炎と猫と、再会の予感
読んでくださってありがとうございます。
猫に変身できる能力者の男子と、猫アレルギーの美少女能力者の物語です。
少し不器用で優しい二人の関係を、ゆっくり描いていきます。
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月曜の朝。
桃林西高校の校舎には、いつもより少しだけ浮ついた空気が流れていた。
「なあ、聞いたか? 今年の“能力者交流会”さ、一般参加枠もあるらしいぞ」
「マジ? 上位校のデモステとか見てみてぇ!」
教室の隅からそんな声が聞こえてくる。
俺――風祭凡平は、机に肘をついたまま、ぼんやりとその会話を聞いていた。
桃林市の主要学校が集まる“能力者交流会”。
毎年この季節になると、ステージでの実演に憧れる生徒たちが少し浮き立つ。
上位ランクの生徒が華やかなステージで技を披露し、企業や研究機関のスカウトもやって来るという、いわば能力者版の文化祭みたいなものだ。
「おーい、風祭」
不意に声をかけられて顔を上げると、教壇の前に担任の真田先生が立っていた。
年の割にラフな格好で、無精ひげを撫でながら俺の方を見ている。
「ちょっと職員室来い」
「……え、俺ですか?」
「お前以外に誰がいる。ほら、行くぞ」
半ば引っ張られるように職員室へ連行された。
朝から何かやらかした覚えはないんだけどな。
ドアを開けた瞬間、コーヒーと紙の匂いが混じった空気が鼻をくすぐった。
真田先生はデスクに腰を下ろし、俺に一枚の封筒を差し出した。
「これ、桃林市交流会実行委員会から届いてる。お前、警備スタッフとして参加してみないか?」
「け、警備っすか?」
「そう。あのイベントは各校合同で行うから、主催側も人手が足りん。
うちは去年、怪我人出してるから、今年は慎重にいくそうだ」
差し出された封筒には、「交流会サポートアルバイト募集」の文字。
日給+交通費、しかも会場警備という名目で裏方に入れる。
つまり――トップランクの能力者たちを間近で見られるチャンスだ。
「……いいんすか? 俺、まだCランクですよ?」
「だからこそだ。あんまり力の強いやつを警備に置くと、逆にトラブルになる。
それに、お前、実技の反応速度テストで学年一位だろ。動きは申し分ない」
「……へぇ」
悪い気はしなかった。
先生は面倒くさそうな顔をしてるくせに、こういうところでちゃんと見てくれている。
「ま、バイト代も出るし、経験にはなる。希望出しとけ」
そう言って、真田先生は再びコーヒーを啜った。
紙コップの向こうで、曇った窓に朝の光が滲んでいた。
職員室を出て、廊下を歩きながら息を吐く。
――交流会か。
トップクラスの学校って言えば、桜花女子大学も来るんだろうな。
銀色の髪、落ち着いた声、少し照れた笑顔。
あの“玲亜さん”も、出るのかもしれない。
……いや、もう会うこともないと思ってたけど。
そのとき、スマホが震えた。
画面には「陽鞠」の文字。
⸻
「もしもし」
『お兄ちゃーん、今日学校どうだった?』
元気すぎる声。相変わらずだ。
まるで学校帰りのテンションがそのまま飛んでくるようだ。
「普通だよ。先生にバイトすすめられたくらいだ」
『バイト? へぇ、いいね。何の?』
「交流会の警備。来週の。桃林市の各校合同のやつ」
『ふぅん……もしかして、“玲亜さん”も出るんじゃない?』
「……なんでお前がその名前を出す」
『だって、顔に“会いたそう”って書いてある声してるもん』
「声でバレるのやめてくれ」
陽鞠がクスクス笑う音が電話越しに響く。
『でもさ、お兄ちゃん、いいチャンスじゃん。
恋の修行も、警備の訓練も一石二鳥!』
「恋の修行って言うな。職務怠慢で怒られるわ」
『じゃあさ、もし玲亜さん困ってたら――助けてあげるんだよ?』
唐突にトーンが優しくなる。
あの陽気な妹が、急に真面目な声を出すと、少しだけドキッとする。
「……お前、何企んでる」
『何も? お兄ちゃんが格好いいとこ見せたら嬉しいだけ。
だって、私のお兄ちゃんだもん』
思わず息をのんだ。
年相応の甘さと、年齢不相応な鋭さが混ざった言葉。
まったく、この妹は油断ならない。
「……わかったよ。ちゃんとやるさ。仕事も、たぶん恋も」
『たぶんじゃダメ。ぜったい、ね』
そう言って、陽鞠は子どもらしく笑った。
その笑い声を聞いていると、不思議と肩の力が抜ける。
「じゃ、明日も早いから切るぞ」
『はーい。がんばれ、お兄ちゃん♪』
通話が切れ、静かな風が頬を撫でた。
遠くでカラスが鳴く。夕陽が沈みかける。
「……がんばれ、か」
ポケットに手を突っ込みながら、ふと笑みがこぼれる。
やれやれ、妹に背中を押される兄ってのも情けないけど――
明日の自分が少しだけ楽しみに思えた。
柔らかな夕陽が差し込む、桜花女子大学の実技棟。
空気に混じる焦げた匂いの中、銀髪の少女――豪徳寺玲亜は、静かに右手をかざした。
「――ふっ」
右手を軽く払うと、指先に小さな火が灯る。
線香花火ほどの炎。それを見つめながら、玲亜は静かに息を整えた。
次の瞬間、炎がふわりと膨らみ、まるで花弁が開くように形を変えていく。
桜の花。
光のゆらめきが赤く揺れ、まるで命を持ったかのように空中で咲いた。
「……よし、ここまでは安定」
小さくつぶやき、手をかざして炎を消す。
その瞬間、扉の向こうから拍手が聞こえた。
「さっすが玲亜さん。相変わらず“映える”能力だねぇ」
入ってきたのは、同じ学科の真壁だった。
艶のある黒髪をまとめ、切れ長の瞳をした少女。
彼女の能力は“墨”――液状の黒を自在に操る、珍しい水と墨の混合系能力者。
炎と墨。
正反対の能力を持つ二人の視線が、一瞬、交わった。
「真壁さん……見てたの?」
「そりゃ見るよ。代表選ばれた人の練習、誰だって気になるでしょ?」
にやり、と笑う。
敵意ではない。けれど、その言葉にはどこか“線”が引かれている。
玲亜もそれを察して、やわらかく笑い返した。
「交流会、あなたも選ばれてるじゃない。心配することなんてないでしょ」
「うーん、でも桜花の代表は三人。炎と重力と墨。……バランス的には、派手さで勝てないしね」
冗談めかして言いながらも、真壁の目の奥は真剣だった。
彼女は玲亜の炎が観客を惹きつけることをよく知っている。
だからこそ、比べられることが怖いのだ。
「私は私のやり方でやるよ。あなたも、きっとそうでしょ?」
玲亜の言葉に、真壁は一瞬だけ黙って、それからふっと笑った。
「……ま、そうだね。期待してるよ、“ミス桃林”さん」
そう言い残し、真壁は背を向けて去っていった。
扉が閉まる音が響く。
残された玲亜は、しばらく火の消えた手を見つめていた。
(ミス桃林、ね……)
もう何度も呼ばれてきたあだ名。
けれど、聞くたびに胸の奥に小さな重りが落ちる。
称号は誇りと同時に、期待と嫉妬の象徴でもある。
それでも――彼女は練習を続けた。
火を灯し、形を変え、消し、また灯す。
その繰り返しの中で、炎は少しずつ滑らかに、柔らかく変化していく。
「……見ててね」
ぽつりと、誰にともなく呟く。
それは誰かに届くわけでもない、心の中の願いのような声。
指先に咲いた花の火が、まるで返事をするように光った。
やがて夕陽が差し込み、床に長い影を落とす。
玲亜はタオルで汗を拭き、鞄を肩にかけた。
(少し、休憩しよう)
キャンパスを出て、坂道を降りる。
視線の先に見えるのは、いつものカフェの看板。
――凡平くんは今日もいるかな。
そう決めているのに、足が自然とそちらへ向かっていた。
桜花女子大学のキャンパスは、広くて整った芝生と並木道が心地よい。
玲亜は今日も、炎の練習に没頭していた。マッチの火をつけ、手元で花や小鳥の形に変えてみる。細かい制御はまだ完璧とは言えないが、日々の努力が確実に形になっていた。
「うーん、もう少し花びらの広がりを自然に……」
彼女の周囲には、クラスメイトや友人が集まって見守っている。
桜花女子大学は最低Bランクからしか入れないエリート校だが、玲亜のようなAランクは決してトップではない。それでも、美貌と立ち居振る舞いで“ミス桃林”にまで選ばれた彼女を、良く思わない学生は少なくない。
練習場所の取り合いや時間の制約で、陰で小さな嫌味を言われることもある。
「また玲亜さん、目立とうとしてるのね……」
そんな声が背後から聞こえるが、彼女は顔に出さず淡々と手を動かす。
しかし、今日の玲亜の注意を引くのは、そうした嫉妬や嫌味だけではなかった。
風の能力者である同級生の数人が、ひそかに徒党を組んでいた。
「まあ、イタズラ程度でしょ」と軽く考えているようだが、その目は本気の勝負を秘めている。
放課後、玲亜がカフェへ向かうため練習を終え、街路を歩き始めると――
予想通り、風の能力者たちが小さな風の流れを作り、火の形を微妙に揺らす。炎が花の形を保つのを難しくする程度だが、意図的なのは明らかだった。
「……気づいてるのか、気づいてないのか」
玲亜は少し眉をひそめながらも、心を落ち着けて炎を制御する。
勝気な彼女は、イタズラまがいの妨害にも動揺せず、むしろ楽しむように表情を引き締める。
夕暮れの校舎。授業が終わり、玲亜は肩に鞄を掛けて校門へ向かっていた。
手の炎を消し、指先の温もりを感じながら、今日の練習を振り返る。
マッチ一つで花や鳥を描く練習――小さくても確実に形になった手応えがあった。
「……今日もまあまあ、かな」
微かに笑みを浮かべ、足早にカフェへ向かう。
街路樹の葉が揺れる。オレンジ色の光が歩道に落ち、玲亜の銀髪を淡く照らす。
風が通り抜け、胸の奥が少しだけざわついた。
だが、その背後――校内での練習を快く思わない数人の女子生徒たちが、こっそりと影を潜めていた。
彼女たちは選ばれなかった風能力者。嫉妬と羨望が入り混じり、徒党を組む。
その顔には決意が浮かぶ――玲亜の本番発表時に、些細な妨害を仕掛ける計画を。
「……風の力で、少し揺らす程度でいいわよね」
「炎の出力、変えられるかもしれないし…」
校舎の奥の方で、気配を感じる。
交流会に選ばれなかった風能力の女子たちが、仲間内でくすくすと笑いながらこちらを見ている。
悪意はそれほどない。イタズラ程度――玲亜の発表時に、ちょっとしたハプニングを起こしてみようという軽い気持ちだ。
玲亜はそれに気づきつつも、足取りを緩めずにカフェへ向かう。
“発表の時には絶対に油断しない”
胸の奥で決意を新たにし、玲亜は街へと足を踏み出した。
――その先で、運命の“再会”が待っていることも知らずに。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
凡平と玲亜、そして陽鞠。
それぞれの思惑が交差し始めた話でした。
次回は、いよいよ“交流会”本番――。
舞台の裏で、思わぬトラブルと再会が……?
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