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恋の特訓はSランクとともに

「じゃあ――次は会話練習ね」


 変身した陽鞠がキャットフードを渡してくる。 俺は机の上に置いたキャットフードを一粒つまんで、口に放り込んだ。

 ほんのりとした魚の匂いが舌に広がる。

 次の瞬間――視界が少し低くなり、耳がぴくりと動いた。

 髪が黒く変わり、しっぽがのびていく。

……っていうか、毎回この変身の瞬間、なんか恥ずかしいんだよな。


「そういえば、なに。お前、声まで再現できんの?」

「当然。幻術かけてるからお兄ちゃんにはイントネーションやある程度の回答まで玲亜さんそっくりになってるはずだよ。Sランク舐めんな」

「言い方が腹立つんだよな……」


 “玲亜”が静かにカップを持ち上げる仕草をした。

 完璧すぎて、喉が鳴る。まるで本物が目の前に座っているみたいだ。


「それじゃ、始めまーす。想定シーン:“お客として現れた玲亜さんに声をかける”」

「想定って……そんな就活みたいに言うなよ」


 深呼吸して、俺は一歩前に出た。

「……い、いらっしゃいませ! ご注文は、いつものラテでよろしいですか?」


 “玲亜”が小さくうなずく。

「はい、お願いします」

 声の響きが、思ったよりも柔らかい。

 心臓が跳ねる。幻術だと分かっているのに、胸が痛くなる。


「……こ、こないだは、ありがとうございました」

「――こないだ?」

 玲亜が首を傾げる。

 その仕草が、本物の玲亜と同じで、呼吸が止まった。


「えっと、その……雨の日に、ほら。傘を――」

「傘? 私、誰かに傘を借りたっけ?」

「い、いや、なんでもないです!」


 素の陽鞠の笑い声が目の前で爆発した。

「ぶっぶー、減点五十点! テンパりすぎ!」

「うるさい! お前が作る幻がリアルすぎんだよ!」

「褒め言葉として受け取っておくね♪」


 玲亜が、ほんの少し微笑んだ。

 それだけで、体温が上がるのがわかる。

 幻覚なのに、俺の胸は本気で反応していた。


「次、質問ターン。彼女の“何気ない日常トーク”を引き出してみて」

「そんなの無理だって!」

「練習練習。はい、スタート!」


 俺は息を吸って、猫耳をぴんと立てた。

「えっと……最近、学校どうですか?」

「……普通、です」

 返事が短い。まるで本物みたいな塩対応。

 陽鞠、絶対わざとだ。


「えっと、趣味とか……」

「ありません」

「そうですか……」

「会話終了。沈黙三秒」

 陽鞠のナレーションが入る。

「やめろって! 実況すんな!」


 笑いながらも、俺はどうにか食い下がった。

「じゃ、じゃあ……好きな飲み物とか?」

「カフェラテです」

「……ですよね」

 無難な答え。けど、それを聞けただけで少し嬉しかった。


 玲亜は、カップを口に運ぶ。

 その唇の動きに、俺は思わず見惚れて――。

「はい、変身揺らいでる。集中切れた」

 陽鞠が即座に指摘した。


「うるせぇ! お前この訓練、何の意味あるんだよ!」

「意味あるよ。“恋心を制御する訓練”」

「恋を訓練って言うな!」

「でも事実でしょ? お兄ちゃんの変身は“感情依存型”なんだから」


 陽鞠がにやりと笑い、玲亜のままでの一言

「次、ラストテスト。“恋人っぽい雰囲気”で話しかけるね」

「はあ!? そんなの無理に決まって――」


 言い終わる前に、“玲亜”が一歩、距離を詰めてきた。

 すぐ目の前。

 銀色の髪がふわりと揺れ、甘い香りがした。


「凡平くん」

 名前を呼ばれた瞬間、世界が止まった気がした。

 それが幻の声だとわかっていても、心臓が痛いほどに跳ねた。


「……なに?」

「あなたって、不器用だけど――ちょっと可愛いね」

 息が詰まった。言葉が出ない。

 猫耳が震えて、尻尾が勝手にぴんと立つ。


 陽鞠の声が響く。

「はい、変身解除。お兄ちゃん真っ赤。実験成功~!」

「バッカお前ぇぇぇぇ!!」

 床を転げる俺を見て、妹は腹を抱えて笑っていた。


「いやー、面白かった。データもばっちり取れたし、恋の特訓としては大成功!」

「俺は二度とやんねぇ!」

「ふふ、どうだろうね? 明日、あの人の顔見たら、また猫耳ぴょこんってなると思うけど?」

「うるさい!」


 けらけら笑う陽鞠に背を向け、

 俺は深く息を吐いた。

 幻の恋。

 だけど――あの笑顔が、頭から離れない。


「さてと、もう一回くらい行っとこっか。恋愛は反復練習だよ」

「誰のセリフだよそれ……」


 陽鞠が作り出した幻の玲亜が、俺の目の前で笑っていた。

 その笑顔は本物そっくりで、思わず背筋が伸びる。

「お兄ちゃん、集中して。猫の呼吸、猫の意識、猫の姿勢」

「なんだよそれ、そんな呼吸法あんのか?」

「今つくった。イメージ大事でしょ?」


 俺は机の上のキャットフードを一瞥する。集中、集中……とにかく猫の維持だ。


「変身、安定してるね。前よりも耳がピンとしてる」

「そこ褒めるとこなのか?」


 陽鞠は笑いながらタブレットを取り出し、記録を取り始める。

「はい、今の時間は二分四十秒。体温上昇軽度。集中度は六十パーセント」

「なんでそんなデータ取ってんの」

「Sランクはなんでも数値化するの。恋もデータでしょ?」

「それは違うだろ!」

 思わず声を上げた瞬間、変身がわずかに揺らぐ。

 耳がへなりと垂れ、髪が少しだけ茶色に戻った。

「はい、集中切れた。恋心にノイズ発生」

「お前ほんと人の恋バカにしてないか!?」

「してないよ、研究してるの」

 にやりと笑ってメモを取る陽鞠。どうにもこの妹には敵わない。


「やっぱり、感情の波がそのまま能力の維持に繋がってる感じ。あの人の前ではあんまり感情出さない方がいいんじゃない?」

「……なるほど、って素直に納得できないんだけど」

「それは恋愛初心者の言い訳」


 陽鞠は立ち上がり、再び幻術で玲亜の姿に変わる。

 すっと指を伸ばし、俺の胸に軽く触れた。

「この状態で、どれだけ自分を保てるか試してみよ」

「試すって……!」

 体温が急に上がった。

 鼓動が速くなるたび、猫耳が震え、視界がぼやける。

心臓がうるさい。けど、それでも――玲亜の幻を前にして、目を逸らせなかった


「お兄ちゃん、いい顔してる」

「うるさい!」

「はい、完全解除。記録バツっと」

「実験みたいに言うな!」


 変身が解けると同時に、陽鞠は笑いながら水を差し出してきた。

「はいお疲れ。明日はバイトなんでしょ? 本番、頑張ってね」

「……バレないように会うだけだよ」

「ふーん、“会うだけ”ね」

 その口ぶりが癪に障る。だが、何も言い返せない。

 キャットフードを片付けながら、胸の奥が少しだけ熱くなっていた。


 夜。

 窓の外には月が浮かび、静かな風が吹いている。

 ベッドに横たわりながら、俺は昼間の練習を思い出していた。

 恋の特訓。笑える話だ。

 けど――玲亜さんの前で、もう一度だけ堂々と立ちたい。

 昨日みたいに、あの手を掴めるように。



 翌日。

 放課後のバイト先は、いつもより少し静かだった。

 店内の照明が落ち着いたオレンジを灯し、外にはゆるやかな風が流れる。

 カウンターに立ちながら、俺はドアのベルを何度も気にしていた。


 そして、ドアが鳴る。

 カラン――。

 銀色の髪が、夕陽を受けて淡く光った。


 豪徳寺玲亜。

 昨日と同じ席に座り、いつものようにカフェラテを頼む。

 俺の胸が、ぎゅっと鳴った。

 何も変わらないはずなのに、昨日とは違う空気を感じる。

 彼女の視線が少し柔らかく見えた気がして、息を飲む。

 でも次の瞬間、その目はすっと逸らされる。

 氷のように静かな表情。

 ――そうだ、これは彼女にとってただの日常。

 昨日の出来事なんて、夢みたいな一瞬にすぎない。


 俺は笑顔を作り、カップを差し出した。

「いつもありがとうございます」

「……どうも」

 短い返事。けど、それでいい。

 少なくとも、また会えた。


 カウンター越しに彼女を見つめながら、

 心のどこかで小さく呟く。


――次は、ちゃんと笑ってもらいたい。

それだけなのに、その距離が、やけに遠く感じたり

まるで、幻のまま残ってしまった恋みたいに。

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この作品、**異能×恋愛のテンプレを超えて“感情で能力が揺れる青春ドラマ”**になってます。 ギャグで笑わせて、夜で締めて、次の日に再会させる―― リズムと間の作り方が非常に上手。 「猫アレルギーの…
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