8:皇帝陛下の入眠チャレンジ
アルベルトは本の山に隠れたグレイを見下ろし睨みつけた。
その冷たい瑠璃の瞳に刺されれば、ヒューバートとダグラス以外、皆一様に青ざめ震え怯えるものだ。
だというのに、この男は―――。
ボタンを掛け違いまくったシャツを気にもせずに身に着けた目の前の男は、黒曜石の瞳で顔色も変えずにじっとアルベルトを見上げてきた。
西の女将軍の濡れたような黒い瞳と、寸分たがわぬ同じ目だ。
その目には恐れも怯えも一片たりとも見えない。
それどころかーーー。
「―――就寝時間にはまだ早いと思います。俺に何用ですか、皇帝陛下」
東の大国の皇帝である俺に向かって、一刀両断の一言を浴びせてくる。
「すげーなお前!よくも、アルベルトにそんなこと言えるもんだ!?」
敵ながらあっぱれだ。と、ヒューバートが腹を抱えて笑い出す。
「その件に関して、話しに来た」
「一回眠れたからもう殺す。とか無しですよね?ひとまず、この本を読むまではなんとかお目こぼし頂きたい」
このうず高く積み上げた本の山を読むまでだと?
死ぬ気はないという、意思表示か?
それにしてもこの俺に、良くも恐れもなく言いたい放題言ってくれるものだ。
アルベルトは目の前の恐れ知らずの学者の肝の据わり様に、少々の興味を持ち始めていた。
「昨夜、眠れた理由を考えた」
腕を組んでの仁王立ちで説明を始めるアルベルトに、間髪入れずグレイが声を上げる。
「結論は出ましたか?俺はお役御免でしょうか?」
「まず、聞け!」
どうしてもこの男とは会話のタイミングが合わない。
イラつきを抑えられずぐしゃぐしゃに銀髪をかき上げて、アルベルトは説明を始め、グレイは「黙ります」と呟いて背を正した。
アルベルトは自分が入眠できた最大の要因は、大きく区分して2つのあると考えていた。
ひとつは、自分が全く興味がなく理解もできない話を、延々と朗読され頭が拒否して眠りに入ったのではないかということ。
このケースは今までになかったものだ。
「魔法でもなく薬でもなく……脳疲労からの入眠というご見解ですか?」
グレイの言葉にアルベルトが頷く。
脳疲労?とヒューバートとダグラスが首を傾げているが、ひとまず無視する。
何故ならその言葉は、昨日、学者に聞いたばかりでアルベルトも良く理解が出来ていない。
もうひとつは、グレイの体温だ。
アルベルトの体温は人より低く、対してグレイの体温はお子様体温で人より高い。
「う~ん。確かに、俺の体温は標準より高めですね」
どれどれ。とダグがグレイの手に触れて、確かに。と頷く。
二度寝となった朝方、あれは良くは解らないが、人肌の暖かみに、意識が緩んだ。と思う。
自我か確立した幼い頃より、誰かと共寝した経験は、アルベルトにはない。
これは、「共寝する女も居ないのか?!」とヒューにほぼ100%の確率でツッコミを受ける処であるので、体温の事のみに話は留める。
「誰かにつまらない内容の朗読を依頼して、体温の高い誰かと共寝するか、大型犬等で代替えするか?ーーーだが、体温が高くても信頼に足らない人間と共寝は出来ないし、言葉も伝わらない生き物は避けたいな。寝入る為に、寝具を温め、更に常に温かい抱き枕となるものがあれば、代わりになるかもーーー」
思うままに代替え案をつらつら話していると、目の前の一同が半眼でアルベルトを見つめてきた。
「―――で、どうしたいんだお前?」
質問の代表者となったらしいヒューバートが、眉を寄せながら尋ねてくる。
「実験で、ダグに興味のない本を朗読してもらって、ヒューに共寝してもらおうかと考えている」
「「ええ?絶対、嫌です」」
ヒューが両手を前にだし、強固な拒絶の上に完全固辞してくる。
「私も正直遠慮したいですが、その実験期間中の彼の処遇はどうしますか?」
ダグラスがげんなりと表情を曇らせ、グレイに目を向ける。
「皇宮内に一部屋与えて実験失敗時の保険にしようと―――」
「俺、ここでいいですよ」
またも会話に割って入ったグレイをアルベルトが睨みつけるが、それには構わず、グレイは満面の笑顔で続ける。
「毛布と枕くれたら全然図書館で暮らせますんで。逆に天国でパラダイスですよ!どれだけ生かしてもらえるかわからんので、死ぬまでここに住み着いて一冊でも多く本を読みたい!!」
こいつの本への執着心には、呆れを通り越して敬服感すら湧いてきた。
グレイの言動に最早ツッコむ気力も無くなり、後はダグラスにこの場を任せて、アルベルトはヒューバートを伴い自室へと引き揚げた。
入眠に対しての実験は今晩から行う予定だ。
様々なテストケースはすでに用意してあるが、ひとまず今日はヒューバートとダグラスに協力を仰ぐ。
否とは言わせない。
ヒューバートは酒で釣れば一発だし。
ダグラスは俺の為に協力してくれる。
はずだ。
しかし、アルベルトの楽観的予想は初日から覆る事となる。
ヒューバートは確かに酒に釣られてアルベルトの私室に留まってくれたものの、酒盛りを始め共寝どころではなく泥酔……。
ダグラスに至っては、図書館の引き籠もり学者への寝具提供をしに行ったまま、帰らぬ人となった。
ミイラ取りがミイラになるという、あれである。
翌日の近衛からの報告によれば、意気投合した敵国の引き籠もりと自国の宰相が、毛布に包まりパジャマパーティーならぬ古語文書解読に盛り上がって、図書館の灯りは、朝までついに消えなかったとの事だ。
その後、1ヶ月のテスト期間を設定し、アルベルトの考える入眠シークエンスを数種設定し、更には組合せ変更も様々試したものの、その全ては、ことごとく失敗に終わった。
アルベルトの不眠症状はテスト期間終了期限まで保たず、体力面の限界を超えている。
テスト期間の終盤時期を待たずして、皇宮医官と宰相ダグラスの判断によるドクターストップがかかった。
テストは中断、図書館の引き籠もりへの即時招集令状が出されたのは言うまでもない。