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恋も戦いも、本気になった方が負け。

陽鞠に「恋の訓練」を持ちかけられた凡平。

その先に待つのは、恋か敗北か――。

 ――昨日のことが、頭から離れない。

 枕に顔を押しつけても、まぶたの裏には銀色の髪とあの笑顔が浮かぶ。


 豪徳寺玲亜。

 助けた相手で、猫人の姿ではたった二度しか会っていない。

 それなのに、思い出すたびに胸がざわつく。


「……恋、なのか?」


 自分で呟いた瞬間、布団の中で転げ回った。

 馬鹿か俺は。猫人の姿で少し話しただけだ。

 しかも最後は、逃げられたんだぞ。

 ……なのに、あの笑顔だけは、妙に鮮明だ。


 彼女の声も、手の震えも、全部。


 ベッドから転がるように起き上がる。

 カーテンの隙間から朝の光が差し込み、部屋の空気が白く霞んでいた。

 時計を見ると、午前十時。バイトは夕方から。

 時間はある。だが頭の中は、昨日の再生でいっぱいだった。


「お兄ちゃーん、起きてるー?」


 リビングから陽気な声。

 ドアを開けると、ソファに寝転がった陽鞠がタブレットをいじっていた。

 ストローでオレンジジュースを啜りながら、片手で画面をタップ。

 服はゆったりしたパーカー姿。完全に休日モードだ。


「……朝からだらけすぎじゃないか?」

「朝? もう昼だよ。それよりお兄ちゃんの顔のほうがだらけてる」

「は?」

「“好きな人のこと考えて寝不足になりました顔”ってやつ」


 ピタッと動きが止まる。


「な、なんでそうなる!」

「ため息三回、ぼーっとして五分。はい、恋の初期症状確定~」

「占い師かお前は」

「妹だからわかるの」


 タブレットを置き、ニヤリと笑う陽鞠。

 こういう時の妹は、妙に鋭い。

 だが、からかうような声の奥に、心配の色も見えた。


「……そんなに顔に出てたか?」

「顔どころか、オーラ出てる。部屋の外まで“恋のにおい”がしてた」

「幻覚でも見てるんじゃねーの?」


 そう言うと、陽鞠の狐耳がぴくりと動いた。

 ――ああ、こいつ、完全に聞き分けてるな。


「ねえ、お兄ちゃん。昨日、能力の制御どうだった?」

「一応、安定してた。三十分は保ったな」

「へぇ、やるじゃん。じゃあ今日は応用練習ね」

「えっ」

「だってその“恋のオーラ”制御しないと、また変身乱れるでしょ?」


「いや、恋のオーラって言うな。俺は修行僧じゃないんだぞ」

「修行僧より恋に不器用だから訓練が必要なの」

「お前な……!」


 冷蔵庫を開けて水を飲む陽鞠の動作は、どこか年上みたいに落ち着いていた。

 小学生のはずなのに、この落ち着きと観察力はまるで仙人だ。


「お兄ちゃん、昨日の変身、滑らかだった。たぶん玲亜さんの前だから、感情がブーストしたんだよ」

「感情が制御に影響って……そんな単純な話じゃ」

「あるの。能力は心とリンクしてる。だったら、その感情を“使えるように”訓練するべきでしょ?」


 言いながら、陽鞠は口の端を上げた。


「つまり――恋の訓練」

「出たよ恋愛指南モード」

「真面目な話。Sランクの助言、聞く気ないの?」

「……くっ、言い方がずるい」


 妹は勝ち誇ったようにウィンクした。

 逃げ場なし、というやつだ。


「で、訓練って……まさか幻術で精神修行とか?」

「ちがうちがう。今日は私のリハビリも兼ねて“模擬戦”。」

「模擬戦!? なんでそうなる!?」

「動かないと退屈で死ぬの」

「理由軽っ!」


 陽鞠が指を鳴らすと、空気がわずかに震えた。

 まるで部屋ごと温度が変わったような圧。

 これが、Sランク能力者の余裕というやつか。


「お兄ちゃん。制御、だいぶ上手くなってるんでしょ?」

「ああ……まあ、人並みには」

「じゃあ動きながら維持できるようにしよ。感情の起伏に耐える練習」

「感情の起伏って……恋と戦いを一緒にすんな!」

「どっちも“相手の反応で乱れる”って意味じゃ似てるでしょ?」


 ぐうの音も出ない。

 理屈は正しいし、何より陽鞠の目が本気だ。


「……わかったよ。で、どこでやる?」

「リビングだと家具壊すから、夕方の公園。あそこ広いし、17時集合」

「おい、勝手に決め――」


 言い終わる前に、陽鞠はスキップで部屋を出て行った。

 残された俺は、ただため息をつくしかない。


「……まったく。妹の方が師匠ってどうなんだよ」


 カーテンの隙間から覗く午後の光が、妙に眩しかった。

 胸の奥ではまだ、銀髪の少女の微笑みが消えない。

 ……これで集中できる気が、まるでしない。


 それでも。

 あの妹が言う「訓練」は、たいてい地獄だけど――

 必ず結果を出す。


「……仕方ねぇ。受けて立つか」


 呟きながら、ジャケットを羽織る。

 夕方の公園へ向かう準備を始めた。

 胸の鼓動が、いつもより少しだけ速かった。


夕方の公園は、すでに人気が少なかった。

 茜色の空が木々の隙間から覗き、砂の上に長い影を落とす。

 風が通り抜け、草の匂いが鼻をくすぐった。


 ――静かだ。けど、これから嵐が来る。


 ベンチに腰掛けた俺――風祭凡平は、ポケットから小袋を取り出した。

 中には、一粒のキャットフード。


「……じゃ、行くか」


 カリ、と噛む。

 口の中に魚の香りが広がった瞬間、体が熱を帯びる。

 背筋がしなる。筋肉が引き締まり、視界が一段低くなった。

 耳が伸び、爪が鋭く光る。

 ――猫人形態、完了。


「猫の餌って、相変わらず間抜けなトリガーだね」


 木の上から声。

 見上げると、白い狐耳を揺らした少女――陽鞠が、枝に腰かけていた。

 手に握られた小さな手鏡が、夕陽を反射して淡く光る。


「今日は“陽光モード”。月光より火力あるから気をつけてね」

「お前それ、戦闘訓練ってより兵器実験だろ」

「いいのいいの、訓練だから。――じゃ、始めよっか」


「え、ちょっ――」


 構える間もなく、鏡から閃光。

 白い線が一瞬で視界を切り裂いた。

 反射的に地を蹴って横に跳ぶ。

 砂が爆ぜ、焦げた匂いが立ちこめた。


「おお、反応速度上がってるじゃん」

「まあな、昨日よりはマシだ」

「でも猫って光に弱いんじゃなかったっけ?」

「……それを今言うなッ!」


 言い終えるより早く、鏡面がもう一度光る。

 地面を這う光線が蛇のように走り、俺の足元を焼いた。

 反射的に宙返りして距離を取る。

 視界の端で、陽鞠が微笑んだ。


「さすが。けど、反射で動いてるうちはまだまだ」

「小学生に言われると傷つくな……!」


 爪を立てて地を蹴る。

 砂煙が上がり、瞬間的に間合いを詰めた。

 ――速さなら、負けない。


 陽鞠の鏡が動く前に腕を狙う。

 が、掴もうとした手が虚空を切った。


「っ……! 幻術か!」


 空気が揺らぎ、陽鞠の姿が霞んで消える。

 代わりに、背後から冷たい気配が走った。

 反射的に振り向く。


 そこにいたのは――銀色の髪。


 月光のような瞳。柔らかな声。

 あの夜、助けた少女。


「……玲亜、さん……?」


「――凡平くん」


 その一言で、呼吸が止まった。

 鼓動が跳ね、耳が熱くなる。

 動けない。理性が焼き切れる。


 声も、表情も、完全に本人だった。

 陽鞠の幻術――いや、変身能力は、ここまで精密なのか。


 “幻”だとわかっていても、体が止まる。

 目の前の彼女を、傷つけられるわけがない。


「……っ、ずるいだろ、それ……!」


「訓練だよ、お兄ちゃん。動かなきゃ、当たるよ?」


 玲亜の姿のまま、陽鞠が鏡を傾けた。

 陽光が集まり、白い閃光が生まれる。


「やめ――!」


 光が走り、胸元に衝撃。

 次の瞬間、地面に叩きつけられていた。

 砂が舞い、息が詰まる。


 数秒後、耳に届いたのは、あの笑い声。

 玲亜の姿が淡く揺れ、陽鞠の狐耳が戻っていた。


「ずるい? 幻術込みで模擬戦って言ったじゃん」

「いや……そういう意味じゃなくて……」

「うん、わかってる」


 陽鞠は鏡を閉じ、歩み寄る。

 その瞳は、年齢に似合わないほど静かだった。


「集中が切れると、すぐ力のバランスが崩れるね。

 ……でも、もう少しで当たりそうだった」

「届いてねぇよ……」

「でも、“気持ち”は届いてたかも」


 陽鞠は柔らかく笑った。

 それが、どこか姉のようにも見えて、妙に腹が立つ。


「恋も戦いも、似たようなもんだよ」

「は?」

「どっちも、“本気になった方が負け”なの」


 狐耳が夕陽を受けて光る。

 俺は何も言えず、ただその言葉を飲み込んだ。

 風が止まり、夕焼けの空に、妹の笑い声が溶けていく。


 放課後の教室に、夕陽が斜めに差し込んでいた。

 窓際の席に座ったまま、ノートを閉じる。


 豪徳寺玲亜は、指先で紙の端をなぞりながら、軽く息を吐いた。

 外はまだ少し明るい。

 それでも、教室には自分と数人の女子しか残っていない。


「ねぇ玲亜~、来週の交流会、どうする?」

 友人の一人が机に寄りかかりながら、スマホを見せてきた。

 画面には、「桃林市能力者交流会」の案内。

 各学校合同の、定期的な能力実演イベントだ。


「どうするって……出るしかないでしょ」

「だよね~。てか、あの会場、獣人系の人も警備で来るらしいよ?」

「へぇ」

 玲亜は適当に相槌を打つ。

「……獣人、か。ネコ科は……やめてほしいな」



「……ってか、玲亜って彼氏いんの?」

 唐突に話題が変わる。

「えっ、なにそれ」

「いや~、交流会ってちょっとした合コンっぽくなるじゃん?

 彼氏いる組は一緒に来たりするし~」

「そんなの関係ないでしょ」

「ほんとに~? 玲亜、最近ちょっと顔つき変わったよ?」


 その言葉に、思わずペンを握り直す。

 変わった、のだろうか。

 ……自分でも分からない。


 少し前まで、人との距離を詰めるのが苦手だった。

 話しかけられても反応に困って、つい避けてしまう。

 けれどあのカフェの店員は明るくて愛想のいい接客をしてくれるから、少しだけ話せるようになってきた…と思う。

あとはせいぜい助けてくれた猫人さんだろうか、アレルギーでいっぱいっぱいだったけどちゃんと感謝は伝えられたし、少しは人と話せるようになったってことかな。


「玲亜?」

「あ……ごめん、ちょっと考えごと」

「もー、そういうのは本番終わってからにしてよね? リハーサル、明日だよ」

「分かってる」


 友人たちは笑いながら帰り支度を始める。

 玲亜は立ち上がって、鞄を肩にかけた。

 窓の外、空はすでに群青へと変わり始めている。

 街の向こうに灯る明かりが、ぼんやりと瞬いていた。



(……もう、考えない。あの日の感謝は、ちゃんと伝えたんだから)


 それで終わり。

 あの日のことは、もう十分だ。


 ――けれど。


 帰り道、風が吹いた。

 銀色の髪がふわりと揺れる。

 その一瞬、どこかで聞いたような小さな声が、耳の奥で響いた気がした。


「……っ」


 立ち止まる。

 気のせいだ、と自分に言い聞かせて歩き出す。


 制服のポケットに入れたスマホが、ほんのり温かい。

 画面には「交流会・集合時間」の通知。


 玲亜は、口元をゆるめた。

 自分でもわからない感情を、笑いで包み込むように。


「……さ、練習しなきゃ」


 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 夜の風がカーテンを揺らし、机の上のスケジュール表がかすかに震えた。


 ――猫人くん。

 あなたのことを考えるのは、これで最後。


 そう呟いて、彼女は静かに教室の灯りを消した。

凡平の模擬戦、そして玲亜の小さな決意。

二人の距離は、すれ違いながらも少しずつ近づいていきます。


次回――桃林市能力者交流会、開幕。

まさかの“再会”は、予想外の形で訪れるかも……?


もし少しでも「続き気になる」と思ってもらえたら、

ブクマ&評価で応援してもらえると嬉しいです!

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