24:皇帝陛下と宰相閣下によるグレイの洗濯
まるで、剣舞を踊っているかのようだった。
アルベルトは、グレイに目を奪われていた。
剣技というよりは、舞踊という他ない、流麗な体の流れから空を切り裂く白刃が、刺客を殲滅する。
血に塗れたその姿は、剣鬼の様であり、舞踊を極めた踊りの神の様であり―――目の前に起きたその事実を、正直、理解することが出来ない。
「酒が入ると――――剣が絶好調~~―――」
謎の言葉を残し、血まみれの剣を抱きしめてベッドに倒れ込む血まみれの学者を、アルベルトは茫然と見つめるしかなかった。
「―――っ痛いです!アル!」
目の前の現実が認められず隣のダグラスの足を踏みつけてみると、痛い!と声を上げ、東の国の宰相が東の国の皇帝であるアルベルトの足を踏み返してきた。
「―――痛い………な」
「痛いです。現実ですね」
二人で見下ろす血まみれの寝台の上で、血濡れた剣を抱きしめ全身に返り血を浴びた酔っぱらいが、酩酊した真っ赤な顔ですやすや眠っていた。
以前に見たその手は、とてもではないが剣を握ったことがあるそれではなかった。
だがあれは、あの動きとあの剣捌きは、常人のモノでは決してない。
更に酩酊と言っても、紅茶に垂らされたブランデーを数滴摂取しただけである。
酔っぱらうと剣豪になる?
もう、どこからツッコんで良いのか――――見当もつかない。
「………ひとまずこの惨上を片付けさせましょうか」
アルベルトよりも早くいったん冷静に戻ったらしいダグラスが、血痕のついたモノクルを外しながら大きく息を吐くと、遅れて到着した近衛や侍従達に片付けの指示を出し始めた。
「我々も、まずこれを洗い流すとして―――………これは、どうしましょう?」
先の「これ」は我々も被った血しぶきの事であり、後の「これは」寝台で熟睡する学者を指したものだというのは、言われなくともわかる。
アルベルトは、肺の中身を全て吐き出す程に大きく大きく、溜息を吐いた。
こんな血塗れ男を女官に洗え。と命じるのは酷過ぎることは明白であり、こんな危険生物の洗濯を、侍従に銘じるのも酷過ぎる。
「………………………………洗うか」
「………お手伝いします」
他国より恐れられる東の国バルナバーシュの銀狼王と名高い皇帝と宰相が手づから湯殿で体を清めてやるのだ、この対価は高くつくぞ。
にやりと悪い顔で笑ってしまったアルベルトに、一瞬引いたダグラスが声を潜め呟く。
「グレイの貞操は私が守りますよ」
「何を言ってるんだ、殺されたいかダグ?俺とお前が手づから洗ってやるんだぞ。辺境の一件の事の顛末全てと、先程の剣技―――全部吐かせても釣りがくると考えただけだ」
「―――そういう、ことにしておきましょう」
歯切れの悪い相手の言葉に「それしかないだろう。他に何がある?」アルベルトはと眉を寄せるしかない。
「やれやれ」と続けて、ダグラスはひょいと学者の体を抱き上げた。
「サシでの入浴は私的にはマズそうなので、アルが一緒の方が良いとも言えますから」
「―――何?」
「いえ、アルは気にしなくていい事です。ヒューはもう、ヤバそうですがね。―――行きましょう」
居室の一人用の浴室ではなく、皇帝用の大きな湯殿に向かい歩き出すダグラスの言葉が、アルベルトは簡単には飲み込めない。
俺が気にしなくて良くて、ヒューバートはヤバい?
アルベルトはダグラスの言動の意図が読めなかった。
この時のアルベルトはまだ、ダグラスの言葉が何を指すのかを知らなかったし、知ろうともしなかった。
アルベルトが「それ」に気付くのは、もう少し、後のこと―――。
・・・
血塗れの着衣が身体に張り付いて簡単に脱がせられない為、そのまま湯殿に運び湯に浸すことになった。
ダグラスと二人して、学者の体をキャッチボールをしながら湯を掛け着衣をはぎ取っていっても、酩酊状態で熟睡しているらしいグレイは目も覚まさない。
生きてるのか心配になり胸に手を当ててみると、変わらぬリズムの心音の響き。
生きているのは確かである。
血痕を洗い流し現れた、真っ白い肌。
傷ひとつないきめ細やかで滑らかな肌の下には程よい筋肉はついてはいるが、とてもあの剣技を繰り出す程の体の造りでは決してない。
背中の筋肉、そして右肩、右上腕から右手まで、手を滑らして確認してみても、これは、剣を生業とする鍛え抜かれた肉体とはいえない。
アルベルトはグレイの体を反転させダグラスの肩に凭れさせた。
「―――随分と、入念に触ってますね、アル………?」
剣を握っていた右上腕を入念に確認しているアルベルトに、グレイの上体を受け取りながらダグラスが聞いてくる。
「あの剣技で、学者が腐っても西の将軍家の出だと思い出した。実は俺の身を狙った刺客かもしれんと―――」
「それはないでしょう。もしそうならばグレイの前で熟睡したアルの命はもうないはずです。前に共寝したときに聞いたことがありますが―――」
と、グレイの肩口に湯を掛けながらダグラスが呟く。
「ああ、黒髪だからと油断したら、髪にも結構な血を被ってますね」
片膝を立てて仰向けにグレイの体を固定して、ダグラスは手で湯を掬いグレイの黒髪の血痕を洗い流す。無色だった湯がじわりじわりと赤みを増してゆく。
「―――何を聞いた?」
「着やせして見えても、触れた肩の筋肉は文官の持つものではなかったことが気になって。背筋と肩、腕の筋肉が学者にしては結構あるのはどうしてか?とストレートに」
「学者の返答は?」
「図書の片付けをしていたら勝手に筋肉がついたと。これは、キースにも確認しましたが、図書館司書あるある。だそうです」
本というものは結構な重量があるものも多く、それらの整理を人力で酷ければ1っか月以上ひたすら棚移動したりすると、気付けは騎士にも劣らない体が出来上がる。とのことだ。本当か?
「あくまで筋肉がつくだけで、運動機能は変わらず。とは、図書館勤務の官吏も共通認識だそうです―――――これは………?」
左肩からまだ抜いていない肌に張り付くシャツを捲ったダグラスが、不意に眉を寄せた。
湯殿に来てから何とはなしに見ていたら、決してグレイの体を直視していなかったダグラスが、ただ一点を見て動きを止めた。
左肩口の肩甲骨辺りに残る傷。
左脇腹近くまで続くその傷は、もう癒えてはいるように見えるが、かなりの深手だったことが分かる。
もしかしたら、命に関わるほどの―――――。
「刀傷――――――?」
なんだろうか。この傷跡を見ていると、心が、ざわざわしてくる。
なんだか、何かを思い出しそうな、思い出さねばらならいような………。
アルベルトは我知らず手を伸ばし、左肩口から左脇腹に伸びるその傷を無意識になぞってしまう。
「―――ぅ…ん……」
するりと傷跡を撫でられた体の持ち主が小さなうめき声を零した。
微かに眉を寄せ、湯に上気し薄っすらと血色を上げた背を、ピクリとしならせるグレイの姿に、ふたりの胸がドキリと音を立てた。
ドキリ?ってなんだ??
互いに自分の胸に手を当てて、自問自答するアルベルトとダグラスの前で、黒曜石の瞳がぽかりと開いた。
「うっ―――わあ――――?!っで、でででって、どわあああ――――!!」
上半身裸の二人の姿に顔を赤くし青くし赤黒くなって、更に自分の真っ裸の姿に気付いてしまった学者が、何の恥じらいか胸元を隠して湯船に滑って物凄い水飛沫を上げて、湯殿の底に沈んだ。




