22:今日の当番は皇帝陛下?ではないはずです
バージル辺境伯の動きは掴めてはいたものの、なかなか尻尾を出さず正直、調査は難航していた。
更に、小トカゲの上位には大トカゲがおり、迂闊に手を出せばトカゲの尻尾切りで、全てを取り逃がす。
東の国バルナバーシュ随一の頭脳と智略を持つダグラスでさえ、手をこまねいていたバージル辺境領が、ある日皇宮に現れた学者ーグレイーの一言により、ものの見事に制圧された。
これは、偶然か必然か?
目の前で呑気に茶を飲みながら、最近の天気についてダグラスと話し込んでいる学者を、アルベルトは睨みつけるように見つめていた。
「―――女心と秋の空とは言いますが、最近の天候は世の情勢のように、随分とコロコロ変わりますね」
恐らくアルベルトと同じことを考えているであろうダグラスが、天候と国の情勢の変化を掛けて問いかける。
と、いうのに。
呑気な学者は「そうですねえ」と呟きながら、紅茶のカップを綺麗な所作でテーブルに戻す。
その所作は、うらぶれた学者のものでは確実にない、洗練された貴族のそれだ。
ああ、そういえばこの男はそうは見えないが、西の国でも有数の大貴族である将軍家の長男だったことを思いだす。
「バージル辺境領はヒューにより間もなく平定されますが、あの地には、様々な噂話が生まれては消え、生まれては消え―――一体何が起きてるのでしょうね?」
ダグラスの言葉に、グレイはまるで春の日差しの様に、穏やかに優しく笑う。
「さあ―――何なんでしょうね?」
―――大狸が、ここに居る。
バージル辺境領の軍壁の財宝に関して、最初にそれを発したのは、目の前の学者だとアルベルトは知っている。
その後、バージル領に関して次々に浮かんでは消える謎の噂も恐らくは―――。
第一の噂は、軍壁に隠された財宝説。
一攫千金を狙う強者達が強固な軍壁を穴だらけにしてくれたお陰で、バージル辺境伯を抑えられたのは僥倖だった。
だが、この噂が国境を超え流れ始めた事で、穴だらけになった軍壁は北の夷狄への朗報となり、彼の国がバージル辺境を攻める算段に動いたとの情報が入った
その矢先に、今度はまた違う噂が国内と北夷狄に流れ始めた。
第二の噂は、軍壁への軍備の増強工事説。
実は先の噂は、外壁に大砲を埋め込むためのフェイクで、真実は北夷狄に対しての軍備増強工事であり、先の噂を鵜呑みに攻撃を仕掛けるであろう夷狄を、これにより一網打尽にする皇帝の秘策。という話だった。
辺境領への侵攻を一歩進めようとしていた北夷狄も、これには血気を下げ出兵を一旦白紙に戻したのは密偵により確認した。
そして、最新の話はまた、方向が変わった。
第三の噂は、関所の建造。
夏からの悪天候により秋の収穫が思わしくない北夷狄に対し、寛大なる東の国の銀狼王が穀物の無条件譲渡を考えており、その受渡の場として辺境軍壁に関所を建造している。これが本当の真実である。という、さすがのアルベルトも「は?」と数分フリーズする程の、ありえない話だった。
「西の国でのバージス領の噂の話を貴方から聞いた時点では、確か北の国の秋の収穫量は例年並みとの読みでした」
左目のモノクルを外し手巾でレンズを拭きながら息を吐くダグラスに、すっとぼけ大狸は大窓から夜空を見渡して涼しい顔で言った。
「天候を読むなど、人には無理でしょう。全ては天の神様にしかわかりません」
嘘を吐け。
最初の噂から三つ目まで、噂の出所は学者なのだろう?。
それも、発信現場はあろうことか、皇宮図書館ときた。
国政の中枢人物ではなく、あくまで実務レベルの官吏に世間話的に種を蒔き、隣国を巻き込んでの大樹に育て上げた。
最初の噂の種蒔きを、ダグラスとヒューバートとしたのが、今の状況予測を立てての事であるならば―――この男の頭の中は一体どうなっているのか?
世界一の東の大国と自負する我がバルナバーシュと、武の北夷狄の異名を取る北の国が、この得体のしれない学者の手のひらで転がされなど、考えたくもない。
「冬季を前に北の国に恩を売っておけば、冬の脅威が減り戦闘による無駄な軍備軍費も兵も失わない。穀物の無償提供など安いモノではないですか?皇帝陛下、宰相閣下」
腹が立つ。
食料奪取を目的とした冬季に慢性的に起こる北からの戦闘は、バルナバーシュ建国以降の最大の問題でもあった。
学者の言い分は、一利も二利も――――――――――――百利もあり、益しかでない………。
「――――――戦争なんて、起きないのが一番ですよ~」
ぐわんぐわんと学者の頭が揺れたかと思うと、次の瞬間に上体が傾しがって―――ばたりと倒れ込んだ。
「ああ、失敗しました」
学者の体を瞬時に抱え込んだダグラスが、腕の中の男の顔を覗き込んで眉を寄せた。
「アルコールに弱いと聞いたので、今回の全容を全て吐かせようと思い紅茶にブランデーを仕込んでおいたのですが―――ここまで弱いとは………」
策士のダグラスが自分の失敗だというのに楽し気に笑んで、学者の頬を柔らかく撫でている。
学者の顔は、湯気を噴きそうな位に真っ赤であった。
どれだけ呑んでも酒には酔わず、顔色も変化しないアルベルトからすれば、驚くべき変化である。
「どんだけ、混入させたんだ?」
「数滴です」
ははは。と笑って、ダグラスが腕の中の学者の前髪を上げ、額に自らのそれをくっつけ「酔ってカンカンだ」と笑う。
―――俺の前で、何してるんだお前は?
「完全にイッてますね。今日の査問は後日にして休みましょう、アル」
学者をその腕に抱いたまま、すいっと立ち上がるダグラスに少々胸の辺りがムカムカする。
何を自分のモノみたいな顔をしているんだダグ。
「今日の当番は、俺のはずでは?」
「いえ。今日は私でしょう」
二人して真顔での睨み合いとなる。
「ダグ」
「先日のジャンケン勝負では私の番ですよね?」
学者を譲る気はないと。ダグラスのその顔が言っているのが、見える。
見えるが――――――ここは、引けない。
「―――俺は今日は朝まで熟睡したい」
「グレイはもう寝ているので、貴方を眠らせる得体のしれない講義は出来ないと思いますが?」
取り付く島もない。とはこのことか……。
「ダグ」
泣きの一回で、もう一度呼んでみる。
「俺は、この国の皇帝だぞ。譲れ」
「ダメですよ。皇帝陛下が一度決めたことを守らぬとは情けない。それに、私だってバージス領の平定が見えるまで実務詰めでほとんど完徹だったんです。やっとゆっくり寝れるんですから、譲れません」
これは寵姫の取り合いというよりは、確実に―――――――――――安眠枕の取り合いである。
こうなっては、もう仕方がない。
皇帝の権威も何も、熟睡睡眠の前では何の足しにもならない。
最後のカードを出すとしよう。
アルベルトは意を決した。
「わかった。俺の寝台で、お前も一緒に寝ていけ」
「―――――――――――プライド捨てましたね、アル」
気持ちはわからないでもないですが。とダグラスが溜息交じりに呟いた。




