に気づき、ドアが外されるのと同時に立ち上がった。外された板の向こう、ふたりはどこか緊張の解けた表情をしていた。杖を突くシンの背をレイが支えているのが見え、走ってそばへ行く。

「終わったんだ、全部」

 一番最初にレイはそう伝えた。ミラが安心し肩から力を抜くのを見ると、そっと笑ったままシンの背を軽く叩き離す。その行動にミラはシンを見る。シンは杖を突きながら自分の力で立つと、懐から何かを取り出しその手をそのままミラへ差し出した。受け取ったミラは手の中を見る。それはノートの端を破ったような小さな紙。

〈 俺の国へ来てくれるか? 〉

 書かれていた文字に驚き顔を上げる。レイのものでないことは見れば分かった。隣でレイはいたずらが成功した子供のような顔をしている。

「字は僕が教えたんだ。よかったら答えてやってくれる?」

 シンの目を見ると安心したのか、自分でもわからない感情で胸がいっぱいになった。

 何となく、さっき母が現れた理由がわかった気がした。手に握ったままの紙を見る。いびつで、けれど優しい文字。指先でそっと触れ抱きしめる。

『はい』

 聞こえた声にふたりは息を詰めた。ミラの表情は俯いていて見えない、わかるのは泣いていることだけ。小さくその口から響いたのはシン達の国の言葉だった。レイはそっと、してやられたようにように顔を歪め微笑む。驚いたように口を小さく開いていたシンは目を細め手を伸ばした。それはミラの頬を通り過ぎ頭に触れ、小さな体を包み込んだ。その日、生まれて初めてシンは人に甘えることを知った。ミラは泣いたままやわらかい布に顔を埋め目を閉じ、掛けられた重みとその気持ちを裏切ることなく、服に染みついた土の匂いを感じていた。







 目を開けると、木の天井が見えた。窓から日の光が入り、朝になっているのがわかった。

朝食をつくらなければと、ベッドを抜け、髪をくくり、着替えも早々に部屋を出る。

 棚を開け道具を出していると、カツンカツンと一定のリズムが廊下から聞こえてくる。音がだんだん近づいてきて、止むと扉が開き、シンが入ってきた。

「どうした?」

顔を見てすぐそんな風に尋ねられ、初めて自分の頬が濡れていることに気付いた。近づいてくるシンに拭いつつ答える。

「懐かしい夢は見てました」

 そばまで来た彼は心配そうな表情になる。

「シンさんが来てくれたのでもう大丈夫です」

言うと、彼は笑ってミラの頭へ手を置いた。



 バスケットの中には、クッキーが入っている。

 月の十五番目の日、暖かく晴れたら外でお茶をするのが決まりだ。小さな草花が優しい風にそっと揺れる。その上にミラは座っていた。住んでいる街のすぐそばには、どこまでも続く草原が広がっている。のどかな春の昼下がり、花瓶に入れる分だけの色とりどりの花を摘んでいく。

 争いのあと、ミラはシンたちの手引きで国へ渡り、そしてそこで自分の国で起こった争いの理由を知った。呆れと焦燥から深いため息をつき、土を盛っただけの家族の墓を作り泣いた。その間レイとシンはずっとそばにいてくれた。 

 シンは足の検査を受け、もう元のように歩くことはできないと診断された。それをはじめてきちんと話してくれたとき安心と悲しみから俯くミラに、シンはそれ以前から軍を辞めようと考えていたと話した。数日後、戦闘員解雇の紙を持って帰ってきたシンの表情はどことなくほっとしていて、引き留められてもここでやれることはないと断ったのだと言った。今シンはミラの国の復興のために力を尽くしており、ミラはその姿をそばで支えながら子供たちに語学を教えるため勉強をしている。

 遠くに流れていた大きな雲が太陽から離れると、花に触れていたミラの手のひらを日の光が照らした。暖かい色に染まる自分の手を見て微笑んでいると、流れる風と同時に後ろから名前を呼ぶ声がした。

 振り返ると、家で書類の整理をしていたはずのシンが杖をついて外へ出てきていた。白いシャツの襟元のボタンを一つ開け、首に風を通している。立ち上がりそばへ歩いていくとシンは手に持っていたものを差し出してきた。

『レイから手紙が来ていた』

「レイさんから?」

 シンの体を支えながら短く柔らかい草の上に腰を下ろす。摘んだ花をそっと脇へ置くと、隣に座ってふたりで見えるように手紙を開けた。そこには流れるようなミラの国の文字で、今自分は国の重要な機関で働いているのだと書かれていた。

〈 主に国交さ、大変だけどやりがいはある。お偉いさんの相手ばかりは疲れるから、よければ暇ができたら様子でも見に来てよ。僕の部屋に通して手厚くおもてなしするからさ。まあきみらが来ても来なくても、夏には仕事が落ち着きそうだから、ひまわりが咲いたらそっちへ遊びに行くよ。じゃあ、またそのときまで 〉

 ミラが読み終わるころ、シンも同時に呆れのようなため息をついた。その口元は笑っている。

『あいつ、金ばっかり送りつけてきて何してるのかと思ったら』

「ふふ、来たら歓迎してあげましょうね」

 シンのわかりにくいふて腐れた表情に笑うと、体の横に置いていた自分の指に彼の手が触れた。のどかな風が流れ髪を揺らす。

「来たらな」

 隣りで不本意そうな声が聞こえた。少し目を開き、くすっと笑う。前を向いて、厚い肩に頭を預けると、シンは目を細めて、いつものように優しい眼差しで隣の小さな花を見た。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ