2:ファーストコンタクト
「これはどういうことだ?」
東の大国バルナバーシュの皇宮謁見の間。
若き皇帝の一声に、皇宮が誇る荘厳で壮麗な美しいホールは今、息をするのも躊躇するほどの緊張感に包まれ、時が止まったかのように空気が凍りついた。
ですよね。とグレイは独り言ちた。
凍り付く理由は痛いほどわかるが、こうするより他に解決策がなかった。
彼だけが許される国の主の座で皇帝アルベルトは優美に足を組み、自分へと伸びる真っ赤な絨毯の上にひとり立つ隣国から来た捕虜であり人質ーグレイを睨みつけた。
赤絨毯の両サイドに並ぶ、彼の重臣達ですら震えるほどの、冷たい目だ。
「顔は、同じだが。残り全てがこちらの要求を満たしてはいない。俺は、戦場で対峙した西の女将軍を寄越せと、我が国に大敗した西の王に伝えたはずだが―――釈明はあるか?」
傍らに立つ侍従職が持つ皇帝の大剣を手で招き、すらりと刀身を抜くなり、がきん!と音を立て、大理石の床に突き立てる。
皇帝の怒りと苛立ちがその行動に見て取れる。
ええ、おっしゃる通りです。
お怒りのお気持ちも大いに理解できます。
俺と女将軍の同じところは、顔と髪色と瞳の色だけ。
白磁の肌に、癖のない綺麗で長い黒髪と黒曜石の瞳を持つ、美しい女将軍。対して、顔は同じでもこちらの黒髪はぼさぼさの乱切りで、片方のレンズにヒビが入った眼鏡の下の黒い瞳は寝不足で濁り切り、よれよれの風貌の金にならない学者の自分。
素材が一緒でも、生き方が違うとこんなにも見た目が変わる良い例である。
「釈明はありませんが、俺がここにいる理由はあります」
目の前に居るのは、自分の住まう西の国バルトサールを落とした東の大国バルナバーシュの皇帝。
それをわかっていても膝をつく気は全くないグレイは、直立不動の姿勢のまま、アルベルトをただ見据えた。
「我が国と休戦協定を結び属国として西の国を残す対価として、西の将軍家の跡取りであるクレア・ブラッドフォードを差し出すと西の王は協定調印書に署名をした。―――女将軍には二卵性の双子の弟がいるとは報告はあったが」
「一応兄です」
「―――いい度胸だ」
皇帝の臣下たちが息を飲み凍り付くのが見て取れる。
彼らの中で、皇帝の弁の途中に口を挟める者はいないのだろうが、例えこの場で殺されても、グレイは引く訳にはいかない。
それが西の国を亡ぼすことになっても、たった一人の大切な妹を守ることは出来る。
一歩も引かず皇帝の氷の視線を受けていると、ふいのその瞳が緩んだ気がした。
「その度胸を買って、聞いてやる。お前がここにいる理由はなんだ?」
「妹は、クレアは先の大戦で大怪我を負い生死の境にいます。ですが、戦争捕虜として人質に出さねば、西の国は亡ぼされるとうちの馬鹿王が無理やり送ろうとしたので、俺が身代わりとしてこの東の国に参りました」
「馬鹿なのか?」
「うちの王は馬鹿です」
「お前がだ」
皇帝とは言え、俺より若い男に酷い言われようである。
これでも、頭脳は西の国でも一位二位を争うと自負しているのだが。とグレイは首を傾げた。
「頭は良い方です」
「―――同じ顔ならば、それなりに女装でもするとか、自慢の頭で考えはしなかったのかと聞いている」
「無理な話です。出来ないことはしない主義です」
「どういうことだ?」
「クレアは将軍と言えども女です。そして俺は男。顔が似ていて背格好が似ているとしても、男と女じゃ骨格が違う。化粧をして身なりを整え、ドレスを着てみても、なかなかの化け物が仕上がるだけなので、どうせバレて殺されるのならば、最初から素のままで対面し、切られた方が話が早いので」
「―――体験談か」
「……1回だけ試みましたが、なかなかの仕上がりで無理と判断しました」
そりゃあもう。酷かった。
顔の造りは同じでも、こんなに仕上がりが違うのかと、我ながらびっくりだった。
鏡に映ったその姿を思い出し、げんなりと斜め下45度に視線を下げるグレイの耳に、「は」と小さな笑い声が聞こえた。
「逆に、見てみたいものだな」
いえいえ、お見せできるものではございません。
へらっと笑うことしか出来ず、グレイは頭をかいた。
グレイの両脇に居並ぶ重臣達は、皇帝の意を汲むことが出来ず何の対応も出来ない様子に見えた。
そんな臣下に構うことなく、アルベルトは大剣を手にしたまま立ち上がり歩み寄ると、その剣先をグレイの首筋にあてた。
「妹は、西の女将軍。双子の兄であるお前は、一体何者だ?」
東の皇帝アルベルトが、西の国を残す条件としてクレアを人質に指定した理由は、戦場での一目惚れらしい事は情報筋から聞いている。
だからこそ、クレアをここに来させるわけには行かなかった。
クレアには、もう何年も前からの想い人がいる。
両親はとうに鬼籍に入っていて、クレアは自分にとり大切で最愛の妹だ。
たった一人残った家族であるクレアには、想う人との幸せな人生を歩んでほしい。
自分は、将軍家に生まれながら、その重責を妹のクレアに任せて好き放題生きてきた。我ながら人並外れた知識欲を満たすため、気になる学問にはすべて手を付け、気になる書物はすべて取り寄せ読破し、やりたい放題に生きてきたのだ。
ここいら辺で人生の精算が必要な時期なのだろう。
グレイは、辞世の句でも読むように口を開いた。
「この世界で思い残すのは、まだ見ぬ知識と書物。学者の本懐をとげぬまま、死ぬのは自らの所業によるもの―――どうぞご随意に」
一気に首を落とされるとき、痛みはあるのか?
そんなことを思いながら、静かに目を閉じる。
「学者?」
「はい。未だ知らぬ知識を学び、全ての理を紐解くことが、俺の生業です」
「面白いヤツだ」
冷たい刃先が首筋から離れた。
「学者。どのような学問を学んでいるのだ?」
「すべてを」
「本当に面白いヤツだ」
冷たい剣の刃先がとん。とグレイの左肩に乗せられ、静かに閉じていた目を開く。
すぐ目の前に見えた、深い瑠璃色の瞳に少々驚くと、アルベルトは大剣を、鞘に戻し顎をしゃくった。
「名は?」
「―――グレイ・ブラッドフォードと申します」
近くで見ると更に凄みがます冷淡な美貌にグレイがひるむ。
どこをどうしたら、こんなにすべてのバランスが取れた美しい顔立ちになるのか?
研究癖せが出てまじまじと見つめるグレイに、アルベルトは口端をあげ皮肉に笑んだ。
「レイ、チャンスをやる」
「グレイです」
「本当に無礼者だな」
よくも何度も俺に口答えをするものだ。と続けて、東の大国の皇帝は、グレイの予想もつかない折衝案を打ち出してきた。
「俺を眠らせてみろ。そうすれば、協定はそのままにし、お前には、皇宮の図書館を開放してやる」
東の大国の皇宮図書館。
それは、この世界の書物を一番に所蔵しているという、グレイにとっては夢の国にも等しい場所である。
目の前にニンジンをぶら下げられた馬のようによだれを垂らさんばかりのグレイは、はっと我に返り頭を振った。
「眠らせるって、殺せってことですか?!」
「無礼を通り越して、命知らずだな」
鞘に納めた大剣でグレイの頭をがん!と叩いて、アルベルトが面白そうに笑った。