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再会のステージで、風が揺れた

朝の桃林市文化総合アリーナ。

 まだ観客の入っていない巨大ホールには、すでに熱気が満ちていた。


「風祭、搬入口の確認頼む。警備リストの更新、八時半だ」

「了解っす」


 黒いスタッフシャツの裾を直しながら、凡平は裏手の通路を歩いていく。

 初めての大規模イベントの裏方仕事。

 緊張というより、周囲の空気のほうが重い。


 文化祭の比じゃない。

 桃林市中の能力者学校が集まる“能力者交流会”。

 参加者は百人を超え、観客はその数倍。

 市長や企業関係者まで来るらしい。


「……本気すぎるだろ、これ」


 ステージではすでに音響チェックが始まり、照明スタッフが吊り橋のような足場を渡っていた。

 炎系、氷系、重力、音波――

 各校の代表者が交代で実演を試している。

 凡平の仕事は、その安全を裏側から見守ることだった。


 ふと、インカムから声が飛ぶ。


『風祭、ステージ右側に回ってくれ。桜花女子のリハ、入るぞ』

「了解」


 桜花女子大――

 名前を聞いた瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。

 だが凡平はそれを振り払うように、工具袋を肩に掛けて通路を抜けた。


 アリーナの中央に立つのは、真新しい防炎素材のステージ。

 今、その中央に立っているのは、炎の花を指先で咲かせる少女――


 豪徳寺玲亜だった。


 


 ――数時間前、同じ会場の控室。


 鏡の前に立ち、玲亜は自分の髪を整えていた。

 銀色の髪が光を受けて、まるで氷のように冷たく輝く。

 控室には真壁と、重力能力者の矢代麻琴もいる。

 3人が桜花女子大の代表メンバーだ。


「玲亜、緊張してる?」

「……少しだけ。リハーサルの空気が重くて」

「だよねぇ。去年、氷が割れた事件あったし」


 真壁は肩をすくめながら、手のひらに墨を浮かべて弄んでいる。

 液状の黒が彼女の指先で生き物のように動く。

 玲亜はその動きを横目に、深く息を吸った。


「……平常心、平常心」


 鏡に映る自分へ言い聞かせるように呟く。

 目元の力を抜き、微笑を整える。

 それでも、心のどこかに引っかかる感情があった。


 ――猫さん、来てるのかな……


「ん?」

 真壁が鏡越しに眉を上げる。

「今、なんか言った?」

「ううん、集中って言ったの」

「ふーん。まぁ、本番楽しみにしてるよ」


 軽い笑みを残して、真壁は墨を消した。

 玲亜は少し頬を染め、再び鏡を見つめた。

 そこには、完璧を装う少女の顔が映っていた。


 


 リハーサル終了後、会場には各校の生徒や観客が続々と入場してきた。

 司会のアナウンスが響く。


『――まもなく、桃林市能力者交流会を開始します。参加校の皆様は所定の位置へ』


 凡平は客席後方で立ち、入場チェックをしていた。

 制服姿の学生、スーツの観客、スマホを構えるメディア関係者。

 ざわめきの中で、彼の耳だけが妙に敏感になっていた。


(……やっぱ、ここまでくると緊張するな)


 インカム越しに聞こえる同僚の声。

 その向こうで、誰かの笑い声。

 日常の音と、非日常のざわめきが入り混じる。


「風祭、ステージ右。点検終わったか?」

「異常なし。火災センサーも反応ゼロっす」

「よし、そのまま本番入るぞ」


 凡平は深く息をつき、腕時計を見た。

 開始まで残り五分。

 ステージの袖で、桜花女子大チームが待機しているのが見える。


 銀の髪がライトに反射する。

 距離があるのに、なぜかすぐに分かった。


(……なんで、こういうときだけ目立つんだよ)


 小さく苦笑し、視線を逸らす。

 手元の端末を確認し、位置につく。

 これから何が起きるかなんて、誰も知らない。

 ただ、今日一日が長くなる予感だけがあった。


 


 ――照明が落ちる。


『最初の演目、桜花女子大学による“炎の花”。』


 司会の声がホール全体に響く。

 観客が息をひそめ、ステージがゆっくりと明るくなっていく。


 玲亜は袖で小さく息を整えた。

 心臓の鼓動がひときわ大きく響く。

 深呼吸一つ、両手を胸の前で組む。


(……見てて。今日は、絶対に――)


 炎が、指先に宿る。

 その瞬間、静寂が音を失い、舞台が開かれた。


 


 ――桃林市能力者交流会、開幕。


 ステージ中央に立つ玲亜の姿を、眩しいライトが包み込んでいた。

 炎の衣をまとったような彼女の動きに、観客の視線が吸い寄せられていく。

 ゆっくりと腕を掲げると、手のひらから小さな火球が浮かび上がった。

 それは彼女の指先の動きに呼応して、まるで生き物のように形を変える。


 花、鳥、波紋。

 いくつもの光景が、炎のきらめきで描かれていく。


 会場は静まり返り、呼吸の音すら聞こえそうだった。

 観客の誰もが、その瞬間の美に見惚れていた。


 


 一方そのころ、ステージ袖では警備スタッフ姿の凡平が周囲を見回っていた。

 落ち着いた様子で通路を確認しながら、客席の異常がないかに注意を払う。

 猫としての鋭敏な感覚が、微かな異変を察知していた。


『南通路、異常なし。次、東側確認お願いします』

「了解」


 短く返して視線を戻したその時――

 背筋の毛が逆立つ。風の流れが変わった。


 ステージ側から、微かな“他の能力”の気配。

 空気の層が一瞬だけ波打つ。


「……風、か?」


 凡平が眉をひそめた瞬間、

 ステージ上の玲亜が小さく身体を揺らした。


 


(……あれ?)


 足元を通り抜ける風が、ほんの一瞬、髪を揺らした。

 その風には――懐かしい、獣の匂いが混ざっていた。

 胸の奥がざわつく。

 猫の感覚が反応したのだ。


 その一瞬――

 炎の熱気で乾いた空気が鼻を刺激した。


「っ……へ、へっくし!」


 玲亜の小さなクシャミがマイク越しに拾われ、観客席にざわめきが走る。

 同時に、彼女の炎がふらついた。

 制御を失った火が、弾かれるように宙を舞う。


 そこへ――先ほどの風能力者の放った気流がぶつかった。

 交差する力が、炎を押し上げる。


「っ……!」


 誰もが息を呑んだ。

 落下すればステージ装飾が燃える――

 そう思った次の瞬間、

 炎はひとりでに形を変え、光の帯となって天井へ舞い上がった。


 渦を巻きながら広がる炎の花。

 それは偶然にも、夜空に咲く花火のような見事な光景を描いた。


 観客席から歓声が上がる。

 誰もが、それを“演出”の一部だと思っていた。


 


 玲亜は呆然と立ち尽くしていた。

 汗が頬を伝い、指先が震えている。

 けれど――その熱を感じるうちに、身体が自然と動いた。


 崩れた軌跡を追い、乱れた光を整える。

 まるでその偶然を“自分の意思”で操るかのように。

 最後の火が掌に戻り、静かに消えると同時に、拍手が爆発した。


 


 ライトの中で、玲亜は深く息を吸い込む。

 胸の奥で心臓が速く打っていた。

 けれど、別の何か――ざらついた感情が混ざっていた。


(……あの風。あの匂い。あれは……猫人の……?)


 そう思った瞬間、心のどこかがざわついた。

 偶然の成功。だが、その裏で“あいつ”の存在がちらついた。


「……ほんと、迷惑」


 小さく呟く。

 その声には、怒りとも照れともつかない感情が滲んでいた。


 


 ステージ裏。

 真壁が駆け寄ってきた。


「玲亜! すっごかったよ! 最後のあれ、即興? やるじゃん!」


「……即興、って言えばそうかも」


 玲亜は笑ってみせるが、唇の端はわずかに引きつっていた。

 真壁が背中を叩き、スタッフが拍手を送る中、

 玲亜だけが視線を遠くの裏通路へ向けていた。


 そこには、ステージ警備を終えて戻る凡平の姿。

 スタッフの制服姿で、淡々とインカムを外している。


 その背中を見つめながら、玲亜は小さく呟いた。


「……やっぱり、関わらないほうがいい」


 八つ当たりのように吐き出したその言葉。

 けれど、胸の奥ではまだ火が燻っていた。

 それが怒りなのか、悔しさなのか――

 自分でも、わからなかった。

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