闇の仕事人
始発の鉄道が動き出してしばらく経った早朝、無表情な男がどこかふらふらとした足取りで、それでも危なげなく集合住宅の一室まで歩いて来た。ネット経由の操作で電子錠を開け、部屋に入る。
玄関に腰を下ろして脱力する。
しばらくすると、目が覚めた。土の匂いがする。
「……ふう」
一息ついて、眠気を追い出そうと頭を左右に降る。疲れた切った体を引きずってバスルームへ。熱いシャワーを浴びると人心地が付いた。タオルで頭をがしがし拭きながら出てくる。
冷蔵庫から調整ミルクのパックを、戸棚から栄養ブロックを取り出し、身体を引きずっていって、ベッドに倒れ込む。何種類かの食感と味の組み合わせで不思議と飽きが来ないように作られたブロックをかじり、同じく味不定のミルクで流し込む。
食べ終わった後のパッケージをゴミ箱へ放り投げ、目を閉じると、本格的な今日の始まりだ。
サイバー空間に全感覚でログインしてしまえば、身体的な披露は嘘のように消えた。
いつものゲームサイトに入り、リクエストが送られてくるのを待つ。程なく現れた通知に目を通し、条件を確認してからゲームスタートを承諾した。
迷彩服を着て銃器で武装した男達が守る小屋への突入が今回のお仕事。
ふらりと姿を現し、迷彩服達が銃を向けてくるより早く手裏剣を投げつける。それを牽制として、黒いニンジャ装束を翻し、一気に間合いを詰める。照準を付けてくる一瞬に合わせて動きを小刻みに変え、狙いを付けさせない。刀を抜いて首筋を切り裂き、正面の2人を無力化した。
男は、このサイバー空間で徹底的に鍛えきった達人だった。
全感覚ログインの技術が確立して以来、劇的な変化を遂げたものの一つに、武術がある。剣道ではなく、剣術。柔道ではなく、柔術。
元々、人をいかに上手く倒すかを追求する技術だった武術。それらは、人と人とが戦う必要が薄れ、人を傷付けることが許されない時代の到来と共に、傷付け合わずに技術を競う武道へと進化していった。ところが、さらに時代が進んで入れるようになったサイバー空間では、互いの合意があれば心ゆくまで傷付け合っても問題は無い。早速、武道を武術へと戻そうとする物好き達が現れ、効率的に怪我を負わせるためだけの邪道な技の数々を大喜びで復活させたりし始めた。
そして程なく物好き達は、かつてのどんな武術の達人も到達できなかった高みへと、武術を進化させていった。何しろ、命を賭けた殺し合いを反復練習するようなことは現実では論外だ。もし、練習試合のために全国から達人を集めて戦う機会を設けるなら、負けた人から消えていくことに合わせてトーナメント戦にするのが妥当だろう。1000人程度を集めたとして、公平なトーナメントであれば全10回戦ぐらいの大会になる。1人だけが生き残るその大会で、優勝者が得られる経験は、達人との勝負たった10回分だ。次にまた同じような練習をするためには、全国に1000人ほどの達人が育つまで待つしかない。
一方、やり直しの利くサイバー空間では、総当たり戦の大会を開くこともできる。ライバル関係にある達人同士が毎日何度も試合をして、551勝556敗、と戦績を競うことすらできる。致命傷を受けたあとでも可能な最も効果的な反撃はどういったものか?という、実践して検証できない上にまず使う場面がほとんど無い技術の検討も行われた。理屈の上では100回やって1回ぐらいは成功するかも知れない、99回は死んでしまうような無謀な技を、ものは試しとやってみたりもできる。無理矢理反復練習して習得し、10回に1回ぐらい成功する所まで極めてみても良い。なぜか今更、武術はかつて無い高みへと到達しつつあった。
黒いニンジャはかぎ爪付きのロープを屋根に引っかけて引っ張り、流れるような動きで屋根に飛び乗った。思いがけない縦の動きで迷彩服達の銃の照準から外れる。屋根を盾として銃弾を防ぎつつ、滑るように小屋を越えて反対側に着地した。小屋を回り込んで襲撃地点へと向かおうとしていた迷彩服達を後ろから仕留め、窓を割って室内に突入した。
さすがにボス直近の護衛2人は手練れだった。ここまでの陽動にもほとんど惑わされず、即座に突入者に対応してきた。対峙していてもジリ貧だし、時間をかけても相手からの評価が下がるだけなので、さっさと強引な突撃を敢行する。ニンジャは、一か八かで銃弾を刀で弾く技を、致命傷になり得る銃弾だけを狙って繰り出しつつ、全身全霊で突撃した。折れた刀を護衛の1人の首に突き刺し、同時に投げたクナイがもう一人の護衛をひるませた。
と思ったところで、ゲーム終了となった。
敗因は、敵のボスたるおっさんが大ざっぱな狙いで撃った弾のラッキーヒット。
これはなかなか運が良い負けっぷりだと嬉しくなる。
実際、対戦相手の満足度は高かったようで、かなりの額のお駄賃を追加で貰えた。仕事の内容は、ゲームの負け役。
人よりも多くの努力を費やして体を鍛え、人よりも多くの金を費やした客に負ける。本物の人間に勝つ経験を与えるという、AIが取って代わることのできない、数少ない仕事の一つだった。
サイバー空間内のアバターの性能には制限が無い。対戦者同士で同意が取れれば、音速で走れる拳法の達人同士で水上で戦っても良い。亜光速アンドロイド同士の、相対性理論への理解度が勝敗に繋がる超高速バトルでもやりたい放題だ。やりすぎて何を競っているのか分からなくなる場合も多々あり、その反動で、出来る限りリアルなバトルというコンテンツには強い需要があった。
このニンジャのアバターは、男の身体能力をなるべく厳密に再現した、認証済み本人再現アバターと呼ばれるものだ。とある世界的なフィットネスジムが行っているサービスで、認証を維持するには半年に1回、徹底的な身体測定を受ける必要がある。理屈の上では、彼の動きは、現実でも再現可能ということになる。
その誰も見たことのない超ド派手なアクションを現実でもやってみて欲しい、という依頼はよくあるのだが、それらは全て断っていた。10回に1回死ぬようなアクションは現実では絶対無理だ。現実のスタントマンやアクションスターは、「100%怪我をしないで済む無茶の範囲」を訓練によりじわじわと広げるのが常道だ。それとは逆の邪道を歩んでいる自分を一緒にして貰っては困る。
できることと言えば、現実でも可能なはず、という付加価値付きで「そんな相手とどう戦うのか?」という体験をお客様に提供する程度が関の山だ。
今回の負けっぷりには満足して頂けたようで、相手が陣地の構成と人員の配置を調整してから、もう一勝負。
そんな風にして何事もない一日が過ぎていった。
昼と夜の食事休憩を挟んで仕事を続け、深夜になった。夜のお仕事の時間だ。
「……ふう」
仮想環境からログアウトし、目を開ける。疲れ切った頭をふらふらさせながらベッドから這いずり出す。
なんとなく用を足してから玄関まで行き、靴を履く。
推奨されている手順通りにしっかりと座り込む。切り替えの瞬間にはどうしても体が暴れてバランスを崩すことがある。
目をつぶって、意識カーソルを操作して、いつも使っている仕事斡旋サイトを呼び出す。
時間は「朝まで」、内容は「業種・作業内容は問わず」。「作業内容の通知不要」という推奨されていないオプションも付けてある、お気に入りの設定で検索をかける。
ヒットした内、一番、時給の高い選択肢を選ぶ。「作業内容の通知不要」を付けている以上、それ以外に選ぶ基準は無いのだし。
慣れた手つきで、承認ボタンを叩く。
5秒のカウントダウンの後、意識が体から切り離され、何も無さそうで、その実、睡眠に適したほどよい刺激に満たされた黒いサイバー空間に沈んでいく。
脳からの直結で仮想空間の体を自由に動かせるのだから、もちろん、その逆もできる。
仕事先のコンピュータに操作権を明け渡した自分の体は、そちらの操作で朝までの何かの作業に従事することになる。「作業内容の通知不要」を選んでいるから、それがどんな作業かも分からないし、後から聞いても教えては貰えない。
どんなに危険な作業に割り当てられようと、別に構わない。今の時代、脳さえ無事なら、現実空間を捨て去ってしまえば済む話だ。むしろ、サイバー空間への完全な移住は、金がかかりすぎて実現できない、多くの庶民の憧れなのだ。あらゆる労働災害は補償される契約なのだから、大怪我でも負って、補償金でサイバー移住を果たせるなら万々歳だ。
そんなことを考えているうちに、疲れ切った脳はすぐに眠りに落ちた。
翌朝、眠ったときと同じ、玄関で座った姿勢で目が覚めた。
体には良い感じに披露が貯まりきっている。次は、そのおそらく肉体労働と思われる「何らかの仕事」で培った筋力を活かした頭脳労働だ。
シャワーを浴びて出てきて、自動配送で届けられた朝食セットを見て心が弾む。うっかり忘れていたが、今日は「美味しいものの日」だった。
今週の美味しい朝食セットは、サンドイッチとパックのカフェオレ。気分を出して、いつものようにがっつかないよう気を付ける。
今の時代、脳内端末のインプラント手術は誰でも無料で受けられる。何しろ、これを使ってネットに繋がない限り、仕事も趣味も、できることはほとんど何も無い。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利には必須なのだ。
そのため、運動神経と、触覚、視覚、平衡感覚も含めた聴覚までは無料で繋いで貰える。あらゆる機器が感覚の直結前提で作られている昨今、それ無しでは尊い勤労の義務を果たせない。
問題は、最後に残った2つ、嗅覚と味覚だ。
嗅覚は、各々異なる物質と反応する数百種類の嗅覚受容体で構成されている。それらが送る信号の組み合わせを脳が匂いとして認識する仕組みだが、どこの神経細胞に対する刺激でどのような匂いを感じるかは人それぞれだ。そのため、脳内端末からの電気刺激で期待通りの匂いを感じられるようにするためには、その繋がりを徹底的に調べ上げる必要がある。複雑な作業が必要で、サイバー嗅覚を得る処置には、結構な手間が掛かってしまう。
味覚は、それだけなら接続は簡単だが、そこだけ繋いでもあまり意味がない。食べ物の味というのは、嗅覚に依る部分が想像以上に大きいのだ。
そして、それだけ大きな手間暇を掛けて臭覚と味覚を繋いでやっても、できるようになることは、おおむね、サイバー空間内でバーチャル食事が取れるようになるだけだ。現実で腹が膨れるわけでもなんでもない。現実で腹を膨らますためだけであれば、なぜか飽きの来ない謎のブロックと謎のミルクが、必要なだけ無料で配布されている。
結果、無くても困らない嗜好感覚として、サイバー空間内での嗅覚と味覚は、「国民全てが生来持っている権利」からは外された。欲しければ、高額の費用を払って自腹で追加の接続処置を受ける必要がある訳だ。
包み紙を、マヨネーズまでなめとってから棄てる。
「ごちそうさまでした」
誰にともなく言ってから、ベッドに横になる。稼ぎの時間だ。サイバー臭覚・味覚をゲットすべく、今日も仕事に勤しむ。
その2つを得てしまえば、上がりだ。
無料で配られる栄養ブロックと調整ミルクで金が無くても物理的に食うには困らないが、それでは美味しいものを食べたいという欲求を満たしきれない。
好事家達は人間に備わっていない拡張臭覚や味覚を増やして、それ前提の前衛料理を楽しんだりもしているらしい。そんな訳の分からないものに手を出したいのなら別だが、普通の人間を対象とした美味しい料理であれば、フリーの素材データを調理してやれば、サイバー臭覚・味覚さえあれば金をかけずに楽しめる。
こうして、一切金をかけずに楽しく生きていける状態になることは、上がりと呼ばれ、庶民のごく一般的な目標とされている。達成者への嫉妬混じりに「人間廃業」とも呼ばれていたが。
それを目標に、人間の限界な動きでばったばったと雑魚を倒し、良いところで負けるという作業を延々と繰り返す。
調子良く午前の仕事を早めに切り上げ、美味しい昼飯として届けられたカツ丼と味噌汁、おしんこに取りかかる。
栄養ブロックばかりを食べていると、脳の味覚に対する反応が鈍ってしまうという俗説があった。その状態になってしまうと、苦労をしてサイバー味覚を得ても、サイバー空間で何を食べても栄養ブロックの味しかしなくなる、という、SNS上では根強く支持されている怪談だ。
本当か嘘かは分からなかったが、念のため、いくらかの金を使って、週に1回はちゃんとした味がする食べ物を食べる日を設けているわけだ。贅沢をする言い訳としてSNS上の怪情報を利用している、といってしまっても良い。
「ごちそうさまでした」
言って、ベッドへ戻る。最高に心地の良い満腹感。
いつか、金のことを気にせずに何でも食べられるようになる日を夢見て、マッチョなニンジャはサイバー空間へと飛び込んでいった。
『作業のマッチングに失敗しました』
「えっ?」
ある日、いつものように夜の仕事に出かけさせようと準備をしていたところ、意外なエラーで、拒否されてしまった。
何度か試してみても状況は変わらず。
仕事の内容を何でもありにしているのに、適切な仕事が見つからないというのはどういうことなのか。ついでに、勇者、あるいは真のバカしか選択しないと言われる、「内容の通知不要」オプションまで付けた、本気の何でもありだ。
これを付けておけば、作業内容を選べない上、どんな作業に従事したか教えて貰えなくなる代わりに、時給にちょっとだけ色が付く。発表前の製品の組み立て工場など、機密情報を扱う現場も少なからず存在するのだ。そういう機密に関わる作業というのが本来の使われ方だが、怪しい噂というのも後を絶たない。しかし彼は気にしていなかった。もちろん、法に反する作業はさせないという規約になっていたが、その規約よりも、法に反する作業をさせられていても意識は無いので本人に責任はない、という判例が既に出ている事実の方が彼にとっては重要だった。
しかし、今日に限っては何度やってもエラー。オプションを外して、時給ボーナスを取ってみても変わらず。
日中のお仕事で脳は疲れ切っていて、だんだんいらついてきた。
えいやと、マッチングが成立次第、自動で承認になるよう設定して、目を閉じる。
しかし、脳は眠気にしたがって夢の国へと突っ走ろうとしているのだが、逆に日中ずっと休息を取り終えてこれから働く気満々な体が、その足を引っ張ってしまっている。暴れ出したくなるような据わりの悪さを、じっとこらえてやり過ごそうと努めた。
気がつくと朝になっていた。
玄関で大の字に寝っ転がっていたということは、結局、最後までマッチングは成立しなかったようだ。固い床の上に寝ていたせいで、背中と肘に痛みを感じる。いつもの心地良い肉体疲労とは異なる、ねちねちと纏わり付く不快感。
シャワーを浴びて、栄養ブロックをかじっても、状況は改善しなかった。
結果、眠気のせいで、昼の仕事のパフォーマンスは散々だった。信用を失っては後の仕事に響きかねないため無様なところは見せられず、それと悟られないよう逃げ回る局面が増えてしまった。夕方頃には取り繕える限界超えの眠気のピークが来てしまい、なんとか後腐れないよう誤魔化してログアウトまではしたが、寝て起きたら深夜だった。
貴重な稼ぎ時を数時間も無駄にしてしまった後悔だけが残った。
そろそろ、夜の仕事に出かける時間だったので、マッチングが成立するか、仕事の検索をしてみる。
昨日と変わらず、エラーと通知された。
小一時間ぐらい粘ってみたが、どうにもならなさそうだった。同じ失敗を繰り返すわけには行かない。実入りの少ない夜の仕事が、主な収入源である昼の仕事に悪影響を及ぼすのは本末転倒だ。
しょうがなく、脳内端末に無料の筋トレアプリをダウンロードしてきて、体を鍛えさせることにした。一晩中アプリを走らせておけば、好ましい生活リズムを取り戻すことはできるだろう。
『どんな生活をしてるんだ、お前。ニュースを全く見てなかったのかよ!!』
夜の収入がなくなってしばらく、久しぶりに昼の仕事でかち合った友人には爆笑された。そのことに思い至らなかったのは確かにバカとしか言いようがない。友人から紹介されたニュースサイトを開く。
『短期アルバイト斡旋業最大手、穴を掘って埋める仕事を捏造』
短期アルバイト斡旋で業界最大手のワークワークバランス社が、必要とされていない作業に労働者を従事させていたとして、労働基準監督署は、同社に対して改善されるまでの間の営業停止処分を下したことが分かった。同社は問題を大筋で認めている。
同社は、企業から有料で雇用ノルマを引き取ってその分の作業者を雇い入れ、それらを請け負った作業に斡旋する事業で国内最大手。自社内で雇用ノルマを達成することが難しい多くの会社が同社のサービスを利用しており、問題は広がりを見せている。
同社代表は「事故リスクの小さな作業の発注が減ってきており、採算の取れる作業者の割り当て先を十分に確保できなかった。やむを得ず自社内で作業を水増しすることが常態化してしまっていた。今後このようなことがないよう、社内のコンプライアンスを強化する」と述べた。
同社は、都内山中の工事現場で、穴を掘る作業と、掘られた穴を埋める作業を交互に行い、多くの作業者を従事させていた。事故などに対する補償リスクを増やさずに作業量を増やす狙いで無意味だが安全な作業を捏造し、多くの雇用ノルマを引き取ることで利益を上げていた模様。この問題に詳しい識者は「同社が限度を超えて雇用ノルマを引き受けてしまっていた背景には、ノルマ達成が困難な企業の窮状もある」とコメントした。
問題を指摘したのは、NPO団体「人類の尊厳を守る会」で、同代表は「無意味な労働に人類を従事させることは、深刻な人権侵害である」と延べ、他の斡旋業者に対しても監視と追求を続けていくと表明した。
読み終えて頭を抱えた。雇用ノルマというのは、AIの対等と共に整備された仕組みで、あらゆる企業はその事業規模に応じて十分な数の人間を雇う義務を持つものとされた。しかし、危険な作業に人間を雇うと、作業の安全性を確保するためにコストを掛けて効率を下げるか、無理矢理作業を進めて、事故が起こった場合に多額の賠償を行うかのどちらかになる。ロボットにやらせた方が安くで済むのだ。
そこで雇用ロンダリングが横行している所までは合法で、周知の事実でもあったのだが……。どうやら、なんとかかんとかの一線を越えてしまったとか、そういうことらしい。心底どうでもいい話だった。
要するに、人類の尊厳を守る団体が、自分に尊厳とやらを押しつけてきて、それと引き換えに、仕事を奪っていったのだ。
誰だその要らんことをしやがったクソ野郎は、と思ってニュースからリンクを辿ると、そこには見覚えのある顔があった。団体のトップは、いつぞや、ゲーム内でラッキーヒットをかましてきたおっさんだった。
「内容の通知不要」のオプションは全面的に禁止となったが、どこからも反対する声は上がらなかった。そもそも、機密に触れる作業に短期アルバイトを割り当てる需要は既に無かったのだろう。口の堅いロボットに任せた方が、そりゃ、いいに決まっている。それなのにオプションが用意されていたのは、やましいことでもあったのだろうか。穴を掘って埋めさせるような極悪非道な作業内容を隠したかったとかそういう……。
もっぱら最近は、その代わりにできた、国土整備事業に従事している。
あまり重要でない山を切り崩して、水害と無縁の市街地やら農地やらを作り上げるという野心的な国土整備を、全て人力でやってしまおうという壮大なプロジェクトだ。そうやって国土が真っ平らになったあかつきにはどうするんだろうか、という心配は要らなさそうだった。SNS上の有志による計算では、少なくとも数百年ぐらいは大丈夫とのことだ。それに、それが終わっても、今度は、土を盛り上げて山を作る仕事が残っているし。
昼の仕事も順調だった。
あの後、例の団体代表のおっさんから、また、対戦以来があった。そこで、自分も被害者なんです、許せない、と言ってみたのだ。そこで「何を余計なことしてくれとんねん」と文句を言ってクライアントの機嫌を損ねるような愚は犯さない。結果として無事に、代表の隣に座って、「酷い仕打ちに人間としての尊厳を傷つけられた」と暑苦しい涙を流す役が得られた。その様子の動画は結構な人気を博してくれて、そこそこの収入に繋がった。
その上、そうして原告の一員として参加することになった、会が斡旋業者を訴えた裁判が終わると、かなりの示談金が入ってきた。
思い切って、味覚・嗅覚の接続処置を受けることにして、五感全てでサイバー空間に入れるようになり、人生の上がりを迎えた。
念願のバーチャル食事も楽しめるようになり、しばらくはフリー素材の調理を楽しんだ。今や現実でやるには金がかかりすぎる趣味になってしまった料理というのは、なかなかに奥が深くて面白い。
そして、若くして人間をやめた者はそれなりに珍しく、食レポもバトルもこなすクッキングニンジャはキャラクターとして思った以上にウケた。実は、臨時収入があったとはいえ、五感接続の施術代金には足りておらず、それなりの金額を借金してしまったので、これは大いに助かった。
「よし!」
目を開いてベッドから起き上がる。
肉体的にも精神的にも満腹で、体は気力に満ちている。
その上、尊厳を傷つけない夜の仕事も得て、絶好調だ。
「働くぞー!」
そう吠えて、玄関に腰を下ろして目を閉じた。
法改正でバイトをやりにくくなった、余計な事を、と友人が言っていたのを元ネタにした、ハードボイルド社会派ドラマです。
全感覚没入型のVRができたら、その逆に、体の方をコンピュータで操作することもできて便利な気がするんですよね。無限筋トレとかダイエットとかに。
あと、AIが仕事を奪い出すようになるとどうなるか?の別の考察を以下のnoteに。
『いつか来る逆転不可能社会』
https://note.com/takashigeume/n/n20c014d0b641?sub_rt=share_pb