5:目覚めたそこは皇帝の腕の中
ふわふわあったかい布団の中で、しばらくそのまま微睡んでいたい。
そんな、目覚めたくない眠りから薄目をあけると、そこは、皇帝陛下の腕の中でした。
冗談は抜きです。
誰かの腕の中での目覚めは自我が確立してから初めてで、ドキドキ感が否めません。
目の前には、ローブがはだけた皇帝陛下の鍛え抜かれた胸筋。
確か、昨夜は、チェストにのっていた「帝国天地開闢記」が面白くて、読みだしたら止まらなくなって、けれども寒さには勝てなくて、足だけ、皇帝陛下の寝所に突っ込ませてもらって、寝落ちした。と、思うのだが………。
これは、どこでどうなったのだろうか?
眠らせてみろ。と言われた皇帝陛下は、その姿を拝見するに爆睡中です。
寝てないとは言わせませんよ?
これで不眠症とか、ありえないでしょう?
ひとまず、首ちょんぱはなくなり、皇宮図書館へゴー!して良いと考えていいのでしょうか?
がっちり抱き込まれて、身動きもできないグレイがどうにかしようと身じろぐと、皇帝陛下の髪色と同じ銀色の長いまつ毛が微かに震え、ゆっくりと瞼が開き瑠璃の瞳が現れた。
「―――おはようございます.........」
ひとまず、これしか言葉は出なかった。
言わせてもらえばこっちがびっくりだ。だのに、皇帝陛下は自分に向け剣を突き付けられたかのように飛び起きて、枕元に忍ばせてあったらしい剣を瞬時に抜くと、グレイの首元に突き刺した。
起き抜けでそれだけ動ける危機管理能力は素晴らしいと感嘆に値するが、喉元まで数ミリの位置に固定された冷たい剣に、グレイは身じろぐ事すら出来ない。
「皇帝陛下はお眠りになっていたと存じますが、約束を果たしたってのに、皇宮図書館開放なしに俺の首を落とされるのですか?」
「―――数ミリ動けば動脈が切れるというのに、どこまでも冷静だな」
「慌てて騒いだ所で状況が変わるとも思えないので」
グレイの肩書は学者ではあるが西の国の将軍家の生まれで、更にはこんな時代である。命を狙われたことも、貴重な本を発掘し守る為に戦場の真っ只中を駆け抜け死にかけたこともある。
自分は、首に剣を当てられたくらいで鳴き声を上げる性分ではない。
だがそれを知らない皇帝陛下は、首筋にあてた剣に怯みもせず表情も変えない自分を見定めているようだ。
「謁見の間での対応もそうだったが、お前はただの学者や文官ではないな?俺の覇気を浴び剣先を向けられても、恐ろしいほどに冷淡だ」
やはりそこか。とグレイはにっこりと笑んだ。
「腐っても将軍家の生まれなもので、幼い頃よりおもちゃ代わりに剣を与えられて育ちました」
ボ〇ルは友達!ならぬ、剣は我が身!に近い感覚です。
すると何故か皇帝陛下は何か嫌なことを思い出したように憎々し気に眉を寄せ、剣を鞘に戻してがりがりと頭を掻いた。
「―――俺は、約束は違えない。お前の首は切らん。どうしてだか、理由はわからんが、俺が眠ったのは確かだ」
「悔しそうですね?」
「本当に無礼者だな。こんなやつに二度寝までさせられたとは―――」
最後の方が良く聞こえなくて首を傾げる自分に、皇帝陛下は「まあいい」と顎をしゃくった。
「俺に魔法、魔術はきかん。お前のわけのわからん話を聞かされ続けて意識を失ったのかと考えたが、体温か?なんで俺は眠ったんだ?」
「俺に聞かれましても………。前世の睡眠障害医療の話をしている途中で、気付いたら皇帝陛下は寝落ちしてましたので」
「それもだ?!前世って、本当に何者なんだ?!」
「その質問にもある程度答えましたが、再度話すのは問題ないですが、また寝落ちしても俺責任取れませんよ?公務の時間―――過ぎているのではないですか?」
先刻から扉を叩くノック音が室内に響いている。
窓の外の太陽の明るさを見る限り、最早、昼に近い時刻ではないかとグレイは予想した。
扉の向こうでは、皇帝陛下の侍従や執事や女官がそろい踏みでお出ましを待っているはずである。
ですが目の前の皇帝陛下はベットから動きません。
勝負に負けたのが悔しいのか、眠れたことが嬉しいのか、自分自身わからないとばかりに、綺麗な銀髪をぐしゃぐしゃにする皇帝を見ていると年相応の青年に見えてくる。
危機は去ったようなのでグレイはむくりと起き上がり、昨夜寝台にくっつけたソファーの上に置いたままの帝国天地開闢記に手を伸ばす。
「命拾いしたことより帝国天地開闢記か………」
「まだ最後まで読んでいないもので」
寝落ちしたため、一番面白い章が読めていないのだ。
もともとは一つの国だった東の国と西の国が袂を分かったのは、ただの兄弟喧嘩だったなど、西の国の歴史書にはなにひとつ記述がないのだ。
ここで読まねば二度と読めない貴重な文献。逃がすわけにはいかない。
「未読の本がある限り、お前は、殺しても死にそうにないな………。前世を憶えていて―――その全ての記憶があるってだけで、信じられんのに。この世界に生まれる前は、別の世界?かがくぎじゅつ?あげく、その本は古語記述だぞ、何で読めるんだ?お前、頭がおかしいとしか」
「そういわれるのは予想ができてたので、前世の話に関しては今まで、クレア以外には教えたことがないのですが………。どうして陛下には言ってしまったのか、我ながらわかりません。古語は、歴史文献を読むために学びました」
はっはっは。とグレイが笑うと、それを皮切りに扉が開き、皇帝陛下の侍従たちが室内になだれ込んできた。
が――――――。
彼らは入室するなり、瞬時に石のように動かなくなった。
彼らの視線は、皆一様に同じ場所を見ていた。
ベッド上の皇帝陛下と自分を見て固まっているのだと気づいた時、グレイは「ああ……」と陛下を振り返った。
半裸の皇帝陛下と、薄い夜着の戦争捕虜が、同じベットにいるのだ。
それを見た彼らの頭の中を想像することは、時勢に疎いグレイであっても簡単だった。